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89.傲慢

 王立魔法学園の地下深く、『古き地下迷宮』の下層エリア。


 一般の生徒たちが立ち入ることを固く禁じられているその暗闇の中を、二つの影が進んでいた。


 勇者アレクと、彼に付き従う教会の監視役――セレスティアだ。


「……アレク様。これ以上奥へ進むのは、実習の規定を大きく逸脱していますわ。……それに、嫌な魔力の気配が濃くなっています」


 セレスティアがランタンの光を揺らしながら、背後から声をかける。だが、アレクの歩みは止まらない。彼の瞳は、暗闇の奥にある「何か」に釘付けになっていた。


「……呼ばれているんだ。この奥に、俺が知らなければならない『何か』がある気がする」


 アレクの胸の奥で、失われた記憶の残滓が疼いている。王都での騒動。あの悪徳領主ヴェルトと、その隣にいた栗色の髪の少女。彼らを見た時から、頭の中の霧が晴れようとして、だがもっと深く、自身の胸の奥、魂ともいえる部分が警鐘を鳴らしているのだ。


 今は、このダンジョンの奥の何かから呼ばれているとしか思えない。


「……そうですか。ですが、あの方にはお気をつけくださいませ」


 セレスティアが視線を向けた先。暗闇の空間、ひび割れた祭壇の残骸の上に、一人の青年がふわりと浮遊していた。


 『不死王アバド』。

 

 先日、アレクを赤子のようにあしらった神話級のアンデッドだ。


「……貴様。まだこの浅い階層にいたのか」


 アレクが聖剣に手をかけ、殺気を放つ。


 だが、アバドは虚無の瞳でアレクを一瞥しただけで、退屈そうに空中で寝返りを打った。


「威嚇はよしたまえ、勇者。……今日は君と遊んでやる気分ではないのだ」


「何だと?」


「私は最近、長い眠りから目覚めたばかりでね。少しこのダンジョンを散歩していただけだ。それに、今の私はあのヴェルト・フォン・アークライトと『休戦協定』を結んでいる。彼が管理するこの学園の生徒に、無闇に危害を加えるつもりはないよ」


 アバドの言葉に、アレクの眉がピクリと動いた。


「あの悪徳領主と、休戦だと……?貴様のような化け物が、人間に与したと言うのか」


「与したわけではない。互いの利害が一致しただけだ。……君には分からないだろうがね」


 アバドはふっと笑い、顎でダンジョンのさらに奥をしゃくった。


「奥へ行くのだろう?好きに行きたまえ。……君が何を見つけようと、私の知ったことではない」


 アレクは油断なくアバドを睨みつけたまま、静かに横を通り抜けた。


 セレスティアもまた、無表情のまま勇者の背中を追う。


 その背中を見送りながら、アバドはポツリと呟いた。


「……空っぽの器が、己の空虚さを埋めるために深淵へ向かう、か。……実に滑稽なことだ」



 アレクたちが去ってから数十分後。


「……ん?お前、まだこんな浅い階層をウロチョロしてたのか」


 騒々しい足音と共に、ヴェルトの一行が姿を現した。


 先頭を歩くヴェルトの後ろには、ニーナ、クリス、アリシア、ジェシカ先生。そして最後尾には見慣れない『灰色の髪の美少女』がふて腐れた顔で歩いている。


(アリシアは廊下で遭遇しレベル上げの話をしたら勝手についてきた。ちなみに、シャルロットとシルヴィアの王女二人の姿はない。彼女たちもついて来る気満々だったが、『いくらなんでも編入初日の実習からサボるのはアカン!まずは真面目に単位取れ!』とジェシカ先生に正論で説得され、渋々上層での正規ルート探索に回っているのだ)


「おお、奇遇だなヴェルト。……ふむ?そこの可愛らしい少女は誰だ?私の記憶にない魔力波長だ」


 アバドがネロ(♀)を見て小首をかしげた。


「俺だよ!天才魔術師のネロ様だ!文句あるかカビ臭い死体野郎!」


「鑑定……魔女の呪いか、なるほど。不安定な状態だ。精神的なショックによる魔力の相転移か。面白い生態をしているなぁ。あとで解剖させてくれないか?」


「寄るな!氷漬けにして砕くぞ!」


 ガルルルと、ネロが杖を構えて威嚇する。


「まあいい、無駄話はこれくらいにしよう。……ちょうどよかった」


 アバドは宙に浮いたまま、懐から禍々しくも弱々しい光を放つ小さな結晶の欠片を取り出し、ヴェルトに向かって放り投げた。


 パシッ。


 ヴェルトがそれを受け取る。


「なんだこりゃ?」


「昨日依頼した『魔神の心臓』探しの件だがね。闇雲に探しても見つかるものではないだろう。それを渡しておこうと思ってね」


「これは……王都で枢機卿が使っていた『強欲の心臓』の欠片か?」


「そうだ。散歩ついでに拾ってきたのだよ。力を使い果たし、もはや魔神の力を行使することはできない。ただの石ころ同然だが……確実なレーダーというわけではないものの、魔神の心臓は同じ大罪の根源から生まれたもの同士、強く『惹かれ合う』性質がある。他の心臓が近くにあれば、共鳴して微かに光を放つはずだ。指針コンパスくらいにはなるだろう」


「お前、外にも出れるのかよ......しかし、なるほどな。それは助かる。使えるもんは使わせてもらうぜ」


 ヴェルトは欠片を懐にしまい、ニヤリと笑った。


「この王都くらいなら移動出来るのだがね、それ以上は難しい。で、君たちはここで何をしているのだ?私に会いに来たわけではなさそうだが」


「ああ、食後の運動だ。お前から貰ったこの『ダンジョン管理権限の指輪』を使ってな」


 ヴェルトが右手に嵌めた骨の指輪をかざす。


「これがあれば、ダンジョン内の魔物の配置をある程度弄れるんだろ?なら、わざわざ歩き回って雑魚を狩る必要はない。……この神殿の広場に、経験値の美味いボスクラスの魔物だけを『連続で転送』して、効率よくレベル上げをさせてもらう」


 その言葉に、アバドが呆れたように目を丸くした。


「……ダンジョンの理を、ただの『狩り場』として利用するのか。君という男は、本当に風情というものがないな」


「風情で腹は膨れねぇよ。行くぞお前ら!経験値稼ボーナスタイムぎだ!」


 ヴェルトが指輪に魔力を流し込むと、神殿の中央に次々と巨大な魔法陣が浮かび上がった。


『グオオオオオッ!!』『シャァァァァッ!!』


 現れたのは、地下深くに生息するはずの、強力なモンスターの群れだ。

 

 だが、彼らが威嚇の咆哮を上げるより早く。


「邪魔です!『聖女の鉄拳ホーリー・ナックル』!!」「論理的に考えて、この属性の組み合わせなら一撃よ!『絶対零度の爆炎』!」「罪深き魔物たちよ、光の海に沈みなさい!『シャイン・バースト』!」


 ニーナの拳がミノタウロスの頭を粉砕し、クリスの合成魔法がキメラを灰に変え、アリシアの光魔法がアンデッドの群れを浄化する。


 さらにネロ(♀)が確率操作で放つ灰色の魔弾が、敵の急所を的確に撃ち抜いていく。


「……オラァッ!!」


 そしてヴェルトが、圧倒的な質量による一撃で、ドラゴンクラスの魔物すら裏拳で消し飛ばす。


「……なんという理不尽な光景だ。これでは魔物たちが可哀想になってくるな」


 アバドは空中に浮遊したまま、一方的な虐殺レベリングを呆れ顔で見下ろしていた。最凶のパーティによる、ルール無用のダンジョン蹂躙が始まっていた。



 一方、その頃。


 ダンジョンのさらに奥深く――深層の最下層付近。


「……この先だ。この扉の奥から、強烈な力を感じる」


 アレクは、古代の文字が刻まれた巨大な石の扉の前で足を止めた。


 彼の聖剣が、共鳴するように微かに震え、光を放っている。


「……」


 その背後で、セレスティアの瞳がスッと細められた。


 彼女の感覚もまた、その扉の奥にある『圧倒的な気配』を捉えていた。


(……間違いない。このおぞましいまでの威圧感。……教会が長年探し求めていた、もう一つの『魔神の心臓』……!)


 勇者が持つ特別な聖剣には教会が保有する魔神の心臓の欠片が使われている。この色はおそらく、全てを見下す『傲慢』。


 セレスティアは、暗部『幻香のセレス』としての冷徹な計算を走らせた。


(……予想外です。まさか学園の地下に眠っていたなんて。しかし、今の勇者アレクのレベルと精神状態では、あの心臓の力には耐えきれません。魅入られれば間違いなく暴走し、かつての枢機卿と同じ末路を辿る……。それでは、教会の計画が台無しです)


 彼女への指示は、学園で勇者を「最高の兵器」として完成させ、教会の手駒として運用することだ。ここで彼を壊すわけにはいかない。心臓の回収は、後日、教会の本隊を動員して確実に行うべきだ。


 セレスティアは瞬時に決断し、アレクの腕を強く引いた。


「アレク様、お待ちください。これ以上は危険です」


「……何故だ。この扉の奥に、俺の求める答えがあるはずだ」


「いいえ。これは『罠』です。古の魔族が、勇者である貴方を誘い込み、封印するための邪悪な罠の気配がします。……今の私たちの装備と疲労では、万が一の事態に対応できません」


 セレスティアは、あきらかな嘘を、しかし甘い香水を微かに漂わせながら、アレクの耳元で囁く。その声には、思考を鈍らせる微弱な精神魔法が込められていた。


「……罠、だと?ばかなこんなところに魔族なんて.....」


「いえ。勇者様、どうか冷静なご判断を。ここは一度撤退し、万全の態勢を整えてから出直すべきです。……貴方の命は、世界のものなのですから」


 アレクの瞳が、香水の効果によって一瞬だけ虚ろに濁る。

 

 教会の洗脳が、彼の反抗心を無理やり押さえ込んでいく。


「……そう、だな。俺は、世界の……」


 アレクが聖剣を下ろし、踵を返そうとした、その時だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴッ……!!


「なっ……!?」


 突如として、ダンジョンの地盤そのものが激しく揺れ始めた。地震ではない。上層階から伝わってくる、局地的な破壊の余波――ヴェルトたちのデタラメなレベリングによる振動が、老朽化した深層の脆い地盤を刺激してしまったのだ。


 メリメリッ!と天井の岩盤に巨大な亀裂が走る。


「崩落しますわ!アレク様、こちらへ!」


 セレスティアが叫び、アレクの手を引いて退避しようとした瞬間。


 ズドォォォォォンッ!!!


 巨大な岩塊が、二人の間に容赦なく落下してきた。


「くっ……!」


 アレクはとっさに前方に飛び込み、セレスティアは後方へと弾き飛ばされる。舞い上がる土煙。ガラガラと崩れ落ちる無数の瓦礫が、通路を完全に分断してしまった。


「……アレク様!? アレク様!!」


 セレスティアが瓦礫の山に取り付き、必死に声を上げるが、返事はない。崩落は通路を完全に塞ぎ、アレクの姿は分厚い岩壁の向こう側に消えてしまった。


「チッ……!」


 完璧な人形のように振る舞っていたセレスティアが、初めて感情を露わにして舌打ちをした。


 勇者が、教会の監視下から外れた。


 それも、魔神の心臓が眠る扉の向こう側に隔離された状態で。


「……すぐに救援を呼ばなければ。彼が『あの中』に入ってしまう前に……!」


 セレスティアは踵を返し、地上への最短ルートを駆け出した。その足取りには、かつてないほどの焦燥が滲んでいた。


 一方、瓦礫の向こう側。


 完全に退路を断たれたアレクは、舞い上がる土煙の中でゆっくりと立ち上がった。


「……セレスの奴、無事か?……いや、今は戻れないか」


 彼は振り向き、背後にそびえる巨大な石の扉を見上げた。教会の監視の目は、もうない。


 アレクの瞳から、香水による虚ろな霧が晴れ、彼本来の――抗いがたい意志の光が再び宿る。


「……呼ばれている。俺は、ここを開けなければならない」


 アレクは聖剣の柄を握りしめ、静かに、その重厚な扉へと手をかけた。

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