70.エリート教師の教育的指導
強烈な個性を持つ担任、ヨフセイ・バレッタ・ドーシ男爵による衝撃的な着任宣言から数時間。
昼休みを挟み、俺のFクラスでの生活は、当初の静かに暮らすという目標とは真逆の方向へと全力疾走していた。
廃屋同然の校舎には、重苦しい静寂と、奇妙な活気が同居している。
「……はぁ、はぁ。な、なんで私がこんなことを……」
午後の予鈴が鳴る少し前。教室の扉が開き、肩で息をする少女が入ってきた。
場違いに豪華な制服をまとった、本来ならここにいるはずのないAクラスの優等生、クリスだ。彼女の手には、少し潰れたビニール袋が握られている。中身は、学園購買部で壮絶な争奪戦が繰り広げられるという幻の『特製焼きそばパン』。
「おい、遅かったなドラグノフ。……いや、クリス」
俺が声をかけると、クリスは乱れた髪をかき上げながら、恨めしそうに俺を睨みつけた。
「名前呼びは許可したけど、パシリまで許可した覚えはないわよ!なんで私が、あの大戦争状態の購買部に特攻しなきゃいけないのよ!?」
「俺が行くと変に騒ぎになるかもしれないだろ?それに、お前が『研究対象の生存維持に必要なカロリー摂取を観測したい』とか、わけわからん事を言い出したんだろうが」
「うぐっ……!そ、それはそうだけど……!でも、あのおばちゃん達の圧力は予想外だったわ……!」
クリスはブツブツと文句を言いながら、自分の席――俺の隣に無理やり設置させた席――ではなく、窓際の席へと歩み寄った。そこには、机に突っ伏し、周囲に冷気を撒き散らしているフィオナがいる。
「……ほら、買ってきたわよ。貴女の熱望していた焼きそばパン」
ドン、と机に置かれたパンの気配に、フィオナがピクリと反応した。彼女はナマケモノのような速度で顔を上げ、虚ろな瞳を一瞬だけ輝かせた。
「……あ。……焼きそばパン……」
その声は震えていた。
彼女にとって、これはただの食事ではない。太陽の下に出ることを拒絶し、教室という結界に引きこもる彼女にとって、唯一外界と繋がる希望の光なのだ。
「……ありがとう、使い魔。……これで、今日も生き延びられる……」
「誰が使い魔よ!」
クリスのツッコミも虚しく、フィオナは震える手でパンを握りしめ、幸せそうに頬ずりをした。その光景を見て、俺は小さく息を吐いた。
平和だ。
窓ガラスは割れ、壁には蔦が絡まり、床は腐りかけているが、ここには確かに奇妙な平穏があった。勇者の監視という名目で送り込まれた俺にとって、この掃き溜めのような場所は、案外悪くない隠れ家になりつつあったのだ。
――だが。そんなささやかな平穏は、無慈悲なチャイムの音と共に粉砕された。
キーンコーンカーンコーン……♪
場違いに優雅で、どこか神経を逆撫でするようなチャイムの音。それは、ヨフセイが持ち込んだ私物の魔道具から鳴り響いていた。
「――サァ!授業を始めマース!ゴミにはゴミの、身の程をわきまえた教育が必要デースからね!」
教室の扉が乱暴に開け放たれ、ヨフセイが入ってきた。フリルたっぷりのコートをなびかせ、教卓に立つなり、長い指示棒をビシビシと黒板に叩きつける。その顔には、底意地の悪い笑みが張り付いていた。
彼の背後には、彼が引き連れてきた取り巻きであろう数名のエリート学生たちが、ニヤニヤとこちらを見下ろしている。どうやら「劣等生の見世物小屋」を見学に来たらしい。
「オオゥ!今日もここはドブ川のような臭いがしマースね!私の高貴な鼻が曲がりそうデース!」
ヨフセイは大げさに鼻をつまみ、蔑むような視線を教室中に這わせた。
「今日の課題は『魔力制御の基礎』デース。……もっとも、ここにいる欠陥品共に、高尚な魔法が扱えるとは思っていマセンがネ!ハッハッハ!」
取り巻きの学生たちが、追従するように下卑た笑い声を上げる。クリスが不快そうに眉をひそめ、ニーナが俺の背後で拳を握りしめる音が聞こえた。
「……うるさい教師だな。授業する気がないなら帰ってくれないか?」
俺が気だるげに言うと、ヨフセイの細い目が爬虫類のように細められた。
「オオゥ?口答えデースか、ノー・マジック・ボーイ?魔力ゼロの分際で、教師に意見するとはいい度胸デースね!」
彼はカツカツと足音を立てて教壇を降り、教室の隅――一番窓際へ歩み寄った。そこには、まだ焼きそばパンを抱きしめたまま、うつらうつらと微睡んでいるフィオナがいた。
「おいコラ!起きるデース!私の神聖な授業中に居眠りとは、いい度胸デースね!」
バンッ!!
ヨフセイが指示棒でフィオナの机を激しく叩く。フィオナがビクリと肩を跳ねさせ、寝ぼけ眼で顔を上げた。
「……んぅ……。あ、死霊騎士……パン……」
「寝ぼけてるンデースかこの薄汚い女は!没収デース!」
ヨフセイはフィオナの手から焼きそばパンをひったくると、そのまま床に投げ捨て、ピカピカに磨かれた革靴でグリグリと踏みにじった。
「下民の餌は床がお似合いデース!」
グチャリ。
ビニールが破れ、ソースと麺が床に散らばる嫌な音がした。
「あ……」
フィオナの目が点になる。潰れたパン。漏れ出る焼きそば。それは彼女が「働きたくない」という強い意志を曲げてまで手に入れた、今日の唯一の幸福だったはずだ。クリスが命がけの行列に並び、勝ち取ってきた戦利品が、ただの悪意によってゴミへと変えられた瞬間だった。
「……私の、パン……。購買のおばちゃんの行列に、命がけで並んでもらったのに……」
「ちょっと!私が苦労して手に入れた焼きそばパンになんてことを!あの激戦区を制した私の努力をなんだと思ってるのよ!」
フィオナの絶望に続き、クリスも悲鳴のような抗議の声を上げた。
「ハッ!教室は食堂じゃないデース!それに、そんな下民の餌のような食べ物、この神聖な学び舎には相応しくないノデースよ!」
ヨフセイは高笑いし、さらにフィオナの周囲に漂う冷気を見て、鼻をつまんだ。
「それに何デースかこの湿気た空気は!魔力制御もできない無能が、冷気を垂れ流して……迷惑なんデースよ!これだから落ちこぼれは!」
フィオナの瞳から光が消え、彼女は再び机に突っ伏した。その背中からは、「世界を呪う」というよりは、「もう何もかもどうでもいい」という深い絶望と諦めが漂っている。
パキリ……。
教室の隅で、何かが折れる音がした。それはフィオナの心か、それとも――。
「……ひどいです」
静かだが、怒りを孕んだ声が響いた。ニーナだ。彼女は立ち上がり、震える拳を握りしめてヨフセイを睨みつけた。
「フィオナさんは……今日それだけを楽しみにしてたんです……それに、フィオナさんは体調が悪そうなのに!教師なら、生徒の体調を気遣うべきじゃないですか!?」
「オオゥ?口答えデースか?元・平民のメイド風情が!」
ヨフセイは嘲るような視線をニーナに向けた。
「聞き及んでいマースよ。貴女、教会から破門された『聖女候補』だそうデースね?聖女の力を失い勇者から見放され、ただの力自慢のメイドに成り下がったんデースか?」
「っ……!」
ニーナが息を呑む。
もちろん聖女の力が失われたなんて事はないが、それは彼女が一番気にしている古傷だ。結果としてアレクに置いていかれ、忘れられた。それを、この男は面白おかしく嘲笑った。
「神に見放された惨めな女!貴女のような存在が、私の視界に入ること自体が不愉快なのデース!……罰として、廊下で立っているデース!あ、ついでに廊下の掃除も命じマース!」
理不尽な命令。だが、教師という絶対的な立場を利用した、陰湿ないじめ。ニーナが唇を噛み締め、反論しようとしたその時。
「――おい」
俺は足を組み替えた音をわざとらしく響かせ、気だるげに声をかけた。
「授業ってのは、教師のストレス発散の場なのか?随分と低レベルな『教育』だな」
教室の空気が凍りつく。ヨフセイがゆっくりと振り返り、爬虫類のような細い目で俺を捉えた。
「……オオゥ。言いましたネ?魔力ゼロの『欠陥品』が」
ヨフセイがニタリと笑う。その笑顔は、獲物を見つけたハイエナのようだった。
「いいデショー。そんなに授業が受けたいなら、特別レッスンをしてあげマース」
彼は懐から、赤く輝く魔石を取り出した。それを見た瞬間、隣の席にいたクリスが「っ!?」と息を呑み、椅子を蹴って立ち上がった。
「あれは『封炎石』……!ちょっと、貴方正気!?中級以上の攻撃魔法が封印されている危険物よ!教室で使うものじゃないわ!」
「実技演習デース!アナタは確かにAクラスデースが、この場においては特別聴講生!口を挟まないでいただきマース!」
ヨフセイは聞く耳を持たず、魔石を俺に向けた。
「これから私が放つ魔法を、魔法障壁で防いでみせるデース。……ああ、失敬!貴様は魔力がないから、障壁なんて張れないでシタねぇ!?」
教室に、取り巻きの生徒たちの下卑た笑い声が響く。これは授業ではない。公開処刑だ。抵抗できない相手を一方的に痛めつけ、自分の優位性を誇示するための、卑劣なショー。
「避けても構いませんガ……後ろの席には、その死に損ないの死霊術師(笑)がいマースよ?貴様が避ければ、彼女が丸焦げデースネ!」
フィオナがビクリと震える。彼女はまだ机に突っ伏したままだ。逃げ場はない。俺が避ければ、確実に彼女に当たる射線だ。
「さあ!教育的指導の時間デース!その無能な身体で、魔法の偉大さを味わうがいいデース!!」
ヨフセイが魔石を起動させる。膨れ上がる熱量。放たれるのは、中級火炎魔法『フレイム・ランス』。直撃すれば大火傷では済まない。
「ヴェルト様!」
「結界もない教室でまともに食らったら焼け死ぬわよ!」
ニーナが悲鳴を上げ、クリスが止めに入ろうと動く。
後ろのフィオナは逃げようともしなかった。彼女は迫りくる炎ではなく――床に転がり、無惨に踏み潰された焼きそばパンを、涙目で見つめていたのだ。
(……あぁ。一口も、食べられなかったな……)
そんな、諦めにも似た声が聞こえた気がした。
その最中、俺は席を立たなかった。ただ、退屈そうに頬杖をつき、目の前の「悪役」を見つめただけだ。
(……やれやれ。パンを潰し、女を泣かせ、弱い者いじめか)
俺の中の『悪徳領主ロール』が、冷ややかに告げる。――美学がねぇ。
一瞬、教室から音が消えた。チャイムの余韻だけが、どこかで鳴り続けている気がした。熱だけが、先に頬を撫でる。
俺は心の中で、自分だけに聞こえる声で呟いた。
「……三流が」
俺がつぶやいた瞬間、炎の槍が俺の顔面へと迫った。
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