第12話 文書庫
――星薬師だなんて九尾の狐のような存在を、皇城に入れるとは。
すれ違いざまにそう言い捨て、角を曲がっていったその男が陸貴妃の兄、陸武丈だった。
香凛を蔑むような目で下から上へと舐めるように見た後に、そう吐き捨てていった。
(え、格好悪いおじさんだな)
最初は心に澱でも貯めた男の発散で、嫌味を言われたのかと思ったが、すぐそのあとに他の者が彼を呼ぶ声を聞き、考えを改めた。
「宰相殿! 陸宰相殿!」
(なるほど、あれが宰相か。私が陛下や皇后殿下に近付いているのが、気に入らないのかしらね)
自分がもしも宰相という立場であっても、同じように感じるだろう。
ぽっと出の身分の低い女。
それが彼らから見た香凛の立場だ。
(ふぅん……。感じ悪……)
どう考えても、香凛よりも地位がかなり高いのだ。
ちまちました嫌味なんて言わずとも、放っておけば良いものを。
香凛の陸宰相への最初の印象は、そうしたものだった。
***
(届かないっ!)
文書庫に入り、必要な書を棚から下ろしている。
だが棚は高い位置まであり、香凛の手が届かなかった。
(仕方ない。台を探してくるか)
踏み台があれば、と背伸びを辞めたところで頭上に人の手の気配がする。
「はい、これかな」
「え、瑛然殿っ?!」
気配が全くしなかった。
それもあり、香凛の動揺は大きい。
(別に悪いことをしてるわけじゃ、ないのにね)
瑛然は香凛より頭一つ半分ほど高い。
届かなかった書を当たり前のように取り出すのを見て、香凛は何故か少しだけ悔しい気持ちになる。
「ありがとうございます」
「なんでちょっと拗ねてんのさ」
「拗ねてなんてないです」
「ふはっ。拗ねてるって。かーわいい」
「何言ってんですか」
わざとらしくツンケンとすれば、それすらかわいいと言い出す瑛然に、香凛は苦笑いを浮かべた。
「全然気配なかったですけど、それってやっぱり侍衛というお役で?」
「あー、まぁそうかな」
「流石ですね! そういうところだけは、尊敬できます」
「え、そこだけ?」
「あとは……あっ! 皇后殿下の宴の衣装、ありがとうございました」
昨日着た衣装は、朝一番に洗濯して干してある。
それを思い出して香凛は頭を下げた。
「ちらっと見かけたけどさ、すごく似合ってた」
頭の上からそんな声が聞こえるから、思わず顔を上げる。
(その顔は……反則でしょ)
瑛然の自然な――軽薄さのない笑顔に、香凛の視線が止まった。
心音が大きくなる。
鼓動が早くなっていく。
「ん? 香凛顔が赤いけど」
さらりと香凛の前髪を上げて、顔を確認する。
「俺の顔見て、照れた?」
(どっちが本当の顔なんだか――)
一転、いつものへらへらとした表情に戻った瑛然に、香凛は苦笑いを浮かべた。
「そうよ。瑛然殿の笑顔に、ドキドキしちゃったの」
「香凛っ! その顔はだめだ」
「は?」
「いやその、そんな挑発的な――かわいい……顔」
瑛然の軽さが堂に入った顔ではない、赤らめたそれに今度は香凛が、耳まで赤くなる。
「なんですっ。もう! もうもう! 私、調べ物があるから、あの、この書取っていただきありがとうございます」
言いながら、香凛は瑛然の背をぐいぐいと押して扉の外へと出してしまう。
もちろん瑛然の体の大きさや力を考えれば、彼が居座ろうと思えば、香凛の力など及ばない。
けれど必死になる香凛を見ていると、瑛然はうっすらと笑いながら彼女の為すがままに部屋の外に出てしまった。
「ではこれで!」
パシャンと音を立てて引き戸を閉める香凛に、瑛然は後頭部をさすりながら笑う。
「かわいいなぁ。……困ったことに」
そう呟いた瑛然の言葉は、当然だが香凛には届いていなかった。
文書庫の中に残る香凛は、集めた書を順番に開き始める。
「腹立たしいから、あの宰相から調べてやるわ」
手元にあるのは、『官吏廷臣及び名家名門図』と書かれている書だ。
科挙を経て役職に就く官吏廷臣たちの多くは、名家名門と呼ばれる家の出である。
もちろん優秀な平民にも門戸は開かれ、平等に科挙による選抜を受けるが、前提が違う。
名家名門もしくは富裕な平民以外は、学問のスタート地点が異なるのだ。
そのため、未だ多くの名家名門の子女が皇城に仕えている。
「うん、こっちからね。これはまたあとで……と」
香凛の手元には、他にも『官吏廷臣及び家門図』と書かれた書もあり、こちらは富裕な平民であったり、一般平民のことが書かれていた。
どちらも内容は同じで、仕える本人の生まれ刻や性別、出生生育地、身分と役職及び家族の同様の情報が記載されている。
役職が変わると、この書に修正したものが挟み込まれていた。
いずれも何冊にも及び、彼女の両脇にはうずたかく積まれた書が、存在感を放っている。
「まずは生まれた場所と、刻限……、それに……」
手元に用意しておいた紙に星盤図を書き出していく。
彼女の目的は、定められた星とは異なった動きをしている者がいないかのあぶり出しだ。
当然、定められた星自体が悪星であれば、もしも悪いことをしていても星盤図から読み解くことは難しい。
(星薬師の技術は当たり前だけど、万能ではない)
それでも、できることから確認していくのが、香凛に委ねられた仕事の一つだ。
「陸武丈。砂漠を含む領地を持つ家門なのね。陸路の西方貿易では、かなり力を持っているんじゃないかしらねぇ」
陸宰相の星はおかしなことはない。
(でも、単に私が好きじゃないのよねぇ。ああいうおじさん)
権力者が、たかが小娘にすれ違いざまに嫌味を言う。
自分が刺そうとするのであれば、刺され返される覚悟を持て、と香凛は思うのだ。
「あの手の人間は、自分の手を汚さないからなぁ。きっと星にも出にくい」
そのまま家門の人間も確認していく。
「そうそう、宴ですごい目で私を睨んでいた貴妃は、宰相の妹御だったっけ――ん?」
香凛はそのページを開いたまま、他の書を手に取る。
そちらは裕福な商人なども記載されている書だ。
「……ここ、繋がってるんだ」




