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43.英雄は一夜にして成る

 王都の朝は、かつてない熱狂と共に明けた。


 大聖堂での激闘から一夜。市場や大通りは、早朝から興奮した様子の市民たちでごった返していた。


 彼らが食い入るように読んでいるのは、朝一番で配られた号外新聞だ。


「おい見たかよこれ! 昨日の大聖堂の騒ぎ!」


「ああ! 『悪徳領主の息子、実は聖人の再来だった』って記事だろ!?」


 酒場の主人も、洗濯中の主婦も、話題はそれ一色だ。


「なんでも、アークライト家の放蕩息子だと思われてたヴェルト様が、実は腐敗した教会を正すために、あえて悪役を演じていたらしいぞ!」


「あの強欲で有名な親父さんとは大違いねぇ。まさか、聖女様を救うために単身で魔人の群れに飛び込むなんて……」


「聞いたか? 最後は『光の剣』を掲げて、魔人を一撃で浄化したらしいぜ! その姿は、まるで神話の勇者のようだったとか!」


 噂は尾ひれがつきまくり、もはや事実とはかけ離れた「聖人伝説」と化していた。


 そんな喧騒を見下ろす、路地裏の屋根の上。一人の男が、朝からスキットル(携帯酒瓶)を煽り、ゲラゲラと笑っていた。仕立ての良いスーツを着ているが、その着こなしはダルそうで、どこか退廃的な空気を纏った男――『千里眼』のガストンだ。


「ヒックッ……! 傑作だぜ。どいつもこいつも、俺が新聞屋にばら撒いたデマを真に受けてやがる」


 ガストンは口元の酒を拭い、ニヤリと笑った。


 彼は昨夜の騒動の直後、昔馴染みの情報屋やゴロツキたちを使って、あることないこと(主にヴェルトを美化する方向で)情報をリークしまくったのだ。


「ま、これだけ騒げば教会も迂闊には手出しできめぇ。……さぁて、追加の報酬さけだいを請求しに行くか」


       ◆


「……おい。なんだこのふざけた記事は」


 ホテル『金獅子亭』のスイートルーム。


 優雅にモーニングコーヒーを楽しもうとしていた俺は、テーブルに置かれた新聞を見て顔を引きつらせた。


 一面トップには、デカデカとこう書かれていた。


 『聖なる夜の奇跡! アークライト卿、黄金の輝きと共に魔人を討つ!その慈悲深き瞳は、迷える子羊を導く羊飼いの如く――』


「『黄金の輝き』って……ただの身体強化のエフェクトだろ。それに『慈悲深き瞳』だぁ? あの時俺は『残飯がお似合いだ』って煽り倒してたんだぞ? 誰だこの捏造記事を書かせたのはぁ!?」


「あら、良いじゃありませんか。満更でもない顔をしていますよ?」


 マリアが紅茶を注ぎながら、くすりと笑う。


「ふん。俺は悪徳領主だぞ? こんな『正義の味方』みたいな扱いは営業妨害もはなはだしい」


「ウィ~ッ……。朝から堅いこと言うなよ、若旦那ぁ」


 その時、窓から酒臭い息と共にガストンが侵入してきた。彼は勝手にソファに座り込み、テーブルの上のフルーツを摘み食いする。


「ガストン、てめぇの仕業か。盛りすぎだバカヤロウ」


「うるせぇな。大衆ってのはなぁ、分かりやすい『英雄』を求めてるんだよ。悪党が改心して実は正義の味方でした、なんてのは一番ウケる筋書きだぜ?」


 ガストンは悪びれもせず、スキットルを振った。中身が空なのを確認すると、無言で俺の方へ突き出してくる。……酒をよこせということか。


「……マリア、高い酒を一本やってくれ」


「勿体ないですわ。消毒用エタノールで十分では?」


「おいおいメイドちゃん、お手柔らかに頼むぜ。……で? どうよ。俺の仕事ぶりは」


 ガストンはマリアから渋々渡された高級ワインのコルクを歯で開け、ラッパ飲みしながらニヤついた。


「おかげで、王城周辺の検問がフリーパス状態になっているとの報告が入っております」


 セバスチャンが呆れたように補足する。


 素行は最悪だが、仕事は確かだ。この噂のおかげで、今の俺は「時の人」扱いされている。


「……チッ。まあいい、利用できるものは何でも利用するか。英雄様のお通りだ、城の門も開くだろうよ」


「行きましょう、ヴェルト様! 今ならきっと、父上にお会いできますわ!」


 シャルロット王女が、希望に満ちた瞳で立ち上がった。


       ◆


 午後。俺たちはシャルロット王女を先頭に、意気揚々と王城の正門をくぐった。


 ガストンの工作通り、衛兵たちは「あ、あの噂のアークライト卿か!」と敬礼して道を開けた。ここまでは順調だった。


 だが、謁見の間へと続く長い回廊で、俺たちの足は止められた。


「――お引き取りください、シャルロット殿下」


 白髪まじりの男が、眼鏡越しにこちらを切り捨てた。


 宰相ルシウス。声は低く、刃物みたいに乾いている。背後で近衛が槍を揃えた音が、やけに大きく響いた。


「父上に会わせて!」


「陛下は面会謝絶。侍医の判断です」


 言葉は丁寧なのに、心は一切入ってない。


 シャルロットの唇が、悔しさで白くなる。


「それに――殿下。市井の騒動に関わったとか。王族として軽率では?」


「……っ」


「その上、どこの馬の骨とも知れぬ……ああ、失礼。最近、新聞で噂の『田舎貴族』の方々を引き連れてくるとは。……神聖な王城は、観光地ではありませんよ」


 宰相の視線が、俺とネロに向けられる。


 「英雄」という噂など、この男には通じない。むしろ、民衆の噂を信じて騒ぎ立てる輩として、侮蔑の色を隠そうともしていなかった。


「宰相殿。俺たちは陛下を治す手段を持っている」


 俺が一歩前に出ると、宰相は鼻で笑った。


「ほう? 医学の心得もない辺境の領主が治せると? ……滑稽な。売名行為も大概になさい」


「売名かどうか、試してみればわかることだろ。ここにいるのは本物の聖女と、天才魔術師だ」


「不要です。陛下の御身を、怪しげな術士の実験台にするわけにはいきません。……衛兵! 殿下をお部屋にお連れしろ。この者たちは退去させろ!」


 取り付く島もない。


 カシャン、と近衛騎士たちが槍を構える。


 ここで暴れれば、それこそ逆賊扱いだ。シャルロット王女の「第三王女」という立場は、王位継承権争いの中ではあまりに弱く、宰相を動かすだけの権力がない。


「……くっ」


 シャルロットが悔しげに宰相を睨みつけ、マリアが音もなくナイフに手をかけた、その時だった。


「――何をしている! 騒がしいぞ!!」


 回廊の奥から、雷のような怒声が轟いた。


 ビリビリと空気が震えるほどの声量。衛兵たちがビクリとして道を空けると、そこから一人の大男がズカズカと歩いてきた。


 燃えるような赤髪を短く刈り込み、筋肉で膨れ上がった巨躯を黄金の鎧に包んだ偉丈夫。


 この国の第一王子、マクシミリアン・ヴァン・ドラグーンだ。


「マクシミリアン殿下……何故貴方様がここに?」


 宰相ルシウスが眉をひそめる。


「黙れルシウス! 貴様、我が愛しの妹になんという口を利いている! 兄として聞き捨てならんぞ!」


 マクシミリアン王子は、宰相とシャルロットの間に割って入ると、丸太のような腕で宰相を威圧した。


「お兄様! ……王都にいらっしゃったのですか!?」


 シャルロットが驚きの声を上げる。


 それもそのはず、彼はここ数ヶ月、王都から離れた国境警備の任務に就いていたはずだからだ。


「おう、シャルロット! 無事だったか! ……ふん、枢機卿の狸め。私に『国境付近で不穏な動きがある』などと嘘の情報を流し、王都から遠ざけておったのだ。おかげでこの数ヶ月、何もない荒野でカカシのように突っ立っている羽目になったわ!」


 マクシミリアンが豪快に笑うが、その瞳には怒りの色が宿っている。


「だが、昨夜急に『枢機卿が倒れた』との報せが入ってな。監視役の聖騎士どもが蜘蛛の子を散らすように逃げ出したおかげで、こうして戻ってこれたというわけだ」


(なるほど。……枢機卿は自分の障害になりそうな『武断派』の第一王子を、嘘の任務で僻地へ飛ばしていたわけか)


 俺は納得した。シャルロットが以前に「兄も姉も欺かれている」と言っていたのはこのことか。つまり、俺が枢機卿をぶっ飛ばしたおかげで、教会の包囲網が崩れ、この脳筋王子が解放されたということだ。


「で? 戻ってみれば、そこの軟弱な宰相が妹を虐めているではないか」


「虐めてなどおりません。殿下、これは国の規律の問題です」


 宰相が冷静に反論するが、マクシミリアンは聞く耳を持たない。


「規律だと? はっ! 今、この国に必要なのは規律より『力』だ! 教会に骨抜きにされた今の王宮に足りないのは、外敵を打ち砕く意思だ!」


 マクシミリアンが、ビシッと俺を指差した。


「ヴェルト・フォン・アークライト! 昨夜の大聖堂での立ち回り、聞き及んでいるぞ! あの腐敗した枢機卿を殴り飛ばし、魔人を一刀両断したそうだな! ……うむ、実に痛快だ! あの狸を倒してくれたこと、兄として礼を言う!」


「はぁ、どうも」


 俺は適当に返事をした。どうやらこの王子、噂を鵜呑みにする単純な性格らしい。だが、利用できる。


「殿下、あのような噂話を信じるのですか?」


「黙れルシウス! 貴様のようなインテリには分からんのだ、男の魂というものが! ……シャルロットの客人に対し無礼を働くなら、この私が相手になるぞ!」


 マクシミリアンが腰の大剣に手をかける。


 宰相ルシウスは、ギリリと歯噛みした。彼は知っている。この脳筋王子が本気で暴れだしたら、近衛騎士数人では止められないことを。


「……チッ。野蛮な」


 宰相は舌打ちをし、忌々しげに俺たちを睨みつけた。


「よろしい。殿下の顔に免じて、今回は見逃しましょう。……ですが、陛下の寝室に入ることは許可できません。まだ『治療法』が確立されていない以上、菌を持ち込むわけにはいきませんので」


 そう言い捨てて、宰相は部下を引き連れて去っていった。捨て台詞こそ吐いたが、事実上の敗走だ。


「ふん! 口ほどにもない奴め!」


 マクシミリアンは鼻を鳴らし、シャルロットに向き直った。


「すまんな、シャルロット。兄がいながら、お前一人に苦労をかけた」


「いいえ、お兄様。お戻りになられただけで心強いですわ」


「だが、奴の言う通り親父殿の寝室には、教会の魔術師どもが張った厳重な結界があってな、私でも入れんのだ。……無理やり壊すと、親父殿の命に関わると脅されていてな、真意が分からん以上は迂闊な真似はできん」


「そんな……。では、どうすれば……」


 シャルロットが顔を曇らせる。


 力づくで解決できないとなると、この脳筋王子はお手上げだ。だが、マクシミリアンは腕を組み、唸るように言った。


「緊急の際に結界を解除出来る様に『鍵』を教会に任されている人物がいる、彼女に頼むしかない。……だが、それが問題でな」


「問題、ですか? ……第一王女である姉様は、隣国へ嫁がれておりますし……あ」


「ああ、姉上はいらっしゃれん。そう……残るは『第二王女』。シルヴィアだ」


 マクシミリアンが、苦虫を噛み潰したような顔をする。


「シルヴィアなら城の奥にいる。彼女の権限なら、寝室の結界を解くことも可能だろう。だが……」


「だが?」


 俺が促すと、屈強な第一王子は、急にバツが悪そうに視線を泳がせた。


「……その、なんだ。私はシルヴィアに、少々……いや、かなり嫌われていてな」


「嫌われている?」


「うむ。『お兄様が近くにいるだけで暑苦しいです。室温が上がるので半径50メートル以内に近づかないでください』と言われていてな……。私が会いに行けば、問答無用で得意の魔法で氷漬けにされかねん」


 俺は思わず天を仰いだ。


 この国の王族はどうなっているんだ。脳筋の兄に、兄を拒絶する妹。そして腹黒……いや、賢い末の妹。


「……つまり、王子が行くと逆効果だから、俺たちで説得してこいと?」


「察しが良くて助かる! 頼む、ヴェルト殿! シャルロット! シルヴィアを説得し、親父殿の元への道を開いてくれ!」


 マクシミリアンは俺の肩をバシバシと叩いた。痛い。


「……忠告しておこう、ヴェルト殿」


 そこで、マクシミリアンが急に声を潜め、真剣な表情になった。


「シルヴィアは、ただ気難しいだけではない。城内では『氷禍ひょうか』と呼ばれて恐れられているのだ」


「氷禍……?」


「ああ。以前も、熱烈な求婚をした隣国の貴族が、『暑苦しい愛など不要です』の一言で氷像に変えられたばかりだ」


「……氷像?」


「うむ。解凍に三日かかったそうだ。……機嫌を損ねれば、王都ごと冬にされかねんぞ」


「あら、懐かしいお話ですわね。わたくしも覚えておりますわ。あの方、カチコチに凍ったまま中庭に飾られておりましたもの」


 シャルロットがクスクスと笑って肯定する。……どうやら、とんでもない地雷原に足を踏み入れることになったらしい。


「やれやれ。まずは陛下を救うのが最優先だ。……塔にいる勇者の救出は、陛下をお助けして事情を話し、俺たちが正式な『勅命』を得てからの方が動きやすいだろう」


 勇者は逃げない。今は、目の前の政治的な壁を突破し、国のトップをこちらの陣営に引き込むのが先決だ。


「よし……その『氷の王女』様とやらに、ご挨拶といこう」


 こうして俺たちは、物理マクシミリアンでは突破できない最難関、第二王女シルヴィアの元へと向かうことになった。

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