77.閑話 虚ろな英雄と、砂糖菓子の檻
王立魔法学園、Aクラス。
選ばれたエリートだけが集う教室の最前列で、俺――アレクは、窓の外を流れる雲を眺めていた。
「勇者様!今度の休日は、私たちとティーパーティにいかがですか?」
「アレク様、この魔術理論について教えていただけませんか?貴方ほどの才覚なら造作もないでしょう?」
周りには常に人が群がっている。
貴族の令息、令嬢、あるいは才気あふれる魔術師たち。彼らは皆、俺に憧憬の眼差しを向け、媚びへつらう。
……鬱陶しい。
彼らの笑顔が、俺には能面のように張り付いた、精巧な仮面にしか見えない。世界そのものが、俺を騙すために作られた舞台セットなんじゃないかという錯覚すら覚える。
「……皆さん。アレク様はお疲れなのです。少し下がっていただけますか?」
不意に、鈴を転がすような甘い声が割って入った。
人垣をかき分けて現れたのは、一人の女子生徒だ。
プラチナブロンドの髪を縦ロールにし、陶器のように白い肌を持つ、人形めいた美少女。聖女とはまた違う、どこか冷たく整いすぎた容姿。
彼女の名は、セレスティア。通称セレス。
同じAクラスに所属する優秀な魔導師であり――入学初日から、なぜか俺に影のように付きまとっている女だ。
「さあ、アレク様。こちらへ。髪が乱れておりますわ」
セレスは俺の隣に座ると、慣れた手つきで俺の髪を撫でつけた。その指先は氷のように冷たく、触れられるたびに背筋に蟲が這うような悪寒が走る。
「……やめろ、セレス。子供じゃないんだ」
「ふふ、勇者様といえど、身だしなみは大切ですわ。貴方は教会の、いいえ、世界の希望なのですから。常に完璧でなくては」
彼女は微笑む。だが、その目は笑っていない。
彼女は自称「勇者の補佐役」だが、その正体が教会の息のかかった監視者であることは、薄々感づいていた。
俺が余計なことを考えないように。俺が「正しい勇者」の枠から外れないように、常に手綱を握っているのだろう。
(……俺は、何をしにここへ来たんだったか)
セレスの甘い香水の匂いに包まれていると、思考に霧がかかる。
『魔王を倒すため』『正義をなすため』。
教会の司祭たちはそう言った。俺は神に選ばれた勇者であり、学園で知識と力を蓄え、やがて世界を救うのだと。
ふと、自分の手を見る。
剣ダコ一つない、白くて綺麗な手。
だが、剣を握れば歴戦の騎士すら凌駕する絶技を繰り出し、魔法を使えば上級魔術すら無詠唱で発動する。
まるで、自分の体の中に「誰か別の人間」の技術が無理やり詰め込まれているような、奇妙な全能感と違和感。
『素晴らしい才能だ、アレク。君は生まれながらの英雄なのだよ』
教会はそう褒め称えた。だが、俺にはその実感がなかった。努力した記憶がない。苦労して何かを得た記憶もない。ある日目覚めたら、俺は「最強」だった。そもそも――俺には『子供の頃の記憶』が、すっぽりと抜け落ちていた。
「……ッ」
思い出そうとすると、こめかみに鋭い痛みが走る。ノイズ混じりの映像。田舎の風景。泥だらけの服。そして――誰かの笑顔。
『約束だよ、アレク!』
誰だ?誰なんだ?大切な約束をした気がする。その笑顔を見ると、胸が張り裂けそうに痛む。だが、その顔にはモザイクがかかったように霧がかかり、名前すら思い出せない。
「アレク様?また頭痛ですか?」
セレスが心配そうに覗き込んでくる。その手には、いつの間にか小瓶が握られていた。
「はい、お薬です。教会の特別製……『聖水』を濃縮したものですわ。これを飲めば、悪い夢は消えます」
彼女は慈母のような笑みで、俺の唇に小瓶を押し当てる。
拒絶しようとする意志とは裏腹に、体は従順にその液体を求めていた。甘くて、苦い、独特の味。それが喉を通ると、頭の中の霧が濃くなり、痛みと共に「疑問」までが溶けて消えていく。
「……ありがとう、セレス」
「いいえ。貴方はただ、与えられた使命だけを見つめていればいいのです。過去などという不純物は、英雄には必要ありませんわ」
彼女の言葉が、呪いのように耳に残る。俺は虚ろな目で、再び窓の外を見た。空の青ささえ、書き割りの背景のように嘘くさく見えた。
◆
入学式の日。
俺は「彼」を見た。
Fクラスの列に並ぶ、金髪のふてぶてしい男。
ヴェルト・フォン・アークライト。
教会から『監視対象』であり『教義を乱す異端』と教えられていた、悪徳領主の息子。
奴を見た瞬間、薬で麻痺していたはずの俺の感情が、ドス黒く波打った。憎しみ?いや、違う。もっと根源的な……『敗北感』にも似た焦燥。
(俺はあいつを知っている……?いや、会ったことはないはずだ。王都で一度すれ違っただけだ、王都で...いや塔でも?気のせいか?)
だが、俺の体は覚えていた。奴の前に立つと、無意識に剣の柄に手が伸びる。魂の奥底が「コイツには負けたくない」と叫んでいる。
そして、奴の隣にいる少女――あの栗色の髪の少女を見た時。
ズキンッ!!
脳髄を杭で打たれたような激痛が走った。知らない女だ。見たこともない。
なのに、なぜこんなに胸が苦しい?なぜ、涙が出そうになる?
(いや…偽聖女か…?)
『見ないで、アレク様』
セレスが俺の視界を遮るように立った。その顔は、氷のように冷徹だった。
『あれは悪魔に魅入られた偽物です。貴方の心を惑わす、汚らわしいノイズ。……関わってはいけません』
(ノイズ......?)
彼女は俺の腕を強く引き、その場から連れ去った。俺は振り返りたかった。
だが、体が鉛のように重く、セレスの力に抗うことができなかった。
◆
そして、数日が過ぎたある日。
俺は廊下で、信じられない光景を目撃した。
Fクラスの教室から、一人の教師が砲弾のように吹き飛ばされ、空の彼方へ消えていったのだ。
「……は?」
意味がわからなかった。
教師が生徒に指導(という名の虐待)を行っていたことは知っていた。ヨフセイとかいう男爵だ。俺はそれを黙認していた。セレスが、そして教会がそう言ったからだ。『秩序こそが正義です。教師という上位者に逆らうことは、社会の歯車を狂わせる悪行。たとえ理不尽でも、耐え忍ぶことが美徳なのです』と。
だから俺は、唇を噛み締めながら見過ごしていた。力が暴走しないように。感情を殺して、『良い子』でいるために。
だが、ヴェルトは違った。奴は躊躇なく、教師を殴り飛ばした。
権威も、秩序も、そして常識さえも。すべてを鼻で笑い飛ばし、ただ己の不快感だけで暴力を振るった。
「……野蛮な愚か者め...」
口ではそう罵った。
だが、俺の目は奴から離せなかった。
(本当にそうなのか?)
なぜ、あんなにも清々しい顔をしている?
俺が押し殺し、飲み込んできた言葉を、奴は拳に乗せて解き放った。その姿が、ひどく眩しく、そして妬ましかった。
俺という存在が、教会によって綺麗に整えられた『観賞用の造花』であるなら、奴は泥水の中でも勝手に根を張り、アスファルトを突き破って咲く『雑草』のようだった。
「見苦しいですわね」
隣でセレスが吐き捨てるように言った。
「暴力でしか語れない獣。あれが貴方と同じ世代だなんて、虫唾が走ります。……行きましょう、アレク様。貴方が見るべきものではありません」
俺は無言で頷いた。だが、心臓の鼓動だけは、いつまでも早鐘を打っていた。
◆
そして、学級裁判の日。俺は最前列で、その茶番劇を見ていた。
生徒会長のアリシアが、魔道具を使ってヴェルトを断罪しようとする。だが、ヴェルトは檻の中で退屈そうにあくびをし、あろうことか魔道具の不正を暴き立てた。
そして、影の魔物が現れた時。
「……ッ!」
俺の体は、思考するよりも先に動いていた。セレスの「静観なさい」という制止を振り切り、俺は聖剣を抜いて飛び出した。目の前で生徒たちが襲われている。体が勝手に動く。
斬る。斬る。斬る。
聖剣が閃くたびに、影の魔物が霧散する。効率的に。無駄なく。……まるで精密機械のように。
(……手応えがない)
倒しても倒してもキリがない。焦りが募る。そんな中、奴が動いた。
「――邪魔だッ!!」
ヴェルトが、あの栗色の髪の従者――ニーナとかいう女と共に、戦場を蹂躙し始めた。ニーナが巨大な長椅子を振り回して魔物を吹き飛ばし、ヴェルトが教師であるヨフセイをデコピンで空へ打ち上げる。
デタラメだ。滅茶苦茶だ。
だが、そこには確かな「意志」があった。誰かに命じられたから戦うのではない。自分の意思で、自分の守りたいもののために戦う強さ。そして何より、彼らの間には確かな「信頼」があった。背中を預け合い、言葉なく通じ合う、血の通った絆が。
(俺には……ない)
俺の周りには常に人がいる。セレスがいる。
だが、誰一人として、俺の背中を見てはいない。彼らが見ているのは「勇者」という肩書きと、俺がもたらす利益だけだ。
全てが終わった後。ヴェルトはヨフセイを空の星に変え、アリシアに『罰』として生徒会長を続けろと言い放った。生徒達は恐れながらも彼を称賛し、彼はそれを不敵な笑みで受け流して去っていく。
「……」
俺は剣を収め、奴の背中を睨みつけた。
俺は『勇者』だ。勇者のはず...だ。
世界を救うために作られ、育てられ、ここにいる。教会の教えこそが正義で、秩序こそが善だと信じてきた。
なのに、なぜ。あの『悪徳領主』の方が、よっぽど人間らしく、そして「勇者」らしく見えるんだ?
「……アレク様。お怪我はありませんか?」
セレスが駆け寄ってくる。彼女はハンカチを取り出し、俺の頬についた煤を丁寧に拭き取った。
「あのような野蛮人と関わっては汚れますわ。さあ、戻りましょう。教会へ報告しなくては」
彼女の手が、俺の腕に絡みつく。それは甘えるような仕草に見えて、その実、俺を逃さないための鎖のようだった。
「……ああ」
俺は短く答え、踵を返した。胸の奥の痛みは、まだ消えない。頭を打って忘れたはずの記憶。その空白の穴を埋める答えは、この砂糖菓子のように甘く、冷たい檻の中にはない気がした。
◆
――そして今。
Aクラスの教室に、新たな通達が届いていた。
「全学年合同、ダンジョン実習のお知らせよ!Aクラスの底力見せてあげましょ!」
Aクラスの担任が高らかに宣言する。
当然Fクラスも参加する。
再び、奴と相見えることになる。
「……下位クラスと合同なんて、時間の無駄ですわね」
隣の席で、セレスが不快そうに顔をしかめた。
「アレク様。あんな落ちこぼれ達に関わる必要はありませんわ。私たちは最短ルートで攻略し、さっさと戻りましょう。……貴方が彼らと接触することを、教会もお望みではありません」
彼女は釘を刺すように、俺の手を握りしめる。いつもなら、俺は黙って頷いていただろう。面倒ごとは避ける。それが「良い子」の役割だから。
だが、今回だけは違った。
(……ヴェルト・フォン・アークライト)
俺は握りしめられた手の中で、密かに拳を作った。
奴は何者なのか。
なぜ、あんなにも自由で、強いのか。
そして、俺が失った記憶の中にいるはずの『誰か』と、奴の隣にいるあの少女が、なぜ重なって見えるのか。
「……いや、参加する」
「え?」
セレスが驚いたように目を見開く。俺は彼女の手をそっと外し、真っ直ぐに前を見据えた。
「これは実習だ。手を抜くわけにはいかない」
それは建前だ。
だが、確かめなければならない。
俺自身が何者なのかを知るために。あの悪徳領主と向き合い、そのメッキを剥がしてやる必要がある。あるいは――メッキが剥がれるのは、俺の方か。
「……そうですか。アレク様がそう仰るなら」
セレスは一瞬だけ不満そうな顔をしたが、すぐに人形のような完璧な微笑みに戻った。
「では、私も全力でサポートいたしますわ。……悪い虫がつかないように、しっかりと見張っておかなくては」
その瞳の奥に、冷たい監視の光が宿るのを感じながら、俺は聖剣の柄を強く握りしめた。
その輝きは冷たく、鏡のように俺の顔を無機質に映し出していた。映った自分の顔は、どこか仮面のように空虚に見えた。
ダンジョンの闇の中で、俺は何かを見つけることが出来るのだろうか。




