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88.天才魔術師の憂鬱

 シャルロットとシルヴィアの両王女による、衝撃のFクラス編入騒動から数時間後。


 昼休みのFクラスは、かつてないほどカオスな空気に包まれていた。


「……ヴェルト様、あーん。わたくし特製のサンドイッチですわ。王宮のシェフに作り方を習ってきましたのよ?」


「ちょっと、抜け駆けは許しません!ヴェルト、この極冷のフルーツタルトを感謝して食べなさい!私の魔法でキンッキンに冷やしてあげたんですから!美味しいわよ!」


 俺の右にはシャルロットが、左にはシルヴィアが陣取り、競い合うように弁当を口に運んでくる。背後では、ニーナが「プロテインも一緒にどうぞ!」とシェイカーを構え、俺の膝の上ではフィオナが「……パパ、うるさい。眠れない」と俺の腹に顔を埋めている。


 周りの男子生徒たちが血の涙を流しながら「魔王様、そこ代わってください……!」と拝んでいるが、代われるものなら今すぐ代わってやりたい。両側からの高貴なプレッシャーで食べた気がしないのだ。


 俺は唐揚げを強引に口に放り込みながら、ふと疑問に思った。


(……そういえば、さっきからネロの奴を見ないな)


 エレナ先生にフラれたショックで、どこかの書庫で一人ふて腐れているのだろうか。そんなことを考えていた、その時だった。



 バーンッ!!



 本日二度目となる、扉を蹴り破る音。


 そして、廊下からズルズルと這うようにして、一人の『見知らぬ美少女』が教室に入ってきた。


 色素の薄い、美しい灰色のロングヘアー。陶器のように真っ白な肌に、人形のように整った顔立ち。ただし、着ているのはダボダボの白衣と、明らかにサイズが合っていない男子用のズボン。その瞳には、この世の全ての不幸を背負ったような涙が溢れている。


「……うぅ……ヴェルトぉぉぉ……!!」


 美少女が、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、俺の足元に縋り付いてきた。


「……おい。誰だお前。ウチのクラスにこんな小動物系の女子はいないはずだが」


 俺が冷たく見下ろすと、美少女は「ひどいっ!」と声を荒らげ、涙目で俺を睨みつけた。


「俺だよ! 天才魔術師のネロ様だよ!! なんで分かんねぇんだよこの節穴悪徳領主ゥ!!」


「「「…………は?」」」


 教室の空気が、ピタリと停止した。


「お前が……ネロ?」


 俺は改めて目の前の美少女を凝視した。確かに、髪の色や目つきの悪さ、そして何よりその『口の悪さ』はネロそのものだ。だが、体つきが決定的に違う。以前の中性的なフォルムではなく、華奢な肩幅、細いくびれ、そして白衣の隙間から嫌でも主張してくる、女性特有の柔らかな曲線美。


「なんだその姿は。お前、ついに女装という新しい性癖に目覚めたのか?」


「違うわボケェ!!……うぅ、朝、エレナさんにフラれて、書庫で一人で泣いてたら……なんか体中が熱くなって、光って……気づいたらこうなってたんだよぉ!」


 ネロが自分の胸ぐらを掴みながら、わぁわぁと泣きわめく。俺の脳裏に、ネロの『性別』に関する設定が蘇った。


(そういえば……こいつの性別は『魔力のコンディションによって揺らぐ』という呪いがかかっている状態だったな)


「……なるほど。失恋のショックで精神状態が著しく弱体化し、魔力の均衡が崩れた。その結果……つまり、女性の肉体として強制的に固定化されたってことか」


「勝手に分析して納得すんな!どうすんだよこれ!今までも女性になることはあったけど、こんなあからさまになったのは初めてだ!いつもなら見た目はそんな変わらなかったし、声も高くなってるし、胸のあたりが重くて魔導書が読みにくいんだよぉ!」


 地団駄を踏んで抗議するネロ。だが、その仕草は『ヤンキーのガキ』から『駄々をこねる美少女』へと変換されており、傍から見ると破壊的に可愛らしかった。


「……ふむ。論理的に考えて、極めて興味深い現象ね」


 ガタッ、と椅子を蹴って立ち上がったのはクリスだ。彼女の瞳には、研究者としての狂気的な光が宿っていた。手にはいつの間にか巻きメジャーが握られている。


「精神的ショックによる魔力回路の相転移と、それに伴う肉体の再構築。……ネロ、ちょっと服を脱ぎなさい。骨格の変化とスリーサイズを測定させてもらうわ」


「ひぃっ!?寄るな変態公爵令嬢!俺様の神聖なボディをメジャーで縛る気か!」


「研究のためよ!大人しくしなさい!……あら、ウエスト細い。でもここはしっかり……ふふっ、良いデータが取れそうね」


「ぎゃああああ!ヴェルト助けて!!」


 クリスに羽交い締めにされ、あちこちを測定されるネロ。そこに、ニーナがドスドスと歩み寄ってきた。


「ネロさん……女の子になったんですね!歓迎します!」


 ニーナが満面の笑みで、ネロの手をガシッと握りしめる。


「でも、今のままだと筋肉量が足りません!女性の体は脂肪がつきやすいですから、今日から私と一緒に『女子力アップ(筋トレ)』のメニューをこなしましょう!」


「誰がやるかそんな脳筋メニュー!離せ!俺はか弱い女の子になっちまったんだぞ!」


「大丈夫です、すぐに大胸筋が育ちますから!」


「そういう問題じゃねぇ!!」


 さらに、シャルロットとシルヴィアまでが参戦してきた。


「まあまあ。せっかく可愛らしいお姿になったのですから、そのだらしない服装はいただけませんわね。……私が予備の制服を貸して差し上げますわ。さあ、着替えましょう?」


「そうです。髪もボサボサですし、私が氷の櫛で綺麗に梳かしてあげます。……女の子になったからには、それなりの身だしなみをしてもらわないと、視界に入るだけで不快ですから」


「やめろぉぉぉ!俺にスカートを履かせるなぁぁ!スースーして落ち着かねぇんだよ!凍らせるな!」


「ダメですわ。女性としての『身だしなみ』は基本です。……さあ、いらっしゃい」


「いやだぁぁぁぁぁ!!」



 数分後。


 Fクラスの教室の隅で、涙目で体育座りをしている一人の美少女がいた。


 学園の女子制服に身を包み、灰色の髪をシルヴィアの氷魔法で艶やかに整えられ、可愛らしくリボンでまとめられたネロだ。そのルックスは、間違いなく学園でもトップクラスの美少女に仕上がっている。


 ……中身が口の悪いクソガキでさえなければ。


「……くそっ。どいつもこいつも、俺様をおもちゃにしやがって……」


 ネロがスカートの裾を必死に押さえながら、恨めしそうにこちらを睨んでくる。


「似合ってるぞ、ネロ。お前、黙ってれば本当にいい女だな」


 俺がニヤニヤしながら褒めると、ネロは顔を真っ赤にして茹でダコのように沸騰した。


「う、うるせぇ!褒めても何も出ねぇぞ!ぜ、絶対に元の男の体に戻る方法を見つけてやるんだからな!」


「まぁ、気長に探せばいいさ。……それより、お前その姿でエレナ先生に会いに行けるのか?」


「ッ……!」


 その言葉に、ネロがピクリと固まる。

 

 フラれた相手に、女体化した姿で会う。天才魔術師のプライドが許すはずがない。


「……あ、会えるかよバカ。当分は古書庫に引きこもる。……俺様の初恋は、今日、物理的にも精神的にも終わったんだ……」


 ネロが再びメソメソと泣き始める。


「やれやれ。騒がしい奴らだ」


 俺はポンとネロの頭を撫でてやった。


「失恋も女体化も、後で笑い話にしてやるから安心しろ。……さあ、遊んでる暇はないぞ、俺達は強くならなきゃいけないからな。まずはアバドから貰ったダンジョン権限ってやつを使ってレベル上げだ」


 俺が宣言すると、ネロは涙を拭い、パンッと両頬を叩いて立ち上がった。


「……へっ、そうだな。俺様は天才魔術師だ。女になったくらいで立ち止まってられるかよ」


 見た目は可憐な美少女。だが、その不敵な笑みは相変わらずの悪党ヅラだった。


「……ヴェルト様」


 ふと、窓の外から気配を消したマリアの囁き声が聞こえた。


「新たな泥棒猫がパーティに加わりましたが……。彼女も『処理』の対象に含めてよろしいでしょうか?最近、私の仕事が増えすぎて腕が鳴りますわ」


「やめろマリア。あれはネロだ。てか、お前は王都の情報を集めてるんじゃ」


「それは、つつがなく。ヴェルト様のウォッチングもかかせませんので」


「......はよいけ」


 俺の言葉に、窓の外の気配が「……チッ」と不満げな舌打ちを残して消えていった。


 女体化した天才魔術師、物理特化の聖女、ツンデレ公爵令嬢、外堀を埋める二人の王女。そして、それを窓の外から狙うヤンデレメイド。


 俺の平穏な学園生活は、もはやコメディと修羅場が混ざり合う、完全なカオスへと突入していた。


「……さあ、行くぞ。食後の運動だ」


 俺たちは騒がしい教室を後にし、ダンジョンへと足を向けた。

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