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7. 父の帰還と、使用人たちの異常な忠誠

――そして、ついにその時は来た。


 俺が転生してから3年という月日が流れた。季節は巡り、俺、ヴェルト・フォン・アークライトは13歳になった。


 ゲーム『ドラグーン・ファンタジア』において、13歳という年齢は物語の始まりを意味する。辺境の村を旅立った勇者が、最初の敵として悪徳領主の息子であるヴェルトを倒しに来る、運命の年だ。


 だが、その「メインイベント」の前に、どうしても処理しなければならない「極めて不快なサブイベント」が発生した。


「……ヴェルト様。申し上げにくいご報告がございます」


 朝、執務室に入ってきたセバスチャンが、まるで腐った牛乳を飲んだような、苦渋に満ちた表情で口を開いた。


「あの方が……お戻りになられます」


 あの方。言うまでもない。この領地の正当な主であり、俺の生物学上の父親。そして、全ての悪評の元凶であり、領民から蛇蝎のごとく嫌われているベルン・フォン・アークライト子爵だ。


「父上が帰ってくるのか。予定より随分と早いな」


 俺は鏡の前で、身だしなみを整えながら答えた。鏡に映るのは、13歳にして身長170センチ、ギリシャ彫刻のように研ぎ澄まされた肉体美を持つ青年の姿だ。盛り上がった僧帽筋、浮き出る血管。シャツの上からでも分かる分厚い胸板。


【名前】ヴェルト・フォン・アークライト

【年齢】13歳

【レベル】65

【HP】25000

【MP】8000

【筋力】1800

【防御】1500

【敏捷】1650

【スキル】<忍耐 Lv9><帝王剣術 Lv.9><解体 Lv.9><料理 Lv.9><鑑定 Lv.4>


 レベル65。開発者の消し忘れた『デバッグ用成長補正』をフル活用し、この3年間、死に物狂いで鍛え上げた結果だ。もはや人間という枠組みを超越した領域に達している。


 そんな俺にとって、腐敗貴族の父親など、道端の小石にも等しいのだが――。一応、けじめはつけておこう。


「お出迎えの準備をしろ、セバス。使用人全員を正門前に集めるんだ」


「……本気でございますか?彼らは皆、今の『平穏』を守るためなら、旦那様を害することすら厭いませんよ?」


「構わん。俺が手綱を握る。それに、父上に今の『アークライト家の実情』を見せてやるいい機会だ」


         ◆  


 数時間後。屋敷の正門前には、異様な緊張感が漂っていた。


 俺とセバスチャン、そして屋敷で働く50名ほどの使用人たちが、整然と並んでいる。庭師、料理人、厩番、下働きのメイドたち。彼らは一様に背筋を伸ばし、一言も発さず、ただ静かにその時を待っていた。


 やがて、遠くから蹄の音が聞こえてくる。現れたのは、金箔や宝石で過剰に装飾された、悪趣味極まりない馬車だった。車輪が回るたびにギシギシと悲鳴を上げているのは、中に乗っている人物の重量のせいだろう。


 馬車が止まり、従者が扉を開ける。


 ドスンッ!!


 重量感のある着地音と共に、一人の男が降り立った。ワインレッドの高級な貴族服。はち切れんばかりに膨れ上がった太鼓腹。脂ぎった顔に、欲深そうな細い目。首にはジャラジャラと音がするほどの宝石類。


 我が父、ベルン子爵。まさに「3年前の俺の完成形」とでも言うべき、典型的な悪徳貴族の姿がそこにあった。


「ふん!相変わらず田舎臭い領地だ!空気まで貧乏臭く感じるわ!」


 降り立つなり、父上は絹のハンカチで鼻を押さえ、悪態をついた。そして、整列している使用人たちを見回し、傲慢に顎をしゃくった。


「おい、そこの下働きども!ボーッとしてないでさっさと荷物を運べ!私の大切なコレクションが入っているんだ、傷一つつけたら即刻処刑だぞ!分かったら返事をせんか!」


 父上の怒鳴り声が響く。本来なら、使用人たちは怯え、ペコペコと頭を下げて蜘蛛の子を散らすように動き出す場面だ。


 ――だが。


 シーン……。


 誰も動かない。返事一つしない。50人の使用人全員が、直立不動のまま、石像のように微動だにしなかった。


 彼らの目は、父上を見ているようで見ていない。まるで「道端に落ちている汚物」でも見るかのような、無機質で、冷徹で、軽蔑を含んだ眼差しだ。


「あ、ああん?なんだ貴様ら、耳が聞こえんのか!?領主である私の命令だぞ!誰に雇われていると思っているんだ!!」


 父上が顔を真っ赤にして喚き散らす。それでも、使用人たちはピクリとも反応しない。瞬き一つしない。彼らにとって、目の前の太った男は「領主」などではない。ただの「騒音源」でしかないのだ。


 彼らが唯一見ているのは、父上ではなく――その眼前に立つ、ヴェルトだけだった。


「……ヴェルト様のご命令がなければ、我々は指一本動かしません」


 最前列にいた、熊のような大男――庭師のガンツが、ボソリと呟いた。彼は以前、森で熊に襲われたところを俺が助け、病気の娘に薬を与えたことで、俺に対して狂信的な忠誠を誓っている男だ。その手には、いつもより鋭く研がれた剪定バサミが握られている。


「な、なんだとぉ!?クビだ!貴様ら全員クビにしてやる!」


 父上が絶句し、泡を吹いて怒り狂う。これ以上放置すると、庭師が「害虫駆除」を始めかねない。俺は小さくため息をつき、軽く右手を挙げた。


 たったそれだけの動作。


 ザッ!!


 瞬間、50人の使用人たちが、軍隊のような統率で一斉に動き出した。一糸乱れぬ動きで馬車へ向かい、荷物を運び出し、馬の手入れを始める。その動きには一切の無駄がなく、機械的で、そして父上への敬意も一切なかった。


「な、なんなんだコイツらは……気味が悪いぞ……」


 父上が後ずさりする。無理もない。この3年間、俺は彼らと共に働き、共に魔物と戦い、同じ釜の飯を食ってきた。その結果、使用人たちの忠誠心は、領主(父)ではなく、ヴェルト個人へと完全に書き換わってしまっているのだ。いわば、全員が「ヴェルト親衛隊」だ。


「お久しぶりです、父上。ヴェルトです。使用人たちは私の教育が行き届いておりますので、ご安心を」


 俺が恭しく一礼すると、父上は忌々しそうに俺を睨みつけた。


「ふんっ!誰かと思えばヴェルトか!なんだその貧乏くさい筋肉は!それにその生意気な目つき!私の息子なら、もっと丸々と太って富を誇示せんか!この恥晒しめ!」


 父上にとっての価値観は、脂肪の量らしい。俺の努力の結晶を「恥晒し」呼ばわりとは、流石悪徳貴族...いい度胸だ。


「まあよい、それより金だ!今すぐ金庫の金をすべて出せ!王都での政治活動に金がかかるのだ!」


 開口一番、これだ。セバスチャンが「領地経営のため、余剰資金はございません」と答えると、父上は逆上して杖を振り上げた。


「な、なんだとぉ!?たかが領民や使用人風情に金を使ったというのか!ええい、役立たずめ!ならお前を奴隷商に売って……」


 杖を振り上げた父上の視線が、ふとセバスチャンの後ろに控えていたマリアに向いた。


「ん……?おお、その顔。マリアか?」


 父上の細い目が、ねっとりと細められる。


 その瞬間、周囲の空気が氷点下まで凍りついた。使用人、全員の視線が――明確な殺気を孕んだ鋭い視線が、一斉に父上に突き刺さる。だが、父上はその殺気に気づかない。欲望で目が曇っているからだ。


「ほう……。3年見ないうちに、随分と上玉になったではないか。ヒョロヒョロとしたガキだと思っていたが…胸も尻も、いい具合に熟れている。これなら王都の高級娼婦にも引けを取らん、ヴェルトの母親だったメイドも上玉だったが…」


「っ……!」


 マリアの肩がビクリと跳ね、顔色が蒼白になる。ガタガタと震える彼女を、父上は舌なめずりしながら品定めしていた。


「ちょうどいい。長旅で溜まっていたんだ。おいマリア、私の部屋へ来い。可愛がってやる。セバスの教育が行き届いているか、私の身体でたっぷりと確かめてやらんとなぁ!」


 父上は下卑た笑みを浮かべてマリアの方へ歩み寄り、その細い手首を乱暴に掴もうとした。


 ブチッ。


 俺の中で、何かが完全に切れる音がした。それと同時に、周囲の使用人たちが「ザッ」と一歩踏み出す気配がした。庭師は剪定バサミを逆手に持ち、料理長はフライパンを鈍器のように構え、メイドたちは隠し持っていたナイフに手をかけている。俺が止めなければ、父上はここで「不幸な事故」により、全身を50分割されていただろう。


「……離せ」


「ああん?なんだヴェルト、貴様も混ぜてほしいのか?まったく、好き者め――」


 バキィッ!!


「ぎゃあああああああっ!?」


 乾いた破砕音と共に、父上の絶叫が屋敷中に響き渡った。俺が、マリアに触れようとした父上の手首を、万力のような力で握り潰したからだ。骨が砕け、肉が悲鳴を上げる感触が手に伝わる。


「い、痛い!折れる!腕が折れるぅぅ!」


「汚い手で、俺の大事なマリアに触るなと言ったんだ」


「き、貴様ぁぁ!親に向かって何を!おい!護衛の騎士たちよ!この乱心したガキを斬り捨てろ!殺せぇぇ!」


 父上の命令で、馬車の後ろに控えていた4人の護衛騎士が抜剣した。王都で雇った傭兵だろうか。レベルは20前後。彼らは殺気立って俺に向かってくる。


 だが。俺が動く必要すらなかった。


 ヒュンッ!ガキンッ!ドゴォッ!


「ぐああっ!?」「な、なんだ!?」


 騎士たちが次々と吹き飛ばされた。庭師が投げた石礫が騎士の兜を凹ませ、料理長が投げたフライパンが騎士の顔面にめり込み、メイドたちが投げたナイフが、騎士の鎧の隙間を正確に貫いて動けなくしていた。そしてトドメとばかりに、セバスチャンが投げた数本のシルバーナイフが、騎士たちの剣を弾き飛ばし、壁に縫い付けた。


「ヴェルト様の御前であるぞ!控えろ下郎ども!」


 セバスチャンの一喝。普段温厚な執事が放つ、凄まじい覇気に、騎士たちは完全に戦意を喪失し、その場にへたり込んだ。


 これが、俺の自慢の使用人たちだ。その連携と忠誠心は王国の騎士団にも劣らない。


 俺は尻餅をつき、手首を押さえて泣き喚く父上を見下ろした。


「父上。どうやら長旅でお疲れのご様子だ。頭も少しおかしくなられたようだ」


「ひ、ひぃぃぃ……!」


「領地の経営は、引き続きこのヴェルトにお任せください。父上は……そうですね、屋敷の地下牢……いや、奥の特別室で、永遠に『隠居』されてはいかがでしょう?」


 俺は【威圧】スキルを解放した。レベル65の殺気が、物理的な重圧となって父上を押し潰す。


 ゾクリ。父上は白目を剥いて痙攣し、股間から生温かい液体を漏らして気絶した。


「セバス、そして皆。父上を部屋へぶち込め。……丁重にな。ああ、逃げ出さないように、窓とドアは塞いでおけ」


「「「御意!!」」」


 俺の命令一下。使用人たちは歓喜の声を上げ、気絶した父上の手足を掴んで(まるで粗大ゴミのように)運び出した。その表情は晴れやかで、長年の悪政から解放された喜びと、新たな主(俺)への狂信的な忠誠に満ち溢れていた。


         ◆  


 父上がドナドナされていった後。俺は震えているマリアの方へ向き直った。


「マリア、大丈夫か?怖かったな」


 俺が手を伸ばすと、マリアは涙目で俺の胸に飛び込んできた。


「ヴェ、ヴェルト様ぁ……ッ!ありがとうございます……!もう、ダメかと思いました……!」


「もう大丈夫だ。あんなゲス野郎、お前に指一本触れさせない。俺が絶対に守ってやる」


 俺が優しく背中を撫でていると、周囲の使用人たちも集まってきて、口々にマリアを励まし、そして俺を称え始めた。


「さすがはヴェルト様です!あの一撃、痺れました!」「あの方こそ、我らが真の主だ!」「ヴェルト様のためなら、地獄の果てまでついていきます!」


 ……うん、なんか宗教みたいになってないか?少し心配になるレベルだが、まあ、父上に従うよりはマシだろう。これで領地の憂いは断たれた。


 だが、俺は気づいていなかった。俺の胸の中で泣いているマリアが、暗く濁った瞳で父上の消えた方向を睨みつけ、ボソリと呟いたのを。


(……あの男、ヴェルト様と同じ空気を吸うことすら許せない。生かしておくだけ無駄ですね。セバス様にお願いして、食事に、少しずつ弱っていく『スパイス(毒)』を混ぜていただきましょうか……♡)


 どうやらアークライト家の屋敷は、父上にとって、この世で最も危険なダンジョンになってしまったようだ。


 …まあ、自業自得というやつだろう。

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