第10話 夜のデート
炎黎帝の薬を処方するようになって数日。
もともとの御殿医からの薬は日々受け取り、香凛に与えられた仕事部屋で保管することになった。
その中で、香凛には気になることが一つある。
(陛下の星が――お生まれの日時からの割り出しと、少しだけ合わない)
通常、皇帝の星は皇位が変わった瞬間に当代の皇帝の生まれに重なる筈だった。
(……でも、私の立場では聞くことはできないしね)
炎黎帝の星盤図――生まれの刻限に二十八宿、五行五気とを加算し今の状況を確認する個別の図盤を書き込んだ紙を見ながら、香凛は薬を処方していく。
一番体に効果を発する時間と処方は、その時々で異なる。それに星薬師しかしらない薬草などを加え、薬を作っていった。
この数日で、皇帝の体調は少しずつ良くなっているという。
だが、逆をいえば皇帝を暗殺しようとする何者かが、急いて何かを仕掛けてくる可能性もあるのだ。
「気を引き締めないと」
「なんで?」
突然後ろから声がかかり、香凛はびくりと体を揺らせる。
この数日ですっかり耳馴染んだその声の主は、笑いながら欄干から飛び降りた。
「瑛然殿。驚かせないでください」
「悪い悪い。でも宮城の入り口でぼんやりしてるからさ」
「明日、皇后殿下主催の宴があるのよ。それを考えてたら気が重くて」
「それで日も暮れて薄闇だってのに、こんなところに?」
「夕餉を食堂でいただいてから、ぼんやりしてたらこの時間ってわけ」
声でわかったが、よく見ないと人の顔は判別がつきにくい。
確かに、皇城内ではあるが不用心といえば不用心なのかもしれなかった。
「んじゃ、俺のお気に入りの場所に連れてってやるよ」
「は?」
「いいからこっち」
瑛然に手を引かれ、香凛は必死についていく。
「ちょっと……早い……!」
「あ、すまん。こないだも言われたのにな」
一つ笑い、瑛然は香凛の体を抱き上げた。
「ええっ?!」
「この方が早いし、便利だろ」
「そ、そうじゃなくて」
横抱き――つまりお姫様抱っこだが――された香凛は、軽々と欄干にあがり徐々に地上から高い場所に移動していく瑛然の体に、しがみつくしかなくなる。
「そうそう。しっかりしがみついとけ」
(なんなの?! 勝手ばっかり言って!)
そうして辿り着いた先は、皇太子の居住する地晴宮といわれている区画の屋根だった。
「なななななんでこんなところに……」
「ここは見晴らしがいいんだ」
「じゃなくて! 誰かに見られたら私もあなたも――少なくとも私は首を刎ねられるわよ」
「安心しろって。そんなこと、絶対にならないから」
「そんな保障はないでしょう?」
「皇太子は絶対にそんなことしないから」
へらりとした顔で言い切る瑛然に、香凛は何度も口を開閉させてしまう。
「なんで言い切れるの?」
「んー。ナイショ」
「ほんっと信用できないわね」
「でも、ここの場所はそもそも外から見えにくいし、大きな声を出さなきゃ平気だって」
すでに上がってしまったのだ。
「諦めるわ。もう少し暗くなって、降りるときに誰にも見られないくらいまで、大人しくしなくちゃ」
「それがいいよ」
(どの口が言うか……っ!)
「……ねぇ。下ろしてくんない?」
「おっと。残念」
いつまでも横抱きのまま、瓦屋根に座った瑛然の膝に乗っているのは落ち着かない。
言葉の軽薄さとは逆に、瑛然はとても丁寧に香凛を瓦屋根に座らせた。
「瑛然殿って、変な人ねぇ」
(ちょっと強引で軽薄で、それでいてなんだか憎めない。男の人ってこんな感じなのかな)
香凛の笑みに、瑛然が少しだけ拗ねたような顔を浮かべる。
「なぁその殿ってやめないか?」
「え?」
「俺は香凛って呼んでるんだし、きみも瑛然、でいいだろ?」
「いやぁ、私とあなたはそんな仲でもないし……陛下の侍衛なら、それなりのお立場でしょ」
うっかり言葉は砕けてきているが、それでも一線は引いておくべきでは。
そう考える香凛に、瑛然は残念そうな顔をする。
「立場は別にいいんだけどさ。なんか距離を感じるだろ」
「距離は――あった方が良いのでは?」
「あーもう。せっかく砕けてきた言葉遣いも。そのままでいいのに」
これまでの雰囲気とは随分違う、妙に駄々っ子のような瑛然に、香凛はころころと笑ってしまう。
「もう、瑛然殿ってば子どもみたいじゃない」
「え、大人の男って感じしない?」
「うーん。私は大人の男性って患者さんか家族しかしらないから」
「そうか――うん。そうか、そうだよな」
何かに納得したような顔をすると、瑛然は空を見上げた。
「そろそろ空に星が広がる時分だ」
「きれいね」
香凛も見上げる。
住んでいた天都山の麓からも、星はよく見えた。
ただ天都山自体の影で、目の前が全て星空になることはない。
そうした星を見たいときは、早い時間に天都山の頂上まで上がる必要があったが、その山は一朝一夕に登り切れるものでもなかったのだ。
「こんなに目の端から端まで星だなんて」
「香凛に、見せたかった」
顔を覗き込み、にこりと笑う瑛然と目があう。
(あ、男の人、だ)
薄暗闇の中、瑛然の瞳の紫色に、うっすらとした金色の虹彩が浮かび上がる。
整った目鼻立ちに、しっかりとした体つき。
直前のやりとりのせいか、妙に意識をしてしまう。
「あれが皇帝星か?」
瑛然が空の中心に見える星を指さす。
慌ててそちらを見上げ、香凛は周囲の星も確認した。
「そうよ。そしてその隣が……」
星の話をし出したら、止まらなくなる。
あの星がどう、この星がどう、と瑛然に話し続けていく。
「あ、やだ私ったら」
ふと、話しっぱなしであることに気付き焦るも、瑛然はゆったりと笑った。
「いや。香凛の話、もっと聞いてたい」
その言葉に香凛の頬は、耳は、赤くなっていく。
「ん? 寒い?」
赤くなった彼女を見て、瑛然は着ていた上着を香凛にかけた。
「少し肌寒くなってきたもんな」
「や、そ、そうね……」
まるで本をぱたりと開ききったかのように、星が地平線の端まで見える夜に、二人はいつまでも話を続け――。
「あ! 明日皇后殿下の宴だったわ」
気付いてしまった香凛に、瑛然は残念そうに笑い、彼女を抱き上げて再び地上へと降りていく。
香凛の部屋まで送り届けると、瑛然は再び軽薄な笑みを浮かべる。
「部屋に戻ってからのお礼は、いらないからね」
「え?」
その言葉の意味は、香凛が部屋に入った途端、判明したのだった。
次の更新は明日7:00です。
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