第22話 後宮のはなたち弐
(後宮の北側、ね)
医師から思いがけない名前が出たものの、だからといって祖父と何か関係があるわけではない。
それに、魂流祭の提灯に名前があったということは、『徐福商会』は今も大店として、存在しているのだろう。
(そもそも、本当に事件はあったのか)
炎黎帝の寵姫でもある皇后の息子。第一皇子。
どう考えても皇太子となるべく生まれた子に対し、九嬪の侍女が毒を盛るなんてことが可能なのか。
(あら……あらあら。あらあらあら)
建物の建ち並ぶ区画から、少し裏に入っただけで、多くの草木が茂っている。
「後宮の尚花局は何をしているんだか」
尚花局とは、植栽を管理する部門を指す。
(薬草園は見事に管理されていたけど、ここは仕事をしていない……というよりも、もしかして)
香凛が見てすぐにわかるほど、悪意に満ちた植物が植えられていた。
「これは樒、曼陀羅華に冶葛に……あぁ、水仙なんてかわいい方ね」
水仙の近くに咲く秋水仙属を見て、香凛は溜め息を吐く。
「殺意に満ちた植栽だこと」
どれも猛毒を持つと言われている植物で、それが皇帝の子を生むために作られた後宮にあるとすれば、わざわざ植えているとしか思えない。
(知らなければ、どれも美しい花と言えるけど――)
少なくとも、尚花局の責任者が知らない筈がない。
「あ、ここだわ」
さらに奥に進むと、小さなあばら屋が現れる。
簡素な木でできた建物が、先ほど医師が口にしていた『冷宮』だろう。
ここに入れられたら、長くは生きられないといわれる程の場所。
「白樺の木、かぁ」
多少煤茶けてはいるが、建物自体は白樺の白い樹皮が分かる程度にはしっかりとしている。
屋根は瓦ではなく板が葺かれていた。小枝や茅のようなものだと、手を入れないといけない期間が短いからだろうか。
あばら屋の周りには桃色と紅色の花を咲かせた夾竹桃が、いくつか植えられていた。
「中も失礼します」
人の気配もないので、ついでに中を見てみるかと扉を開ける。
ガタガタと音はするものの、引き戸はきちんと動いた。
だが、中に入ってみると隙間だらけなのがよくわかる。
「こんなとこに、蝶よ花よと育てられた人が入れられたら、そりゃもたないわ……」
(後宮に植えられた数多くの毒草、皇太子毒殺疑惑、高修容とその侍女の処罰……そして祖父ちゃんと繋がりのある徐福商会)
「まぁでも、徐福商会は単なる客だったかもしれないから、そこは考えすぎない、として」
土が剥き出しの地面を何度か足で蹴った。
長い間使われていなかったここは、土自体はあまりかたくなく、すぐに踵の分だけ掘り返すことができる。
「皇太子……が、今二十二歳。少なくとも二十年ほどは昔の話と考えると、ここにいても何の情報も得られないか」
実際にここに人が入れられたとしても、二十年も過ぎていたら痕跡などなくなっているだろう。
「ま、本当に入れられていたとしたらね」
扉を丁寧に閉めて、冷宮をあとにする。
いつも持ち歩いている皮でできた手袋をはめ、周囲に植えられている植物をそれぞれ一種類ずつ丁寧に切り取り、別々の布に包む。
植えられている場所を確認し、記憶していく。
(そろそろ戻ろう)
そう思ったとき。
「きゃあああああ!」
建物の多い区画の方から、叫び声が聞こえた。
(何事?!)
採取した植物を包んだ布を袋にまとめ、皮手袋を外しながら足早に向かう。
草の多い場所なので、下手に走って転ばないように気を付ける。
「充容さま! 今医師を呼んでまいります!」
一番近くの建物から、声がした。
叫び声を聞いて、人も集まってきている。
「何がありましたか!」
香凛は腰から下げていた木札を手に、騒がしくなっている部屋の前にいた侍女に声をかけた。
「わたくしは凌香凛。皇后殿下の信を得て、薬師をしている者です」
木札に書かれた『礼部尚書傅府 養女』という文字と、裏面の皇后の印に、侍女はすぐに香凛を信用する。
香凛を中に入れ、とにかく充容を見てくれと言った。
歩きながら、予備で持っていた皮の手袋を着ける。
「王充容さま。薬師の凌香凛と申します」
「薬師……?」
床には割れた鏡の破片が広がっている。
うつむいていた女――充容が香凛を見上げた。
香凛の目に映ったのは、顔中を赤く腫れ上がらせた皮膚。
「――っ! 充容さま、失礼致します」
充容の顔を、皮の手袋をした香凛の手が触れる。
(熱を持っている。これは何かの毒……? 体内からなら、顔だけに出ることはない。ということは、経皮毒)
「とにかく顔に付着しているものを落としましょう。どなたか、大量の水を!」
「は、はい!」
さすがに九嬪の元には多くの侍女がいるらしい。
その中には、先日の皇后の宴で香凛を見た者もいるのだろう。
彼女の行動を止める者がいないのは、幸いだった。
「充容さま、このようになってしまった状況と、今の感覚を教えてくださいませ」
「今日はゆっくり起きたの。もうお昼も過ぎたし、と顔を洗ってから化粧前に皮膚薬を塗り込んで……小鳥の声が妙に騒がしかったから窓をあけたら、急に顔中が熱くなって痒くて……今も痒いの……」
香凛は震える体を抱きしめながら、運ばれてきた水をいくつかの桶に分けるよう指示する。
(窓を開けたら反応した。光毒性のもの。光に反応し、腫れと痒み――西南花独活だわ)
西南花独活とは隣国よりもさらに西にある国に咲くという花で、背丈は大人の男性よりもあるという。
樹液に毒があり、触れたあとに光にあたると赤く腫れ上がり痒みが出て、二日後には水疱を生じさせ、黒い傷痕を残すものだ。
「大丈夫です。とにかく洗い流しましょう。今すぐ対処すれば、間に合うかもしれません」
間に合う、とは言い切れない。
それでも今反応したばかりであれば、痕が残らない可能性が高い。
侍女たちに指示し、とにかく新しい水でざぶざぶと顔を洗って貰う。
「あれぇ、さっきのお嬢さん」
緊張が走るこの場にそぐわない声が響く。
後宮の医師だ。
「医師、あとで説明します。今すぐ魚腥草と蒲公英を持ってきてください」
「え?」
「早く!」
香凛の勢いと充容の顔を見て、医師は顔色を変えすぐに走り出した。
その間に湯を沸かす指示を出す。
医師がすぐに戻ってくると、それを少量の湯で溶き清潔な布に染みこませて顔に貼る。
何度かそれを繰り返すと、腫れが引いてきた。
「痒みが引いてきたわ」
充容の言葉に、部屋の中の緊張の糸が緩む。
外はすっかり夕暮れになっていた。
「今日明日は、しばらく同じようにこれを繰り返してください」
「ありがとう」
「医師、のちほど山帰来を軟膏にして処方していただければ」
「ああ、わかったよ。お嬢さん、あとで詳細を」
「もちろんです」
部屋の中を見る。
割れた鏡の破片はすでに片付けられていたが、充容が使ったらしい皮膚薬が転がっていた。
「充容さま、これは新しいものですか」
「そう。いつもと同じものの筈なんだけど……」
「これ、調査のためにお預かりしてもよいでしょうか」
「ええもちろんよ。何か分かったら、教えて頂戴」
「かしこまりました」
充容は侍女たちに箝口令を敷く。香凛は皇后にだけは伝えると告げれば、当然の如く了解される。
気持ちも落ち着いたらしい充容に、この場を辞する挨拶をして医師とともに部屋を出た。
「お嬢さん、君は何者なんだい」
「黙っていてごめんなさい。私は薬師なんです」
「なるほどね」
「医師、充容さまのあれは西南花独活という毒によるものです」
「毒……」
医師は少し困ったような顔をしただけで、頷いた。
「おそらくもう大丈夫かと思いますが、気を付けて診察してください」
(さて、第三皇子の母親への毒、ね)
医師と別れ、宮城の自分の部屋へと向かう。
(まずは纏めて――あぁ、どうやら黒幕さんは焦り始めているのかもしれない)
後宮で拾った点と点を浮かび上がらせながら、香凛は瑛然の身を案じる。
「会いたいなぁ」
「誰に?」
ぽつりと呟いた言葉に耳馴染みのした声が返され、香凛は思わず立ち止まってしまった。




