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42.悪徳領主は強欲を嗤う

 大聖堂に静寂が落ちた。


 ヴェルトが読み上げ、テーブルに叩きつけた一冊の帳簿。それが、この国の宗教的権威の頂点に近い男、グライア・バチカンの栄華を断ち切った音だった。


「……あ、あぁ……私の……私の金が……地位が……」


 枢機卿がわななきながら帳簿に手を伸ばす。


 だが、その指先は空しく空を切り、膝から崩れ落ちた。会場の貴族たちが、汚物を見るような目で彼を見下ろしている。さっきまでの崇拝と畏怖は消え失せ、あるのは軽蔑と、自分たちが「金ヅル」にされていたことへの怒りだけだ。


「なんてことだ……我々の寄付金が、闇組織に流れていたなど!」 「聖女様への非道な行い……許されることではないぞ!」


 もはや、枢機卿を守ろうとする聖騎士はいない。セバスチャンたちに叩きのめされた者たちは呻き声を上げているが、立っている者たちも戦意を失っていた。


 何も知らされていなかった末端の騎士たちは信じていた正義が崩れ去り呆然とし、薄々事情を知っていた隊長格の連中も、悪事が白日の下に晒された今、これ以上枢機卿を庇えば自分たちも破滅すると悟り、バツが悪そうに視線を逸らして剣を下げたのだ。


 忠誠心などない。あるのは保身と、腐敗した利害の一致だけだったということだ。



「お、おのれ……おのれぇぇ……!!」



 誰一人として味方がいなくなった床の上で、枢機卿が爪を立てて絨毯を引き裂いた。その瞳から理性の光が消え、底なしの執着と欲望だけがドス黒く渦巻いている。


「なぜだ……私は全てを手に入れるべき人間だぞ……! この国も、民も、勇者も、全て私の所有物モノだ! 家畜が飼い主に逆らうなど、あってはならないんだァッ!!」


「見苦しいぜ、爺さん」


 俺はテーブルに腰掛け、冷ややかに彼を見下ろした。


「神はお前を選んでなんかいない。お前はその肥え太った腹の中に、欲望を詰め込みすぎたんだ。……さあ、年貢の納め時だ。お前が築き上げた虚飾の城は、ここで崩壊だ」


 ここで必要なのは、こいつを再起不能にし、後顧の憂いを断つことだけだ。


「ふ、ふふ……ふははははッ!!」


 突然、枢機卿が哄笑した。


 壊れたような、耳障りな笑い声が聖堂内に反響する。


「終わるものか……。私のものだ……勇者も、聖女も、誰にもやらん……! 貴様らごときに、私の全てを奪われてたまるものかァッ!!」


 枢機卿が懐から何かを取り出した。


 それは、ドクン、ドクンと脈打つように不気味な黄金と黒の光を放つ、拳大の歪な結晶石だった。


 それを見た瞬間、俺の背筋に戦慄が走った。


「……ッ! おい、まさか……『魔神の心臓』!?あの色は強欲か!?」


 見間違えるはずがない。


 あれはただの魔道具アーティファクトじゃない。 『七つの大罪』を司り、かつて神話の時代に世界を恐怖で支配した魔王の始祖――その力の源泉たる結晶、『魔神の心臓』だ。


 本来ならば、ゲームのラストダンジョン最深部で裏ボスが守護していたり、あるいは大国の王族が国を挙げて厳重に封印しているはずの代物。一つ存在するだけで国が滅びかねない、特級の災厄級カタストロフアイテムだ。


 心臓の輝きは、宿した大罪によって色を変える。そして、あの血のようにドス黒い赤色は、全てを欲し、奪い尽くす『強欲グリード』の証だ。その効果は、等価交換すら無視した暴虐そのもの。 装備者に人知を超えた絶対的な力を与える代償に、周囲の空間に存在するあらゆる生命マナを無差別に、かつ強制的に収奪し、燃料として燃やし尽くす。 存在するだけで周囲を死の荒野に変える。


 だが、なぜ奴がそんなものを持っている? 一介の枢機卿が、いかに裏社会に通じていようと入手できる代物じゃない。


(……いや?奴は外部から手に入れたんじゃないのか?....大聖堂.........!地下の『宝物庫』から、持ち出したのか!)


 教会の、歴代の勇者が命がけで封じてきた厄災を、管理者が私利私欲のためにくすねたというのか。


 その異常性に気づいた瞬間、俺の中で全ての事実が戦慄すべき一本の線で繋がった。


(....そういうことだったのか)


 俺たちが作成した偽の帳簿。あれは適当なでっち上げなんかじゃない。


 俺はゲーム知識で、厳重に保管された『本物の裏帳簿』に何が記されているかを知っていた。だからこそ、枢機卿を確実に追い詰めるために、『金喰い虫』との『実験体の提供』や『廃棄物処理』という実際の取引記録を、そのまま再現して書き込んだのだ。


 だが、その「理由」までは分かっていなかった。ゲーム上でも特に触れられていなかったから、ただのよくある不幸なエピソードだと特段気にしなかった。だが、なぜ聖職者が、わざわざリスクを冒してまで人体実験を繰り返す必要があったのか。



 ......その答えが、目の前にある。



 この禁断のアーティファクトを制御するには、所有者を蝕む強烈な呪いを中和するために、新鮮な人間の魔力リソースを絶えず注ぎ込み、パスを繋ぐ「適合実験」が必要不可欠だ。


 つまり、帳簿に記されていたあのおぞましい取引は、単なる趣味や拷問じゃない。この結晶を制御するための『燃料調達』の記録だったってことだ。



「神が私を見捨てるのならば!」



 ズプッ……ドクンッ!!



 枢機卿は躊躇なく、その結晶を自らの胸に突き立てた。


 心臓の鼓動のような音が響き渡り、衝撃波とともに黄金色の瘴気が爆発的に広がった。


「悪魔でも構わん! 足りぬ……まだ全然足りぬ! 力をよこせ! お前たちの命をよこせぇぇぇッ!!」



ッー



「う、ぐぁ……息が……!」 「か、体が……熱い……力が抜けていく……」「なんだ....こ....」


 異変は即座に起きた。


 会場にいた貴族たちが、次々と白目を剥いて倒れ始めたのだ。瘴気が彼らの生命力を強制的に吸引している。


「マズい……! ネロ! 全員に結界を張れ!」


 俺が叫ぶ。


「はぁ!? 俺一人でこの人数をかよ!?」


「やれ! こいつらは俺の無実を証明する大事な『証人』だ! 一人たりとも死なせるな!」


「チッ、人使いの荒いご主人様だぜ! ……あーもう、計算が追いつかねぇ! 『確率障壁シールド最大展開フルベット』!!」


 ネロが杖を掲げると、会場全体を覆うように巨大な幾何学模様の障壁が展開された。


 瘴気の侵食が止まる。だが、ネロの顔色がみるみる青ざめていく。


「ぐっ……! なんだこの吸引力……! 俺のマナがごっそり持っていかれるぞ! まるで底なしのブラックホールだ!」


 相手は『強欲』を司る魔神の欠片だ。いくら天才のネロでも、広範囲の防御を持続させるには限界がある。


「グオォォォォォォッ!!」


 その間に、枢機卿の変貌は完了していた。


 全長三メートルを超える巨体。その全身は、黄金の硬貨と宝石が癒着したような醜悪な装甲に覆われ、背中からは六本の黒い腕が生えている。『強欲の魔神』いや、人との融合....魔人か――全てを奪い、溜め込むことだけに特化した怪物。


「ヨコセ……スベテ、ワタシノ、モノダァァッ!!」


「神聖な場所を……!」 「掃除の時間よ!」


 セバスチャンとロザリアが同時に動いた。


 銀のナイフと暗殺者の短剣が、魔人の急所を正確に捉える。だが。


 キンッ! ガギィンッ!


「なっ……!?」 「刃が……通らない!?」


 二人の攻撃は、魔人の体を覆う黄金の装甲に弾かれた。傷一つついていない。


 物理攻撃無効化。『強欲』の権能による、絶対防御だ。


「ムダダァァァッ!!」


 魔人の六本の腕が振るわれる。ただの裏拳が、暴風となって二人を吹き飛ばす。


「ぐぅっ!」 「きゃあッ!」


 セバスチャンとロザリアが体勢を崩して着地する。マリアも牽制のナイフを投げるが、まるで効果がない。


(物理耐性にマナ吸収……! 生半可な攻撃じゃダメージが通らない!)


 俺は脳内のゲーム知識を高速検索した。こいつを倒すにはどうする? 高火力の魔法か? いや、ネロは防御で手一杯だ。下手に魔法を撃てば、それごと吸収されかねない。なら弱点は――『聖属性』。物理無効だろうが、聖属性なら魔神の力に対抗できる。本来であれば勇者の力が望ましいが、ここに勇者はいない。


「ニーナ!」


 俺は聖女に視線を向けた。だが、ニーナは魔人が発する圧倒的な悪意と欲望の波動に当てられ、ガタガタと震えて動けずにいる。無理もない。彼女のレベルはまだ発展途上だ。この化け物と対峙するには荷が重すぎる。


(クソッ、詰みか!? いや、あるはずだ……この場に一つだけ、『聖なる武器』が!)


 俺の視線が、瓦礫の山へと走る。


 そこには、先ほどセバスチャンにへし折られ、無残に転がっている聖騎士隊長の大剣があった。折れてはいるが、あれは教会によって祝福された正規の『聖剣もどき』だ。腐っても聖属性を帯びている。


「セバス! あの折れた剣をよこせ!」


「くっ……申し訳……ありません、ヴェルト様……!」


 返ってきたのは、苦悶の声だった。  見れば、セバスチャンは片膝をつき、脂汗を流して荒い息を吐いている。


 魔人の『強欲』による生命力の徴収。老体である彼には、その負担が若者以上にダイレクトに響き、指一本動かせない状態に陥っていたのだ。


「体が……動き……ません……」


(しまっ……!)


 万事休す。俺が剣を取りに行く隙など、目の前の怪物は与えてくれない。


「オマエノイノチ、イタダク!!」


 巨大な六本の腕が振り上げられ、俺を押し潰そうと迫る。


 ネロはバリア維持で手一杯。マリアたちは距離が遠すぎる。 躱しきれない。


「……ッ、舐めんじゃねぇぞッ!」


 俺は咄嗟に『身体強化』の出力を限界まで引き上げ、迫りくる巨体へ向けて、カウンターの右拳を叩き込んだ。これでも腐っても悪徳領主、ステータスは伊達じゃない。渾身の一撃だ。


 ドゴォッ!!


 重い衝撃音が響く。直撃だ。


 だが――。


「……ハ?」


 魔人は、ピクリとも動かなかった。俺の拳は、奴の体を覆う黄金の装甲に阻まれ、傷一つ、ヒビ一つ入っていない。まるで巨大な城壁を素手で殴ったかのような、絶望的な硬度。


(バカな…… 俺の全力だぞ!?)


 ゲームの知識としては知っていた。だが、現実として突きつけられた理不尽なまでの「物理無効」に、俺の背中を冷や汗が伝う。


「ムダダ。キサマノチカラ、スベテ、ワタシノモノ!!」


「……っ、マジかよ、反則だろ……!」


 効かないどころか、接触した拳からマナまで吸われている。万事休す。振り上げられた魔人の剛腕が、今度こそ俺をすり潰そうと落下を始める。


(……まさか、ここまでなのか?)


 その瞬間だった。


ドォォォンッ!!


 爆音と共に、魔人の巨大な腕が弾き飛ばされた。


「……ア?」


 魔人が体勢を崩す。その目の前に、いつの間にか一人の影が立っていた。深紅のフードを目深に被った、謎の男だ。男は流れるような動作で魔人の懐に潜り込むと、渾身の力を込めた拳を、黄金の装甲へ叩き込んだ。


 ガガガッ!!


「ガァッ!?」


 巨体が数メートル後退する。だが、装甲にヒビが入っただけで、致命傷には至らない。男は痺れた拳を軽く振り、フードの下で悔しげに呟いた。


「……チッ。まだ駄目か。思ったより硬いな」


 男は視線を巡らせ、瓦礫の中に転がる『折れた聖剣』を見つけると、それを足先で器用に跳ね上げて掴み取った。


 そして、俺の方へと振り返る。


「おい!」


 男が腕を振る。放たれた鉄塊が、回転しながら一直線に俺へと飛んでくる。


「受け取れ、悪徳領主ッ!!」


 飛来する鉄塊。俺は反射的に手を伸ばし、回転するその柄を空中でむんずと掴み取った。ズシリと腕に沈む重み。刃は半ばから無残にへし折れ、見た目はただの産業廃棄物だ。だが、その折れた刀身には微かに、しかし確かな『聖なる光』が宿っている。


(フードの男が誰かはわからねーが、今はやるしかない)


 俺は手の中の鉄屑を強く握り締め、凶悪な笑みを浮かべた。


「ハッ、おあつらえ向きだ。……強欲にまみれた豚には、残飯スクラップがお似合いだろ?」


 俺はニヤリと笑い、魔人に向かって駆け出した。


「ネロ! バリアを解け! 防御に使ってるマナを全部、俺の攻撃支援バフに回せ!」


「正気か!? バリア解いたら貴族どもが死ぬぞ!」


「気にするな! 奴が吸い尽くすより早く、俺が殺す!」


「……あーもう! 信じてるからな、クソ領主がッ!」


 パリンッ!


 ネロが障壁を解除した瞬間、魔人の注意が、膨大なマナを纏った俺に向いた。


「オオォォ……ソノイノチ、ヨコセェェェッ!!」


 巨大な六本の腕が、俺を掴み取ろうと殺到する。風圧だけで体がバラバラになりそうな圧力。だが、俺は避けない。


「『身体強化』全開! 持ってくれよォ!」


 ギリギリで腕をスライディングで回避し、魔人の懐――黄金の装甲の隙間、心臓部にある「魔神の心臓」の真下へと潜り込む。至近距離。強欲の輝きが俺の顔を照らす。


「俺の物は俺の物! テメェの命も俺の物だッ!……悪いが、俺の方が『強欲』でな。テメェが盗んだ全て、利子つけて返してもらうぞ!!」


 俺は全身全霊の力を込め、折れた聖剣を魔人のコアへと突き上げた。


 ズドォォォォォンッ!!!


「ギ、ガァァァァァァァッ!?」


 聖なる光が炸裂した。折れていても、聖剣は聖剣。魔人を紙のように貫き、その奥にある「心臓」を粉砕する。聖属性のエネルギーが瘴気を浄化し、魔人の内部で光の奔流となって暴れまわる。



「ア、アァ……ワタシノ……カネ……チイ……メイヨ……ッ!!」



 断末魔の叫びと共に、魔人の巨体が内側から崩壊していく。黄金の装甲が剥がれ落ち、黒い灰となって霧散する。


 カラン、と音を立てて、「魔神の心臓」の欠片が床に落ち、粉々に砕け散った。


 それと同時だった。


「……はぁっ! げほっ、ごほっ……!」 「い、息が……吸える……」


 会場を支配していた強制的な生命力の徴収が止んだのだ。 貴族たちが、まるで溺れていた者が水面に顔を出したかのように、貪るように空気を吸い込み始める。死人のようだった彼らの顔に、みるみる生気が戻っていくのが見えた。


 後には、ボロ雑巾のように干からび、白目を剥いて気絶した枢機卿だけが残された。


「……ふぅ。硬いんだよ、まったく」


 俺は折れた剣を放り捨て、荒い息を吐いた。



 静寂が戻る。



 ふと、俺は瓦礫の山へと視線を巡らせた。俺に剣を投げ渡した、あの深紅のフードの男。礼の一つでも言ってやろうと思ったが……。


「……いない、か」


 影も形もない。まるで幻影のように、男は喧騒の中に紛れて消えていた。一体何者だったのか。だが今は、それを考えている時間はない。

 

 やがて、誰からともなく感嘆の声が漏れ出した。


「た、倒した……?」 「あの化け物を、一撃で……」 「アークライト卿が、我々を守ってくれたのか……?」


 貴族たちの視線が、畏怖と称賛へと変わっていく。


 ……悪くない。圧倒的な力を示し、優雅に勝利の余韻に浸る。これこそが『悪徳領主』の嗜みだ。今後の事を考えたうえでも、たとえ戦闘で埃まみれになろうとも、態度は常に不遜でなければならない。


(貴族社会は舐められたら終わりっていうからな)


 貴族たちの称賛の眼差しを当然のものとして受け流しながら、俺は素早く視線を巡らせ、仲間たちの安否を確認した。


 セバスチャンはロザリアに肩を借りて、ふらつきながらも立ち上がっている。顔色は悪いが、強欲の吸収が止まったことで命に別状はないようだ。こちらに気づくと、申し訳無さそうに、けれど安堵したように深く頭を下げた。マリアに至っては、すでにドレスの埃を払い終え、何事もなかったかのように涼しい顔で佇んでいる。かすり傷一つない。流石だ。


 ……よかった。誰ひとり欠けていない。


 胸の内で安堵の息を吐き、俺は一番消耗の激しい、その場にへたり込んでいるネロに歩み寄った。


「おい、ネロ。生きてるか?」


「ぜぇ、ぜぇ……。死ぬかと思ったぞ、このブラック領主が……! マナがすっからかんだ!」


 文句を言いながらも、ネロは不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。彼は聖堂の奥、ステンドグラスに描かれた『白亜の塔』を指差した。


「で? あとは、あの塔を探して結界をぶち破って、中の勇者を叩き起こすだけか?」


「……いや」


 俺は首を横に振り、会場の隅にいたシャルロット王女の方を見た。


「まずは王城へ向かう」


「はぁ?ああ、そういやそんなこと言ってたな 、はいはい了解しましたよっと」


「そう不貞腐れるな、ちゃんと対価は与えるさ……シャルロット様!」


 俺が声をかけると、シャルロット王女が駆け寄ってきた。その顔には、安堵と共に強い決意が滲んでいる。


「国王陛下の件、今こそ約束を果たします」


 俺はネロとニーナを指し示した。天才による魔力解析と、聖女による最高位の浄化。この二人がいれば、王を蝕む『呪毒』は確実に解ける。


「枢機卿が倒れた今、陛下の復活こそが、教会の権威を根底から崩す最強の一手になります。……案内していただけますね?」


「ええ、勿論ですわ! この混乱に乗じて城へ戻り、父上を救い出しましょう!」


 勇者の救出も大事だが、今は一刻を争う王の命が最優先だ。


 それに、王を救えば俺たちは「国の救世主」として、堂々と塔の封印を解く大義名分を得ることも出来るかもしれない。


(……それにしても)


 俺は倒れた枢機卿を一瞥した。こいつは暴走したが、教会のトップである『教皇』の動きが見えない。部下の暴走を黙認していたのか、それとも関与していたのか。敵か味方か、それともただの無能か……不気味な沈黙を守っているのが気がかりだが、今は動くしかない。



「さて、皆さん」



 俺は振り返り、呆然と立ち尽くす貴族たちに向かって、芝居がかった優雅な動作で一礼してみせた。瓦礫と黄金の欠片が散らばる惨状など、まるで最初から演出の一部であったかのように。


「どうやら、余興はこれでおしまいのようだ。……デザートを楽しむには、少し埃っぽくなっちまったな」


 俺はパンパン、とコートについた埃を払い、顎で転がっている枢機卿をしゃくった。


「それと、そこの犯罪者を衛兵に突き出しておいてくれると助かるんだが。なに、証拠はその薄汚い裏帳簿と、そいつ自身だ。……手柄はあんたらに譲るぜ?」


 その言葉が、凍りついていた時間を溶かした。手柄を譲る――つまり、枢機卿を捕らえた「共犯者」ではなく、悪を断罪した「正義の味方」側にあんたらを置いてやると言ったのだ。


 一瞬の静寂の後。


 わっと、会場が割れんばかりの歓声に包まれた。


「お、お見事です! アークライト卿!」 「なんという強さ、なんという慈悲深さ……!」 「国を救った英雄に、心からの感謝を!!」


 パチパチパチパチッ!!


 誰からともなく始まった拍手は、瞬く間に熱狂的な喝采の嵐へと変わる。彼らはもう、俺を田舎の悪徳領主とは見ていない。腐敗した教会を打ち砕き、自分たちの資産と命を守った、畏怖すべき新たな権力者として崇めているのだ。


 俺はその喝采を、さも当然の権利であるかのように不敵な笑みで受け流し、仲間を引き連れ、大聖堂の扉へと歩き出した。


 その背中を、割れるような拍手が追いかけてくる。


 だが、去り際にふと、ニーナだけが足を止めた。


 彼女は瓦礫の山――先ほどまであの深紅のフードの男が立っていた場所を、呆然と見つめた。


「……アレク?」


 喧騒にかき消されそうなほどの、小さな呟き。  


 こうして、聖なる夜の晩餐会は、悪徳領主の完全勝利で幕を閉じたのだった。

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