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51.閑話 小悪党の惨めな最期

 ハァ、ハァ、ハァ……ッ!


 王城の長い廊下を、一人の男が転がるように駆けていた。

 

 この国の宰相、ルシウスである。


 氷漬けにされていた下半身はびしょ濡れで、足がもつれる。だが、彼は止まらない。止まれば、それは「死」を意味するからだ。



「ありえん……! ありえんありえんッ!!」



 ルシウスの口から、うわ言のような絶叫が漏れる。


 計画は完璧だったはずだ。


 幼い頃から、私はいつだって「二番手」だった。何をやらせても高得点を叩き出す神童。周囲はそう持て囃したが、私は知っていた。血の滲むような努力で積み上げた塔の遥か上空を、生まれついての「天才」たちが翼を広げて軽々と飛び越えていく、あの絶対的な疎外感を。歯を食いしばり、凡人の限界である「宰相」の座まで上り詰めた。だが、そこが天井だった。所詮は王の顔色を窺い、天才たちの尻拭いをするだけの日々。


 そんな私の心の隙間、肥大化したコンプレックスに、あの枢機卿は毒のように入り込んできたのだ。『満たされぬだろう? 手を組もう、ルシウス。我々が王を操り、この国の真の支配者となるのだ』その甘美な誘惑に溺れ、私は道を踏み外した。ただ、自らの限界を超えた「権力」を欲したがために。


 枢機卿バチカンと結託し、国王を「不治の病」として隔離。その間に国政を掌握し、次期国王には傀儡を立てる。邪魔な勇者は教会が管理し、聖女も手駒にする。全ては盤石だった。



 だが、あのアークライト家の小僧――ヴェルトが現れてから、歯車が狂い始めた。



(枢機卿が倒されただと……? あいつめ、『いざとなれば奥の手がある』などとほざいていたくせに! 仮にも教会のナンバー2が、一介の領主に敗れて衛兵に突き出されただと? ……そんなふざけた報告、信じられるか!)


 昨夜の大聖堂での騒ぎ。ルシウスはそれを「誤報」あるいは「一時的な失態」だと信じ込んでいた。腐っても聖教会のナンバー2だ。権力と金、そして裏の力を使えば、すぐに釈放されるか、あるいは脱獄して反撃に出るはずだと。


 だからこそ、国王が目覚めた今、頼れるのは彼しかいない。


「そうだ……! 教会だ! 教会の権威を使えば、『国王はアークライト家の黒魔術によって操られている』などといくらでも捏造できる! 私が証言し、枢機卿が聖印を押せば、国民は信じるはずだ!」


 ルシウスは血走った目で、懐から通信用の魔道具を取り出した。


 これは枢機卿バチカンのみに通じる、最高機密の直通回線だ。


 彼は王城の物陰に隠れ、震える手で魔力を送った。


「出ろ……! 出てくれ、バチカン猊下! 緊急事態だ! アークライトの小僧が陛下を……!」


 ブウン。


 通信が繋がった。魔道具の水晶が淡く光る。


「おお、猊下! ご無事でしたか! いえ、今はそれどころではありません! 王城が大変なことに……!」


 ルシウスは縋るように叫んだ。


 だが、水晶の向こうから聞こえてきたのは、しゃがれた老人の声ではなく――無機質で、事務的な男の声だった。


『――こちら、王都警備隊、第三留置所』


「……は?」


 ルシウスの思考が停止する。


『通信の発信源を確認。……この回線は、重要参考人グライア・バチカンの私物として押収された証拠品だ。貴様、何者だ? 枢機卿に与する残党か?』


 冷ややかな問いかけ。


 それが意味することは、あまりにも残酷で、確定的だった。


(捕まっている……? 本当に? あの枢機卿が、ただの衛兵風情に、牢にぶち込まれているというのか!?)


 魔法も、権力も、裏の力も通じなかったのか。いや、それ以前に――ヴェルト・フォン・アークライトという男が、枢機卿を「再起不能」になるまで徹底的に叩き潰した上で、公的な司法の場に引きずり出したということだ。


「あ、あぁ……」


 ルシウスの手から、魔道具が滑り落ちた。


 カラン、と乾いた音が廊下に響く。


(……いや、まだだ。まだ言い逃れはできるはずだ!)


 ルシウスの脳内で、崩れかけた理性が必死の自己弁護を組み立て始める。


 表向き、自分のこれまでの行動はあくまで「陛下の安寧を守るため」という名目で通していた。原因不明の病に伏せる王を外部の雑音から遠ざけ、静養させる。それは宰相としての職務であり、忠義とも取れる行動のはずだ。シルヴィア殿下やアークライトの小僧を強硬に止めたのも、得体の知れない民間療法から王を守るための「忠臣としての判断」だったと言い張れば、あるいは――。


(……だが、そんな戯言がいつまで通用する!?)


 一瞬の希望を、冷酷な現実が即座に打ち消す。背筋を凍らせる冷や汗が止まらない。


 前提が崩れているのだ。王の病は自然発生した「病気」ではなく、枢機卿が仕掛けた人為的な「呪い」だった。そして、その枢機卿を寝室へ手引きし、二人きりの時間を作り、あろうことか治療を試みる者たちを権力で邪魔し続けてきたのは誰だ?


 ――私だ。


 枢機卿が捕まった今、奴が司法の場で口を割れば、私が裏で糸を引いていた証拠などいくらでも出てくる。王城内の警備記録の改竄、深夜の密会、そして何より――回復された陛下ご自身が、意識が混濁する中で誰の姿を見ていたか。


 今後、証拠が固められれば、「治療の妨害」は「過剰な忠誠心ゆえの過ち」などという言い訳では済まされない。それは明確な「暗殺の幇助」であり、国家転覆を謀った「逆賊」の証明となる。


 教会という最強の後ろ盾を失い、権力の傘も折れた今、私に残されたのは、断頭台へと続く一本道だけだった。


(逃げなければ……! 国外へ! 帝国へ亡命すれば、まだ再起の目はある!)


 ルシウスは必死の形相で、王都の地下水路を抜け、教会の裏口へとたどり着いた。大聖堂は昨夜の騒ぎで封鎖されているが、その裏にある礼拝堂にはまだ、枢機卿派の残党が潜んでいるはずだ。


       ◆


 礼拝堂の地下、隠し部屋。


 ルシウスが転がり込むと、そこには数人の神官たちが顔面蒼白で荷物をまとめていた。


「ひぃっ!? だ、誰だ!」


「私だ! 宰相ルシウスだ!」


 ルシウスが怒鳴ると、神官の一人が安堵とも困惑ともつかない表情を浮かべた。枢機卿の腹心であった司祭だ。


「さ、宰相閣下……! まさか貴方様まで……」


「無駄話をしている時間はない! 今すぐ馬車を用意しろ! 国境を越えるための隠しルートがあるはずだ!」


 ルシウスは司祭の胸ぐらを掴み、唾を飛ばしてまくし立てた。


「金ならある! 王城の隠し金庫から持ち出した権利書と宝石だ! これだけあれば、お前たちの逃亡資金も賄えるぞ!」


「は、はい! すぐに手配を……!」


 司祭が金目のものを見て目を輝かせ、慌てて準備を始めようとした。


 助かった。ルシウスは膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、荒い息を整える。


(そうだ……まだ終わっていない。私は宰相だ。この頭脳と城で得た国家機密、そして資金があれば、他国でいくらでもやり直せる。……アークライトの小僧め、見ていろ。いつか必ず復讐してやる……!)


 暗い希望にすがりつき、歪んだ笑みを浮かべた、その時だった。



 ズズズズズズズズ…………。



 地響き。


 いや、もっと生々しい、巨大な何かが地下の岩盤を食い破るような振動が、足元から伝わってきた。


「な、なんだ!? 地震か!?」


 神官たちが悲鳴を上げる。振動はみるみる大きくなり、天井からパラパラと砂埃が落ちてくる。


「ち、地下から……? まさか……」


 司祭が顔を青くして、床の一点を見つめた。


「そ、そこは……地下宝物庫の真上……! 昨夜、聖騎士隊長のゲインズ様が突然来て押し入ったまま、戻ってきていない場所だぞ!?」


「ゲインズだと……? あの三下が何をしたと言うのだ!」


 ルシウスが叫んだ直後。



 グオオオオオオオオオオオオォォォォッ!!!!



 鼓膜をつんざくような、人ならざる者の咆哮が地下から轟いた。それは獣のようでありながら、どこか人間の怨嗟を含んだ、おぞましい響きだった。



 ドゴォォォォンッ!!



 床が弾け飛んだ。


 地下から突き上げられた巨大な「腕」が、石造りの床を紙屑のように粉砕したのだ。その腕は、赤黒く変色し、血管が脈打ち、異常なまでに肥大化していた。


「ひ、ひぃぃぃっ!?」


 逃げようとした神官たちが、瓦礫に巻き込まれて消えていく。ルシウスは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。


 噴き上がる土煙の中から、その「怪物」が姿を現す。かつてゲインズだったモノ。禁忌の遺物を取り込み、力への渇望とコンプレックスに飲み込まれ、肉体が崩壊するほどに変異した成れの果て。


「チカラ……! ヴェルトォォ……! コロ……ス……!!」


 怪物は、虚ろな目でルシウスを見下ろした。そこに理性はない。あるのは、目の前にあるすべてを破壊し尽くす衝動だけ。


「ま、待て……! 私は味方だ! ルシウスだぞ!?」


 ルシウスは後ずさりながら叫んだ。だが、怪物の巨大な拳が振り上げられる。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」


 ドォォォォォォォォォンッ!!!


 教会を支える主柱が、怪物の暴走によってへし折られた。天井が落ちてくる。巨大な石材の雨が、ルシウスの頭上に降り注ぐ。


「あ……あぁ……」


 逃げ場はない。


 国外逃亡の夢も、復讐の誓いも、すべてが崩れ落ちる瓦礫の下に埋もれていく。


(私の……私の栄光が……こんな、あんな小僧と、薄汚い筋肉達のせいで……!!)


 ズシィィィィィン……!!


 王都の一角。


 かつて栄華を誇った大聖堂の一部が、巨大な土煙を上げて崩落した。


 宰相ルシウス。国を裏から操ろうとした道化は、自らが利用しようとした教会の闇(怪物)によって、誰に看取られることもなく押し潰され、その生涯を閉じた。

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