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59.果たされるべき約束

 翌朝。王都の空は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。


 ホテル『金獅子亭』のスイートルーム。


 豪奢な朝食が並ぶテーブルに、一枚の新聞が無造作に投げ出されていた。


『速報!グライア枢機卿、獄中にて急死』『心不全か?警備当局は「事件性なし」と発表』


「……仕事が早いな」


 俺はコーヒーを啜りながら、インクの匂いが残る紙面を睨みつけた。記事には、昨夜未明に独房で冷たくなっている枢機卿が発見されたとある。外傷はなく、病死の可能性が高いとのことだが――そんなわけがない。


「消されましたね」


 傍らに控えるセバスチャンが、静かに紅茶を注ぎ足す。


「ええ。口封じですか」


 マリアが新聞をゴミのように摘み上げ、暖炉の火にくべた。


「あの男は知りすぎていましたから。王家への呪詛、人身売買、そして……『遺物』の横流し。生かしておけば、芋づる式に教会の闇が暴かれる。枢機卿とは言え、教会としても庇いきれなかった。だから、トカゲの尻尾切りにされたのでしょう」


「……やったのは、十中八九『あの女』だろうな」


 俺の脳裏に、瓦礫の上で笑っていたメルフィの顔が浮かぶ。


 彼女なら、厳重な警備の牢獄に侵入し、痕跡も残さずに心臓を止めることなど造作もないだろう。あるいは、最初から枢機卿の体に何らかの「仕込み」をしていたのかもしれない。


「……ぅ、あ……」


 ロザリアの口から、乾いた音が漏れる。彼女の手から、齧りかけのトーストが皿に落ちた。


「これ……『局長』だわ……。あの人が、やったのよ……」


 ガタガタと、食器が触れ合う音がする。ロザリアは自身の二の腕を強く抱きしめ、焦点の合わない目で震えていた。


「私……戻らなくてよかった……。あそこにいたら、私も……ゴミみたいに……」


 その顔色は死人のように白く、昨夜のトラウマ――メルフィによる蹂躙と、「処分」という言葉の重みが、鮮明に蘇っているようだった。彼女にとってこの記事は、ただのニュースではなく、突きつけられた「死の宣告」の回避通知に他ならない。


「……ロザリア」


 俺は短く名を呼び、安心させるように視線を向けた。


「だが、これで手掛かりの一つが消えた。……教会の底はまだ見えないな」


 俺はあえて話題を変え、ため息をついた。


 まあいい。枢機卿が消え、宰相が失脚し、国王が復帰したことで、王都における教会の影響力は大幅に削がれた。これ以上、表立って俺たちに手出しはできないはずだ。


 俺は席を立ち、窓の外を見下ろした。


「準備はいいか?……行くぞ。まずは王城へ挨拶だ」


       ◆


 王城、奥の間。


 一般の貴族や兵士さえ立ち入りを禁じられた「隠し謁見室」に、俺たちアークライト一行は招かれていた。


 そこにいたのは、この国の最重要人物たち――国王陛下、第一・第二王妃、マクシミリアン王子、そしてシルヴィアとシャルロットの両王女だ。


 まさに、ロイヤルファミリー勢揃いである。


「アークライト卿。……此度の働き、見事であった」


 国王陛下が、玉座から身を乗り出して俺に告げた。その顔色は昨日より遥かに良い。


「本来であれば、民衆の前で其方を『英雄』として讃え、盛大なパレードでも開いてやりたいところなのだが……」


「おやめください。俺は目立つのが嫌いですし、何より教会を刺激しすぎれば、また面倒ごとが湧くだけです」


 俺が肩をすくめると、国王は苦笑して頷いた。


「うむ。王都の教会中枢が腐っていたとはいえ、世界的にも信徒は多い。急激な改革は内乱を招くゆえ、今は水面下で力を蓄える時……。故に、このような密やかな見送りとなること、許せ」


 そう言って、国王は深く頭を下げた。続いて、王妃たちや王子も頭を下げる。


 一国の王族が、一介の貴族に頭を下げるなど前代未聞だ。


「ですが、ヴェルト殿!私の感謝の気持ちは抑えきれん!いつでも呼んでくれ!筋肉が必要ならすぐに駆けつけるぞ!」


 マクシミリアン王子が暑苦しく叫ぶ。


「ええ、ヴェルト様。……私の『熱』を鎮めてくれたご恩、忘れません。……こ、この契約書がある限り、私は貴方の味方ですからね!」


 シルヴィアが顔を赤くして、氷の契約書(アイス配給券)をチラつかせながらツンと顔を背ける。


「皆様、大げさですよ。俺は自分の平穏を守りたかっただけです」


 俺がやれやれと首を振ると、国王が真剣な眼差しで俺を見据えた。


「……ヴェルトよ。金銀財宝や爵位は、後ほど領地へ送ろう。だが、余としては……もっと強固な『絆』で、其方をこの国に繋ぎ止めておきたいのだ」


「絆、ですか?」


「うむ」


 国王は、左右に控える二人の娘――シルヴィアとシャルロットを見た。


「単刀直入に言おう。……シルヴィアとシャルロット。二人まとめて、其方の嫁にもらってくれんか?」


「ぶふっ!?」


 俺は思わず吹き出しそうになった。


 周りを見れば、マリアが般若の形相で懐のナイフに手をかけ、セバスチャンが必死にそれを抑えている。


「ちょ、父上!?な、何を……!」


 シルヴィアが茹でダコのように赤くなり、シャルロットは扇子で口元を隠して「あらあら♡」と嬉しそうにしている。


「……陛下。本気、なのですか?」


 俺は冷や汗を拭いながら問いただした。


「以前、ゲインズの襲撃前にも似たようなことを仰っていましたが……あの時はてっきり、緊迫した空気を和ませるための『王流のジョーク』かと」


 そう。あの時は直後に怪物が現れたため有耶無耶になったが、まさかあれが本心からの提案だったとは。


「王が、娘の将来について軽口を叩くと思うか?」


 国王はニヤリと笑い、しかしその瞳の奥には真剣な光を宿して言った。


「本気だ。国を救い、魔人を討ち、娘たちの心まで救った男だ。王配としてこれ以上の器はおらん。……それに、どちらか一人を選べといえば、姉妹の仲に亀裂が入るやもしれんしな」


 国王は楽しげに続ける。


「もちろん、今すぐとは言わん。其方にも心の準備や……そこの恐ろしいメイドへの言い訳も必要だろう」


 国王の視線が、殺気を放つマリアに向けられる。バレてる。


「ヴェルトよ。どうか、前向きに『考えて』おいてくれ。これは王としての願いであり、娘を持つ父としての願いでもある」


 ここまで言われては、無下に断ることもできない。俺は冷や汗をかきながら、曖昧に頷くしかなかった。


「……善処、します.....」


       ◆


 王城の裏門。

 

 人目を避けるように用意された場所で、俺たちは馬車に乗り込んだ。


 見送りは、シャルロット王女ただ一人。彼女はフードを目深に被っていたが、その口元は寂しげに、しかし悪戯っぽく微笑んでいた。


「……行ってしまわれるのですね、ヴェルト様」


「ああ。これ以上長居すると、親父さんに既成事実を作られそうだからな」


「ふふ。わたくしは、いつでも歓迎ですのに」


 シャルロットは俺の手を取り、そっと何かを握らせた。


 ずしり、と重みのある白金のプレート。中央には王家の紋章が刻印されている。


「これは……『王家の通行手形ロイヤル・パス』か?」


「ええ。それも、父上の直筆署名入り、特級のものですわ」


 シャルロットが真剣な眼差しで告げる。


「これから向かわれる『白亜の塔』は、教会の聖域とされています。通常であれば、教会の許可なき者の立ち入りは聖騎士団によって阻まれ、問答無用で排除されるでしょう」


「ああ。だが、これがあれば話は別だ」


 俺は手形を指で弾いた。


 これは単なる通行証ではない。「国王の代理人」であることを示す、絶対的な権力の証だ。


「この国において、王命は教義に優先する。これを掲げれば、いかに教会といえど表立って通行を妨害することはできません。……もし邪魔をすれば、それは王家への『反逆』となりますから」


「……助かる。これこそが、俺が一番欲しかった『武器』だ」


 俺はニヤリと笑った。


 白亜の塔は堅牢だ。ネロがいれば結界は破れるが、その周囲を固める聖騎士団や信徒たちを全て力づくで排除していては時間がかかるし、消耗も激しい。だが、王のお墨付きがあれば、塔の正門まで無血で、堂々と馬車を乗り入れることができる。


「父上を助けたのは、ただの善意ではありませんのね? ……本当に、抜け目のない方」


「お互い様だろ?」


 俺は手形を懐にしまい、馬車に乗り込んだ。


「出すぞ、セバス!」


「御意」


 魔法馬マジック・ホースがいななき、漆黒の馬車が走り出す。


 背後で手を振るシャルロットの姿が小さくなっていくのを見届け、俺はシートに深く身を沈めた。


       ◆


 王都を離れ、街道を進む馬車の中。


 沈黙を破ったのは、ずっと考え込んでいたニーナだった。



「……あの、私……アレクの気配を感じたんです。大聖堂で。フードの人が助けてくれた時……」



 ニーナが訴えるように俺を見る。その瞳は確信に満ちていた。


 昨夜の戦い。俺に折れた聖剣を投げ渡し、魔人の装甲を砕いた深紅のフードを目深に被った謎の男。


 確かに、奴は魔人となった枢機卿に、素手でダメージを与えていた。


(……あの魔人は『強欲』の権能で物理攻撃を無効化していた。俺の攻撃すら通らなかった装甲だ。それを拳一つで叩き割れるのは、高位の『聖属性』を纏っているか、あるいはシステム的に特攻を持つ『勇者』だけだ)


 その点においては、ニーナの直感は正しい。あいつは恐らく勇者の力を持っていた。


 だが、俺は腕組みをして、眉間の皺を深くした。


「……気持ちは分かるが、ニーナ。冷静になれ」


「え……?」


「あいつの『背丈』を見たか?」


 俺は冷徹な事実を突きつけた。


「あのフードの男、身長は優に180センチを超えていた。肩幅も、筋肉の付き方も、完成された『戦士』のそれだった」


「……あ」


「俺たちが最後にアレクと会ってから、まだ数ヶ月だぞ?当時のあいつは、普通の少年だった。……人間が数ヶ月で、あんな大人に急成長するわけがない」


「そ、それは……」


 ニーナが言葉に詰まる。


 そう、物理的にあり得ないのだ。……普通の人間なら。


「……いや」


 俺はふと、自分の手を見つめた。分厚く、マメだらけの大きな手。13歳の少年のものではない。鏡を見ればそこにいるのは、歴戦の傭兵のような肉体を持つ青年(俺)だ。


(俺自身が、あり得ない成長をしているサンプルそのものだ)


 『成長率10倍』。


 そのバグじみた恩恵により、俺の肉体は膨れ上がったステータスに耐えうるよう、年齢を無視して急速に進化(成長)した。3年かけて、ようやくここまで仕上げたのだ。


 だが、アレクはどうだ?勇者の成長補正は、設定上『2倍』程度のはず。その勇者が、たった数ヶ月で、成長率10倍の俺に匹敵するほどの「肉体の変貌」を遂げているとしたら?


(……まともじゃない)


 俺の背筋に、冷たいものが走った。


 俺の成長が「バグ」によるものだとしたら、アレクのそれは間違いなく「人為的」なものだ。


 教会が地下で行っていた非人道的な実験。薬物、肉体改造、あるいは『寿命を薪にして時間を進める』ような禁忌の秘術。


「それに、だ。もっと決定的におかしい点がある」


 俺はニーナの瞳を真っ直ぐに見た。


「もしあいつが、お前の知っている『勇者アレク』そのままだとしたら……。――なんでお前に一言も声をかけなかった?」


「ッ……!」


 ニーナが息を呑む。


「幼馴染のお前が、目の前で震えていたんだぞ?なのにあいつは、俺に剣を投げ渡しただけで、お前には目もくれずに去っていった。……まるで、お前のことが『見えていない』か、あるいは『認識できていない』ような、機械的な動きだった」


 助けた相手が他人ならまだしも、命がけで守ろうとしていたはずのニーナを無視した。


 それは、肉体の成長以上に、彼の「心」や「記憶」に深刻な何かが起きていることを示している。


(勇者を『兵器』として完成させるために……あいつら、アレクの『人間としての時間』と『心』を奪ったのか?)


 だとしたら、塔に囚われているアレクは、もう俺たちの知る「少年」ではないのかもしれない。中身が空っぽのまま、体だけが兵器にされた、歪な存在................まだあれがアレクかは分からないが。


「……確認しに行くぞ」


 俺は思考を振り払うように言った。その声は、自分でも驚くほど低くなった。


「あれがアレクなのか、それとも偽物か。……あるいは、教会が作り出したモノなのか。白亜の塔に行けば、答えはあるはずだ」


「……はいっ!」


 ニーナが強く頷く。だがその顔には、先ほどまでの希望だけでなく、得体の知れない不安の影も深く落ちていた。


 目指すは北。


 湖畔にそびえる、難攻不落の『白亜の塔』。


(待ってろよ、勇者。……主役の座、いつまでも空けておくわけにはいかないからな)


 俺たちの「勇者奪還作戦」が、始まる........







 ……その頃。


 封鎖された大聖堂の瓦礫の陰で、一人の少女がクスクスと笑っていた。


「あらあら。行っちゃいましたねぇ」


 メルフィ・アンスバッハは、ヴェルトたちが去っていった街道を見つめ、恍惚とした表情で頬を染める。


「ふふっ。頑張って育ててくださいね、私の『勇者様』を。……最高の状態で壊すのが、今から楽しみですわ♡」


 彼女の指先には、枢機卿から回収したはずの『何か』が、ドス黒く輝いていた。

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