オムライスとデミグラス
この物語は、祖父と孫、そして料理に宿る“記憶”をめぐる小さな喫茶店の話です。
誰かのために作る料理には、その人の想いが必ず滲むものだと、私はずっと思ってきました。
オムライスという身近な料理を通して、
「受け継がれる気持ち」や「誰かのために作る温かさ」を描きたくて、この短編を書きました。
読んでくださるあなたの中にも、
ふと懐かしい匂いや、誰かの笑顔がよみがえるような、
そんなひとときになれば嬉しいです。
「私、卵料理苦手なんですよね。特に、気合入れるといつも失敗しちゃいます。」
「気持ちだけが空回りしてしまう、といったところでしょうか?」
「ですね。特に、大事な相手とかだと尚更で……。」
はぁ~っと、大きなため息をつく。
「でも、ここのオムライス、形も味もすごく良いですね!!
なんというか、妬けちゃいます。」
「そうでしょう?なんと言っても、うちの看板商品ですからね。」
幸せそうに頬張る女性に、カウンター越しから声を掛けた。
色鮮やかなステンドガラスから漏れる光。
天井でクルクルと回るシーリングファン。
年季の入った木製の内装。
ここは都内某所の喫茶店である。
「特に、ソースがトマトケチャップじゃなくて、
その茶色の……なんて言うんでしたっけ?」
「デミグラスソースですね。」
「そう、それです!独特の酸味とか、深いコクがもう最高です!」
一通り喋り尽くした彼女は、小休止がてら水を口に含んだ。
「ぷは~。こんなに美味しいオムライスは初めてです。私史上、最高ですよ。」
「そう言ってもらえると、うちの祖父も浮かばれるでしょうな。」
「お爺様、ですか?」
カウンターに立てかけられていた額縁を手に取る。
「これがうちの祖父、三ノ宮 和敏です。」
「へぇ~、随分とお若いですね。」
「まぁ、40年前の写真ですからね。確か30代前半だったかな?」
額縁の写真には、祖父と、それから幼い頃の父が映っていた。
「この時期に店が出来たので、祖父が初代マスター、私は二代目なんです。」
「なるほど、なるほど。」
彼女はじっくりと、写真と私を見比べて―――
「マスター、お爺様と雰囲気かなり似てません?」
「ハハハ、よく言われますよ。」
拭いていた食器から、キュキュっと音が零れた。
「家族の中でも、祖父と過ごす時間が一番多かったので、
色々と似てしまったのかもしれないですね。」
店内に佇む、古びたレコード―プレイヤー。
そこから流れる陽気なジャズが、二人の間を満たしていく。
「いわゆる、おじいちゃん子だったんですか?」
「まぁ、一言で言えばそうかもしれないですね。」
遠い記憶に思いを馳せる。
「僕の両親は共働きでしてね。幼い僕は、祖父によく面倒を見てもらってたんです。」
話の続きを促すように、彼女は小刻みに頷いている。
「それでいつしか、店の手伝いもするようになって、
料理とか、コーヒーの入れ方を教えてもらったんです。」
グラスの中で、カランッと氷が鳴った。
「はい。どうぞ。」
「あっ、すみません。わざわざ注いでいただいて……。」
「いえいえ、お気になさらず。」
水の入ったカップを手渡す。
「ありがとうございます。―――それで話の続きですけど、
もしかしてその時に、このオムライスの作り方を?」
「はい。……といっても教わって数年は、形にすらならなかったんですけどね。」
苦々しく笑った。
「だけど、どうしても作れるようになりたかった。祖父に一人前になったんだって、立派に育ててもらったんだって―――そう伝えたくて。」
「……」
拭き終わった食器をコトリと置いた。
「そうして、ようやく一人前に作れるようになった時、祖父が病で倒れました。」
「……っ。」
わずかに空気が重くなるのを感じた。
そのまま一呼吸置いて、口を開く。
「癌だったんです……。食事もまともに取れなくなって、みるみるうちに
やせ細っていくのが分かりました。」
胸がズキリと痛みだす。
塞がっていた古傷が、今になって開きだしたような感覚だ。
「それから僕は毎日のように病院へ行き、祖父のお見舞いをするようになりました。」
「……そうだったんですね。」
憂いを帯びた声音が届く。
「そんなある日、ひょんなことから祖父に食べたいものは何か無いかと、
聞いたことがあったんです。」
《じいちゃん。今、何か食べたいものとかないの?》
《食べたいものか……。うん、そうだな―――》
顎をさすり、思い出の中の老人はこう言った。
「“オムライス” って。―――まったく、祖父には困りましたよ。
お医者さんにも止められてる上、そもそも食べられる状況じゃないのに。」
懐かしい、二人の緋色の日々に目を細める。
《せめて、食べられるものにしたら?》
《食べたいものだろ?食べられるかどうかは関係ないんだよ。》
「流石に、病室に食事を持ち運ぶわけにもいかないですし。
結局、作った写真を祖父に見せるという事で、話は付きました。」
クスリと口の端から笑みが零れる。
「ふふっ、愉快なお爺様ですね。」
「確かに、そうですね……本当に。」
瞬きを一つ。
瞳の裏に、あの日の光景が広がっている。
「写真とはいえ、祖父に送るオムライス。“過去一番の最高傑作を作ろう”
そう思っているのに、なぜか上手くはいきませんでした。」
募る焦燥は煤へと変わり、僕の全身を黒く覆い尽くした。
「材料も底を尽き、いよいよラスト―――というところで、
父から祖父の危篤を告げられました。」
コンロの火が小さく揺れ、不均一に広がったオリーブオイルが頬を掠める。
「そこからは無我夢中で、病院まで駆けだして祖父の元へと向かいました。」
やけに、景色の流れが早かったことを鮮明に覚えている。
「たどり着いた僕を待っていたのは、脈拍の安定しない、今際の際の祖父の姿。
必死に僕の名前を呼んでいた。」
鼻をつくエタノールの香り。
清潔で、明るくて、不気味な白い病室。
大事な人を、今にも攫ってしまいそうな空間が、僕はひどく怖かった。
「ふらつきながら、祖父の方へ顔を近づけた時、
その口から “オムライス” の5文字が聞こえてきたんです。」
震える手で、スマホを操作する。
「画面に映ったのは、最後に作った不格好なオムライス。
本当は前に作った、出来の良いものを見せるつもりだったんですけどね。」
《じいちゃん、ごめん!!上手に作りたかったんだけど、俺やっぱりまだ……。》
瞳から大粒の涙が溢れ出す。
スマホを握る手は情けなく震え、自分自身の不甲斐なさに心が折れそうだった。
だけど、そんな僕の頭を撫でて―――
「“上出来だ。お前はもう、立派な一人前だよ……”
そう、祖父は言い残して、この世を去りました。」
ピーーーッ
話の切れ目を待っていたかのように、沸かしたケトルが煙を上げた。
癇癪の治まらない子供をあやすように、ゆっくりと丁寧に火を止める。
すると音は、段々と止んでいった。
「とまぁ、こんな感じです。大分、話が長くなってしまいましたね。」
「……いえいえ、とても貴重な話でした。ありがとうございます。」
持ってきていたハンカチで目頭を押さえる彼女に、
出来上がったばかりのコーヒーを差し出す。
「えっ?いいんですか?」
「えぇ。懐かしい話もできましたし、これはほんのお礼ですよ。」
「なら、ありがたくいただきます。」
コーヒーを啜る音、フライパンにこびりついたバターの香り。
酸味と甘みの広がる空間は、まるで僕と祖父との過ごした日々のような。
それでいて、オムライスにかかったデミグラスソースのような、
味わい深さが詰まっていた。
―――カランコロン
誰かの訪れを知らす、ベルが鳴った。
「料理作り、私も頑張ってみようかな……。」
この小さな喫茶店で、思い出と料理は今日も混ざり合う。
営業時間は、まだ終わらない。




