55.救済
――あと少しだ。
俺は空中で体を捻り、露出した核目掛けて右拳を突き出した。
この一撃で、ゲインズの肉体と遺物の結合を断つ。タイミング、威力、角度。全て完璧だ。
(いける……!勇者であるという条件は満たせていないが、この反応なら…これで『悲恋のゲインズ』はハッピーエンドだ!)
勝利を確信した、そのコンマ一秒先。
「きゃあああああっ!!誰かぁ、助けてぇぇ!!」
戦場に似つかわしくない、悲痛な少女の叫び声が響いた。
「……ッ!?」
俺の動きが止まる。
視線の先、崩れかけた大聖堂の瓦礫の山。その隙間に、逃げ遅れたと思われる一人のシスターの少女がうずくまっていた。蜂蜜色のふわふわとした髪に、とろけるような甘いタレ目。教会のシスター服を身に纏っているが、その生地は上質で、泥にまみれてもなお隠しきれない肢体の艶めかしさを強調している。
(チッ、避難誘導の漏れか!?あんな所にいたら、衝撃波だけで死ぬぞ!)
俺は舌打ちをし、攻撃を中断して無理やり軌道を変えた。
ドスンッ!と彼女を庇うように瓦礫の前へ着地する。
「おい、立てるか!すぐにここから離れろ!」
「ひっ……!こ、腰が抜けちゃって……!神様、助けてぇ……!」
少女は涙目で俺を見上げ、ガタガタと震えている。
俺が彼女を抱え上げようとした、その時。
「グアアアアアアアッ!!」
頭上で怪物が咆哮した。
俺が攻撃を中断した隙を見逃さず、ゲインズが巨大な瓦礫を振り上げ、俺たち目掛けて叩きつけてきたのだ。
「チッ!」
俺は少女を小脇に抱え、バックステップで回避する。
ズガァァァン!!
直前まで俺たちがいた場所が粉砕され、石礫が散弾のように飛び散る。
「きゃあっ! 怖いぃぃ!」
少女が悲鳴を上げ、俺の首に強くしがみついてきた。その力が、妙に強い。華奢な見た目に反して、締め付ける腕の力が俺の首を圧迫する。
「おい、暴れるな!苦しい!」
「ごめんなさいぃ!でも、怖くてぇ……!」
少女は涙を流しながら、さらに俺の胸に顔を埋めてくる。その拍子に彼女の体が大きく揺れ、俺の重心が崩された。
(……なんだ?妙に動きにくい)
助けた人間がパニックになるのはよくあることだ。だが、この少女の動きは最悪だった。俺が踏ん張ろうとする方向に体重をかけ、視界が必要な瞬間に袖で目を覆ってくる。まるで、俺の動きを熟知した上で邪魔をしているかのような――。
「オオォォォッ!!」
思考する暇もなく、ゲインズの追撃が来る。骨の翼が槍のように伸び、雨あられと突き刺さる。本来の俺なら、全て回避できる速度だ。
だが。
「いやぁぁっ!」
少女が俺の腕の中で暴れる。その「重り」のせいで、一瞬の反応が遅れた。
ガギィッ!
「くっ……!正気に戻れ!ゲインズ!」
避けきれない一撃を、俺は片腕で弾く。骨がきしむ音がした。防戦一方だ。このままじゃジリ貧になる。一度距離を取って、体勢を立て直すしかない。
そう思った瞬間。ゲインズの動きが、ピタリと止まった。
「ア……ァ……?」
振り上げられていた巨大な剛腕が、空中で静止する。赤く爛々と輝いていた怪物の瞳が、俺の腕の中にいる少女を捉え――激しく揺らぎ始めたのだ。
「リ……リィ…………?」
怪物の口から、人間だった頃の、縋るような声が漏れる。
(……リリィ?)
その名前に、俺の記憶が即座に反応した。
『悲恋のゲインズ』――そのイベントの根幹に関わる、彼がかつて救えなかった幼馴染の名前だ。権力者に奪われ、二度と戻らなかった初恋の少女。その喪失と絶望こそが、彼を正義の騎士から復讐の鬼へと変貌させた元凶。
あいつには、この少女が、その「リリィ」に見えているのか?
ゲインズは戦意を喪失したように膝をつき、巨大な手を、恐る恐る少女へと伸ばした。殺意はない。ただ、失った宝物に触れようとするような、慈しむような手つきだ。
「マッ……テ……今度コソ……オレガ、守ル……」
完全に隙だらけだ。だが、今のあいつを斬ることは、俺にはできなかった。このまま、少女が無事であることを示せば、ゲインズの暴走は止まるかもしれない。そう思った。
――だが。
「……まぁ。なんて嘆かわしい姿でしょう」
俺の腕の中で。震えていたはずの少女の声色が、急に鈴を転がすような、しかし氷のように冷徹なものへと変わった。
「え?」
俺が驚いて腕を緩めると、少女は、重力を無視するような軽やかさで俺から離れ、瓦礫の上ですっくと立ち上がった。その顔には、先ほどまでの涙など欠片もない。あるのは、汚い野良犬を見るような、無邪気で残酷な憐憫の笑み。
「枢機卿という豚が教会の庭を汚したと聞いて、たまたま近くにいた私が掃除しに来てみれば……。ふふ、まさか教会で噂の『悪徳領主』様が、こんなところで泥遊びをしているなんて。せっかくだから少しからかって差し上げようと思いましたけれど――興ざめですわ」
彼女は冷え切った瞳で、目の前の怪物を一瞥した。
「まさか、かつての聖騎士隊長様まで、こんな醜い獣に成り下がっているなんて」
彼女はため息をつく。そこにあるのは、個人的な怨恨ではない。純度100%の、狂った信仰心ゆえの軽蔑だ。
「ああ、神よ! なんて嘆かわしい姿でしょう!ゲインズ様、愛する人を守れなかったからといって、力に溺れ、あまつさえ教会の威信を傷つける怪物になるなんて……。これはもう『生き恥』ですね?生かしておくことこそが、貴方への冒涜になりますわ」
「な……おい、何を言っている!刺激するな!」
俺は叫んだ。部外者が干渉すれば、「単独撃破」の条件が崩れる。救済フラグが折れる!
だが、少女は俺の方を見て、小首をかしげて天使のように微笑んだ。
「あら、領主様。そんなに必死になって……もしかして、この『汚物』を助けようとなさっているのですか?悪徳と名高い貴方が?」
彼女の瞳には、一切の悪意がない。「汚れているから洗う」「壊れているから捨てる」。それと同じ感覚で、彼女は言葉を紡ぐ。
「いけませんわ。汚れは、拭い去らねば。……それに、彼も望んでいるはずですよ?愛する人からの『お迎え』を」
少女がパチン、と指を鳴らした。
瞬間。
ゲインズの目の前の空間が歪み、陽炎の中から一人の少女の姿が浮かび上がった。 栗色の髪。あどけない笑顔。ゲインズの記憶の中にある、幼馴染のリリィそのものだ。
「リ……リィ……ッ!?」
怪物の目から、大粒の涙が溢れ出した。
これは幻術だ。『精神干渉』による高度な幻影。だが、今の精神が摩耗したゲインズに見破れるはずがない。彼は戦意を喪失し、震える巨大な手を、幻影へと伸ばした。
「会イ、タカッ……タ……。オレハ、オマエヲ……」
届く。指先が触れる。
その瞬間、リリィの幻影が――顔面を醜悪に歪め、ゲインズの手をパシッと振り払った。
『――触らないで、汚らわしい』
冷え切った拒絶の声。ゲインズの動きが凍りつく。
『見て、その醜い姿。貴方、自分が何になったか分かってるの?』
幻影のリリィは、ゲインズを指差し、あざけるような笑みを浮かべた。
『人殺し。化け物。教会の恥晒し。……私を守るって言ったくせに、自分が一番の怪物になってるじゃない』
「ア……アァ……!?」
『なんで私を助けてくれなかったの?ねぇ、死んでよ。貴方みたいな汚いのが生きているだけで、私は迷惑なの。……私のために死んでくれるんでしょう?ゲインズ?』
それは、ゲインズが最も恐れていた言葉。
彼自身の罪悪感と自己嫌悪を、幻術で具現化し、最愛の人の口から語らせた「呪いの言葉」だった。
「ウ、ウアアアアアアアアアッ!!!!」
ゲインズが頭を抱え、絶叫した。心が、砕ける音がした。露出しかけていた核が、ドス黒い輝きを放ち、再び肉の奥底へと埋没していく。
――フラグが、折れた。
救済ルートの消滅。
ゲインズの精神は完全に崩壊し、遺物との融合率が臨界点を超えた。もう、人間に戻る術はない。
「あはっ♡」
瓦礫の上で、少女が頬を染めて身悶える。
「素晴らしい……!なんて美しい絶望!そうです、それこそが懺悔!貴方の心は今、砕けることで初めて神の御許へ行く準備が整ったのですわ!」
彼女は幻術のリリィを消し去ると、恍惚とした表情で俺に杖を向けた。
「さあ!あとはトドメを刺すだけです!私が最高の演出(お膳立て)をして差し上げましたわ!彼を殺して、楽にしてあげてくださいな!」
無邪気な、あまりにも無邪気な「善意」。
彼女は本気で思っているのだ。心を壊し、絶望の中で死なせることこそが、罪深き聖騎士への最大の「救い」であると。
「……こ、の……カスが……」
俺の口から、無意識に罵倒が漏れた。そして同時に、俺の脳裏に、ある「データ」が稲妻のように走った。
蜂蜜色の髪。とろけるようなタレ目。「聖女」の皮を被りながら、他人の絶望と混沌を何よりの娯楽とする性格。そして何より、この「敵に希望を与え、その後に絶望させ、自壊させる」という、プレイヤーから総スカンを食らった最悪の戦闘スタイル。
(……そうだ。俺はこいつを知っている)
原作『ドラグーン・ファンタジア』の本編には登場しない。
だが、設定資料集の「教会の闇」コーナーの片隅に、あるいはダウンロードコンテンツ(DLC)としてのみ存在が示唆されていた、忌むべきキャラクター。
異端審問局の局長にして、狂信と愉悦のハイブリッド。通称、『歩く地雷原』。
(..メルフィ。メルフィ・アンスバッハかッ……!!)
気づくのが遅すぎた。
いや、まさかこんなイベントに、エンドコンテンツ級の「災害」が紛れ込んでいるなんて予想できるはずがない。
だが、理解してしまった。こいつが介入した時点で、「生存ルート」などという甘い結末はシステム的に閉ざされたのだ。メルフィという存在は、関わった全てのNPCをバッドエンドに叩き落とすための「舞台装置」なのだから。
「……ふざ、けるな……ッ!」
俺の拳が震える。
目の前には、リリィの名前を叫びながら、ただ無差別に破壊を撒き散らすだけの暴走体。もう、助けられない。殺すしかない。
俺は歯を食いしばり、剣を構え直した。
視界の端で、メルフィが「きゃあ、素敵♡頑張ってくださいねぇ!」と手を叩いているのが見える。
(……メルフィ・アンスバッハ。テメェだけは……絶対に許さん)
俺は心の中で、彼女の名前を『必ず殺すリスト』の筆頭に刻み込んだ。
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