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44.閑話 泥に塗れた千里眼

 王都の喧騒が、遠い海の底のざわめきのように聞こえる、スラムの安酒場。


 紫煙が燻る薄暗い店内で、俺――ガストンは、水で薄めたような安っぽいエールを煽っていた。


「フッ、今夜も『聖人伝説』で持ちきりかよ。平和なこった」


 周囲の客が熱っぽく語るのは、昨夜の大聖堂での一件だ。悪徳領主の息子ヴェルトが魔人を倒し、聖女を救ったという三文芝居のような英雄譚。その裏で、誰が情報操作をしてるかなんて、ほとんどの奴らは誰も知っちゃいない。


「ま、報酬かねさえ貰えりゃ、道化でも黒子でもやってやるさ。……なァ、若旦那?」


 空になったジョッキをテーブルに置き、俺はニヤリと笑う。


 あのクソ生意気な少年領主、ヴェルト・フォン・アークライト。最初はただの金づるだと思っていたが、どうしてなかなか、骨のあるガキだ。腐った貴族社会に正面から喧嘩を売る度胸と、それを実現させるだけのイカれた頭脳。何より、あの「目」がいい。全てを見透かし、利用しようとする、同類の目だ。


 そして、そんな若旦那の隣に控える、あの堅物執事。


「……セバスチャン、か。まさか、あの『剣鬼』が、今じゃあんなに綺麗になっちまって。人生ってのは分からねェもんだ」


 俺の脳裏に、古い記憶が蘇る。


 まだ俺が王宮で、「筆頭魔術師候補」なんていう大層な肩書を背負わされ、その実、権力者たちの「都合のいい覗き屋」として扱われていた頃の話だ。


       ◆


 ――数年前、王都の雨夜。


 俺のユニークスキル【千里眼】は、便利すぎた。壁を越え、距離を越え、あらゆる不正や秘密を暴くその目は、魔術の研究よりも、政敵の粗探しや汚職の証拠集めに利用された。表向きはエリート魔術師。だが裏では、王宮の泥をさらう下水掃除のような任務ばかり。心が腐る音が、毎日聞こえていた。


 そんなある夜、俺は一人の騎士の姿を「視た」。当時、王宮騎士団の第三部隊長だったセバスチャン・フォン・ルード。彼は、腐敗しきった大貴族の不正を告発しようとしていた。愚直なまでに真っ直ぐで、眩しいほどの正義感。汚れた仕事に染まりきった俺からすれば、見ていて痛々しいほどに輝いていた男だ。


 だが、結果は悲惨だった。


 彼が命懸けで守ろうとした証拠も、証人も、巨大な権力の前に握りつぶされた。彼自身もまた、無実の罪を着せられ、騎士の称号を剥奪されて泥水の中に堕ちた。


 雨の中、泥にまみれて悔し涙を流す彼を、俺は遠くから見ていた。嘲笑うつもりだった。ほら見ろ、正義なんて何の役にも立たないと。


 だが、俺の胸に去来したのは、嘲笑ではなく――激しい「嫉妬」と「憧れ」だった。



(……チッ。なんだよ、その目は。全てを失ってもなお、まだ折れてねぇのかよ)



 汚い仕事に慣れきって、何も感じなくなっていた俺の心に、奴の愚直な生き様が火をつけた。


 柄にもなく、熱くなっちまったんだ。


 そして3日後。俺は【千里眼】で、ある光景を捉えた。セバスチャンを陥れた張本人、バルデル伯爵の別邸。そこで、あの事件の唯一の証人である少女が、口封じのために殺されようとしていた。


『手足を切断して、豚の餌にしろ。死体が見つからなければ、あの元騎士も諦めがつくだろう』


 バルデル伯爵が、ワインを片手にそう命じているのを。


 俺の中で、何かが切れた。セバスチャンはもう動けない。追放され、監視されている。なら、誰がやる?正義の騎士様が守りきれなかったものを、誰が拾う?


(馬鹿が何考えていやがる……そんなの俺しかいねぇだろうが!)


 俺はその夜、初めて「命令」ではなく「自分の意志」で魔法を使った。顔を隠し、痕跡を消し、バルデル伯爵の屋敷へ単身乗り込んだ。


『な、何者だ貴様! 衛兵! 衛兵はどこだ!』


『騒ぐなよ、豚野郎。……衛兵なら全員、トイレで夢の中だ』


 俺は腰を抜かす伯爵を、冷ややかに見下ろした。


 殺すつもりはなかった。だが、こいつが生きていれば、また少女を狙う。セバスチャンの犠牲を嘲笑い続ける。


『……悪く思うなよ。俺は騎士様みたいに優しくねぇんだ』


 翌日。バルデル伯爵は「謎の失踪」を遂げた。屋敷は原因不明の火災で全焼。そして、証人の少女は「死亡した」ことにして、俺が密かに西の国境にある修道院へ逃がした。


 誰にも言わなかった。セバスチャンにすら、伝えなかった。彼に伝えれば、彼はまた少女を守るために戻ってくるだろう。そして今度こそ、本当に殺されるかもしれない。だから俺は、彼に「少女は死んだ」と思わせたままにした。それが、彼を生かす唯一の道だと判断したからだ。


       ◆


「……ククッ。我ながら、酔狂なことをしたもんだ」


 俺は空になったワイングラスを眺め、自嘲した。


 結局、俺はその一件でどこからか上層部に目をつけられ、居場所をなくしてスラムへ流れた。エリートコースからの転落。だが、後悔はしていない。


 今のセバスチャンは、過去を乗り越え、ヴェルトという新しい主に忠誠を誓っている。


 なぜ、奴が「少女は死んだ」と思っていると分かるかだと?簡単なことだ。俺は『千里眼』のガストンだが、それでも見えないものは多い...だが、それを補う『耳』を持ってるのさ。


 実際、俺も驚いたが、アークライト領へ向かった教会の暗部。奴が出発する前、上官から受けていた『指令』の内容を、俺の飼っているネズミ(情報屋)が拾っていたのを最近になって知った。


『ターゲットの執事に精神的動揺を与えよ。証人の少女は、お前の追放後に口封じで殺したと告げ、絶望した隙を突いて殺せ』


 ……胸糞悪い脚本だ。いかにも教会らしい陰湿なやり口だ。だが、結果として暗部は返り討ちに遭い、セバスチャンは生き残った。そして今の奴は、以前のような死んだ目ではなく、迷いのない澄んだ瞳で若旦那に仕えている。


 つまり、奴は暗部からその『残酷な嘘』を聞かされ――それを真実だと受け入れた上で、過去を断ち切ったってことだ。


 皮肉なもんだ。俺がついた「優しい嘘(沈黙)」と、敵が吐いた「残酷な嘘」が、結果的に彼を最強の執事へと完成させた。


 その時、酒場の扉が開き、鼠のように目立たない男が入ってきた。俺の飼っている情報屋ネズミの一人だ。


「……旦那。例の件、確認してきましたぜ」


 ネズミが俺の耳元で囁く。


「西の修道院。……あの娘、まだ元気に生きてました。今はシスター見習いとして、子供たちの世話をしているそうです」


 俺の口角が、自然と吊り上がった。


「そうか。……なら、いい」


 生きていれば、それでいい。


 セバスチャンが命を賭け、俺が人生を棒に振って守った命が、どこかで息づいている。それだけで、俺たちのしたことは無駄じゃなかった。


「……どうします、旦那? このネタ、セバスチャンの旦那に売りますか? 泣いて喜ぶと思いますぜ?」


 ネズミが問う。俺はワイングラスを傾け、赤い液体を見つめた。


「馬鹿野郎。安売りするんじゃねェよ」


 俺はこの情報を、誰にも売らず、懐深くにしまい込んだ。今、これを伝えれば、覚悟が揺らぐかもしれない。今奴に必要なのは、過去の慰めではなく、未来を切り開く鋭さだ。


 だが、いつか。全てが終わった時。あるいは、あの堅物が老いぼれて、暖炉の前で昔話を始めた時。その時に、酒の肴として話してやるのも悪くねェ。


「……これは俺の『切り札』であり、あの堅物への『手向け』だ」


 俺は席を立ち、勘定を済ませた。外の空気は、まだ微かに祭りの後の熱気と、これから始まる嵐の予感を孕んでいた。


 裏通りのネズミは、今夜も面白そうな匂いを嗅ぎつけて、闇の中へと消えていく。古傷の疼きを、安酒と、ほんの少しの誇りで誤魔化しながら。

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