第20話 天空灯
(やわらかい――)
人混みで香凛を引き寄せ、その体に触れたときに瑛然が最初に思ったのは、それだった。
さすがに自分でもどうかとは思うが、それでも好きな女性の体に触れたのだから、自然なこと――と、思うことにする。
「あら、あれは――」
香凛はそう言うと、吊られた提灯の一つに目を留めた。
「どうした?」
人混みの喧噪の中、耳元で声を落とす。
彼女の顔が僅かに赤くなるのを見て、瑛然の口元は緩む。
(このまま、人混みにかこつけて抱きしめたいな)
もちろん、そんなことは許されない。
(俺と彼女は別に恋人同士じゃないし、そうなってはいけない間柄だ)
香凛の目線の先には『喜』『福』『寿』などの、めでたい文字が入った提灯がある。
その間に、名家や商家の家名や屋号が書かれたものもあった。
「知ってる名があったのか?」
再び耳元で声をかければ、こくりと頷く。
少し様子を見ていると、こちらを見上げてきた。
「耳元で話すの……ずるい……」
(ずるいのは、香凛の表情だろ)
なんて口にすることはできない。
あまりにも香凛の赤く恥じらっている顔がかわいいだなんて。
「人が多いからさ」
へらりと笑い、続きを促す。
「あそこの、徐福商会という文字に見覚えがあって」
(へぇ……)
瑛然もよく知るその名を、香凛が口にしたことに驚く。
「香凛は、華都は二度目なんだよね」
「そう。だから間違いかもしれないけど、祖父と来たときに入った大店の名前……だと思うの」
(先代星薬師が、来ていたのか)
「まぁでも、だから何? って話だったわ。果物を食べに行きましょ」
今度は香凛が瑛然の腕に手を回す。
驚いた顔で彼女を見れば、にんまりと笑みを返される。
「これでお互い様でしょ」
その言葉に、瑛然の理性が危うく消えそうになるところだった。
(あ……っ、ぶな)
ギリギリのところで持ちこたえた瑛然のことなど知らぬ顔で、香凛は目に入った屋台へと向かう。
瑛然の腕に、自らの体を近づけたまま。
***
氷糖葫蘆と書かれた店に、立ち寄る。
店先には大きな氷の上に置かれた、赤くきらきらと光る飴がかけられた果実が並んでいた。
「かわいい。こんな風に飴がけにされた山査子なんて、見たことない!」
嬉しさのあまり、少しぴょこぴょこ体を揺らす香凛に、瑛然の視線は釘付けになる。
「店主、これを全部」
「そんなにいらないからね?!」
「――すまない。二つ貰えるか」
そんな二人のやりとりに、屋台の店主はまるで孫を見るような目をして頷く。
「うちの山査子は、西方の種類だからね。香りが特別いいんだよ」
「まあ! 西果山査子なのね」
「おやお嬢さん、詳しいのか」
「私、薬師をやっていて」
「なるほど。山査子は薬にもなるからねぇ」
「そうなのか?」
瑛然の問いかけに、香凛は上を向き笑う。
「体を元気にするのに必要な成分が、たっぷり入っているの」
「へぇ。俺は香凛の笑顔で、十分元気になるけどな」
「またそうやってからかう!」
「お熱いねぇ、お二人さん。はい、どうぞ」
新しく飴がけをしてくれた山査子をそれぞれ受け取った。
「食べながら、川辺に行こう」
「何かあるの?」
「もう少ししたら、天空灯が始まるんだ」
「私見たことがない!」
「じゃぁ、香凛の初めてを一緒に見れるんだ」
「……またそうやって」
「からかってないよ」
「うそ」
「ほんとだって」
くすくすと笑い合いながら、氷糖葫蘆を口に運ぶ。
ぱりんと小さく飴が割れる音が脳内に響く。
甘くて酸っぱい、まるで宝石のような果実が口の中に広がった。
(しまったなぁ――)
深入りしないよう、線引きをしてきた筈だったのに。
こうして二人で祭を歩いていると、錯覚してしまうのだ。
ずっと一緒にいられるのではないかと。
「瑛然、どうしたの?」
「なんでもないよ」
香凛は鋭い。
瑛然がかぶっている軽薄な面など、とうに偽物だと気付いているのだろう。
「ほら、もうそこが川だ」
そう告げると同時に、寺社から鐘が響いた。
ごぉんと腹に響くその音に、歓声があがる。
川には無数の灯籠が流れてきた。
そして。
「香凛。空」
短く告げた言葉に、香凛は空を見上げる。
炎をのせた袋が熱気で膨らみ、天空灯は星をたたえた空にまるで吸い込まれるかのように上がっていく。
「……きれい」
「香凛と一緒に見れて良かった」
「私も――瑛然と一緒で嬉しい」
香凛とこうして仲良くできる期間は、きっともうそんなに長くはない。
彼女を陰謀渦巻く世界へと、深入りさせたくはなかった。
でも、それでも。
(もしも。もしも香凛がいいと言ってくれたら)
どんな手を使ってでも、皇后にするのに。
けれどその瑛然の僅かな希望と期待は、すぐに後悔へと変わっていった。




