84.不死王の取引
「――『魔神の心臓』だと?」
俺はアバドの言葉を反芻し、険しい顔で眉をひそめた。脳裏をよぎるのは、先日、王都の大聖堂で枢機卿がその身に取り込み、無残な魔人へと変貌したあの禍々しい結晶石の輝きだ。
「大罪の遺物……。お前みたいな探求者が欲しがるような代物じゃねぇだろ。不老不死の次は、世界征服でも企んでるのか?」
「やはり知っているか……ふふっ。世界征服?そんな退屈なことに興味はないよ」
アバドが、心底可笑しそうに肩を揺らした。
「私が求めているのは、もっと根源的なものだ。この世界の真理、そして――」
そこまで言いかけて、アバドはふと口をつぐんだ。彼の虚無の瞳が、俺の背後――倒れ伏している勇者アレクと、結界を張るのに力を使い果たしたのか、その上に覆い被さるようにして気を失っているセレスティアへと向けられる。
「……と、詳しい話をしたいところだが。少々、ここには人が多すぎるな」
「あん?」
「この話は、教会の耳には入れたくないのだよ。特に――そこに転がっている『教会の犬』にはね」
アバドはセレスティアを冷ややかに見下ろした。彼女は気絶しているが、アバドが言うのであればそういうことなのだろう。勇者の監視役、俺以外にも勇者の傍には教会の息のかかった者が潜伏しているということだ。
アバドはこの場で不用意に世界の裏側に関わる話をするのは避けるべきだと判断したらしい。
「それに、君たちも長居は無用だろう。その勇者たちは、早く治療しなければ魔力枯渇で本当に死ぬぞ」
「……勝手なことばかり言いやがって」
「ははっ。明日、再びここへ来たまえ。ヴェルト・フォン・アークライト。君が信頼する者だけを連れてね。……その時に、私の依頼の詳細と、世界の真実について語り合おうじゃないか」
アバドは優雅に一礼すると、彼の足元から湧き出した漆黒の影に沈み込むようにして、音もなく姿を消した。
後に残されたのは、ひび割れた祭壇と、気絶した生徒たちだけだった。
「……消えよったな」
ジェシカ先生が、ピンと張り詰めていた空気を吐き出すように、大きな溜息をついた。
額には、元Sランク冒険者らしからぬ冷や汗が浮かんでいる。
「なんやアイツ。気配の底が見えへんかったわ。あないな化け物が、学園の地下で寝てたんか……」
「論理的にあり得ない存在よ……。私の魔力探知が、ずっと危険を訴えかけていたわ」
クリスも魔導書を閉じながら、青ざめた顔で震えている。
「ヴェルト様!お怪我はありませんか!?」
ニーナが慌てて駆け寄ってきて、俺の体をペタペタと触って確認してくる。
「大丈夫だ、無傷とはいかないがな。……それより、早くあいつらを運ぶぞ。アバドの言う通り、放っておけば死にそうだ」
俺たちは、アレクやセレスティア、その他のAクラスの生徒たちを担ぎ上げ、足早にダンジョン五階から撤退した。
あの不死王の真意は分からない。だが、少なくとも今は敵対する意思はないようだ。
◆
ダンジョンの入り口広場。地上へと戻ると、そこにはすでに救護用のテントが張られ、学園の教師たちが慌ただしく動き回っていた。
「おう、遅かったなヴェルト!」
テントの前で、灰色の髪を揺らしてネロが手を振っていた。
彼の横には、ベッドに寝かされているエレナ先生の姿が見える。
「エレナさんは無事に運んだぜ。呪いの後遺症もなく、今はただ眠ってるだけだ。……ザイードの豚も、連絡しておいた憲兵に引き渡した。今頃は地下牢で泣き喚いてるだろうよ」
「ご苦労だったな、ネロ。助かった」
「へっ、俺はお前の仲間だからな。……って、おいおい!」
ネロの視線が、俺たちが担いできた生徒たちに釘付けになる。
「勇者様が、なんでそんなボロ雑巾みたいになってんだよ!?どこのトラップに引っかかったらそんな悲惨なことになるんだ!?」
「トラップじゃねぇよ。……地下五階で、とんでもない化け物が湧いてたんだ」
俺は生徒たちを救護班の教師に引き渡し、ネロを人目のつかない木陰へと連れ出した。ニーナ、クリス、アリシア、そしてジェシカ先生もそれに続く。
「化け物……?」
「ああ。名前は『不死王アバド』。無限再生と即死魔法を使ってくる、文字通りのアンデッドの王だ...まぁ元は人間で死霊術師だそうだ」
「はぁッ!?」
ネロが素っ頓狂な声を上げた。
「おいおい、冗談だろ!?そんな神話レベルの死霊術師が、なんで学園のダンジョンに……!」
「理由は明日、あいつ自身から直接聞くことになった」
俺は腕を組み、ネロの目を真っ直ぐに見据えた。
「一時休戦の条件として、あいつから『魔神の心臓』を探してほしいと依頼された。……詳しい話は、明日、信頼できる者だけを連れて地下五階へ来い、とな」
「……魔神の心臓。俺たちが王都で見た、あの禍々しい遺物か」
ネロの表情が、天才魔術師のそれに変わる。
「……面白ぇじゃねぇか。そんな得体の知れない代物を探求している不死王。魔術師としては、興味をそそられるぜ」
「だろ?だからお前も明日、一緒に来い。あのアンデッドが何を企んでいるのか、お前の『確率視』と解析能力が必要になるかもしれん」
「了解だ。……ヴェルトの護衛も兼ねて、俺様が直々に付き合ってやるよ」
ネロが不敵に笑う。
これで、明日のメンバーは決まりだ。
「……ヴェルト様。私も、同行します」
ニーナが、静かに、しかし力強い声で言った。
彼女の視線の先には、救護テントに運ばれていくアレクの姿があった。
「あの人は……教会の人たちは、アレクをどうするつもりなのか。そして、不死王が言っていた言葉の意味……。私は、知らなければいけない気がするんです」
「……分かった。お前も来い」
勇者の幼馴染であり、聖女であるニーナ。アバドが何を語るか、多少だが予想はつく。俺の予想が当たっていれば彼女にとっても、この先知ることは避けられない道だろう。
「私も行くわよ!この学園の地下で未知の魔導理論を持つ存在がいるなんて、放っておけないわ!」
「生徒会長として、悪しき魔物を監視する義務がありますわ!」
「ウチは……まぁ、引率教師として行かなどうしようもないしな。何かあったら責任問題やし」
クリス、アリシア、そしてジェシカ先生もそれぞれ同行を宣言する。
「……やれやれ。アバドの奴、また『人が多い』って顔をしかめるかもしれないぞ」
俺は苦笑しつつも、頼もしい仲間たちの顔を見渡した。
「いいだろう。明日の放課後、再び地下五階へ向かう。……何を聞かされるか、覚悟しておけよ?」
学園のダンジョン実習は、波乱のうちに一日目を終えた。
だが、本当の「特別授業」は、明日、あの暗い地下神殿で待っている。
魔神、勇者、そして教会。これまで点と点でしかなかった不可解な事象が、いよいよ一つの線に繋がろうとしていた。




