81.悪徳領主の容赦なき追い込み
視界が白く明滅し、転送魔法陣特有の浮遊感が俺たちの体を包み込んだ。
次に足が硬い床を捉えた時、そこはカビ臭い地下迷宮ではなく、磨き上げられた大理石が敷き詰められた豪奢な空間だった。
王都貴族街、ザイード伯爵本邸の地下室。
壁には高価な魔導照明が備え付けられ、俺たちが現れた魔法陣の周囲には、十数名の武装した警備兵たちが槍を構えて待ち構えていた。
「おお!帰還の陣が光ったぞ!エレナ様はお連れしたか……って、誰だ貴様らッ!?まさか報告にあった...」
現れたのが味方(私兵)ではなく、見知らぬ学生の集団だと気づき、警備兵たちが慌てて殺気立つ。
「侵入者だ !捕らえろ!抵抗するなら斬ってしまえ!」
一斉に殺到してくる警備兵たち。
だが、彼らが相手にするのは、学園のルールすら蹴り飛ばしてカチコミに来た『最凶パーティ』だ。
(鑑定...レベルは10後半か、さっきの洞窟の奴らに比べたらゴミみたいなもんだ、ここは任せるか)
「ここら辺の警備は、お前らのレベルでも十分通用する、蹴散らせ!」
「……おじゃまします!」
先陣を切ったのは、満面の笑みを浮かべたニーナだった。彼女は迫り来る槍の穂先を『聖女の鉄甲』で無造作に弾き飛ばすと、そのまま警備兵の懐へと潜り込む。
ドゴォッ!!
「ぐはぁっ!?」
鎧の上から叩き込まれた重い一撃。それだけで大柄な警備兵が宙を舞い、背後の仲間たちを巻き込んでボウリングのピンのように倒れ伏す。
「不法な誘拐を企てる悪党ども。論理的に考えて、貴方たちに勝機はないわ」
ヒュンッ、ヒュンッ!
クリスが魔導書を開き、流れるような詠唱で『氷結の矢』を連射する。矢は警備兵たちの足元を正確に縫い止め、その動きを完全に封じ込めた。
「悪を挫くのが生徒会の務め!懺悔しなさい!悔い改めなさい!そして光になりなさぁーい!『閃光の縛鎖』!」
アリシアの放った光の鎖が、残りの兵士たちを芋蔓式に縛り上げる。
ものの数秒。王都の貴族が雇った精鋭警備兵たちは、学生三人の手によって瞬く間に制圧されてしまった。
「……カッカッカ!お前ら、ホンマに容赦ないなぁ!躊躇いってもんがゼロやんけ!」
最後尾で葉巻チョコを齧りながら、ジェシカ先生がゲラゲラと笑う。
「先生が『死ななきゃセーフ』って言ったんじゃないですか」
「せやな!ええぞ、その調子でガンガンいったれ!」
俺は周囲の安全が確保されたのを確認すると、ネロに背負われて眠るエレナ先生の元へ歩み寄った。
「ネロ、少し時間をくれ。あの豚の部屋に乗り込む前に、一つやっておくことがある」
「……あ?なんだよ」
俺はエレナ先生の首筋に浮かぶ、ドス黒い『隷属の刻印』を見下ろした。
ザイード原作でも用心深いクズだ。大した手駒は持っていなかったはずだが、俺たちが乗り込んだ時、確実にこの刻印を盾にして脅してくるだろう。その時のための『保険』を打っておく必要がある。
「あの豚が使うこの手の呪印は、術者が遠隔で魔力を送ることで起爆する仕組みだ。無理に術式そのものを消去しようとすれば反発して自爆するが……」
俺は原作知識を思い出しながら、ネロに告げた。
「刻印自体を消すんじゃなく、その『起爆信号を受信するパス』だけをピンポイントで遮断、あるいは別の波長に書き換えることはできるか?……天才魔術師のお前なら」
(これは原作で勇者の仲間になったネロが勇者と共にザイードを捕縛する際に被害者に対してやっていたことだ。もっとも、その時既にエレナさんは.......ネロ、お前がこの未来を変えるんだ)
「……ッ!」
その言葉に、ネロの瞳がハッと見開かれた。彼の中で、天才的な魔導理論がカチリと音を立てて組み上がる。
「……なるほど!呪いそのものを解呪するんじゃなく、受信機だけを壊すってことか!そいつなら……やれる!さすがヴェルト、長年悪徳領主をやってるだけあって性格が悪い分、嫌がらせの理屈には詳しいな!シシシッ!」
「それ、褒めてねぇよ」
ネロは即座に片眼鏡の位置を直し、エレナ先生の首元に手をかざした。彼の指先から微細な灰色の魔力が放たれ、刻印に絡みつく『見えない魔力の糸』を探り当てる。
「『確率視』起動……。術式の接続点を確認。……よし、書き換えるぜ」
ネロが指をパチンと鳴らすと、刻印の色がほんの一瞬だけ明滅し、元のドス黒い色に戻った。
見た目は何も変わっていない。刻印自体はまだそこにある。
「完了だ。これで、あの豚がどんな起爆スイッチを押そうが、信号がここに届く確率は『ゼロ』になったぜ。……印自体を消すには本人の魔力か専用の『鍵』が要るが、これで少なくとも爆発はしねぇ」
「流石は天才、上出来だ」
俺はニヤリと笑い、剣を肩に担ぎ直した。
これで、奴の最大のカードはただのゴミ(ブラフ)に成り下がった。
「クリス、ザイードの部屋は分かるか?」
「ええ。この屋敷の最上階……一番奥の部屋に、ひときわ不快な魔力反応があるわ。……おそらく、そこが当主の部屋」
「案内しろ。……一気に片付けるぞ」
俺たちは豪華な絨毯が敷かれた廊下を、まるで自分たちの屋敷のように堂々と闊歩した。途中で出くわしたメイドや使用人たちは、俺たちの尋常ではない殺気と、背後で気絶しているエレナ先生を運ぶネロの姿を見て、悲鳴を上げて逃げ出していった。
◆
最上階の奥。両開きの巨大なマホガニー製の扉の前に、俺たちは立った。
「……ここだな」
俺はノックもせず、右足を振り上げる。
ドガァァァンッ!!!
扉が蝶番からへし折れ、木っ端微塵に吹き飛ぶ。
舞い上がる埃の向こう。そこは、これ見よがしな美術品や金細工で飾られた、悪趣味の極みのような執務室だった。
そして部屋の奥のデスクで、高級な葉巻を燻らせながらワイングラスを傾けていた男が、目をひん剥いて立ち上がった。
「な、なんだぁッ!?貴様ら、どこから入ってきた!」
丸々と太った腹。脂ぎった顔。欲深そうな細い目。間違いなく、ザイード伯爵だ。彼は自分の安全な城に引きこもり、優雅に獲物が運ばれてくるのを待っていたのだろう。
「よお、ザイード伯爵。地下の特別室に誰もいなかったから、わざわざ出向いてやったぜ」
俺が剣を肩に担ぎながら足を踏み入れると、ザイードは俺の顔と、ネロに背負われているエレナ先生を見て、全てを察したように顔を真っ赤にして激昂した。
「き、貴様ぁ……!その制服、アークライトの倅か!私兵どもは何をやっている!警備兵!誰かおらんか!」
「馬鹿か?俺達が無事にここに来てるんだぜ?お前の飼い犬どもは、全員地下で仲良くお昼寝中だ」
俺が鼻で笑うと、ザイードはギリリと歯を食いしばり、デスクの上のベルを乱暴に叩いた。
「舐めるなよ、小僧どもが……!私がただの貴族だと思ったら大間違いだぞ!でやぁっ!!」
ザイードの叫びと共に、執務室の天井と壁の隠し扉が開き、四つの影が音もなく降り立った。
全身を黒装束で包み、独特の曲刀を構えた暗殺者たち。その気配は先ほどの私兵とは比べ物にならない。
(鑑定...レベル40前後が4人か。王都の裏社会でそれなりに名を馳せたプロの殺し屋ってとこだな)
「……チッ。面倒な手駒を隠してやがったか」
ネロが舌打ちをするが、俺は一歩も下がらなかった。
「フハハハハ!彼らは私が莫大な金で雇った『影の刃』の皆様だ!たかが学生のお遊びで勝てる相手ではない!さあ、その小生意気なガキの四肢を切り刻み、私のエレナを取り戻せ!」
ザイードが勝ち誇ったように命令を下す。四人の暗殺者たちが、殺気を消したまま、四方から同時に俺へと殺到した。
速い。常人なら反応すらできないだろう。
だが。
「……遅い、遅すぎる」
俺は小さく息を吐き、【圧倒】のスキルを全開にした。
俺の体から噴出したドス黒い殺気のオーラが、物理的な重圧となって部屋中の空気を圧縮する。
「ッ!?」
暗殺者たちの動きが、空中でピタリと止まった。
彼らの本能が、眼前の「獲物」が実は絶対に手を出してはいけない「捕食者」であると警鐘を鳴らしたのだ。
「悪いが、俺は今、猛烈に機嫌が悪いんだ。手加減はするが死んでも恨むなよ」
俺は動けなくなった暗殺者の一人の顔面を、無造作に裏拳で殴り飛ばした。
ドゴォォォォンッ!!
「ぐがっ!?」
暗殺者の体が砲弾のように吹き飛び、分厚い壁を突き破って隣の部屋へと消えていった。
「な、なにッ!?」
残りの三人が驚愕する隙を与えず、俺は瞬動して次々と拳と蹴りを叩き込む。魔力も魔法も必要ない。Lv.80のステータスから放たれる純粋な『質量』の暴力。わずか数秒で、ザイードの誇る『影の刃』たちは、壁や床にめり込み、白目を剥いて完全に沈黙した。
「……え?」
ザイードの顔から、一瞬にして血の気が引いていく。
彼が全幅の信頼を寄せていた最強の切り札が、田舎貴族の子供のただの殴り合いで全滅したのだ。彼の常識が音を立てて崩れ去っていく。
「さて、と」
俺は拳についた埃を払い、腰を抜かして震えるザイードへと歩み寄った。
「ヒッ……!な、なんなんだお前はぁ!?く、来るな!近寄るなァ!」
「交渉の時間だ、豚野郎。エレナ先生の首の刻印を解除する『鍵』を出せ。……大人しく従えば、命だけは助けてやる」
俺が見下ろすと、ザイードは脂汗を流しながらも、卑屈な笑みを浮かべて懐を探った。そして取り出したのは、赤い魔石が埋め込まれた、起爆装置のような禍々しい魔道具だった。
「ふ、ふふふ……。馬鹿め!動くな!」
ザイードが、その魔道具を俺の顔の前に突き出す。
「あの女の首に刻んだ隷属印は特注の呪いと連動している!私以外の人間が無理に解呪しようとしたり、この私がスイッチを押せば、その瞬間に呪いが発動して彼女の首は吹き飛ぶ仕掛けだ!私を殺しても、術者である私の生命活動が絶たれれば同じように爆発するぞ!」
「……」
「どうだ!手出しできまい!アークライトの小僧、今すぐ武器を捨てて土下座しろ!そして彼女をこちらへ渡せ!さもなくば……!」
ザイードが高らかに勝利宣言をする。エレナ先生の命を人質に取る。自分の命すらチップにして優位に立とうとする、クズの常套手段だ。
だが、俺は武器を捨てるどころか、微塵も動揺することなく、冷ややかに鼻で笑った。
「……へぇ。それはなんとも、面白ぇ仕掛けだな」
「な、なに……?」
「押してみろ」
「……は?」
ザイードが呆けたように口を開ける。
「聞こえなかったか?そのスイッチ、押してみろって言ってんだよ」
「き、狂っているのか!?私がハッタリを言っているとでも思っているのか!このスイッチを押せば、あの女は本当に……!」
「いいから押せ。はぁ……ネロ」
俺が背後の天才魔術師に声をかけると、ネロは不敵な笑みを浮かべて前に出た。
「オッサン。お前が握ってるそのスイッチを押して、エレナさんの呪いが発動する確率。……完全に『ゼロ』だぜ」
「な、なにをでたらめを……!」
「でたらめじゃねぇ。俺たちがここへ乗り込む前、ヴェルトの助言をもとに、俺がとっくに刻印の『遠隔起爆の魔力パス』を書き換えてある。……お前が握ってるのは、今やただの石ころ(ガラクタ)だ」
ネロが種明かしをする。
「う、嘘だ……!そんなこと、王宮の魔術師にだって不可能だ!ハッタリに決まっている!」
ザイードは錯乱し、震える指で魔道具のスイッチを強く押し込んだ。
カチッ。
――シーン。
……何も、起きない。
「あ……れぇ……?」
カチカチカチカチッ!ザイードが何度もスイッチを連打するが、エレナ先生の首の刻印は何の反応も示さない。
「な、なぜだ……!?起爆しろ!なぜ動かんのだァッ!!」
魔道具を床に叩きつけ、絶望するザイード。
「……ネロが言っただろ、ガラクタだって。それにお前は馬鹿だなぁ、それで本当に人質が死んじまったらどうするんだ?もれなくお前は俺に殺されるコトになるのになぁ?」
俺はザイードの胸倉を掴み上げ、その脂ぎった顔面に容赦なく拳を叩き込んだ。
ドゴォッ!!
「ぐぎゃあああっ!?」
ザイードの鼻が砕け、鮮血を撒き散らしながら床を転げ回る。
「ひぃぃっ!い、痛い!痛いぃぃ!」
「無能もここまでくると哀れだな。いいから解呪の要となるアーティファクトを出せ。……さっさと出さないと、次は手の指を1本ずつへし折っていくぞ」
俺が冷酷に靴底でザイードの太ももを踏みつけると、彼は泣き叫びながら懐から一つのアミュレットを取り出した。
「こ、これだ!これに私の魔力を通せば刻印は消える!約束通り、命は……!」
俺はアミュレットを奪い取り、ネロの方へ放り投げた。
「ネロ、お前ならそれで消せるな?」
「ああ。受信パスを解析した俺なら、こいつを経由して術式を上書きできる。……恩に着るぜ、ヴェルト」
ネロが震える手でアミュレットを受け取り、自身の魔力を流し込みながらエレナ先生の首元にかざす。
シュゥゥゥ……という音と共に、忌まわしい刻印が薄れ、エレナ先生の首筋から完全に消え去った。
「……これで、エレナさんは自由だ」
ネロが安堵の息を吐き、役目を終えたアミュレットを握り潰した。
「さて、と」
俺は再びザイードに向き直った。彼は太ももを押さえながら、脂汗を流して俺を見上げている。
「の、呪いは解除した!命だけは……!」
「そんな約束したかな?……それに、お前の悪事はこれで終わりじゃないだろう?」
「ひぃ」
俺は部屋の奥、壁際に並べられた怪しげな薬瓶の詰まった棚と、机の上に置かれた書類の山を指差した。
「この部屋にある魔薬……そして、お前の屋敷にある裏帳簿。全部、王国の騎士団と教会に送りつけてやる。……お前の政治生命は、これで完全に終わりだ」
「なっ……!?き、貴様、そんなことをすればアークライト家もタダでは……!」
「俺の家を巻き込めると思うか?俺はただの『迷子の生徒』だ。ダンジョン実習中に偶然、お前の違法な秘密の部屋を見つけてしまった……それだけだ」
俺が悪役スマイルを浮かべると、ザイードは完全に絶望したように白目を剥いて気絶した。
「……ふぅ。これで一件落着だな」
俺が剣を収めると、ずっと後ろで様子を見ていたジェシカ先生が、パンパンと手を叩きながら歩み寄ってきた。
「カッカッカ!お見事やんけ、ヴェルト!悪徳貴族を脅して屈服させるとは、お前、ホンマにええ性格しとるわ!」
ジェシカ先生がニヤニヤと笑いながら、俺の肩をバシバシと叩く。
「……先生、一応これでも生徒なんですが。褒め言葉として受け取っていいんですよね?」
「当たり前や!サバイバルの世界じゃ、綺麗事並べる奴から死んでいくんや。お前みたいな、自分の手を汚してでも目的を果たす奴が、一番生き残るんやで」
元Sランク冒険者の言葉には、妙な説得力があった。
「それにしても……」
ジェシカ先生が、気絶しているザイードと私兵たちを一瞥する。
「お前のその【威圧】と身のこなし……ただのレベル差で出せるもんやないな。……お前、一体何人殺してきたんや?」
その鋭い指摘に、クリスやアリシアがビクリと肩を震わせる。
「……さあ?覚えていませんね」
俺ははぐらかすように答え、気絶しているエレナ先生の方へ歩み寄った。
「それより、早く先生を保健室に連れて行かないと。……ネロ、頼めるか?」
「ああ。任せとけ」
ネロがエレナ先生を優しく抱き上げ、俺たちに頷く。
「よし、引き上げるぞ。……『特別授業』はこれで終了だ」
俺たちが踵を返し、部屋を出ようとした、その時だった。
――ズズズズズ……。
屋敷の床……いや、この空間全体を揺るがすような、重く、淀んだ魔力の波動が、学園のダンジョンの方角から響いてきた。
「……ん?」
ジェシカ先生の表情が、一瞬にして険しいものに変わる。
「……おいおい、なんやこの気配。ただの魔物ちゃうで」
クリスの持つ魔導書が、けたたましい警告音を鳴らし始める。
「ウソ……!索敵のために仕掛けておいたダンジョンの信号魔道具から...地下五階の方向?規格外の魔力反応が急速に上昇してきてるわ!?この反応...まさか、ダンジョンの『主』!?」
俺は舌打ちをした。アレクがすれ違いざまに言っていた言葉が脳裏に蘇る。
『気をつけろよ。このダンジョン、何かありそうだ』
(……ザイードのことじゃなかったのか?あいつの「勇者としての勘」が捉えていたのは、もっと別の......)
平穏な実習は、やはり訪れてはくれないらしい。
「ネロ、お前はエレナ先生を頼む。ついでにザイードの件を憲兵に連絡してくれ」
「わ、わかった!ヴェルトはどうするんだ」
「...いやな予感がする、俺はクリスたちとダンジョンへ戻る」
(あのダンジョンには主の他に原作クリア後のやりこみボスがいたはずだ......俺の予想が外れてくれればいいが)
俺たちは迫り来る未知の脅威へと武器を構え直し、転送陣からダンジョンへと戻るのだった。




