82.死を極めし探求者
――カァンッ!!
学園地下ダンジョン『古き地下迷宮』の地下五階。
かつては広大な地下神殿だったと思われるその空間に、ひしゃげた金属音と、苦痛に満ちた呻き声が響き渡った。
「が、はっ……!」
吹き飛ばされ、石柱に背中を打ち付けたのは、勇者アレクだった。彼が纏う白銀の鎧はひび割れ、赤髪は血と泥に塗れている。手にした聖剣の輝きは、風前の灯火のように頼りなく明滅していた。
「アレク様!!」
後方で結界を展開しているセレスティアが悲痛な声を上げる。彼女の顔色は蒼白で、魔力枯渇の寸前だった。その周囲には、Aクラスの優秀な生徒たちが、ピクリとも動かず何人も倒れ伏している。幸い息はあるようだが、全員が限界を超えた恐怖と魔力枯渇で気を失っていた。
「……ハァ、ハァ……ッ!」
アレクは折れそうな膝を叱咤し、聖剣を杖代わりにして立ち上がった。
彼の中の「勇者としての本能」が、ありったけの警鐘を鳴らし続けている。
敵は、ただ一人。
神殿の中央、ひび割れた祭壇の上に、そいつは『浮遊』していた。
一見すると、二十代半ばの青年のようだった。だが、その肌は病的に白く、透き通るような皮膚の下には血液ではなく、ドス黒い魔力が流れているのが見て取れる。身に纏うのは、時代遅れの、しかし極めて高価な漆黒の法衣。何より異様なのは、その『眼』だ。若々しい容姿とは裏腹に、その瞳の奥には、何百年、いや何千年という途方もない時間を生き抜いてきた者特有の、果てしない虚無と深淵が広がっていた。
「……理解できないな」
男は、血を流して足掻くアレクを見下ろし、退屈そうに首を傾げた。
「なぜ、君たちはそうも必死に立ち上がる?脆い血肉という『檻』に囚われ、わずか数十年で腐り落ちるその命に、何の意味があるというのだ」
「……黙れッ!魔物風情が……!」
アレクが聖剣を握り直し、睨みつける。
「魔物?……心外だな。私の名はアバド。かつては君たちと同じ、矮小な人間だった男だよ」
アバドと名乗った男は、自らの白く細い指先を見つめた。そこには、濃密な死の魔力が黒い炎となって揺らめいている。
「私はただ、求めたのだよ。魔導の極致……『死霊術』の深淵をね。だが、人間の寿命はあまりにも短すぎた。三十年や五十年そこらで、この無限の真理に辿り着けるはずがない。……だから私は、自らの肉体を術式に作り変え、死を克服し、『永遠の探求者』となったのだ」
アバドの言葉には、狂気はない。
ただ、絶対的な真理を語るような、静かな傲慢さがあった。他者の命など、彼の壮大な研究の前では、道端の石ころ以下の価値しかないのだ。
「君の放つその強烈な『光』……。地下深くの最深部で微睡んでいた私の目を覚ますほどに眩しく、そして歪だった。……だからわざわざ、こんな浅い階層まで散歩がてら上がってきたというのに。……実に期待外れだ」
「俺を……人間を舐めるなァァッ!!」
アレクが渾身の力を振り絞り、跳躍した。勇者の全魔力を込めた、必殺の光の斬撃。空間を切り裂く一撃が、アバドの首筋を正確に捉える。
ズバァァァンッ!!
聖剣がアバドの首を半ばまで切断し、光の爆発が神殿を揺らした。
「やった……!」
セレスティアが希望の声を上げる。
だが。
「……だから、無駄だと言っているだろう?」
「なっ……!?」
アレクの目が見開かれた。
切断されたはずのアバドの首の断面から、ドロリとした黒い影が溢れ出し、一瞬にして傷を繋ぎ合わせたのだ。血の一滴すら流れていない。
アバドは、自分の首に食い込んだ聖剣の刀身を、素手で無造作に掴んだ。
「ジュー……ッ」という音と共に、聖剣の浄化の光がアバドの手を焼くが、彼は眉一つ動かさない。焼けた端から、即座に肉体が再生していく。
「回復魔法ではない。……私の存在が、常に『無傷の状態』へと自動で上書きされているのだよ。この程度の光では、私の永遠には決して届かない」
「バカな……!?」
「しかし...君は、少しだけ筋がいい。その光の力、実に興味深いサンプルだ。……どうだ?君も『死霊』にならないか?」
アバドは、アレクの目を真っ直ぐに見つめ、甘く囁いた。
「ならば私の知識を与えよう。永遠の命を与えよう。さすれば、君も私と共に、無限の時間をかけて力を極めることができる。老いもせず、病にも罹らず、ただ至高の強さだけを追い求められる。……素晴らしい提案だと思わないか?」
「……それで本当に、勇者としてもっと強くなれるんですの?」
その提案に反応したのは、アレクではなく、背後で結界を維持していたセレスティアだった。
彼女の虚ろな人形のような瞳に、異様な執着の光が宿る。
「セレス!?何を言っている!」
アレクが血相を変えて振り返る。人間であることを捨て、魔物になるという提案に、彼女はあろうことか「勇者の戦力強化」としての価値を見出したというのか。
「ふざけるなッ!誰が貴様のようなバケモノに……!」
アレクがセレスティアの狂気を振り払うように、アバドに向かって吠える。
「そうか。……なら、死ね。無価値な肉塊として、私の実験材料の一部になるがいい」
アバドの瞳から興味の色が完全に消え失せた。
彼が指先を軽く弾いた瞬間。
見えない死の波動がアレクの腹部を直撃した。
「ガァァァァッ!?」
アレクの体が「く」の字に折れ曲がり、数十メートル吹き飛ばされて地面を転がった。
「アレク様ァァッ!!」
セレスティアが駆け寄るが、アレクはピクリとも動かない。鎧は完全に砕け散り、致命傷を負っていた。アバドは空中に浮遊したまま、無感動にその光景を見下ろしている。
「……終わりか。所詮、寿命という枷に縛られた有象無象。私の知的好奇心を満たすには程遠いな」
アバドが右手を掲げ、神殿全体を吹き飛ばすほどの巨大な『漆黒の球体』を生成し始めた。
全てを消し飛ばし、この退屈な時間を終わらせるために。
セレスティアは絶望に顔を歪め、動かないアレクの上に覆い被さった。死が、迫る。
――だが。
その巨大な黒い球体が、彼らに放たれる直前。
「……退屈か?なら、俺が遊んでやるよ?」
ドゴォォォォォォンッ!!!!
神殿の分厚い石の扉が、外側から蝶番ごと木っ端微塵に粉砕された。凄まじい土煙と衝撃波が、アバドの作り出した死の魔力を吹き飛ばす。
「……何?」
アバドが初めて、微かな訝しさを顔に浮かべて視線を向けた。
もうもうと立ち込める砂煙を割って、足音を響かせながら入ってきた集団。先頭を歩くのは、金髪にふてぶてしい目つきをした男。
「間に合ったか。……おいおい、勇者様が随分と無様な姿を晒してんじゃねぇか」
ヴェルト・フォン・アークライト。
その後ろには、聖女ニーナ、公爵令嬢クリス、生徒会長アリシア、そして葉巻チョコを咥えたジェシカ先生が続いている。
(……間違いない。あの野郎だ)
俺は、祭壇の上に浮かぶ男を見て、確信と共に舌打ちをした。ザイード邸から転送陣で地下三階に戻り、嫌な予感に従って急いで地下五階まで降りてきたが……まさか本当に『コイツ』が湧いているとは。
『不死王アバド』。
原作のクリア後、最深部である隠しダンジョンの底で特定の条件を満たすことで戦えるようになる「やり込み要素」の裏ボスだ。即死魔法、無限再生、物理耐性。おまけにステータス異常をバラ撒くという、プレイヤーから「クソボス」として恐れられた存在。
(だが、なんであんな最深部に引きこもってるはずの裏ボスが、地下五階なんて『浅い階層』にいやがるんだ?)
自らの魔術探求以外に興味を持たないアイツが、わざわざ上に上がってくる理由。
(……確か原作ボス戦の前にコイツが聖なる輝きがどーたらとか言っていたな、勇者が原因か?)
本来この学園入学直後の時期、勇者アレクのレベルはまだ低く、その聖なる力も微々たるものだった。だからダンジョン実習で地下五階まで来ても、最深部にいるアバドのアンテナに引っかかることなんて絶対にあり得なかったのだ。
だが、今のアイツは違う。
教会によって記憶を奪われ、無理やりドーピングされ、異常なステータスと魔力を持たされている。
(その過剰に膨れ上がった『聖なる気』が……深層で寝ていた裏ボスを呼び寄せちまったってことか?)
俺は忌々しげに倒れているアレクを睨みつけた。教会の馬鹿どもめ。勇者を魔改造したせいで、とんでもないイレギュラーを誘発しやがって。本来ならレベルをカンストさせて、最強装備を揃えてから挑むような相手に、こんな序盤で遭遇するなど、まさにクソゲーの極みだ。
「……貴方たちは、誰だ?私の研究室に、これ以上不純物を入れないでもらいたいのだが」
アバドが不快そうに目を細める。
「不純物?ハッ、人聞きが悪いな。俺たちは善良な学生で、絶賛『ダンジョン実習中』だ。……俺達からしたらお前が学園が所持するダンジョンに湧いた不純物ってヤツだよ」
「……ふむ」
アバドは俺の言葉を無視し、まるで珍しい昆虫でも観察するように、俺たちを値踏みし始めた。
「……後ろの女たち。魔力の質は悪くない。実験材料としては上等だ」
アバドの視線が、ニーナやクリスたちを舐めるように動く。その侮蔑的な視線に、ヴェルトのパーティ面々が黙っているはずもなかった。
「実験材料ですって?生きた人間をモルモット扱いするなんて、論理的にも倫理的にも破綻しているわ。この私が、貴方のその狂った魔導理論を根本から再教育してあげる!」
クリスが魔導書を勢いよく開き、不快そうに眉を吊り上げる。
「ええ!生徒会長として、このような邪悪な存在を学園の地下にのさばらせておくわけにはいきません!私の正義の光で、跡形もなく浄化して差し上げますわ!」
アリシアが高らかに杖を掲げ、眩いばかりの光の魔力を漲らせた。
「ヴェルト様を不純物呼ばわりするなんて許しません!その腐った性根ごと、私の筋肉で粉砕します!覚悟してください!」
ニーナが両手の『聖女の鉄甲』をバチィッ!と打ち鳴らし、床の石畳を砕かんばかりに踏み込んだ。
「カッカッカ!ええ気合やんけ、自分ら。せやけど、アレはホンマモンの化け物やで?ウチらも気ィ抜いたら、マジで死体にされんで」
最後尾でジェシカ先生が葉巻チョコを噛み砕きながら笑う。その目は楽しげだが、元Sランク冒険者としての冷徹な隙のない構えをとっていた。
だが――アバドは、彼女たちの威勢のいい殺気すらも「羽虫の羽音」程度にしか感じていないのか、一切意に介さなかった。
「だが……君は、なんだ?」
アバドの視線が、俺に固定された。その虚無の瞳が、初めて『驚愕』に近い色を帯びてわずかに見開かれる。
「なんだその異常な『密度』は。君の肉体……細胞の一つ一つが、あり得ないほどの質量とエネルギーを内包している。……まるで、世界の理から外れたような存在だ」
さすがは探求者といったところか。俺の『成長率10倍』による異常なステータスを、一目で見抜いてきやがった。
「……面白い。君の死体は、私の最高傑作の『素体』になりそうだ」
アバドの口角が、三日月のように吊り上がった。
「光栄だな。だが、俺は死体になる趣味はない」
俺は一歩、前に出た。床の石畳が、俺の踏み込みの圧力だけでメキッと音を立ててひび割れる。
「永遠の時間を生きてるんだろ?なら、ここで少しばかり痛い目を見たって、何百年か寝てりゃ治るだろ」
「……ふふっ。脆弱な人間が、この私に痛みを教えると言うのか?傲慢もそこまで行くと滑稽だな」
「傲慢で結構。俺は『悪徳領主』だからな。……お前のそのスカした顔、物理でひしゃげさせてやるよ」
俺の殺気と、不死王の死の魔力が激突し、地下五階の空間がビリビリと悲鳴を上げた。
勇者すら退けた、規格外の裏ボス。対するは、ステータスを極振りした悪徳領主と、そのパーティ。
理不尽と理不尽の、激突の火蓋が切られようとしていた。




