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86.閑話 アークライト領の守護者達

 王都から遠く離れた、アークライト領。

 

 普段はヴェルトが昼寝を貪っている領主の館の執務室は今、分厚いカーテンが引かれ、無数の書類と冷たい空気に支配されていた。


「――王都の大聖堂襲撃事件以降、教会の資金の流れを徹底的に洗練・再計算いたしました。結論から申し上げますと、酷い有様です。経理の杜撰ずさんさたるや、見るに堪えません」


 執務机に広げられた帳簿を、ミリ単位のズレもなく完璧に揃え直しながら、男が冷徹な声で報告を終えた。


 神経質なまでに整えられた銀縁眼鏡の奥で、氷のような瞳が光る。


 彼こそが、ヴェルトの懐刀にしてアークライト領の『知』の要、リュゼである。


「表向きは孤児院への寄付や救済事業と謳いながら、裏帳簿の金はすべて、地図にない『非公認の修道院』へと流れております。……吐き気がするほど非効率で、非論理的な資金洗浄マネーロンダリングです」


「お疲れ、リュゼ。……やっぱり、枢機卿が地下でやってたエグい人体実験は、あいつ個人の暴走じゃなくて、教会っていう組織ぐるみの『事業』だったってわけね」


 書類を見つめるロザリアの瞳に、かつて見せていたおどけた行商人の面影はない。


 王都でメルフィから受けた底知れぬ恐怖とトラウマ。それは今、自分に居場所をくれた男の背中を守るための、静かで冷たい『覚悟』へと変わっていた。


「左様でございますね。表向きは信仰を集めながら、裏では神をも恐れぬ実験を繰り返し、禁忌の遺物である魔神の心臓を求めている……。実に不愉快極まりない連中です、ですが枢機卿が強欲の心臓を使ってしまったのは奴らにとっても誤算だったようです」


 傍らに控えるセバスチャンが、紅茶を注ぎながら目を細めた。


 その穏やかな老執事の笑みの奥には、いつでも教会の喉首を物理的に掻き切れるほどの鋭い殺気が孕んでいる。


「あれは枢機卿の突発的な対応であった...と。となると枢機卿が殺害されたことにも何か理由がありそうですな。」


「はい、本当に殺害が目的だったのか。それとも枢機卿が持つ何かが必要だったのか...で、どう動きますか、ロザリア様。証拠は揃いました。私の権限で、ダミー会社を通じて教会の息がかかった商会を三日以内に経済的に干上がらせ、彼らの資産を合法的に差し押さえる法案を制定することも可能ですが?」


 リュゼが万年筆を指先で回しながら、極めて冷酷に、そして淡々と「教会の社会的な抹殺プラン」を提案する。


「ダメだよ、リュゼ。確実な証拠があっても、今こっちから手を出せば、教会は『異端の捏造』とか言って物理的に叩きにくるわ。……それに、ヴェルト君の教えを忘れたの?『雑草は表面だけ刈り取っても意味がない。根っこまで農薬をぶちまけて、二度と生えないように土壌ごと焼き払う』って」


「……違いありませんね。あの御方ならば、中途半端な経済制裁など欠伸をして流すでしょう。完全に息の根を止めるための『土壌作り』こそ、私の仕事でした」


 リュゼは小さく息を吐き、自らの潔癖性を満たすように書類の束を再度トントンと揃え直した。


「ええ。私たちがやるべきは、ヴェルト君がいつ教会という巨大な敵と衝突してもいいように、相手の急所(弱み)を完全に把握しておくこと。……セバスチャン、王都の別邸に残ってるマリアからの報告は?」


「先ほど、マリアから当家専用の回線で『緊急の魔導通信』が入りました。ネロ様経由での報告によりますと、学園周辺の情報網はすでに構築完了。さらに、学園の地下ダンジョンにて……何やら『神話級のアンデッド』と接触した模様です」


「……は?神話級のアンデッド?」


 リュゼがピタッと万年筆を止めた。その冷徹な顔に、明らかな苛立ちが浮かぶ。


「……ふふっ。ほんと、ヴェルト君はどこに行ってもこっちが思いつきもしないことばっかり起こすね」


 ロザリアは口元を押さえ、呆れたように、けれど嬉しそうに笑いをこぼした。


「領主様は、また私の想定リスクを破壊されるおつもりのようだ。……やれやれ、今夜も徹夜で法案と有事のマニュアルを書き直さねばなりませんね。神話級の存在に対する、我が領地の危機管理ガイドラインを」


「リュゼ、その冗談は分かり辛いよ~?」


「冗談?私は至って本気ですよ。万が一、その不死王とやらが当領地へ観光に来られた際の接待費の計上区分、即死魔法を被弾した際の労災認定の基準、および地下ダンジョンを別荘へ改装する際の建築基準法の特例措置……。これらを明朝までに法案として整備し、領内に周知徹底しなければならない私の胃痛が、冗談に見えますか?」


 リュゼは銀縁眼鏡を中指でくいっと押し上げ、真顔のまま、とんでもない実務内容をスラスラと並べ立てた。


「……うわぁ、本気だ。この人、ヴェルト君の無茶振りに完璧に対応しすぎて、たまにヴェルト君より頭おかしい時あるよね」


 ロザリアが若干引いた顔でセバスチャンの方を向くと、老執事は「それがアークライト家の文官長というものです」と穏やかに微笑んだ。


「有能な実務家とは、主の『理不尽』を『合法』に変換する錬金術師のことです。無能な神の真似事より、よほど建設的でしょう。……さて、セバスチャン。それともう一点」


 セバスチャンが片眼鏡を光らせ、言葉を継ぐ。


「マリアからの報告で、勇者に張り付いている教会の監視役と思われる……『セレスティア』と名乗る女子生徒の容姿が判明しました。プラチナブロンドの縦ロールに、人形のように整った白い肌を持つ少女とのことです」


「セレスティア……?」


 その特徴を聞いた瞬間、ロザリアの目の色がスッと冷たく変わった。


「名前は違うけど、その風貌……間違いないわ」


 彼女はかつて『断頭台』と呼ばれた処刑人としての記憶を探り当て、確信を持って告げた。


「それ多分、私と同じ教会の暗部の人間よ。通り名は『幻香げんこうのセレス』。特殊な香水や薬物を使って対象の精神に霧をかけ、記憶すら奪い取る洗脳のスペシャリスト。……なるほど、勇者の手綱を握るために、そんな厄介な奴を送り込んでるってわけね」


「『幻香』ですか。……ふん。学園の裏側もずいぶんと騒がしいようですが、我が主の敵ではありませんね」


 リュゼが鼻で笑うと、セバスチャンは静かに紅茶のカップを置き、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。


「左様でございますね。しかし、精神や記憶に干渉する搦め手は、物理的な刃よりも厄介な場合があります。……ヴェルト様の強靭な御心にそのような小細工が通じるとは微塵も思いませんが、勇者を利用して平穏を脅かそうと企んでいるのであれば、看過できません」


「ええ、その通りよセバスチャン。ヴェルト君なら、あんな女の香水ごと物理で吹き飛ばしてくれるだろうけど……油断ならない相手なのは確かよ。頼りにしてるよ、リュゼ。……マリアには引き続き、王都でのヴェルト君のサポートと、その『セレスティア』の動向を最優先で探るように伝えておいて」


「畏まりました。……王都のネズミはマリアが。そして、我々はこの領地を拠点に、教会の暗部を徹底的に洗い出しましょう。坊ちゃまの安息を脅かす芽は、たとえ地の果てのネズミ一匹たりとも見逃しません」


 セバスチャンの力強い宣言に、リュゼも眼鏡をクイと押し上げ、獰猛な実務家の顔で頷いた。


「ええ。剣で斬れないものは、ペンと金(法律)で締め上げましょう。悪徳領主の事務処理能力というものがどれほど容赦のないものか、神様気取りの連中に教えてやりますよ」


「そして、法で裁けぬ『ゴミ』が出た際には……この老骨が、物理的に掃除いたしましょう」


 二人の頼もしい言葉に頷きながら、ロザリアは執務机の引き出しを開け、ヴェルトが愛用している予備の万年筆をそっと撫でた。


「ヴェルト君。君が戻ってくるまで、ここは私たちが完璧に守り抜いてみせるから。……だから、学園の厄介事なんて、君持ち前の理不尽さで、全部吹き飛ばしちゃってよね」


 万年筆の冷たい感触が、少しだけ彼の体温を思い出させる。


 ロザリアは、リュゼたちには聞こえないような小さな声で、ぽつりと本音をこぼした。


「……あーあ。まだ出発してそんなに経ってないのに。……もう、ヴェルト君に会いたくなっちゃったな」


 かつて『断頭台』と恐れられた暗殺者の、年相応の、甘酸っぱくも熱を帯びた呟き。その頬は、誰もいない執務室でほんのりと桜色に染まっていた。


 ヴェルトが途方もない因縁に足を踏み入れている頃。彼の帰るべき場所では、彼と同じ『悪徳の流儀』を継ぐ者たちが、教会という巨大な敵を狩るために静かに牙を研ぎ――そして一人の少女が、愛しい主の帰還を恋焦がれるように待ちわびていた。

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