第15話 あなたはだあれ
翌日、恋心を自覚してしまった香凛は妙にそわそわとした気持ちで目を覚ました。
「まだ朝日が上がってない……早起きしすぎたわ」
窓の外のうっすらと明けてくる空を見て呟く。
早々に身支度を調えると、外の空気を味わおうと外に出た。
「ん? あれは……」
遠くに人影が見える。その出で立ちから、衛士ではなさそうに思えた。
香凛が寝泊まりしているのは、宮城の一室。それなりの立場の人間しかいない場所だ。
(下手に関わると面倒そうだし)
向こうは気付いていなさそうだが、早朝で人気がない。
いつ気が付かれるかはわからない状況に、香凛は隠れる場所を探す。
(お召し物が上等そうだけど)
赤みのある茶色の髪を片側で一つに纏めたその男は、まるで幽玄の者のような儚い装いで歩いている。
木の陰に隠れようとした香凛に気付いたのか。
一度足を止めた彼は、香凛の方へと目線を配る。ふらふらと顔を動かしながら、ニィと笑みを浮かべるとすぐに元の方向へと向かっていった。
(な、なにあれ……怖すぎる……)
まるで妖か幽の世界の者に出会ったような、嫌な感覚が香凛を襲う。
「……でもなんか……見覚えのある顔よね」
記憶を辿るが、知り合いに似た顔はいない。
美しい顔をしていたので、もしかしたら皇城内ですれ違った者かとも思うが、霞を食べていそうな男の知り合いは思い浮かばなかった。
「それに美しいっていっても――瑛然殿の方が」
(って、私何言っちゃってんの?!)
無意識に口にした言葉に、香凛は自分自身で驚く。
気付けば先ほどの男はもういなかった。
朝日も昇り、一帯が明るくなる。
「うん。朝食を食べて、昨日の続きをしないとね」
香凛は、食堂へと足を向け一日の予定を頭の中で組み立てていく。
基本は文書庫での星図盤作成の続き。今日中に終わらせたい。
そちらが早く終われば、皇帝に処方され続けている薬の解明を詰めていく。
(処方されてる薬の内訳はだいたい分かったけど……いくつか見慣れないものがある)
そんなことを考えながら辿り着いた食堂は、朝早いにも関わらずすでに卓の四割が埋まっていた。
夜勤あけの衛士たちと、早番の文官だろう。
香凛は調理場の窓口でお盆に乗った朝食を受け取り、入り口右奥の開いている場所へ座る。
「あれ、星薬師殿」
特に親しくしている者がいるわけでもない食堂で、不意に声をかけられた香凛が顔を上げると、風俊がいた。
慌てて立ち上がろうとすると、制される。
「ここいいですか?」
「もちろんです」
手にしていた盆を卓に置くと、風俊は香凛の前に座った。
「きちんと挨拶していなかったですね。私は李風俊と申します。弟とともに皇太子殿下の側近のようなものをしております」
「改めまして、星薬師の凌香凛です」
「凌女史は、少しはここに慣れましたか?」
「そうですね……。私は天都山のような田舎の育ちなので、皇城の規模にひたすら驚く日々です」
「何か困ったことがあれば、私か、私の弟の啓俊に声をかけてください」
(そういえば、この人初めて会ったとき、私を睨んでなかったっけ)
ふと思い出す。それを尋ねるか迷い、今は親切にしてくれているのだから良いか、と思い直す。
「それでしたら」
過去のことをわざわざ聞いて機嫌を損ねるよりも、触れずに頼み事をするほうが良い。
「明日か明後日か――薬草園を見学したいのですが」
(ここで育てられている薬草を確認しておきたい)
香凛の意図に気付いた風俊が即座に頷く。
「明日見学ができるように手配しましょう。午前中であれば、私が付き添います」
「ありがとうございます」
食事を終えた香凛は、礼のあと挨拶を続け食堂を後にした。
***
文書庫に入ると、昨日の続きを始める。
皇城や後宮で役職についている者やその縁故を始め、瑛然が気にしていた家門などの者を、片端から星図盤に落とし込んでいく。
(ほぼ、終えたかな)
おびただしい枚数の星図盤を前に、香凛は深い溜め息を吐いた。
気付けば昼を知らせる鐘の音から優に数刻は過ぎている。
(夢中になると、食事を忘れる癖が……)
とにかく星図盤を書き上げ、大きな異変がない者についてはあとでゆっくりと紐解く予定だ。
使った書を纏めて棚に戻していく。
「あ……」
昨夕、瑛然が来て慌てて閉じてしまった書に目がとまる。
(そういえば、瑛然殿の星図盤を見ようと思って――)
恋した男の星図盤を作るなど、まるで乙女のようだと思ってしまう。
(でも! もしも瑛然殿の体に不調があったりしたら良くないし……)
顔見知りとはいえ、昨日の時点では正式に挨拶をしていなかった風俊たちの星図盤を作るのとは気持ちが違う。
黙って瑛然の星図盤を作ることに、罪悪感を感じるのか。
必死に言い訳を展開する。
するが、すぐに好奇心が勝ってしまった。
「失礼します……」
誰もいないのにそんな言葉を口にして、香凛は書をめくり瑛然の文字を探す。
「月瑛然。侍衛――」
書かれている情報を一つずつ星図盤に落としていく。
「そう。皇后殿下のご親族なのね。だから風俊殿たちとも気安く……え」
星図盤に文字を、印を書き加えていく度に、不安がよぎる。
まさか、違う、何度もその言葉が脳裏に浮かんだ。
(そんなはずは……)
作り上げた星図盤を見て、指先が、息が、凍ってしまいそうになる。
筆先が震えた。
余計な印を入れないように、慌てて硯に筆を置く。
幾度か呼吸を繰り返すが、どうにも息が浅くなる。
ゆっくりと、星図盤を見直した。
「どうして――瑛然殿の星図盤に皇帝星が現れるの」




