第7話 香
「ん? どうした?」
瑛然は皇帝がすぐ近くにいるというのに、へらへらとした表情は変わらない。
それでも、香凛が足を止めたことには侍衛らしく、すぐに気付く。
「この香……」
その言葉に、瑛然はすぐに後ろの扉を閉めさせる。
部屋の中には瑛然と香凛、それに御簾がかかるその奥に皇帝と皇后がいるだけだ。
「香凛。何に気付いた」
「……部屋に焚きしめられている香を、確認させていただいても?」
「当然だ」
瑛然は御簾の前で、小声で何かを告げる。
向こう側で人が動き――おそらく皇后だろう――御簾の下から香炉が渡された。
「蓋を開けた方が良いか?」
「できれば」
皇帝のための香炉に自分が触れて良いのかわからず、香凛は瑛然に頼む。
白磁に絵付けされているその香炉の蓋を開けると、そこには香灰と香炭の上に置かれた渦巻き香が半分ほど燃え尽きた状態だった。
(体調の悪い陛下の御寝所で、焚香を?)
焚香とは、いわゆる香炉に置いた火だねの上か近くに香を置き、それ自体を燃やしていく香の焚きしめ方だ。
寺院や後宮、そのほか多くの場で用いられる。
通常、皇帝や皇后の寝所では空薫という、香木を温めて香りを炊き出す方法が一般的だ。
「香凛?!」
「しっ。御寝所ですよ」
「いやそれより、きみが火を」
「ああ。すぐに真空にすれば熱くないですから」
香のほんのすぐ下をつまみ、火に触れない。火を燃やすための空気を遮断することで、消火する。
何でもないことのように言う香凛の指先をすくい取り、瑛然はじっと見た。
「ふふっ。薄暗いですから、見えないでしょう? たとえ私が火傷をしていても」
「火傷したのか?」
「まさか。これでも薬師ですよ。香の扱いには慣れています」
手にしている渦巻き香の匂いを嗅ぐ。
だがそこからは、先ほど感じた匂いは感じなかった。
「……この香は、御殿医殿の配合で?」
「そう聞いてるが。何かわかったのか」
「この部屋に入ったときに感じた、緋衣草と丁字の香りが、この香自体からは……」
香凛の視線が、床に置かれた香炉に向かう。
手にしていた渦巻き香を瑛然に押しつけると、彼女は香炉の中の香灰に手を伸ばす。
指先でそれをつまみ、匂いを嗅いだ。
ぴたり、と鼻先の動きを止める。
「これだわ」
香凛は香炉を両手ですくい持ち、瑛然へと差し出した。
「香灰の中に、長く吸い続けると有毒となる成分の薬草が入っています」
***
香凛の言葉に瑛然は扉を少しだけ開け、外にいた啓俊に何事かを伝える。
すぐに彼は隣にいるもう一人の男――風俊にその場を預け、どこかへと消えていった。
そして今――。
(どうして私は、皇帝陛下と皇后殿下の前にいるのだろう)
御簾があがり、香凛は皇后明陽を前にして伏していた。
明陽の奥には皇帝が横たわっている。
意識はあるようで、明陽に何事かを伝えると彼女は頷き香凛の方を向いた。
「面をあげよ」
直接皇后から声をかけられ、香凛の体が一瞬すくむ。
(星薬師を復活させると決めたんだから、お声を掛けられたくらいで怯むな……!)
己の矜持を必死に奮い立たせ、香凛は意を決して顔を上げる。
目の前には美しく威厳に満ちた女が、笑みを浮かべて待っていた。
「そなたが当代の星薬師殿だとか――直答を許す」
香凛は拱手をし、口を開く。
「はい。わたくしが、星薬師の末裔であり当代の星薬師でもある凌香凛にございます」
その答えに満足したのか、明陽は香凛の横に並ぶ瑛然に声をかけた。
「その香炉を、こちらへ」
瑛然は明陽の元へ、蓋をした香炉を手渡す。
「星薬師殿。詳細を教えてくれるかしら」
明陽の言葉に、香凛は返事をしてから説明を始める。
「控えの間に入った瞬間、部屋の空気に違和感を感じました」
部屋に焚きしめられた香の香りは、伽羅の香りだった。
だが、その中に僅かに感じる他の香りは、病人のいる部屋で焚きしめるには、いささか毒性が強い。
しかもそれらは伽羅に紛れてしまうと、香りの良さを引き立たせるだけで、よほど精通していないと気付かないものだった。
それが最初の違和感。
「わたくしがもしも御殿医であれば、けして調合しない香りでした」
それも空薫ではなく、香りが強く出て煙が立ち上る焚香だ。
おそらく複数の医師が精神を落ち着かせるための薬効としてと口にすれば、他者は受け入れるだろう。
「事前に毒性を確認される渦巻き香自体は、何の変哲もない伽羅の練ったものです。誰も疑うことはないでしょう」
逆に言えば、疑われないために香自体ではなく、香灰に仕込んだともいえよう。
香凛の説明に、明陽は満足気に頷く。
「納得できるわ。瑛然、手配は」
「先ほど啓俊に」
「では香に関しては、そなたがすすめておいて」
「は」
どうやら、詳細に調査をしてくれるらしい。
香凛は自分の話を聞いて貰えたことに、先ずは安堵する。
にべもなく捨て置かれることはなかったのだ。
「さて、星薬師殿――いえ、凌香凛」
「はい」
「あなたにはこのまま、陛下に関して調査をすすめて欲しいの」
(穏やかな、口調)
先ほどまでの堅苦しいやりとりではない。
それだけで、普段こうした人々との接点がない香凛は、息苦しさを脱せる。
(今後を考えたら、そんなことじゃいけないのに)
「それでね」
明陽はにこにこと笑いながら、香凛を見つめた。
手にしていた扇子をパチリと閉じて、上機嫌で言葉を続ける。
「あなたを私の親戚の養女にすることにしたから」
香凛は驚きのあまり、皇后の前だというのに大きな口を開けて、目を見開いたまま固まってしまった。
次の更新は明日7:00です。
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