第17話 薬草園
「瑛然殿の星図盤に、どうして皇帝星が現れるの」
瑛然たちが皇太子の宮地晴宮で話している間、香凛は部屋で呆然としていた。
「何度確認しなおしても、出てくるということは」
考えられることは一つだけ。
瑛然が『今現在の皇帝』ということだ。
生まれ刻限が同じだけでは、皇帝星は現れない。
それこそが、天球を支配する星の特徴だった。
(でもまさか……)
何度も否定しつつも、香凛には思い当たることが一つあった。
「皇帝陛下を星見したときに、皇帝星と少しだけずれていた」
命が尽きることが近いから、代替わりが近いからそういうことが生じているのかとも思ったが、今この状況では違うと言える。
「瑛然殿が本当に皇位を継がれているとしたら――」
侍衛だったとしても、皇帝に侍るほどの立場であれば、香凛とは身分の差がある。
そう思っていたが、そもそも相手が皇帝であるとしたら、全てが覆ってしまう。
「私は、恋い慕うことすら許されないのでは」
手元の星図盤を見る。
皇帝星に死星が近付いてるのが見て取れた。
「そうだ……。私はあのときにも、皇帝陛下の命に危険があると読み解いた」
それが、彼女がこの地に瑛然とともに来た理由の一つだ。
「もしも本当に瑛然殿が皇位を継いでいるのであれば」
命の危険があるのは、瑛然。
香凛は、深く息を吐き出した。
「私が、彼の命を守らないと」
自覚したばかりの恋心は、相手の立場の前に消え入ることなく、強く燃える。
「彼の命と、この皇朝の無事が確認されたら――そのとき私はまた天都山へ戻ればいいのだし」
それでも、燃えた恋心を成就させる可能性がないことだけは、分かっていた。
***
皇城の薬草園は、建物の東南側に位置していた。
向かったのは昼食後。
午前中に処方薬について調べ、確認事項はしっかりと書き出してある。
「なかなか広大ですね」
「皇城内で使う薬草を全てここで管理していますからね」
「なるほど……」
風俊は香凛のやや後ろに立ち、周りを警戒しつつ案内をする。
薬草園の中に入ってすでに一刻は経っているが、半分も確認し終えていない。
それもそのはずで、兵士たちの傷薬から後宮の妃の使う鎮痛剤等に至るまで、皇城内で使う全ての薬の種類を育てているということだからだ。
「ここでは育たない生育環境の薬草は、どうしてるのでしょう」
「育たない?」
広い薬草園の中には、いくつかの環境を用意しているようにみえた。
だが、それだけではカバーしきれない薬草があることも、香凛は良く知っている。
「はい。薬草も植物です。気候や土など、それぞれに見合う環境でないと適切には育ちません」
「――確かに。考えたこともなかったな」
(風俊殿は武官。こういうことには疎いのかもしれないけど、逆に言えば彼の立場でそれなら他の多くも同じ認識だろう)
「その辺は薬師――は今はダメだな。一度啓俊に確認を取っておこう」
「ありがとうございます」
香凛は植えられている薬草を確認しながら、皇帝に処方されていた薬との一致を確認していく。
(やっぱり足りないわね)
皇帝以外の薬であれば、他の場所から取り寄せることも違和感はないが、こと皇帝の体に用意されるものについて、よほどのことがない限りは、皇城内の生育管理外の場所から用意することはない。
他地域で管理下に置いている御用薬草園があったとしても、それも移動中の加毒の危険性があり、皇帝のために使われることはないといえる。
そもそも代替となるものは、組み合わせ次第でいくらでもあるからだ。
「あとは、あちらの山側ですね」
「では、少し休憩してから向いましょうか。凌女史も、お疲れでしょう」
風俊が示した東屋に向う。
橙色の屋根のついた東屋に座ると、心地よい風が通った。
「ああ……気持ち良いですね」
目を細め、見渡す限りの薬草園を見る。
(これだけ広大な敷地で、多種多様な薬草を育てているのに、ここにない薬草をわざわざ使っている)
それはもう、確信といっても良かった。
(香のこともそうだけど……薬師全てを身の内で固めていたら、気付かれないと思っていたのかしらね)
薬の処方内容も、香も、香凛という想定外の存在が現れなければ、気付かれることはなかっただろう。
おかしいと思ったところで、誰も指摘することもできない。
「凌女史は、瑛然殿と仲が良いですね」
「えっ」
突然言われたことに、香凛は驚き風俊を見る。
風俊は風俊で、世間話と言わんばかりの顔をして彼女の返事を待つ。
「そう……ですね。とても親切にしていただいています」
(彼が皇帝位を継いでいることを、風俊殿はご存じなのだろうか)
公になっていないことなのは、香凛でもわかる。
おそらく現在の状況からして代替わりを表明すると、混乱が生じるからだろう。
(それでも皇位継承を密やかにしたということは、陛下がご自身のお命の限界を感じていたから?)
「彼はいいやつですよ。どうです、恋人にでも――って、そもそも凌女史に良い方は」
武官らしい率直さで口にする風俊は、迂遠にものを尋ねるよりも話が早いと思っているのだろう。
その図太さに、香凛は思わず顔をほころばせた。
「良い方、だなんて。私は家族と患者さん以外の男性とは、ほぼ無縁の生活でしたから」
「患者さんの中に、凌女史に言い寄る者もいたのでは?」
「まさか! 私のような薬に夢中な田舎娘は、人気がないのですよ」
ふふふ、と笑う香凛に嘘はない。
そもそも男性患者は、祖父が生きているときは、彼が担当していたのだ。
その後も、他の患者たちが香凛にいい加減な男が近付かないよう、目を配っていた。
それだけ地域の中での彼女の役割が大きかったともいえよう。
「瑛然殿は――素晴らしい方ですよね。あんな方を素直に想うことができたらきっと……幸せだと思います」
つい、と漏れた香凛の言葉は、本人も意識していなかったのだろう。
「え、それって」
そう返した風俊の言葉に、香凛が慌てる。
「やだ! 変な意味に捕えないでくださいね。私は一介の薬師。平民です。陛下の侍衛たるお方とは身分が違いますから」
あくまでも、侍衛である瑛然との身分差を口にして誤魔化す。
「凌女史は、もしも瑛然殿との間に身分の問題がなかったら」
「風俊殿。そんな『もしも』は、ありえないんですよ」
そう口にする香凛の表情は、美しく凜と輝いていた。
(だからこそ、私にできることをしなければ)
「……可能性はないわけじゃ、ないか」
風俊がそう呟いた言葉は、香凛の耳には届かなかった。




