92.狂信者の悦楽
王都ルミナ・ガルディア。
以前の「枢機卿の魔人騒動」によって上層部が崩落し、無残な姿となった聖教会の大聖堂。その瓦礫の下、かろうじて無傷で残っていた地下の円形会議室『星見の間』では、現在、怒号と悲鳴にも似たパニックが巻き起こっていた。
「馬鹿な……!勇者アレクの反応が完全にロストしただと!?」
「はい!聖剣の柄に仕込んでいた、生命力を計測する魔道具が完全に沈黙しています。アレには有効距離がありますから...勇者が聖剣を手放したか、死亡したか、あるいは有効距離外に移動したとしか...念には念を入れて監視役として同行させていた、暗部のセレスティアとの通信も一切繋がらないことを考えると...」
「二重の監視網が同時に消滅したというのか!?ダンジョン特有の魔力障害などではないのか!?」
「いえ、魔道具が沈黙したのと同時刻……彼らがいた学園の地下ダンジョン深層部の座標にて、観測史上類を見ない規模の『空間の歪み』が本部の魔力計で検知されています。恐らく転移結晶を使ったのかと」
「あり得ん!枢機卿を失い、大聖堂を半壊させられたばかりだというのに!この上、教会の希望である勇者まで失ったとなれば……我々は終わりだぞ!」
教会の幹部である司教たちが、巨大な大陸地図を映し出す魔導具を囲んで頭を抱え、土埃の舞う室内で喚き散らしていた。
彼らが十数年かけて育て上げた、教会の最高傑作にして魔王討伐のための『兵器』。それが、実習という名目でダンジョンに入った途端、忽然と姿を消したのだ。
「ええい、すぐに聖騎士団の残存部隊を学園に派遣しろ!行方不明など許されるはずが――」
「ですが、まずは本部に連絡すべきでは!?」
「本部に連絡すれば、教皇様にも伝わってしまう、そんな報告できるわけないだろうが!」
「――まあまあ。皆様、そう熱くならないでくださいな。ただでさえ空気が悪いのに、皆さん血圧が上がって血管が弾けちゃいますよ?」
パニックに陥る会議室に、鈴を転がすような、それでいて背筋が凍るほど甘い声が響いた。
部屋の奥、影の中から現れたのは、蜂蜜色のふわふわとした髪に、とろけるようなタレ目を持つ少女。教会の制服である純白のシスター服を纏っているが、その身から放たれる気配は「聖職者」のそれではなく、底なしの狂気だ。
異端審問局長であり、現聖女メルフィ・アンスバッハ。
「メルフィ局長か……!貴女、この緊急事態に何をヘラヘラと笑っているのです!」
「だって、おかしいじゃありませんか~」
メルフィはクスクス笑いながら、ロストした勇者の位置を示していた地図の空白を撫でた。
「貴方たちが聖剣に発信機まで仕込み、手塩にかけて育てた『箱庭のお人形』が、首輪を食い千切って何処かへ消えてしまったんですよ?きっと今頃、彼の中の『傲慢』が爆発して、誰の手にも負えない恐ろしい怪物に羽化している頃ですわ。……ああ、想像しただけでゾクゾクしちゃいますぅ♡」
「ご、傲慢……!?まさか、あの学園の地下に『魔神の心臓』が眠っていたと言うのですか!?」
「そんな報告は受けておらんぞ!なぜ放置していたのだ!」
司教たちが色めき立つ。だが、メルフィは冷たい目で彼らを一瞥し、ふふっと笑みを深めた。
「ええ、知っていましたわ。あの地下深くには、私と少ぉし因縁のある『カビ臭い死体さん』が引きこもっていますもの。彼が暇つぶしに『傲慢のレプリカ』を作っていたこともね」
「レプリカだと……?知っていて、なぜ勇者が近づくのを放置していた!危険すぎるだろうが!何のために暗部であるセレスティアを付けたと思っているんだ!」
「だって~、その方が『面白い』じゃありませんか?」
メルフィは両頬を押さえ、恍惚とした表情で身をよじらせた。
「人生はと~っても長いんですよ?退屈でしんぢゃうくらいには。なら、色々な事が起こった方が良いに決まってますぅ。それに偽物の心臓を取り込んだお人形が、どう壊れていくのか。……私はそれを特等席で見るつもりだったんです。でも……」
彼女の脳裏に浮かぶのは、王都の広場で自分に向かって真っ向から殺意を放ってきた、あの金髪の少年。ヴェルト・フォン・アークライト。
「……またしても、彼が私の舞台をかき回してくれたみたいですねぇ。空間の歪み……想定外の事象。恐らく、セレスちゃんがダンジョン内で予想外の事態に陥り、焦って『強制転移結晶』でも使ったのでしょう。そこに何か異質な魔力が干渉して自爆した。……本当に、彼は、私の想定を悉く壊してくれますわ」
あの時、自分は「レベルの違い」で圧倒し、ある程度は絶望させたつもりだった。だが、彼は心が折れるどころか、さらに牙を研いで勇者の運命すらも盤面外へと蹴り飛ばしてみせたのだ。
「ヴェルト・フォン・アークライト……。ふふっ、彼なら、もっともっと素敵な『絶望』を見せてくれるかもしれませんわね。……次は私が直接、あの学園へ赴きましょうか」
メルフィがペロリと唇を舐めると、ついに司教たちの我慢が限界を超えた。
「ふ、ふざけるな!貴様の個人的な遊戯のせいで、教会の最高傑作を失ったのだぞ!」
「ええい、異端審問局長といえど、この失態は万死に値する!貴様は教会のガンだ!直ちにその座を降り、異端として裁きを受けよ!」
「衛兵!この狂女を捕らえろ!地下牢へぶち込め!!」
怒号が飛び交い、司教たちが口々にメルフィを糾弾する。
だが、彼女は慌てるどころか、不思議そうな顔で小首をかしげた。
「……ふふっ。ところで皆様」
鈴を転がすような、甘く、そして絶対零度の声が響く。
「一体、誰に向かって口を利いていると思っているんですか?私は今、聖女のはずですわよ?」
「なっ……!」
「聖女に向かって、キャンキャンと喚き散らすなんて……あまりにも無作法じゃありませんか?淑女の耳が穢れてしまいますわ」
メルフィは無邪気に微笑み、ふわりと人差し指を立てた。
「マナーのなっていない豚さんたちには、お仕置きですね。……えいっ♡」
パチン、と彼女が指を鳴らす。
――ブシャアァァァァッ!!
次の瞬間、メルフィを糾弾していた司教たちの頭部が、熟れたトマトのように内側から一斉に弾け飛んだ。
悲鳴を上げる間もなく、首のない肉塊となった高位聖職者たちが、ドサリ、ドサリと床に崩れ落ちる。円形会議室は一瞬にして、おぞましい血の海と化した。
「あはっ♡綺麗な赤。やっぱり、少し模様替えした方が落ち着きますわね」
降り注ぐ血雨を透明な魔力障壁で弾きながら、メルフィは恍惚とした表情で身をよじらせた。ただ一人、部屋の隅で難を逃れた末端の神官が、泡を吹いて気絶するのを尻目に、彼女は楽しげに歌うように歩き出す。
「聖女の件は置いておいても、あんまり表に出ないから異端審問局の地位が教会内で軽く見られがちなのも問題ですね~、うーん...教皇ちゃん達に相談しましょうか」
◆
一方、その頃。
王都の喧騒から遠く離れた、アークライト領。
領主の館の執務室では、静かに、しかし確実な「教会包囲網」が敷かれようとしていた。
「――王都のマリアからの暗号通信の解析が完了しました」
銀縁眼鏡を押し上げながら、文官長のリュゼが冷徹な声で報告する。
「王立魔法学園の地下ダンジョンにて、勇者アレクおよび教会の監視役が行方不明。……大聖堂の崩落事故による事後処理に追われていた聖教会本部は、この勇者ロストにより、パニックに陥っていることが予測されます。末端の組織や提携商会への指示系統は、現在完全に麻痺しているとみていいでしょう」
「……へぇ。ヴェルト君、またやったのね」
執務机の向かいで、紅茶を啜っていたロザリアが、妖艶な笑みを浮かべた。
かつて『断頭台』と恐れられた彼女の瞳には、かつての上司への恐怖は鳴りを潜め、新たな主への絶対的な信頼と、敵対者への冷酷な殺意が宿っていた。
「ヴェルト君のことだから、『勇者がどっか行っちゃったけど、俺のせいじゃないし』くらいの顔で昼寝でもしてるんでしょうね。……でも、最高のタイミングよ」
ロザリアはティーカップを置き、立ち上がった。
「王都の教会で指示系統が麻痺している今なら、教会の『足回り』を崩せる。……リュゼ、準備はできてる?」
「無論です」
リュゼは、机の上に積み上げられた分厚い書類の束をトントンと揃えた。
それは、彼が徹夜で仕上げた『合法的な』経済封鎖および資産凍結のスキームだった。
「すでに当領地が裏で出資している複数のダミー商会を通じ、教会と癒着している『ベネディクト商会』等の主要取引先への融資を一斉に引き揚げました。さらに、彼らが脱税の温床としていた物流ルートの関所にて、我が領の特権を行使し『厳格な検疫と監査』を実施中。……現在、彼らの資金源と物資は完全にストップしております」
「さすがはリュゼ、アークライトの頭脳ね」
ロザリアが拍手をする。
組織の首を真綿で絞めるような陰湿で確実な蹂躙は、この眼鏡の文官の独壇場だ。
「ええ。剣で斬れないものは、ペンと法律で締め上げます。教会による神の威光など、資金ショートによる不渡りの前では紙屑同然ですから」
リュゼは一切の感情を交えずに言い放つ。
「で、法律で裁けない『裏のゴミ』はどうするの?」
「そこは、貴女の専門分野でしょう?ロザリア様」
リュゼが視線を向けると、ロザリアは漆黒の外套を羽織り、太腿のナイフホルダーの感触を確かめた。
「わかってるじゃない。教会の裏仕事を請け負っている暗殺ギルドや情報屋どもは、私が直接出向いて『営業停止』のお願いをしてくるわ。……ヴェルト君が帰ってきた時に、少しでも彼が過ごしやすい世界にしておいてあげないとね」
「お気をつけて。血で館の絨毯を汚さないよう、処理は外で済ませてください」
「分かってるってば」
ロザリアがウインクを残し、窓から影のように消えていく。
大聖堂が崩れ、勇者が姿を消し、狂信者が自らの組織の幹部を笑いながら虐殺する王都。
だが、悪徳領主の仲間たちは、決してただ待っているだけではない。主の平穏を守るため、そして主の敵を根絶やしにするため、留守を預かる有能すぎる影の者たちが、教会の足元を無慈悲に崩し始めていた。




