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40. 決戦前の着せ替え人形

 スラム街から『千里眼のガストン』を回収し、ホテル『金獅子亭』のスイートルームに戻った俺たちを待っていたのは、鼻をつく悪臭と、マリアの氷点下の視線だった。


「……ヴェルト様。お帰りなさいませ」


 マリアが完璧な笑顔で出迎えるが、その手には業務用の消臭スプレーが握られ、シュッシュッと容赦なく噴射されている。


「随分と『芳しい』香りを纏ってのご帰還ですね。王女殿下がお待ちのこの部屋が、ドブ川の底になったかと思いました」


「す、すまんマリア。ちょっとワイルドな場所に行ってきたもんでな」


 俺の背後では、泥酔状態のガストンが「うぇっぷ……酒ぇ……」と呻きながら、高級絨毯の上にポタポタと泥を落としている。


 それを見たシャルロット王女が、扇子で鼻を覆いながらも楽しげに目を細めた。


「あらあら。随分と個性的な『新しいお友達』ですこと」


「……友人というか、拾ってきた野良犬だな。セバス! まずはこの汚物を消毒だ!」


「御意。……ガストン殿、少々手荒になりますがご容赦を」


 セバスチャンが嫌がるガストンの襟首を掴み、浴室へと引きずっていく。すると、ガストンがこの世の終わりのような声を上げて抵抗を始めた。


「離せぇ! 俺は風呂なんて入らねぇぞ! 絶対に入らん!」


「往生際が悪いですよ。さあ、大人しく……」


「馬鹿野郎! この垢はな、俺がスラムで生き抜いてきた『年輪』なんだよ! 水に濡らしたら俺の魔力ダンディズムまで落ちちまうだろうが! 俺は『薄汚れてこそ輝く』男なんだよぉぉ!」


 ガストンがドア枠にしがみつき、子供のように駄々をこねる。風呂嫌いの猫でももう少しマシな抵抗をするだろう。


「……問答無用です。マリア、デッキブラシと高圧洗浄の魔道具、それと業務用の『激落ちくん』を持ってきてください」


「喜んで。皮の一枚や二枚、ペロリと剥げる洗剤をお持ちします」


「ギャアアアア! やめろ! その洗剤は人間用じゃねぇだろぉ!」


 浴室から響くオッサンの断末魔を聞きながら、俺はソファに腰を下ろした。


「さて……次は俺たちの番だな」


 俺はパンパンと手を叩き、部屋の隅で待機させていた商人たちを呼び寄せた。


 王都でも指折りの高級ブティックの店主と、そのお針子たちだ。


「今夜の晩餐会は、教会の枢機卿主催だ。舐められないよう、全員『最高級の戦闘服ドレス』で着飾ってもらう」


「えぇっ!? 私も着替えるんですか!?」


 ニーナが素っ頓狂な声を上げる。彼女は今、深紅のドレスの上にヨレヨレのローブを羽織り、さらにその下にはジャージを着込んでいるという奇抜なファッションだ。


「当たり前だ。そのジャージは燃やすぞ」


「そんなぁ! 私の動きやすさが! 可動域がぁ!」


「安心しろ、特注の『伸縮性魔法シルク』を用意させた。……ほら、さっさと選べ」


 俺の合図で、ハンガーラックに掛けられた煌びやかなドレスやタキシードがずらりと並べられた。


 ここからは、男には理解できない女たちの戦場だ。


       ◆


「いやぁぁぁ! 背中が開いてます! 落ち着きません!スースーしますぅ!」


「ニーナ様、じっとしてください。……素晴らしい広背筋ですわね。この筋肉美を見せないなんて宝の持ち腐れですわ」


 マリアがニーナを捕まえ、背中が大きく開いたイブニングドレスを無理やり着せている。


 鏡に映ったニーナは、深紅のドレスと鍛え上げられた肉体が奇跡的な調和を見せ、まるで戦場に咲く薔薇のような迫力があった。


「うぅ……。なんか強そうに見えませんか? 私、か弱い聖女なのに……」


「大丈夫だ、ニーナ。その背中でドラゴンも絞め殺せそうに見えるぞ」


「褒めてないですよね!?」


 ニーナを揶揄(からか)っていると、横から騒がしい声が割り込んでくる


「俺は断固拒否するぞ! なんでこんなフリフリした服を……!」


 一番抵抗しているのはネロだった。


 彼(彼女)に用意されたのは、半ズボンとフリルのついたシャツ、そして可愛らしいベレー帽という、どう見ても「良家のお坊ちゃん」というショタスタイルだった。


「似合ってるじゃないか。中性的なお前の魅力を最大限に引き出すコーデだ」


「ふざけんな! 俺は天才魔術師だぞ! こんな格好で歩けるか!」


「……着るなら、研究費にボーナスを上乗せしてやる」


「……チッ。着心地は悪くねぇな。採用だ」


 チョロい天才である。


 一方、ロザリアは死んだ魚のような目で、あてがわれた黒のドレスに着替えていた。


「……なんで私がこんな格好を。これじゃ動きにくいし、暗器も仕込めないじゃない」


「何言ってるんだ。そのドレスの裾、二重構造になってるだろ? そこにナイフを隠せる仕様だ」


「えっ? ……本当だ。趣味いいねぇ、ヴェルト君」


 ロザリアが少しだけニヤリとする。教会の処刑人として、やはり武器がないと落ち着かないらしい。黒のドレスは彼女の妖艶な雰囲気と相まって、「毒のある花」といった風情だ。


 着替えを終えたロザリアは、ふらりと俺が座るソファの隣に腰を下ろした。


 そして、コテンと俺の肩に頭を預けてきた。甘い香水の香りと、ドレス越しに伝わる体温。


「……おい。近いぞ」


「いいじゃん。……今は『番犬』ちゃんも着替中でいないし」


 ロザリアはクスクスと笑い、さらに体重をかけてしなだれかかってくる。普段ならマリアのナイフが飛んでくる距離だが、今は嵐の前の静けさだ。


「ねぇ、ヴェルト君」


 耳元で、少しだけ真面目な声がした。


「私さ、もうダメだと思ってたんだ。教会の裏切り者として消されるか、ヴェルト君みたいな化け物に潰されるか……どっちにしろ、私の人生はここで詰みだって」


 彼女の声には、張り詰めていた糸が切れたような安堵が滲んでいた。


 組織に使い捨てにされ、敵地で孤立無援。本来なら絶望して自害してもおかしくない状況だ。


「でも、君は言ったよね。『俺の領地は逃げ込んだ者には寛容だ』って」


 ロザリアの手が、俺の腕に絡みつく。それは誘惑というより、命綱に縋るような強さだった。


「敵だった私を、スパイだと知りながら受け入れて……あまつさえ、こうして守ろうとしてくれている。……君のその、呆れるほど広いふところ。正直……」


 彼女は上目遣いで俺を見上げ、とろりとした瞳で微笑んだ。


「……結構、クラッときてるんだよねぇ。悔しいけど」


「……買いかぶりすぎだ。俺は使える駒を拾っただけだ」


「はいはい、そういうことにしておくよ。……ねぇ、このまま本気で惚れちゃってもいい?」


 ロザリアが俺の耳に唇を寄せ、ふうっと息を吹きかける。


 その時。


「……お待たせしました、ヴェルト様」


 更衣室のドアが開く音がした。


 ロザリアはバッと弾かれたように俺から離れ、何食わぬ顔で髪を整え始めた。


「あー! ドレスの着心地サイコー! さすが高級品だねぇ!」


 ……切り替えの早い女だ。だが、その耳が微かに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。


 一呼吸置き、俺は目線をマリアへ向けた。


 普段の純白のメイド服ではなく、夜会用のシックなミッドナイトブルーのロングドレスに身を包んだ淑女がそこに居た。


 きっちりとまとめ上げている髪を下ろし、少しウェーブのかかった艶やかな黒髪が肩にかかっている。露出は控えめだが、それがかえって体のラインの美しさを際立たせていた。


 普段の「完璧な使用人」という鎧を脱ぎ捨てた、一人の女性としての破壊力。部屋の空気が一瞬止まるほどだった。


「……どう、でしょうか? ヴェルト様の隣を歩いても、恥ずかしくないでしょうか?」


 マリアが少し恥ずかしそうに頬を染め、上目遣いで俺を見る。


 俺は思わず息を呑み、そして素直な感嘆を口にした。


「ああ。……見違えたよ、マリア。最高に美しい」


 その瞬間。


 マリアの顔がボッ! と音を立てそうなほど真っ赤になり、彼女は胸元から素早く『録音の魔石』を取り出した。


「……録音、完了しました」


「は?」


 マリアは魔石を頬ずりせんばかりに大切に握りしめ、恍惚の表情で震えだした。


「ああっ、ヴェルト様……! そのお言葉だけで、私はあと五百年は戦えます! いえ、この録音データを家宝にして、末代まで語り継ぎます!」


「いや、そこまでは……」


「決めました。この『最高に美しい』というお声を、毎晩寝る前に百回再生します。睡眠学習して、夢の中でもヴェルト様に褒めていただけるように……うふふ、うふふふふ♡」


「……おい、誰かこの暴走メイドを止めろ。目が怖いぞ」


 俺がドン引きしていると、マリアはスッと真顔に戻り、キリッと敬礼した。


「ご安心ください。このドレスに誓って、ヴェルト様に近づく害虫は全て私が排除いたします。……たとえそれが、王女殿下であろうとも!」


 最後の付け足しが一番怖いのだが、まあ気合が入っているならよしとしよう。


 そんな騒がしい着せ替え大会が一段落した頃、浴室の扉がガチャリと開いた。


「……ふぅ。殺されるかと思ったぜ」


 湯気と共に現れた男を見て、全員が言葉を失った。


 ボサボサだった髭は綺麗に剃られ、髪はオールバックに整えられている。仕立ての良いスーツを完璧に着こなした、渋い眼光の紳士。


「……え、誰ですか?」


 ニーナがポカンと口を開ける。


 そこにいたのは、先程までの「風呂嫌いの薄汚い酔っ払い」ではない。枯れた色気を漂わせる、イケオジの完成形だった。


「ガストンだ。……なんだよ、人の顔をジロジロ見やがって。昔はこれでも王宮でブイブイ言わせてたんだぜ?」


 ガストンが照れくさそうに鼻を擦る。


「……なるほど。『磨けば光る』とは言ったものですね。これなら元筆頭魔術師と言われても納得です」


 セバスチャンが満足げに頷く。


 どうやら、セバスチャンの「洗浄」は、外見だけでなく、男としての矜持まで磨き直したようだ。……多少、皮膚が赤くなっているのはデッキブラシの痕だろうか。


「へっ。……ま、高い酒と風呂の代金分くらいは働いてやるよ」


 ガストンはニヤリと笑い、俺を見た。


「準備はいいか、悪徳領主サマ。……俺の目はもう醒めたぜ」


 俺は立ち上がり、ドレスアップした仲間たちを見渡した。


 美しき聖女(筋肉)、妖艶な処刑人、生意気な天才少年、完璧なメイド、ダンディな情報屋。そして、全てを見透かすような笑みを浮かべる銀髪の王女。


 ……悪くない。


 これなら、神の庭でダンスを踊るには十分すぎる面子だ。


「ああ、上出来だ。これなら誰も、俺たちが『カチ込み』に行くとは思うまいて」


 俺はロングコートの襟を正し、不敵に笑った。


「行くぞ。……アークライト家流の『パーティ』の始まりだ」


 馬車が待つ玄関へと向かう俺たちの足取りは、これから死地へ向かうとは思えないほど、軽やかで、華やいでいた。

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