97.極寒の勇者VS堕ちた勇者
――極北大陸、氷絶の雪原。
南の大陸から遠く離れた、生命を拒絶する極寒の地。
吹き荒れるブリザードの中、二つの規格外の力が激突し、周囲の氷山を次々と粉砕していた。
「ハッハーオラオラァ!南の温室育ちが、俺の領域でイキってんじゃねェよォ!!」
大気を切り裂き、ルクェルの大剣が唸りを上げる。機械仕掛けの巨大な刀身がガシャンと音を立てて展開し、内部の魔力機関から高圧縮された青白い炎が噴き出す。さらに、彼の上空を旋回する鳥型の魔導アーティファクトが、死角から無数の氷の散弾を雨あられと降らせた。
野生の獣のような常人離れした反射神経と、失われた古代の魔導工学の融合。
それが、この過酷な大地を力のみで統べる北方の勇者、ルクェルの戦い方だった。
『……鬱陶しい羽虫だな。さっさと叩き潰せ』
アレクの脳内に直接響く、深く、そして絶対的な自信に満ちた低い声。
胸の奥に埋め込まれた青白い結晶――『傲慢の魔神』レプリカであるはずの意思が、アレクの感情に同調して不敵に嗤う。
「……チッ。俺の頭ン中で指図すんじゃねェよ。テメェは黙って力だけ寄越せばいいんだ」
アレクは煩わしそうに吐き捨て、漆黒に染まった聖剣を横に薙いだ。
放たれた禍々しい黒き斬撃が、氷の散弾を容易く蒸発させ、そのまま上空の鳥型アーティファクトを一刀両断にする。
「チッ、俺の可愛い使い魔を……!だが、隙だらけだぜェ!!」
ルクェルが獣のように低い姿勢から跳躍し、魔力バーナーの推進力で加速させた大剣を、アレクの脳天へと真っ向から振り下ろす。
「『機神の一撃』!!」
ドガァァァァァンッ!!
氷原がすり鉢状に吹き飛び、巨大なクレーターが穿たれた。凄まじい雪煙が舞い上がり、視界が真っ白に染まる。
「……やったかァ?」
ルクェルが着地し、肩で荒い息をする。だが、もうもうと立ち込める雪煙の中から、微かな足音と共に、底冷えするような声が響いた。
「やったか?ってのは大抵負ける奴がほざくんだよ、小細工野郎。それが、お前の限界か?」
「なっ……!?」
雪煙が晴れたそこには、傷一つないアレクが立っていた。ルクェルの渾身の魔導大剣を、アレクは左手で――ただの素手で、刃の側面を掴んで止めていたのだ。
「バカな……!最大出力の魔力刃だぞ!?素手で受け止めるなんて、テメェ物理法則バグってんのかァ!?」
ルクェルが驚愕に目を見開く。
『ククッ……法則だのバグだの、己の定規でしか世界を測れぬ矮小な男よ。教えてやれ、我らの前では、そのようなものは何の意味も持たないということを』
「……うるせぇな。ゴチャゴチャ喚くなと言ってるだろうが」
脳内で響く声すらも不快そうに切り捨て、アレクは忌々しそうに舌打ちをした。脳裏に過ぎるのは、自身の渾身の一撃を軽く受け止め、理不尽な暴力で全てをねじ伏せた、あの金髪の悪徳領主のふてぶてしい顔だ。
「どいつもこいつも、自分の頭ン中の小せぇ定規で世界を測ろうとしやがる。……あの胸糞悪い野郎の理不尽さに比べりゃ、テメェの限界なんて欠伸が出るぜ」
アレクの右目。魔神の力を宿した青白い瞳が、凶悪な光を放つ。彼の中の『傲慢の心臓』がドクンと脈打ち、限界を超えた魔力を全身の細胞に強制的に供給し続けていた。教会の洗脳という枷が外れた今、彼らの力はブレーキを失い、無限に肥大化していく。
「俺は勇者だった。神に選ばれ、世界を救うために作られた、教会の都合の良い駒。……だが、今は違う」
アレクが左手に力を込めると、ルクェルの魔導大剣がミシミシと悲鳴を上げ始めた。
『そうだ……我らこそが至高。我らを見下す塵芥など、全て砕き散らしてやれ』
「……誰に口を利いてる。俺がルールだ。俺が世界だ。……俺を見下ろす全てを、俺は許さない」
パキィッ!!
「あァ!?」
勇者に与えられた国宝級の強度を誇るはずの魔導大剣が、アレクの握力と漆黒の魔力圧力に耐えかねて、粉々に砕け散った。
「この……バケモノがァッ!!」
ルクェルは即座にバックステップで距離を取ろうとする。だが、アレクの動きはそれを遥かに上回っていた。
「遅い」
シュンッ。
アレクが瞬時に間合いを詰め、漆黒の聖剣の柄でルクェルの腹部を深々と殴りつける。
「がはァッ……!?」
内臓が破裂するような衝撃に、ルクェルの巨体が「く」の字に折れ曲がり、雪原を数十メートルもバウンドして転がった。
「ゴホッ、ゲハッ……!く、クソッ……」
血反吐を吐きながら、ルクェルは震える足で立ち上がろうとする。だが、その頭上から、圧倒的な質量を持った軍靴が容赦なく踏み下ろされた。
ドスッ!!
「がぁっ……!!」
アレクが、ルクェルの顔面を雪に押し付ける。
「勇者と言ったな。……随分と脆い勇者だ」
アレクは冷徹に見下ろした。
「教会の書物で見た事がある。お前たち北方の民は、力こそが全てだったな。ならば、俺の力はお前のそれを凌駕した。……従え。さもなくば、貴様らに関わるモノは全て消し飛ばす。人も町も大陸すらもな」
アレクの剣から、底知れない漆黒の魔力が立ち昇る。そのプレッシャーは純粋な絶望の塊だった。
「……ッ、ハハッ……!」
ルクェルは顔を雪に埋めたまま、血混じりの笑い声を漏らした。
「……チッ。間違いねぇ、それが北の掟だ。力が全てのこの地で、俺様を力でねじ伏せたんだ。……好きにしろ、化け物。俺の命も、北の戦士団も、テメェのもんだ」
ルクェルが屈服の言葉を口にする。アレクは満足げに鼻を鳴らし、彼から足をどけた。
「賢明な判断だ。……立て」
アレクが命じると、ルクェルは這い上がり、片膝をついて首を垂れた。その後方で様子を窺っていた北方の戦士たちも、絶対的な覇王の誕生を前に、次々と武器を捨てて平伏していく。
「……ア、アレク様。見事な制圧でございます」
その後ろから、寒さに震えながらセレスティアが進み出た。彼女の瞳には、かつての「監視対象」を見る目はもはやない。恐怖と畏敬、そして狂信的な崇拝の色が浮かんでいた。教会の教えなど、今や彼女の中では意味をなさない。目の前にいるこの圧倒的な存在こそが、彼女にとっての新たな「神」となっていたのだ。
『滑稽な女だ。我らを縛護したつもりでいただろうに、今やただの狂信者と成り下がったか』
魔神の意思が嗤うのを、アレクは冷ややかに無視する。
「それと...き、北の通信網から、南の大陸の最新情報を受信いたしました。……来月、王都の魔法学園にて『世界合同武術大会』が開催されることが急遽決定したそうです、主催は教会の聖女であるメルフィ・アンスバッハ様であると......」
「武術大会...聖女が?」
アレクが眉をひそめる。
「はい。本来であれば各国の調整に数年はかかる国際行事ですが……教会の主導で強引にねじ込まれたようです。そして異例なことに、開催国である王立学園の代表パーティだけが、他国に先駆けて公表されています」
セレスティアは言葉を切り、少しだけ声を潜めた。
「そのリーダーとして、あのヴェルト・フォン・アークライトが指名されたとのことです」
その名を聞いた瞬間、アレクの周囲の空気がピキリと凍りついた。
「……ヴェルト」
アレクの脳裏に、大聖堂で魔人を一刀両断にしたあの男のふてぶてしい姿が蘇る。そして、彼の隣にいた少女――ニーナの姿も。失われたはずの記憶。教会の洗脳によって消された過去。
ある意味己の出発点となった男。ニーナのことも悪くは扱っていないだろう。
...だが、魂の奥底で燻る感情が、彼に「あの男だけは許すな」と叫び続けている。
『クックック……露骨な罠だな。急造の大会に、異例の先行発表。あの教会の狂信者の女狐め、我らが生きていると踏んで、おびき寄せるための撒き餌にしたつもりらしいぞ』
魔神の冷笑が脳内に響く。メルフィの魂胆など、アレクにも手に取るように分かった。自分がこのまま引きこもるか、それとも舞台に踊り出てくるか、特等席で観測しようとしているのだろう。
「……勘違いすんなよ。あの女狐の浅知恵なんてどうでもいい。俺の舞台に勝手に上がってる不遜な野郎がいるってのが問題なんだよ」
脳内で嗤う魔神の声をバッサリと切り捨て、アレクは漆黒の聖剣を肩に担ぎ、凶悪な笑みを浮かべた。
「俺が世界だ。あいつらが俺を試そうというなら、その盤面ごと粉砕してやるだけだ」
アレクは振り返り、平伏するルクェルと北方の戦士たちを見下ろした。
「ルクェル。お前たちの戦士団と、魔導兵器を全て出せ。……南へ向かう。俺の王座を不法占拠している愚か者どもに、本当の『絶望』というものを教えてやる」
「……へっ。了解だ、新しいボス。派手に行こうぜェ」
ルクェルが血まみれの口元を歪めて笑う。
かつての勇者としての誇りを捨て、傲慢の魔神すらも己の力としてねじ伏せる魔王として覚醒したアレク。
メルフィの仕掛けた最悪の盤上へ向けて、極北のブリザードを切り裂き、覇王となった堕ちた勇者の軍勢が南を目指して動き始めた目的は一つ。世界合同武術大会の蹂躙、そしてヴェルト・フォン・アークライトの抹殺。
王立魔法学園の空に、最悪の暗雲が忍び寄ろうとしていた。




