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91.予期せぬイレギュラー

 ダンジョンの最下層。


 ヴェルトの挑発的な宣告が響いた直後、青白い魔力を放つアレクの姿が、ふっとその場から『消失』した。


「なっ――!?」


 いち早く異変に気付いたのは、確率視ラプラスを発動させていたネロだった。

 

 彼の目には、アレクが『その場に留まる確率』が突然ゼロに書き換わり、同時に『頭上からの攻撃が発生する確率』が100%へと跳ね上がるのが、視覚的な数値として見えたのだ。


「上だ! 避けろヴェルト!」


 ネロが叫ぶと同時、アレクは天井の岩盤を蹴り、凄まじい遠心力を乗せた回転斬りを放ってきた。重力と速度、そして青白い『傲慢』の魔力を纏った一撃。


 ガガガガガガッ!!


「ひぃっ!?」


 ネロが咄嗟に展開した多重の魔法障壁が、まるで紙屑のように一瞬で削り取られていく。


「させません!『聖女の鉄拳ホーリーナックル』!!」「論理的に考えて、隙だらけよ!『絶対零度の爆炎』!」「罪深き魂よ、光に平伏しなさい!『シャインバースト』!」


 ニーナの拳、クリスの合成魔法、アリシアの極光が、空中のアレクへ向けて一斉に放たれる。

 

 だが、アレクの瞳には焦りすらない。



「遅い」



 彼は空中で体を捻り、壁を蹴って軌道を直角に変更。魔法の弾幕を紙一重で躱すと、そのまま壁面や柱を連続で蹴って加速し、超高速の立体機動で死角へと潜り込んだ。


 速い。異常なほどの速度と、一切の無駄を省いた冷徹な剣技。まるで重力を無視した獣のようだ。


 傲慢の力によってリミッターを外され、純粋な『殺戮の効率化』だけを追い求める、完成された暴力の化身。その凶刃が、アリシアの首を刈り取ろうとした、その瞬間――。


「甘いわボケェ!!」


 ズガァァァァンッ!!!


 横合いから、凄まじい爆発音と共に巨大な戦斧が振るわれ、強烈な一撃がアレクの軌道上へ強引に割り込んだ。


 咥えていた葉巻チョコを噛み砕きながら、元Sランク冒険者――担任のジェシカが立ちはだかったのだ。


「……チッ!」


 アレクが初めて僅かに顔をしかめ、聖剣でジェシカの戦斧をガードする。


 だが、ジェシカの馬鹿力は彼の超高速機動の勢いを殺し、壁際へと弾き飛ばした。


「ハッ!スピードは一丁前やけど、動きが綺麗すぎるねん!アタシら修羅場潜ってきたベテランからすりゃ、殺意の向かう先がダダ漏れやで、ガキィ!」


 ジェシカが獰猛な獣のような笑みを浮かべる。生徒を守る盾として立ち塞がった彼女の背中は、元Sランクの肩書きに恥じない圧倒的な威圧感を放っていた。


 だが、アレクの青白い瞳は揺るがない。


「……そうか。なら、その経験ごと力で叩き潰すまでだ」


「……素晴らしい。力に溺れるのではなく、己の身体操作の極致として魔神の力を出力している。レプリカということを忘れてしまいそうだ!さすがは教会が丹精込めて作り上げた『器』というわけか。……それに、君たちの教師も中々優秀だ」


 祭壇の端でふわりと浮遊している不死王アバドが、まるで舞台でも鑑賞するようにパチパチと拍手をした。


「おいアバド!テメェも手伝え!」


 ヴェルトが怒鳴るが、アバドは涼しい顔で首を振った。


「断る。私は中立の観測者だ。それに、今の私は君たちと休戦中であって、彼と敵対する理由はないからね。……存分に殺し合いたまえ」


「このカビ臭い傍観者め、後で絶対シバくからな!」


 ヴェルトが悪態をついたその時、ジェシカの一撃から体勢を立て直したアレクが、今度は弾丸のような速度でヴェルトの首を狙って突進してきた。


「――まずは、お前からだ。悪徳領主」


「上等だ、かかってこい反抗期勇者」


 ズドォォォォンッ!!


 黒き聖剣と、ヴェルトの剣が激突する。


 神殿の床がクレーターのように陥没し、凄まじい衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばした。


「……ほう」


 アレクの目が僅かに見開かれる。


 これまでの相手なら、己の剣速と重圧の前に一瞬で両断されていたはずだ。だが、目の前の悪徳領主は、涼しい顔でその一撃を受け止めていた。


「速いし、技もキレてる。ジェシカ先生が言った通り、真っ直ぐすぎるのが玉に瑕だがな。……テメェの薄っぺらい傲慢じゃ、俺の欲望は超えられねぇよ」


ヴェルトがニヤリと笑い、剣を強引に押し返す。



 一方、その頃。


 上層階から崩落した通路の隙間を抜け、ようやく最下層に辿り着いたセレスティアは、物陰に身を隠しながら、その光景を見て息を呑んだ。


「……嘘、そんな……」


 祭壇の前で、元Sランク冒険者のジェシカや、あの怪物ヴェルトと正面から打ち合うアレクの姿。その体からは、青白い『傲慢の魔神』のオーラが立ち昇っている。


(アレク様が、心臓を取り込んでしまった……!?)


 セレスティアの顔から血の気が引いた。


 彼女の認識では、今の勇者の肉体レベルでは、魔神の心臓の出力には絶対に耐えきれない。このまま戦い続ければ、かつての枢機卿と同じように自我を失い、肉体が崩壊してしまう。


 ――そう「勘違い」したのだ。


 彼女には知る由もなかった。今アレクが取り込んでいるのはレプリカであり、しかも彼の体はその力に完全に耐えきっているという事実を。


(……このままでは、教会の最高傑作が壊れてしまう。止めなければ!そして早く教会で治療を――)


 セレスティアは震える手で、懐から一つの輝石を取り出した。


 王都の教会本部が、緊急時の勇者回収用に彼女に持たせていた『最上位の転移結晶』。これを使えば、問答無用で対象を教会の聖域へと強制転移させることができる。


「……っ!」


 彼女は隠れ場所から飛び出し、激突する二人の間へと全速力で駆け出した。



「ヴェルト様!今です!」


 ニーナが両手に限界まで神聖力を込め、アレクの動きを一瞬だけ縛り付ける光の結界を展開する。

 

 ヴェルトがその隙を見逃すはずもなく、剣を大きく振りかぶった。


「悪いが、ここで寝てろ反抗期勇者!」


「ふざけるなァ!くっ……!」


 アレクが防御態勢に入ろうとした、まさにその瞬間だった。


「――アレク様、強制帰還を!!」


 横合いから飛び出してきたセレスティアが、アレクにしがみつき、手にした『転移結晶』を強く握り潰した。


「なっ!?セレス、お前……!」


 眩いばかりの転移の魔法陣が、アレクとセレスティアの足元に展開される。


「強制帰還だと!?」


「させません!!」


 ニーナが咄嗟に地面を爆砕して跳躍し、聖なるオーラを限界まで纏った両腕で、転移陣の光ごとアレクを物理的に引きずり出そうと掴みかかる。


 ――だが、それが致命的な「イレギュラー」を引き起こした。


 バチバチバチッ!!


 転移結晶の『時空座標』。ニーナの純粋な『聖女の力』。アレク自身の『勇者の力』。そして、アレクから溢れ出す『傲慢の魔神の力』。


 全く性質の異なる規格外の魔力同士が、発動寸前の転移魔法陣の中で複雑に絡み合い、激しいスパークを散らしたのだ。


「……なんだ、この魔力場は!?」


 ネロが、パニックに陥ったように叫ぶ。


「まずいぞヴェルト!あれは転移魔法陣だ!だけど座標指定がバグって、空間がデタラメに歪んでやがる!」


「はぁ!?」


「……しまっ……!」


 セレスティアが自分の取り返しのつかないミスに気づいた時には、すでに遅かった。


 バグを引き起こした転移魔法陣は、教会への帰還ルートを喪失し、無作為の空間の裂け目へと変貌していた。


「ヴェルトォォォォォォ!!」


 アレクの青白い瞳が、歪む空間の中からヴェルトを強く睨みつける。


 だが、その声は空間のノイズに掻き消され――。


 カッ……!!


 強烈な閃光と共に、アレクとセレスティアの姿は、神殿の最下層から完全に消失した。



 ……。



 あとに残されたのは、抉れた床と、静寂だけだった。


「……」


 ヴェルトは大きく振りかぶったままの剣を肩に担ぎ直し、忌々しげに舌打ちをした。


「……おい、ネロ。あいつら、どこに飛んだ?」


「……分かんねぇよ。あんな魔力のグチャグチャな混線、天才の俺様でも計算不可能だ。世界の果てか、魔族の領地か、それとも虚空の彼方か……。少なくとも目的の場所に綺麗に帰れたって確率だけは『ゼロ』だぜ」


 ネロの言葉に、神殿に重苦しい空気が流れる。


 「傲慢の魔神」の力を得た勇者。いや、勇者の使命を見失ったアレクは既に勇者では無いのかも知れない。


 それが今、この世界のどこかにランダムに放り出されてしまったのだ。


「……やれやれ。面倒なことになったな」


 ヴェルトが溜息をつきながら頭を掻く。


 それは、この世界を舞台にしたゲームのシナリオが、ついに完全に崩壊ロストしたことを意味していた。

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