表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

96/102

94.特別講師

 王立魔法学園の地下ダンジョン。

 

 勇者アレクと監視役のセレスティアが「空間の歪み」に飲み込まれ消失してから、わずか数時間が経過していた。


「……ヴェルト様、やはり形跡すら残っていません」


 瓦礫の山を前に、ニーナが沈痛な面持ちで首を振った。学園側は現在、この「勇者の行方不明」という未曾有の事態を隠蔽するため、地下五階より深い層への立ち入りを完全に封鎖。残された生徒たちを地上へ戻し、一部の教師のみが極秘で調査を続けている。


「……ったく、あのアホ勇者。最後の最後まで手のかかる野郎だ」


 ヴェルトは腕を組み、冷めた目で崩落現場を眺めていた。原作ゲームの知識を総動員しても、勇者が転移して行方不明になるイベントは存在しない。


「ま、死んじゃあいないだろ。勇者様はしぶといのが取り柄だからな。……それよりネロ、学園側にはどう伝えてある?」


 背後で魔導端末を操作していたネロが、不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「ジェシカ先生が上手くやってくれたぜ。公式には『実習中に深い階層へ迷い込み、転移罠に接触した可能性がある』ってことになってる。教会の息がかかった理事どもは泡を吹いて気絶してたけどな」


「そうか。なら今は――」


 ヴェルトが言葉を続けようとした、その時だった。


 ――ゾクリ。


 戦慄。


 地下迷宮の冷気とは明らかに異なる、心臓を直接氷の指先で撫で回されるような、どす黒く、それでいて甘ったるい魔力の波動が、地上の方角から伝わってきた。


「……ッ、この気配……!」


 ニーナが即座に鉄甲ナックルを構え、クリスが顔を青ざめさせて後ずさる。ヴェルトの背筋にも、かつて王都で味わったあの「絶対的な格差」への嫌悪感が走り抜けた。


「……お出ましか。勇者が消えたんだ、いつか動くとは思ったが存外早かったな」


 ヴェルトは吐き捨てるように言い、仲間を促して地上へと急いだ。



 地上。学園の大講堂。


 そこには、緊急事態を受けて集められた全生徒と、動揺を隠せない教師たちが立ち並んでいた。


 壇上に立つベルガモット学園長の姿は、異様だった。普段は「鋼鉄の破壊神」と恐れられるほどの大胸筋を誇る彼が、今は生まれたての子鹿のように膝をガクガクと震わせ、厚塗りのファンデーションが冷や汗でドロドロに溶け落ちている。


「え、えー……皆様。急な呼び出しをして、ご、ごめんなさいね……。実は、特別な『指導役』が決まったの……」


 学園長の声は裏返り、視線は隣に立つ少女――メルフィ・アンスバッハに釘付けになっていた。


 遡ること数十分前。学園長室の扉は、ノックすらなく「音もなく」開かれた。現れたメルフィは、椅子に座る学園長の背後に瞬時に回り込むと、その白く柔らかな指先を彼の太い頸動脈に添え、慈母のような微笑みでこう囁いたのだ。


『あらあら、まぁまぁ!勇者様を失うなんて、管理不足にも程がありますわねぇ?……あぁ、潰してしまおうかしら。それとも、本日から私を特別講師として迎え入れ、全てを私に委ねます?3秒で決めてくださいね。……1、2――』


 学園長の「生存本能」が、即座に書類へのサインを選ばせた。正式な手続きなど、彼女の殺気の前では紙屑同然。王都から馬車を飛ばす手間すら惜しみ、転移魔法で強引に乗り込んできたのだ。


「皆様にご紹介いたしますわ。……教会の聖女様。そして本日より特別講師として着任されました、メルフィ・アンスバッハ様よ……ッ」


 学園長が泣きそうな顔で紹介を終えると、メルフィは優雅に壇上を降り、一直線にヴェルトの元へと歩み寄った。彼女が通り過ぎるたび、生徒たちの殺伐とした空気が、強制的な平穏……という名の、意志を奪う沈黙へと書き換えられていく。


「……あら、お久しぶりですわ、ヴェルト様。いえ、アークライトきょう。ふふ、最後に会った時より、少しだけ『たくましく』なりました?」


 メルフィはヴェルトの目の前で止まり、その整った顔を至近距離で覗き込んだ。


「貴方の屋敷を訪ねようと思ったんですけど、教徒から学園にいると聞いて飛んできてしまいましたわ。……あら、そんなに怖い顔をなさらないで。私はただ、行方不明になった『私の可愛い勇者様』が本当に、そして何処に消えたのか、この目で確かめに来ただけなんですもの」


「白々しい。……勇者をあんな風にしやがって、このドカスが」


 ヴェルトが低く、地の這うような声で返す。周囲の生徒たちが「おい、特別講師に失礼だぞ!」と色めき立つが、メルフィはそれを手で制した。


「ふふっ、誤解ですわ。彼は私たちが手塩にかけて育てたんですのよ?……それが想定外に消えてしまうなんて、私も心を痛めておりますの。……ああ、そうそう。貴方の領地に逃げ込んだ『私の可愛い野良猫ちゃん』にも、よろしく伝えておいてくださる?」


 メルフィはヴェルトの背後――影の中に気配を潜めているマリアの存在に気づきながら、わざとらしく小首をかしげた。


「ロザリアは逃げた訳じゃない」


「どうかしら?それと、そこでお皿でも割っていそうな『そちらのメイドさん』にもね?殺気くらい隠したほうがよろしいですよ。……お里が知れますわ」


「…………ッ!!」


 ヴェルトの背後、影の中からマリアが音もなく姿を現した。その手には既に数本のナイフが握られ、瞳からは完全にハイライトが消失している。

 

「……ヴェルト様の御前です。その汚らわしい口、今すぐ縫い合わせて差し上げましょうか……?」


「マリア、お前が度々学園に潜入してるのはいい。だが、今メルフィに手を出すのはよせ。……死なせたくないんだ、お前を」


ヴェルトがマリアの腕を掴み、強引に下がらせる。


メルフィは楽しげにクスクスと笑い、人差し指を自分の唇に当てた。


「メッ、ですわよ。ここは神聖な学び舎。野蛮な暴力はいけませんわ」


彼女は再びヴェルトの耳元に顔を寄せ、周囲には聞こえない囁き声を落とした。


「……楽しみですわ。貴方が何を知り、どこまで成長しているのか……ゆっくりと『授業』を通じて確認してあげますわね。貴方の目の前で、新しい『おもちゃ』がどんな声を出すのか、特等席で見物させていただきますわ♡」


 ヴェルトの目の奥で、殺意の火が灯った。

 

 だが、メルフィはそれすらも「美味しい寄り道」であるかのように、ペロリと唇を舐めて微笑み返す。


 勇者不在の学園。最悪の敵を「特別講師」として物理的に招き入れてしまった箱庭の中で、メルフィの真意とは一体。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ