80.ルール無用の特別授業
俺達は逃げ出したザイード伯爵の私兵たちを追い、旧坑道エリアのさらに奥深くへと足を踏み入れた。
空気は冷たく湿り気を帯びているはずの地下迷宮だが、なぜかこの奥からは、むせ返るような甘ったるい香水の匂いが漂ってきている。学園の地下ダンジョンには似つかわしくない、不自然なほどの『人工的な匂い』だ。
(この香り、そしてザイードが関わっているってなると、恐らく原作にもある麻薬の類だな。こんな香りなのか)
「……ヴェルト様、気をつけてください。この先、複数の魔力反応があります。それに、この匂い……魔薬の類も混ざっていますわ。この量だとただ持ち込んだとは思えません」
クリスが鼻をハンカチで押さえながら、魔導書で探知を続ける。公爵令嬢の彼女にとって、この下品な匂いは耐え難いものらしい。
「まさか学園の地下でそんなもんを作ってるとはな。ってことは、恐らく学園側にも協力者がいるはずだ」
(確か研究室の誰かだったな。研究費目当てでザイードに協力してたはずだ、原作で勇者がザイードを捕まえる時にそんな話があったような...)
「...ええ後で調べないといけないですね。これは微量ですが、吸い込みすぎると判断力が鈍る様です。……アリシア、風魔法で換気できる?」
「任せてくださいな!不純な空気など、生徒会が許しません!『清浄なる風』!」
アリシアが杖を振ると、爽やかな聖なる風が坑道内を吹き抜け、甘ったるい匂いを一掃してくれた。
「助かった。……ネロ、エレナ先生の具合はどうだ?」
俺が後ろを振り返ると、ネロが風魔法で作った即席のクッションの上にエレナ先生を寝かせ、大切そうに運んでいた。彼女は首に刻まれた刻印の影響と、先ほどの恐怖のせいか、気を失うように眠っている。
「……ああ。命に別状はねぇよ。でも、この首の痣……無理に魔力で剥がそうとしたら、呪いが発動して首が飛ぶ仕掛けになってやがる」
ネロの声には、ドス黒い怒りがこもっていた。
愛する人に首輪をつけるという外道の所業。普段は飄々としている天才魔術師の殺気が、限界を突破して周囲の空気をピリピリと震わせている。
「……鍵だな。この刻印を外す物理的な『鍵』か、あるいは『術者自身の魔力』による解除が必要ってことか」
「ああ。さっきの三下どもが言ってたな。『伯爵様の到着を待てる特別室』だと。この先に、あの豚野郎がふんぞり返ってるはずだ。……俺がこの手で、鍵ごとあの豚の首を引きちぎってやる」
ネロが歪な杖を握りしめる。
俺たちがさらに進むと、開けた空間に出た。
そこは、薄暗い洞窟とは完全に不釣り合いな、豪奢な鉄扉で塞がれていた。扉には悪趣味な金細工が施され、周囲には魔物を寄せ付けないための強力な結界術式が刻まれている。
「……ここが『特別室』とやらですか。学園の地下に、こんな違法建築物を……」
アリシアが怒りに震えている。
「生徒会として、そして一人の人間として許せません!踏み込みますわよ!」
俺はアリシアを制止し、扉の前に立った。何重にも鍵がかかっているようだが、俺の【筋力】の前ではただの飾りだ。
「……少し、騒がしくなるぞ」
俺は右足を振り上げ、鉄扉の錠前部分に向かって、渾身の力で蹴りを叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!!
分厚い鉄扉が、爆音と共に蝶番からへし折れ、内側へと吹き飛んだ。
「ひぃっ!?」
扉が吹き飛んだ先から、情けない悲鳴が聞こえた。
土煙を払いながら中に踏み込むと、そこは……まさに『悪徳貴族の箱庭』だった。ダンジョンの岩壁をくり抜いて作られたその部屋には、深紅の絨毯が敷かれ、高級なソファや天蓋付きのベッドまで持ち込まれていた。壁際には、何に使うのか見当もつかない拘束具や、怪しげな薬品の瓶がズラリと並んでいる。
だが、俺の予想に反して、部屋の中にザイード伯爵の姿はなかった。
代わりにいたのは、先ほど逃げ帰ってきた数名の私兵たちだ。彼らは部屋の中央に描かれた、淡く光る『巨大な魔法陣』の前に集まり、慌てて荷物を抱えながら転がり込もうとしていた。
「て、てめぇら!扉ごとぶち破ってきやがったのか!?常識ってものがねーのかぁ!?」「おい、早く逃げろ!急げ魔法陣を起動しろ!本邸へ帰るんだぁぁぁぁ!」
私兵たちが泣き叫びながら魔法陣に魔力を流し込む。
「……逃がすかよ」
俺が動くより早く、ネロが指を鳴らした。
「吹き飛べ。『エアハンマー』」
ドォォン!!
不可視の空気の塊が私兵たちを横から殴りつけ、魔法陣の外へと弾き飛ばした。彼らは壁に激突し、呻き声を上げて崩れ落ちる。
「……さて。聞かせてもらおうか。ザイードの豚野郎はどこだ?」
俺は倒れた私兵の一人の胸ぐらを掴み上げ、壁に押し付けた。
「ひぃっ……!い、命だけは!」
「答えないと、このまま壁に埋め込むぞ」
「い、言います!言いますから!伯爵様は……本邸にいらっしゃいます!この特別室には、あとで来る予定だったんですが、俺たちが『化け物(お前ら)が出た!』って通信魔道具で報告したら、『ならばエレナを屋敷へ転送しろ!私は安全な屋敷で待つ!』って……!」
……なるほど。
自分が迎えに来るリスクを避け、部下に獲物を運ばせる気だったか。つくづく小賢しい男だ。
「もう一つ、エレナ先生の首の刻印を解除する『鍵』も、ザイード本人が持っているんだな?」
「は、はい!それはザイード様が直々に付けたもので......うぐっ」
俺は男をポイッと放り捨て、部屋の中央で淡く発光を続ける魔法陣を見下ろした。
「……クリス。この魔法陣の行き先は分かるか?」
公爵令嬢であるクリスは、魔導書を広げて魔法陣の術式を解析し始めた。
「……ええ。空間座標の転送術式ね。かなり大掛かりなものだけど……座標の固定先は、王都の貴族街にある『ザイード伯爵邸の地下』で間違いないわ。一方通行ではなく、双方向のゲートになっているみたい」
「そうか。……なら、話は早いな」
俺は剣の柄に手をかけ、魔法陣へと歩み寄った。
「ネロ、エレナ先生をしっかり抱えておけ。……豚狩りだ」
俺の言葉に、ネロが獰猛な笑みを浮かべて頷いた。
だが、その直後だった。
「……ちょぉーっと待ったぁ!」
パンパンッ!と手を叩きながら、最後尾にいた引率教師のジェシカが前に出てきた。彼女は葉巻チョコを噛み砕きながら、呆れたような、けれどどこか試すような目で俺を見た。
「おいおい、お前ら。ホンマにその魔法陣に飛び込む気か?」
「……何か問題でも?」
「大ありや。ええか?お前らは今、『ダンジョン実習』の最中や。このダンジョン内にいる限りは学園の管理下やけど……その魔法陣を通って『学園外』に出た瞬間、お前らは無断離脱として扱われる。つまり……この実習の単位は『落第(失敗)』になるんやで?」
ジェシカの言葉に、アリシアとクリスがハッと息を呑んだ。
「ら、落第……!?そ、そんな……。生徒会長たる私が、実習を途中で放棄して落第だなんて……!」
「ろ、論理的に考えて、ここで単位を落とすのは今後の研究活動に響くわね……」
エリートである彼女たちにとって「落第」という響きは、魔物よりも恐ろしいペナルティだった。
ジェシカは俺を見据え、口角を吊り上げた。
「どうするんや、ヴェルト?教師を助けたい気持ちは分かる。ウチもそのクソ貴族のやり方は反吐が出るほどムカついてる。……せやけど、お前は学園の生徒や。このままダンジョンを引き返して、学園長に報告すれば、学園側が正式にザイードに抗議してくれるかもしれんで?」
「学園が動くって?」
「ああ。確実とは言えんが、生徒の単位を守るならそれが『正解』や。……ここで学園のルールを破って、自分らの手で私刑をかますか。それとも、優等生らしく大人しく引き返すか。……お前はどっちや?」
それは、元Sランク冒険者としての、俺の『覚悟』を問う言葉だった。
俺は――迷うことなく、鼻で笑い飛ばした。
「……くだらんな」
「あん?」
「実習の単位?落第?……そんなもの、俺からしたら塵ほども興味ねぇ」
俺は首をコキリと鳴らし、魔法陣の前に立った。
「俺はアークライト家の当主だ。単位が足りなきゃ、金で学園ごと買収してやる。……だがな」
俺は、背後で眠るエレナ先生と、それを必死に抱えるネロを一瞥した。
「俺の仲間の女を泣かせた落とし前は、誰かに任せて済む問題じゃねぇんだよ。俺の平穏な学園生活を乱し、俺の視界で胸糞悪い真似をした豚は、俺自身の手でミンチにする」
俺はジェシカ先生を真っ直ぐに見据えた。
「学園のルールがどうだか知らんが……俺は俺の『悪徳領主の流儀』を貫くだけだ。……邪魔するなら、教師だろうが元Sランクだろうが踏みつぶす、俺にはその覚悟がある」
俺の啖呵を聞いたジェシカは、目を丸くして数秒間固まった。
そして――。
「カッカッカッカ!!アッハッハッハッハ!!」
腹を抱えて、盛大に笑い出した。
「傑作や!ホンマにお前、最高にええ性格しとるわ!『単位より自分の流儀』か!ええやんけ!そういうアホみたいな覚悟を持ったガキ、ウチは嫌いちゃうで!」
ジェシカは笑い涙を拭いながら、腰の鞭をバチンと鳴らした。
「ウチも教師やけど、元々は荒くれ者の冒険者や。ルールに縛られてムカつく奴を見逃すくらいなら、クビになった方がマシや。……お前らの『課外授業』、ウチも最後まで付き合ったる!」
ジェシカ先生の心強い(?)宣言。
それを見て、迷っていたアリシアとクリスも顔を見合わせた。
「……ええい、仕方がありませんわね!これも生徒会としての『巨悪の成敗』です!単位は後で学園長に直談判してもぎ取りますわ!」
「論理的に考えて、ここでヴェルトだけを野放しにする方が、後々学園が物理的に崩壊するリスクが高いわ。……私が監督としてついて行ってあげる!」
二人とも、なんだかんだで俺についてくる気満々だ。
「ヴェルト様!ザイード伯爵の屋敷、全部筋肉で更地にしてやりましょう!」
ニーナは最初から落第など気にしておらず、ナックルを打ち鳴らしてやる気十分だった。
「よし、全員一致だな」
俺はニヤリと笑い、ネロに視線を向けた。
「ネロ。待たせたな」
「……へっ。一生ついていくぜ、ヴェルト」
ネロが、涙を堪えるように鼻をすする。
「行くぞ!パーティの始まりだ」
俺の号令と共に、俺達は光を放つ転送魔法陣の中へと一斉に飛び込んだ。
目指すは王都貴族街。ザイード伯爵の本邸。学園のルールをガン無視した、容赦なき追い込みが、今まさに始まろうとしていた。




