68.圧倒そして決着
「舐めるなですって?それはこっちのセリフよ!」
クリスが細剣を指揮棒のように振るうと、闘技場の空中に無数の幾何学模様――魔導演算式がホログラムのように浮かび上がった。その数は百や千ではない。視界を埋め尽くすほどの情報の奔流が、彼女を中心に渦を巻く。
「光栄に思いなさい、野蛮人。貴方はこれから、この国始まって以来の『魔法の極致』の実験台になるのよ。そして、私の理論の正しさを証明するだけの『数値』に成り下がるの!」
クリスの表情が、陶酔と嗜虐で歪む。彼女は自分自身に酔っていた。この完璧な理論、美しい数式、そしてそれを操る自分という絶対的な才能に。
「――『共振破砕終局理論』!!」
クリスの叫びと共に、闘技場の空気が一変した。
(技名が中二病すぎる......)
それは火や氷といった目に見える現象ではない。空間そのものを震わせる不可視の高周波のうねり。物質の結合を根底から解体する「死の数式」が、光の奔流となって俺へと殺到する。
観客席の教師たちが、顔色を変えて立ち上がった。
「馬鹿な、新入生があのレベルの術式を使えるのか……! バルザス、止めろぉ! 結界の処理能力を超えるぞ!」
だが、審判のバルザスは動かない。
それどころか、俺が消滅する瞬間を期待して、醜く口角を吊り上げている。
「朽ち果てなさい!私の理論の中に、貴方の居場所なんてないのよ!」
クリスの放った光が、俺の全身を包み込んだ。物質の固有振動数を強制的に同調させ、分子レベルで粉砕する波動。防ぐ術など、この世界の魔法理論には存在しない。
――しかし。
(うーん、眩しいな)
その光のうねりが俺に到達する直前、俺は無造作に右腕を横に一閃した。
パァンッ!
乾いた音が響くと同時に、クリスが心血を注いで展開した極致の術式が、まるでただの煙のように霧散した。
「えっ……消えた?う、嘘でしょ!?どういうことよ!コイツが防御魔術を発動した形跡なんて、どこにもなかったのにぃ!!」
クリスの叫びが闘技場に虚しく響く。魔導師にとって、魔力の流れが観測できない現象は恐怖でしかない。俺が腕を一振りしただけで、彼女の極致術式は「霧散」という結果だけを残して消滅した。
「世の中には理屈じゃ説明がつかないこともあるんだよ……幽霊とか」
この微妙な空気に耐えられない俺が光の残滓を割りながら歩み寄ると、クリスは狂乱したように首を振った。
「馬鹿な事言わないで!幽霊ならアンデッド系の魔物よ!論理的に除霊可能だわ!でも、貴方は……貴方の現象は、意味が分からない……ッ!」
「あー……(そういや、この世界には幽霊も普通にいるんだったか)」
文化の差を痛感しつつも、俺は一歩、また一歩と距離を詰める。
「あ……あ……」
クリスの碧い瞳が、恐怖に染まる。
彼女が一生をかけて積み上げた魔導理論の全てが、目の前の男の「ただ歩くだけ」「ただ腕を振るだけ」という、あまりに低俗で純粋な物理現象に完敗したのだ。もっともクリス本人は物理で自分の魔法が吹き飛ばされているとは夢にも思っていない訳だが。
そして、当のヴェルトはこの雑事を終わらせるべく、何気なく歩いているだけである。
俺は彼女の目前で立ち止まり、無造作に右拳を突き出した。
「悪いな、お嬢様。……本気で殴ると消し飛んじまいそうだからな。指先一つで勘弁してやるよ」
俺は、彼女の額に向けて、無造作に、本当に軽く右手の指を曲げた。
「それって、どういう――」
――デコピンだ。
ドォォォォォォォォォンッ!!!!!
クリスが言い切る前に闘技場全体を、地響きのような衝撃波が突き抜けた。
俺が指先を弾いた瞬間に生じた「空気の弾丸」が、クリスの展開していた全ての障壁を紙細工のようにぶち抜き、彼女の身体を後方へと弾き飛ばす。
「がっ……!?」
クリスは、文字通り「弾丸」となって後方の外壁に激突した。
救済結界が過負荷で真っ赤に発光し、彼女の肉体が砕けるのを阻止するために全力で魔力を消費する。凄まじい砂煙が舞い上がり、石造りの壁には巨大なクレーターが刻まれた。
静寂。
講堂で水晶を壊した時以上の、地獄のような静寂が闘技場を支配した。
「……もしかして、やりすぎたか?」
俺が軽く拳を振った時、ようやく砂煙が晴れていった。
そこには、石壁に刻まれたクレーターに背を預け、力なく膝をつくクリスの姿があった。
「……あ、……ぁ……」
自慢の赤髪はポニーテールが解けて乱れ、気品に溢れていた制服も、今の衝撃で袖や裾が激しく破れ、痛々しく汚れている。衝撃の余波だけで彼女の膨大な魔力は底を突いたのか、肩を上下させて激しく呼吸をするのが精一杯といった様子だ。
「……負け……た?私の…………ただの、指先で……?」
クリスは震える手で自分の額に触れ、放心していた。
「審判、これはもう無理だろ」
ヴェルトに催促され、審判のバルザスが、震える声を絞り出す。
「くぅ……しょ、勝者、ヴェルト・フォン・アークライト……ッ!」
その宣言が響いても、観客席からは拍手一つ起きなかった。彼らが目撃したのは、魔法の技術ではない。ただの「デコピン」による、あまりに理不尽な蹂躙だったからだ。
「……俺、平和な学園生活に戻れるのか?てか、まだ始まってすらいないんだが。前途多難すぎる」
俺がニーナたちの元へ戻ろうと背を向けた時、背後から掠れた声が聞こえた。
「……待ちなさい……ヴェルト……」
ボロボロになりながら、クリスが必死に立ち上がろうとしていた。
その瞳には、敗北への屈辱だけでなく、何か狂気的な「熱」が灯っている。
「……約束は、守るわ……ドラグノフ家の名に……懸けて。私は今日から……貴方の『従者』よ。いいえ、貴方という『特異点』を、一番近くで観測し、正しく再定義する権利を手に入れたと思えばいいわ!」
「……は?」
「勘違いしないでよね!屈したわけじゃないのよ!ただ、私の魔導理論を全否定した貴方の正体を、解明してあげなきゃいけないって……義務感に駆られているだけなんだから!」
「いや、いらんけど」
「そうでしょそうでしょ!この完璧美少女の私が従者にー」
「面倒そうだし、やっぱ無しで」
「誰が面倒な女よ!」
「えぇ....」
俺の心底嫌そうな声に、クリスは顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
「『えぇ...』じゃないわよ! この私が、わざわざプライドをゴミ箱に投げ捨ててまで、貴方の私生活を管理して……いえ、観測してあげると言っているのよ! これ以上の光栄が人生にあると思う?」
「どう考えてもマイナスだろ。俺の平穏が死滅する未来しか見えないんだが」
「ふん、私の耳は論理的に都合の悪い情報をシャットアウトするように構築されているのよ!そもそも、この私の自尊心をデコピン一発でへし折っておいて、はいサヨナラなんて因果律が許すはずがないでしょう!」
「……ただの逆恨みじゃねーか」
そうまくし立てながら、クリスがなりふり構わず距離を詰めてくる。ボロボロになった制服の袖をさらに振り乱し、獲物を追い詰める肉食獣のような目つきで、俺の胸ぐらや腕を掴もうと手を伸ばしてきた。
「おい、寄るな。服を引っ張るな。……助けて!審判!この暴走お嬢様を早く連れていって!」
ツンデレ気質な言い回しと謎の執着心を見せるクリス。俺の「静かな学園生活」の難易度が、また一段上がった音がした。
「……ネロ。あとでアイス作っておいてくれ。今の俺には癒しが必要だ」
「ヒヒッ、よかったじゃねーか悪徳領主?お前の人生に『平穏』なんて確率はそれこそ、ゼロなんだよ」
こうして、学園最強の天才を打ち負かした俺は、その直後、学園側から上流階級が集まる上位クラスに入れるには「危険すぎる」と判断される。
そして言い渡されたのは、王都のゴミ溜めと称される特設クラス――Fクラスへの左遷だった。
ちなみに勇者アレクは最上位のAクラス。
「俺って勇者の監視目的で学園に入れられたんじゃなかったのか?」
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