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49.氷禍の王女に捧ぐ至高の甘味

 王城の厨房。


 普段は宮廷料理人たちが腕を振るうその場所を、俺たちは占拠していた。


「――よし。全員、配置につけ」


 俺が号令をかけると、エプロン姿のマリア、ジャージ姿のニーナ、そして渋々ながら手伝わされているネロがそれぞれの持ち場についた。外野には、面白そうに見学しているシャルロットと、心配そうに見守るセバスチャン、ロザリアの姿もある。


「これより、対シルヴィア用戦略兵器……『バニラ・アイスクリーム』の製造を開始する」


「戦略兵器って……ただのお菓子だろ?」


 ネロが呆れたように言うが、俺は真顔で首を振った。


「甘いな、ネロ。甘味だけに。ごほんっ……いいか、シルヴィア王女は『熱』に苦しんでいる。彼女に必要なのは、ただ冷たいだけの氷菓子じゃない。濃厚な乳脂肪分による満足感と、口の中で雪のように溶ける儚さ、そしてバニラの香りによるリラックス効果……。これらが一体となって初めて、彼女の頑なな心を解きほぐすことができるんだ」


「……へぇ。よく分からんが、お前がそこまで言うなら相当美味いんだろうな」


 ネロが喉を鳴らす。


「よし、工程を説明する。……マリア、卵黄と砂糖の攪拌かくはんだ。空気を含ませるように、白っぽくなるまで混ぜろ」


「はい!私のヴェルト様への愛の力でふわふわに仕上げてみせますわ」


 マリアがボウルを抱え、人間業とは思えない高速ハンドミキサーと化す。シュババババ! と残像が見えるほどの速さだ。


「ニーナ。お前はミルクを温めろ。沸騰させるなよ、人肌より少し熱いくらいだ」


「はいっ! ……えっと、火加減は……『フィジカル・ブースト』で調整すれば……」


「筋肉で火加減は調整できないからな!? 普通に魔道コンロを使え!」


 危なっかしい手つきだが、ニーナも真剣だ。


「そしてネロ。お前が要だ。……この鍋に入れた材料を、俺が合図したら『冷却魔法』で冷やせ。ただし、急激に凍らせるんじゃない。かき混ぜながら、空気を含ませることで、滑らかな口当たりを作るんだ」


「はぁ? 氷漬けにするんじゃなくて、『冷やしながら混ぜる』だと? ……なんて繊細な魔力制御を要求しやがる」


 ネロが文句を言うが、その目は職人のそれになっている。


「できるか?」


「愚問だな。俺様を誰だと思ってる。……『絶対零度の指先フロスト・タッチ』、極小出力!」


 調理開始。


 甘い香りが厨房に充満していく。市場で手に入れた最高級のバニラビーンズ。その鞘を裂き、中の種をしごき入れると、芳醇で甘美な香りが爆発的に広がった。


「わぁ……! いい匂いですぅ……!」


「……これが、バニラ……」


 ニーナとシャルロットがうっとりとした表情になる。


 温めたミルクと卵液を合わせ、とろみがつくまで火を通す。それを濾して冷まし、生クリームを加え――ここからが勝負だ。


「ネロ、冷やせ! マリア、混ぜろ!」


「らぁぁぁっ! 繊細に、かつ大胆に冷やすッ!」


「ヴェルト様への愛を込めて……ッ! 混ざりなさいッ!!」


 ネロの冷却魔法がボウルの底を均一に冷やし、マリアの超高速攪拌が液体に空気を送り込む。液体が徐々に固まり、滑らかなクリーム状へと変化していく。本来なら専用のマシンが必要な工程だが、天才魔術師と最強メイドの人力チートがあれば、マシン以上のクオリティが出せる。


「……よし。完成だ」


 出来上がったのは、雪のように白く、滑らかで、宝石のように輝くアイスクリーム。


 俺は先ほどマリアが市場で手に入れた最高級のクリスタルガラスの器に、それを美しく盛り付けた。ガラスの透明感が、純白のアイスを引き立てている。


 ふと、その白さを眺めていると、胸の奥がきゅっと締め付けられるような郷愁に襲われた。


(……バニラアイス、か)


 脳裏に浮かぶのは、前世の残業帰り。深夜のコンビニで買った、安っぽい『モナカアイス』の記憶だ。パリパリのモナカと、その中に詰まったシンプルなバニラ。疲れ切った体に染み渡るその甘さだけが、社畜だった俺のささやかな救いであり、明日への活力だった。


 目の前にあるのは、最高級の素材とチート魔法で作った別次元の代物だ。だが、この白い冷気が放つ「幸福の予感」は、あの頃と同じだ。


(懐かしいな……。まさか異世界転生して、聖女や魔術師をこき使ってアイスを作ることになるなんて、あの頃の俺が知ったら笑うだろうよ)


 俺は小さく苦笑し、こみ上げる感傷を振り払うように首を振った。今は思い出に浸っている場合じゃない。この甘味は、俺の平穏な未来を勝ち取るための武器なのだから。


「さあ、行くぞ。……氷禍の女王『攻略』だ」


       ◆


 再び、離宮の回廊。

 

 相変わらず極寒の冷気が漂っているが、今回は俺たちの足取りは軽い。


 凍りついた扉の前に立つ。


「……また来ましたか。しつこい男は嫌われますよ」


 ノックをする前に、扉の向こうからシルヴィアの冷徹な声が響いた。


「約束の品を持ってきたからな。……開けてもらえるか?」


「……チッ」


 小さな舌打ちの後、カチャリと鍵が開く音がした。扉が開く。そこには、相変わらず氷の玉座に座り、不機嫌そうに本を読んでいるシルヴィアがいた。


「……それで? 私の『渇き』を癒やす涼なんて、本当に用意できたのですかぁ?」


 彼女は期待していないような、それでいてどこか縋るような目でこちらを見た。


 俺は無言で、銀のトレイを差し出した。


 そこに乗っているのは、美しいガラスの器に盛られた、白い冷菓。


「……何ですか、それは。ただの氷菓子シャーベットに見えますが」


「いいから、食ってみろ。……溶けるぞ」


 シルヴィアは眉をひそめながらも、スプーンを手に取った。そして、白くて冷たい塊をすくい上げ、恐る恐る口へと運ぶ。


 パクッ。


 ――瞬間。


 カッ! と彼女の目が大きく見開かれた。


「…………ッ!!?」


 時が止まったようだった。シルヴィアのスプーンが、カランと音を立てて皿に落ちる……寸前で、彼女はそれを握り直した。


「な……ん……!?」


 言葉にならない声。


 冷たい。なのに、頭がキーンとするような暴力的な冷たさではない。舌の上に乗せた瞬間、体温でふわりと溶け出し、濃厚なミルクのコクと、卵の優しい甘みが広がる。そして鼻孔を抜ける、高貴なバニラの香り。


 何より――彼女の体内を蝕んでいた『灼熱』が、そのひと匙の冷気によって、嘘のように鎮火されていく感覚。


 それは、単なる冷却とは次元が違った。


 魔法で無理やり押さえつけるような冷たさではない。濃厚なミルクのコクと、卵の優しい甘み。それらが舌の上で体温と混ざり合い、とろりと溶けた瞬間、体中を駆け巡っていた不快な熱波を、優しく、慈しむように包み込んで中和していく。


 鼻腔を抜けるバニラの甘い香りが、張り詰めていた神経を強制的にリラックスさせる。まるで、灼熱の砂漠に降り注ぐ、甘露の雨のように。


「あ……んっ……♡」


 シルヴィアの口から、艶っぽい吐息が漏れた。


 無意識だったのだろう。彼女はハッとして自分の口元を押さえようとしたが、指先に力が入らない。陶器のように白かった肌が、見る見るうちに薔薇色に染まり、鋭かった目尻がとろけるように下がっていく。常に彼女を守るように浮遊していた氷の結晶が、カラン、カランと音を立てて床に落ち、儚く砕け散った。


「お、おい……? どうしたんだよ、急に黙り込んで……」


 ネロが不安そうに声をかけるが、今のシルヴィアには雑音すら届いていない。


 彼女の世界は今、舌の上に広がる「白の奇跡」で埋め尽くされていた。


(……なんですか、これ。……消える。熱が、痛みが、イライラが……全部、甘く溶けて……)


 思考が甘味に侵略される。


 彼女は震える手で、二口目、三口目と、夢中でスプーンを動かし始めた。最初は恐る恐るだった動きが、次第に焦燥を含んだものへと変わる。もっと欲しい。この安らぎを、この快楽を、一秒でも長く味わっていたい。


「冷たい……甘い……。口の中で、雪が……」


 もはや、人を寄せ付けぬ『氷禍』の面影はどこにもない。そこにいるのは、初めて極上のスイーツに出会い、感動に打ち震えながら、スプーンを咥えて恍惚の表情を浮かべる、ただの可愛らしい少女だった。


カラン……。


 静まり返った極寒の部屋に、銀のスプーンが皿に当たる涼やかな音が響いた。


「……なくなって、しまいました」


 氷の玉座の上で、シルヴィアが呆然と呟く。彼女の手にあるクリスタルガラスの器は、空っぽになっていた。


「……いかがでしたか、シルヴィア殿下」


 俺が問いかけると、シルヴィアはハッとして顔を上げ、慌てていつもの「不機嫌でクールな表情」を取り繕った。だが、その頬は隠しきれないほど紅潮し、口元が嬉しさで緩みそうになるのを必死に引き締めているのがバレバレだ。


「……ま、まあまあですね」


 彼女はフン、とそっぽを向いた。


「別に、すごく美味しかったわけではありません。ただ……そう、私の体内の『熱』を抑える薬としてなら、評価してあげなくもありません」


「ほう。私は極上のスイーツを提供したつもりでしたが、これまた妙な。……薬、ですか」


 俺がニヤニヤしながら尋ねると、シルヴィアは顔を真っ赤にして、それでも顎を上げて強がった。


「ええ、そうです! あくまで医療目的です! 美味しいから食べたいとか、そういう不純な動機ではありません! ……勘違いしないでくださいね?」


「ヴェルト様の至高の甘味を『薬』呼ばわりとは……万死に値します。ですが、あの紅潮した頬……嘘をついているのは明白ですね」


 マリアが憐れむような視線を送り、シャルロットもクスクスと扇子で口元を隠す。


「あらあら。お姉さま、『欲しくてたまりません』って顔に書いてありますわよ? 素直になればよろしいのに……」


 外野からの容赦ないツッコミ。


 だが、今のシルヴィアには届いていないようだ。彼女の視線はポットに釘付けで、尻尾があったらブンブン振っているのが見えるようだ。その様子を見て、俺は確信した。今が畳み掛ける好機だと。


「なるほど、医療目的か。……なら、継続的な『投薬』が必要だな」


「……え?」


「約束してやる。俺に協力すれば、これは一生分保証する、と」


 俺は悪魔の囁きのように告げた。


「陛下を救うために部屋の結界を解く。たったそれだけで、この『特効薬』が毎日、死ぬまで手に入る。……素晴らしい提案だろ?」


「……ッ!」


 その言葉に、シルヴィアの肩がピクリと跳ねた。


 彼女は玉座から立ち上がり、ツカツカと俺の前に歩み寄る。そして、腕を組んでジト目で俺を見上げた。


「……ヴェルト・フォン・アークライト。貴方、性格が悪いと言われませんか?」


「よく言われる」


「王族の弱みにつけ込み、甘い蜜で釣ろうとするなんて……最低です。軽蔑します」


 彼女は罵倒するが、その足は俺から離れようとしない。彼女の中で「プライド」と「渇望」、そしてある一つの「確信」がせめぎ合っているのが分かった。


「……ですが」


 シルヴィアは、自身の胸元にそっと手を当てた。そこにはもう、彼女を長年苛み続けていた灼熱の苦痛はない。あるのは、心地よい冷涼感と安らぎだけだ。


「悔しいですが、認めざるを得ません。……貴方は私の『呪い』とも言えるこの体質を、たったひと匙の菓子で鎮めてみせました」


 彼女の瞳から、険しい敵意が消え、真剣な光が宿る。


「王宮の筆頭魔術師も、世界中から集められた名医たちも、誰も成し得なかったことです。それを貴方は、涼しい顔でやってのけた。……その手腕と、常識外れの力は本物です」


 シルヴィアは真っ直ぐに俺を見た。


「貴方なら、父上を蝕む原因不明の病……いいえ、『呪い』も解けるかもしれない。そう思わせてくれるだけの『奇跡』を、私は今、この身で体験しました」


「陛下が呪われていると.....知っていたのか?」


「ええ、薄々は。私も色々調べましたから。気が付けたのは私が陛下と同じだったからですが....」


 シルヴィアはそこで言葉を切り、探るような瞳で俺を見据えた。


「……それにしても、恐ろしい方ですね。一言も発さず、私の体の『秘密』を見抜いてくるとは」


「ん? 何のことだ?」


「とぼけないでください。このアイスクリーム……これはただの菓子ではありませんね。私の体内にある、魔力とは異なる特殊な『熱』だけを的確に鎮めました。……貴方は、父上の病の本質にも気づいているのでしょう?」


「……さあな。勘がいいだけかもしれないぞ」


「……ふふ、はぐらかしますか。まあいいでしょう。ただ……貴方が常識の枠に収まる人間ではないことは理解しました。だから、信じます。父上の寝室の結界は私が解除しましょう。貴方を父上に会わせる……その賭けに乗る価値はあると判断しました」


 それは、王女としての英断だった。


 だが、次の瞬間。彼女はハッとして、疑り深いジト目に戻った。


「……ですが! それとこれとは話が別です!」


「あん?」


「当たり前です! 貴方は噂に聞く『悪徳領主』でしょう? 私が信用して結界を解いた後で、『あれは嘘だ』と言ってアイスの供給を絶たれたら……私は泣き寝入りするしかありません!」


 シルヴィアは、悔しそうに唇を噛んだ。


「父上のためにも協力はしたい。……ですが、貴方のような食えない男を信用して、タダ働きさせられるのは癪に障ります。私のプライドが許しません」


「なら、どうする?」


「……形に残します。言い逃れできないように」


 シルヴィアは決意したように右手を振るった。


 パキパキッという音と共に、大気中の水分が凍結し、一枚の薄い氷の板――『氷の羊皮紙』と、氷の羽ペンが形成される。


「契約書を作成します。……これにサインしなさい。そうすれば、貴方のその『汚い取引』に乗ってあげなくもありません」


「……しょーがねーな」


 俺はやれやれと肩をすくめたが、内心ではガッツポーズをしていた。


 ここまで必死になるということは、もう完全に落ちている証拠だ。


「本質は父上のためです。……あくまで、国と父上を救うために、私が泥を被って契約してあげるだけですからね? 私がアイスを食べたいからではありませんよ? そこを履き違えないでください」


「はいはい、分かりましたよーっと」


「返事は一回! ……もう、本当に生意気なんだから」


 シルヴィアはぶつぶつ文句を言いながら、氷の契約書に猛然と書き込み始めた。


「条件を提示します。……よく聞いてくださいね」


 彼女は羽ペンを走らせながら、早口でまくしたてる。


「条項1。バニラ・アイスクリームの提供は一日最低三回。……い、いちご味とか、そういう新作が出たら、真っ先に私のところに持ってくること」


「お安い御用だ」


「条項2。……その、食べる時は……」


 シルヴィアのペンが止まる。彼女は顔を真っ赤にして、モジモジと視線を泳がせた。


「……手が冷えてスプーンが持てない時もありますから。そういう時は……貴方が、その……あ、あーん、しなさい」


「……は?」


「な、何回も言わせないでください! 恥ずかしいじゃないですか! ……これは介護です! 必要な処置なんです!」


 シルヴィアが逆ギレ気味に叫ぶ。耳まで真っ赤だ。


「……それと」


 彼女はさらに小声になり、ボソッと言った。


「……あの、暑苦しい兄上マクシミリアンが来たら、貴方が盾になって追い払ってください。あいつ、生理的に無理なんで」


「……了解した。あの脳筋王子は俺がなんとかする」


「……ふん。なら、よしとします」


 シルヴィアは満足げに頷き、契約書にサインをして俺に押し付けた。


「これで契約成立です。……裏切ったら、王都ごと凍らせて、貴方は一生私の氷像コレクションにしますから」


「怖い怖い」


 俺が契約書を受け取ると、シルヴィアは空になった器を、そっと、恥ずかしそうに突き出してきた。


「……あの」


「ん?」


「……契約、成立しましたよね?」


「ああ」


「なら……その……おかわり、くれないんですか……?」


 上目遣い。


 さっきまでの高飛車な態度はどこへやら、捨てられた子猫のような瞳で俺を見ている。


(……これが『反抗期ツンデレ』の破壊力か)


 俺は苦笑し、二杯目のアイスを盛り付けて渡した。


「……んっ! ……はぁ……♡」


 一口食べた瞬間、シルヴィアの表情がとろけた。


 「美味しい!」と叫びたいのを我慢して、必死にクールな顔を保とうとしているが、口元が緩みっぱなしだ。


「ふん……ベ、ベストな温度管理。悪くないです」


 震える声で精一杯の強がりを言う王女様。


 後ろでシャルロットが「……お姉さま、チョロいですわね」と呟き、マリアが「……あの女、あとでシメていいですか?」と殺気を放っているが、今は無視だ。


「さあ、行くぞ。……ツンデレ王女」


「なっ!? 誰がツンデレですか! 私は『氷禍』のシルヴィアですよ! ……もう、勝手に変なあだ名つけないでください!」


 文句を言いながらも、シルヴィアは俺の服の裾をちょこんと摘んで、ついてくる。その顔は、満更でもなさそうだった。

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