第18話 処方
「凌女史、明日の夜はご予定ありますか」
「香凛娘娘、明晩なんですが」
「凌香凛殿は明日のご都合は」
風俊との薬草園見学を終え、啓俊に園にない薬草についての話を聞いた香凛は、休憩をしようと食堂へと向った。
その途中で、相次いで声をかけられたのだ。
「え、えぇと……」
(この方々……誰だっけ?! 何度か挨拶はした気がするけど)
「そなたら、廊下で何を騒いでいる」
戸惑っていると、陸宰相が現れた。
その場にいる香凛に声をかけた者はもちろん、香凛も拱手をし挨拶をする。
「その――明晩の祭に、凌女史を誘おうかと」
(祭? 今日何かの祭があるの?)
宰相は問われたことを答えた男の言葉に、馬鹿にしたような視線を香凛に向けた。
「ああ。卑しい下民の祭に、男を侍らせて遊びに行こうというのか。全く恥ずかしい女だな」
(はぁぁぁ? 何なのこの男! そもそも私は今突然声をかけられただけなんですけど!)
話題に上がっている『祭』がそもそも、どこで開催されどんな趣旨なのかも知らされていない香凛は、頭を下げていて良かったと思った。
そうでなければ、口の端がぴくぴくと引きつり、怒鳴るのを我慢している姿を見せてしまうところだったのだ。
「君たちも、下品な女といると、評価が下がるだろうから、気を付けたまえ」
「はっ」
一斉に返事をする男どもを横目に、香凛の苛立ちは頂点に達しそうだった。
(なぁにが「はっ」よ。あんたたちが勝手に声かけてきた癖に)
「それに田舎娘には、都の水はあわぬだろう」
「宰相殿、それもそうですねぇ」
「ああ、今夜よければ都の娼館でも、彼女に紹介しましょうか」
「都の娼館では、やり手婆に拒否されるかもしれないですかね」
香凛に声をかけてきた男たちは、機を見るに敏なのかすぐさま宰相に媚びを売っていく。
(媚びを売るのは勝手だけど、人を貶めて利を得ようなんて随分舐めた真似してくれるわね)
彼らの顔と官服の色、腰元に下がる木札の身分証を目の端で確認する。
拱手をしたままの香凛は、腕の下からそれらを気付かれないように行う。
香凛だけをそこに残したまま、彼らは宰相のあとについていき、消えていった。
(科挙のお勉強と出世欲があっても、人を人として見ることができない官吏なのねぇ)
気配が消えたことで、彼らが去って行った方を見て、香凛はにやりと笑った。
「ま、こちらを人として扱わないのであれば、こちらも人として扱う必要はないのかもしれないわね」
香凛は文書庫に向い、彼らの情報を確認し星図盤を作成する。
「私は聖人君主でもなんでもないし」
明日の朝に効果を発揮しそうな下剤を調合すると、団子に混ぜて彼らの元へと届けた。
――先ほどは驚いてしまってお返事できなくてごめんなさい。これはお詫びです。
そう言い添えて手渡せば、三人とも嬉しそうな顔をだらしなく見せた。
(食べてすぐには効果を発揮しないし、そもそも下すだけだからね)
香凛が詫びる必要など何一つないが、意趣返しのためにはそのくらいの言葉は言える。
結果、翌日の午前中彼らが職場に来ることはなかった。
***
「香凛! 今時間大丈夫か?」
翌夕方。香凛の仕事部屋に来た瑛然は、当たり前のような顔で彼女の机の前に座る。
「大丈夫かどうか、確認してからお座りになればいいのに」
くすくすと笑いながら、香凛は手元に書き出した書類と処方箋薬を取り出す。
用意されたそれを目にすると、瑛然の表情が一瞬引き締まった。
それを悟られないよう、すぐにいつもの薄い笑みを浮かべた顔になるが、香凛は見逃さない。
(本当は、いつか普通にしている顔を見たかったけど)
瑛然のそれは、自分との一線を引く顔であると、香凛は理解している。
だからこそ、瑛然の『普通にしている顔』を常から見ることなどないと、思ったのだ。
「香凛が処方した薬を陛下が召し上がるようになって少し経つが、随分とお体が楽になったそうだ」
机の上の処方箋薬を見ながら、瑛然が口にする。
香凛はほっとした表情を浮かべ、手元の紙を手にした。
「それは良かった。まずは体内に蓄積した毒を打ち消していかねばなりませんからね」
半年間堆積した毒は、一朝一夕に消すことはできない。
できるだけ多く水分を取り、できるだけ多くの毒を排出する必要があった。
弱った体にあう漢方膳を調合し、炎黎帝の星の巡りにあわせた調合をする。
すぐに全快はしないが、それでも目に見えて良くなっていることは、瑛然も皇后も感じていた。
「とりあえず侍医の前では、具合悪そうになさってて、それでばれていないのだから、あの医者はヤブだな」
「あら。今回に限っては、それは良かったのでは」
何度も医師を変えたと聞いている。
その中でおそらく、裏で糸を引く者の言いなりになる『形だけの医師』が用意されたのだろう。
そうでなかったのなら、この処方箋のおかしさに気付くはずなのだから。
「瑛然殿。朝に毎日処方されている薬の中に、おかしなものが一つ」
皇帝には一日二度薬が処方されている。
寝所で香凛が見た薬は夕の薬だ。どうも二度の薬はそれぞれに異なるものを加えているらしい。
「宝刀蛇木という薬。これは隣国儒王国の気候でしか採取できないものです」
処方薬を小皿に出すと、その中から薄緑色の粉を指先に乗せる。
それを瑛然に見えるように傾けた。
「この緑色がそれです。もともと宝刀蛇木は毒蛇の咬傷に効果があると言われている植物なんです」
「毒消し? であれば問題はないだろ?」
「お忘れですか。毒は薬にもなり、また薬は」
「毒にもなる」
「はい、その通りです」
過剰に摂取すると、血圧を下げ体温を低下させる恐れがある。
それとともに希死念慮が強く現れることも多く、もしかしたらそれも狙っていたのかもしれない。
「それ、は――」
香凛の説明に、瑛然は眉間に皺を寄せた。
「希死念慮が現れるかは人によります。それよりも、この薬を処方する必要がないのに、何故わざわざ取り寄せたのか」
「つまり」
「はい。隣国でしか採取できないのですから、取り寄せた経路から、誰が取り寄せたかはわかるかと」
(そこまで調べられるかはわからないけど)
「――わかった。それは俺が調べよう」
瑛然は頷きそう口にすると、それまでの表情を一転させる。
「ところで、香凛は今夜予定があるか?」
どこかで聞いたことのある誘い文句に、香凛は目を瞬かせた。




