第5話 華都
「人の星の定めたる状況、ということは、運命ということか?」
思いがけない場所で己の命にまつわることを聞き、瑛然は香凛へと質問する。
もちろん、香凛はここで自分が指した『皇帝』が瑛然を示すとは、全く思っていない。
「運命、とは少し違うわね。今このときに定められていること。つまり」
「行動次第で変えられるってわけか?」
「その通りです。陛下が伏せっておいでということは、命の尽きる時期が近いのかもしれない」
その皇帝の命とは、実は瑛然の命である。
瑛然は小さく唾を飲み込むと、香凛に頭を下げた。
「瑛然殿?!」
「香凛、頼む。皇帝を助けて欲しい」
父である炎黎も、自分のことも。
この国を自らの代で混沌につなげるわけにはいかないのだ。
民の幸福のためにも、どうか。
「顔を上げてください。瑛然殿」
それまで飄とした風情で、軽薄な笑みを浮かべていた瑛然の真剣な眼差しに、香凛は一瞬目を細め、そうして笑う。
「私ができる範囲になりますが、お助け申し上げます」
その瞳には、星薬師としての矜持が宿っていた。
***
「は? 二人乗り?」
「ああ。香凛は馬に乗れないだろ」
「でも馬車とか」
「馬車じゃ遅いしね」
香凛が必要そうな薬草や薬、それに器具を大きな布鞄に纏め家を出たときに、問題は起きた。
「それは……確かにそうだけど」
「じゃぁ決まり」
ここは城から馬を駆けて数時間の場所だ。
馬車で向かうとなると、一昼夜かかってしまう。
そこで、瑛然の乗ってきた馬に二人で乗ることになった。
(う、馬に乗る練習しておけば良かった……!)
皇帝の星に命の危険を見つけてしまった香凛としても、できれば少しでも早く城に向かいたい。
(今日会ったばかりの人と、二人乗りだなんて)
ただそれと、初対面の人間と体を密着させることは、全くの別問題だ。
「ほら、早く」
(無駄にちょ、ちょっと格好いいから、問題なのよね。軽薄な感じだけど)
瑛然は香凛の近くに寄ると、彼女の体を抱き上げる。
「えっ?!」
あっという間に横抱きから馬の背に乗せられた香凛は、慌ただしく目を瞬かせることしかできない。
「よっ、と。馬の鞍の前、そうそこをしっかり握って」
すぐに後ろに乗ってきた瑛然は、香凛の手を取り鞍の前にある支えに誘導した。
耳元で囁かれる声に、香凛の心臓が慌ただしくなる。
「よし、じゃぁ飛ばすからな。舌噛まないように、気を付けろよ」
その言葉とともに、瑛然の足が大きく馬の胴体を蹴り、手綱を緩めた。
馬は大きく鼻を一つ鳴らすと、地を蹴って走り出す。
途端、香凛の心臓は別の意味で速く動く。
(は、速い!)
最初こそ体が強ばっていた香凛も、その速度にやがて慣れていく。
そうなると、視界の端から端まで意識が巡るようになる。
(遠くに街が見える)
木々の間から、遙か彼方に見えるのは首都である華都だ。
その周辺からは、かまどの煙が立ち上っている。首都近辺の村々だろう。
「周りが気になるか? 寄ってやりたいけど、それは今度な」
「それはいっ……つ」
「ほら、舌を噛むぞ」
楽しげに笑う瑛然の声は、香凛と密着する背中から響く。
(話しかけられると、体がくっついてるのがわかる……)
落ち着かない、と香凛は再び周囲へ視線を巡らせ気持ちを誤魔化す。
(男の人なんて、家族か患者さんしかいなかったから)
立派な体格の、それも身分の良い男性に触れたことなどない香凛は、ただただ落ち着かない気持ちを分散させるしかなかった。
***
華都に入り、少しだけ馬の勢いが落ちる。
行き交う人々の多さに、香凛は瞬きを繰り返す。
(すごい! こんなに人がいるなんて! さすが皇帝のおわす都だわ)
「馬の勢いが落ちたからって、顔をあちこち振るとバランス崩して馬から落ちるぞ」
くつくつと笑う瑛然に、香凛は思わずムッとしてしまう。
「仕方ないでしょ。久しぶりに来たんだもの」
ともに馬に乗ってきたこともあってか、口調が若干緩む。
「どのくらいぶり?」
「小さいときに一度だけ。ほぼ初めてみたいなものだわ」
「初めてか。そりゃいいね」
「なによ。馬鹿にしてるの?」
「そうじゃないって。かわいいなって思って」
「かわ……っ!」
(こ、声っ! どうせからかってるんでしょうけど、声が! 声が甘いじゃないの)
耳まで赤くなる香凛に、瑛然はわざと体を密着させ笑う。
「さ、あと少しだ。中心部から少しずれたし、急ぐぞ」
どうやら街中を通過しつつ、逆側の外れへと向かっていたらしい。
馬は山中ほどではないが、徐々に速度を増していく。
「先に見える壁がわかるか?」
「ええ。白くて美しい、どこまでも続く……もしかしてあれが」
「その通り。皇城だ」
白く塗られた壁の上には、真っ黒な瓦が敷かれている。
その奥には、深い緑の屋根と朱赤の柱の建物が小さく見えた。
「皇城の裏門から入り、そのまま陛下の控えの間へと向かう」
「はっ?! い、いきなり陛下の?」
「控えの間だから安心しろ」
(安心なんて、できるわけないでしょ!)
皇城は役人や廷臣たちの仕事の場。そして重臣たちの家が建ち並ぶ区域でもある。
その奥――香凛が見た深い緑の屋根のつく場所は宮城だ。
そこは皇帝やその子どもたちが住む場所であり、後宮を抱える場所でもあった。
「俺を信じろって。悪いようにはしないから」
見ないでもわかる。
初めて会ったときから浮かべていた軽薄な笑顔。
きっと、そんな顔をしているのだろう。
(変ね)
なのに、何故か少しだけ信じても良いかと思ってしまった。
衛兵のいる門で瑛然は何かを見せる。
それを見てすぐに、門が開かれた。
初めて入る皇城。
「すごい……」
香凛の目の前には、夕日に照らし出された宮城がそびえ立っている。
光りを浴びた屋根は、まるで天上絵の世界のようだ。それを支える丸い朱赤の柱は、海底にある珊瑚のよう。
ここは間違いなく、この国を統べる帝の住む場所だと感じた。
香凛はその皇帝の命の限界を考え、ぶるりと体を震わせる。
瑛然の馬は静かに、宮城のなかへと踏み込んでいった。




