第14話 花火
香凛の手元の書には、陸宰相一族の情報が書き連ねられていた。
陸一族の領地は山砂州。西方の、砂漠と山を兼ね備えた地域だ。陸路の要衝でもある。
「宰相の息子と余昭儀の娘が結婚。息子の方は第二皇子、ね」
ページを行き来しながら確認し、それぞれの星図盤を描いていく。
彼らの星図盤を見ていくと、気が付いたことがあった。
「……昭儀とその息子の星が、おかしな動きをしてる」
(やっぱり、息子を皇太子にしたいのかな)
そのために何か画策をしているのであれば、星の定める『第二皇子』としての動きと異なってくるのは、十二分に有り得た。
昭儀の実家は南海州の豊都港にある大きな商家だ。
(余家の商会は、私も聞いたことがある名前だもの。よほど大きい商圏なんでしょうね)
手元の書によれば、三代皇帝がその豊富な資金を求めて余伯を与え、豊都港の支配権を与えたとある。
(新興の家門であるから九嬪。それでも実家の勢いがあるから、一番上の昭儀ってことなのかぁ)
だんだんと見えてくるものがある、と香凛は思う。
けれどその程度であれば、皇帝も皇后もわかっていることだろう。
「欲しいのは――証拠よね」
そのために、自分が動かないといけないのだ。
「今日はあとは……」
パラパラと書をめくっていくと、李風俊と李啓俊の文字が見えた。
(そういえば、陛下の御寝所にこの方々はいらしたわね)
名は瑛然が口にしていたので知ったが、どのような立場であるかは知らない。
味方側であることは確実だろうけど、それ以上はわからないのだ。
「皇后殿下の侍女の息子で、皇太子殿下の乳兄弟」
役職はそれぞれ武官と文官のものだった。とはいえ、乳兄弟ということは彼らの主立った仕事は、皇太子の側近だろう。
星図盤を見ても、おかしな動きは当然ない。
「あら、瑛然殿のも」
並ぶ名前に目を引かれたとき。
「香凛! まだここにいたのか」
がらりと扉が開き、瑛然が現れた。
本人の登場に、思わず開いていた書を閉じる。
(別にやましいことをしてた訳じゃないのに)
「どうしたんですか?」
「もう夕暮れだ。迎えに来た」
「迎え?!」
いわれてみれば、室内は夕日が差し込んでいた。
今日は蝋燭を持ってきていないので、調べ物はここまでだろう。
「今日はちょっと面白いものが見れるんだ」
瑛然はそう言うと、香凛の手を引く。
扉の向こう側には夕日が赤く照らし出した廊下が見えた。
「あ、片付けを……」
「さっき啓俊に、この部屋を明日中いっぱいまで貸し切る手続き頼んどいた」
「えぇ……?!」
(いや、文書庫よ? そんな勝手な)
香凛の気持ちを読んだかのように、瑛然は言葉を続ける。
「ここの文書庫、基本的に使われてないから」
「でも、急に使うかもしれないし」
「そのときは啓俊に話がいくようにしてある」
何ということでもないように、瑛然は返した。
香凛は幾度か瞬きをしてから頷く。
(きっと何か偉い人同士の決まり事とかがあるのよね)
考えても意味がないことは、考えないようにしよう。
そう切り替えたのだった。
***
またしても香凛は、皇太子の宮である地晴宮の瓦屋根の上で瑛然と二人、並んで座っていた。
夕日は随分と地平に落ちて、今はもう青と紫の境を空に描いている。
「あ、これ食う?」
袖から布を出すと、そこにまだ温かい饅頭が二つ。
「どうしたんです、これ」
「一緒に食べようと思ってさ。腹減ってるだろ?」
「それは否定しないわ」
「そりゃ良かった」
差し出されたそれを一つ手に取り、真ん中で割る。
「わ! 具入りじゃない。贅沢!」
割ったところから肉が溢れそうな勢いで顔を出した。
「冷めないうちに、早く」
「じゃ、遠慮なく」
思い切りかぶりつくと、口の中でじゅわりと豚肉の味が広がる。
「おいしい! これ中に辛山葉子が入ってるのね」
「しんさ……ん?」
「辛さと爽やかさを兼ね備えた、薬草よ。胃の動きを活性化させて、消化を促すの」
「へぇ。さすがに詳しいな」
「そりゃぁ、星がついてもつかなくても薬師ですから」
よほど美味しいのか、かぶりつく口が止まらないまま、にまりと笑う。
そんな香凛を瑛然は楽し気に見ると、もう一つの饅頭も差し出した。
「足りないんじゃないか? こっちもやるよ」
「瑛然殿の分でしょ?」
「俺はまぁ、そこまで腹減ってないから」
「そ? じゃあありがたく」
まったく遠慮をすることなく二つ目を食べる香凛は、瑛然をちらりと見る。
「なに? やっぱり返した方がいい? 囓っちゃったけど……」
先ほどは二つに割って食べたというのに、よほど先を急いだのか、今度はいきなり齧り付いてしまっていた。
困ったなぁと本気で心配する香凛へ、瑛然が笑みを返す。
「食べていいって。香凛が旨そうに食べているのが、かわいいと思って」
「かわいい? 瑛然殿、それは食事中の犬猫を見るような目線というものですよ」
あっという間に二つ目の饅頭を平らげた香凛は、美味しかったと言いながら饅頭を包んでいた布を丁寧に畳む。
「これは私の方で洗っておきますね」
「いや構わないぞ」
「饅頭二個のお礼です」
そう言って、さっさと胸元にしまい込む。
さすがにそこにしまわれると、瑛然も取り上げることはできなかった。
「それで、なんで今日もまた皇太子殿下の屋根の上に」
前回あれだけ不敬ではと心配していた香凛も、二度目ともなると慣れてしまっている。
いざとなれば、瑛然がどうにかしてくれるだろうという、漠然とした信頼も生まれていたのかもしれない。
「ああ、ちょうど良い頃だな」
彼はそういうと、皇城の東側――二人が今座って向いている方向だ――へ手を差し出す。
空はすっかりと暗くなり、近くにいるから地上の灯りで互いの表情が見えるくらい。
「あそこを見ていて」
その瞬間。
「火! 火があがった!」
まるで火矢が空に向かっていくかのように、火柱が立った。
それが三度続く。
次いで空で爆竹が弾けるような音と光が広がる。
「きれい……」
「良かった。今日東の演習場で軍事訓練があって、それの」
「ちょっと待って。それ、私聞いて大丈夫なやつ?」
「平気だよ。俺と香凛の秘密、ってことで」
「や! そういう次元ではないのでは」
「あはは。本当に大丈夫。ちゃんと年間の暦に記載されてるから」
そこまで聞いて、ようやく安心する。
「……まぁ、ここまでのものってのは、明かしてないけど」
「え?」
「なんでもないよ。これを香凛に見せたくてね」
夜空に上がる火花は、まだ続いていた。
瑛然の顔が、夜闇の中でその光に浮き上がる。
(……なんて、きれい)
これまでも、美しい顔をしているとは思っていた。
けれど、それとは全く別の感情が動く。
(私にこうして良くしてくれるのは、調査を引き受けたからだろうけど。それでも)
軽薄な表情を浮かべても、瑛然が向けてくる優しさ自体はいい加減なものではないと感じる。
優しくされて、心が動かないわけがない。
(私、瑛然殿のことを好ましく思っている――のかもしれない)
ゆっくりと自覚したその恋は、けれどすぐに覆い隠さねばならないこととなる。




