39. 泥の中の千里眼
王都ルミナ・ガルディアの下層区画。通称『ドブ板通り』。
華やかな大通りとは打って変わり、そこは腐った水と安酒、そして犯罪の臭いが充満する無法地帯だった。
「うぅ……。空気が悪いです。筋肉に悪そうな瘴気が漂ってますぅ……」
ニーナが鼻をつまみ、俺の背に隠れて「筋肉に悪い瘴気」とか意味不明なことを呻いていた。
その怯えた挙動はスラムの住人たちから見れば格好のカモだ。
「シャキッとしろ。絡まれたら『物理的』に解決すればいいだけだろ」
俺は先頭を切って歩きながら、周囲に鋭い視線をばら撒いた。同行者はセバスチャン、ニーナ、ネロ、そしてロザリア。マリアとシャルロット王女はホテルで留守番(という名の、マリアによる王女監視)だ。
「……ヴェルト君。分かってると思うけど、ここは教会の管轄外よ。聖騎士も寄り付かない」
ロザリアがフードを目深に被り、声を潜める。
「つまり、死体の一つや二つ転がってても、誰も気にしない場所ってこと」
「それは好都合だ。手荒な真似をしても通報されないってことだろ?」
俺はニヤリと笑い、目的の店――賭博酒場『片目のジャック』の重い木扉を蹴り開けた。
バンッ!!
店内に充満していた紫煙と喧噪が一瞬止まり、数十人の荒くれ者たちの視線が一斉にこちらへ突き刺さる。視線には値踏みするような下卑た色が混じっていた。上等な服を着た貴族のボンボンと、美女たち。彼らにとっては極上の「獲物」に見えたことだろう。
「……おいおい。随分と可愛らしいお坊ちゃんのお出ましだなぁ」
入り口近くのテーブルで賭けに興じていた大男が、ゆっくりと立ち上がった。全身に刺青を入れた巨漢で、手には空の酒瓶を持っている。それに呼応するように、周りの席からもニヤニヤと笑う男たちが立ち上がり、俺たちの退路を塞ぐように囲み始めた。
「道に迷ったのかぁ? ここは温室育ちの豚が来ていい場所じゃねぇぞ」
「へへっ、いい服着てんじゃねぇか。身ぐるみ剥いで、質に入れればいい金になりそうだ」
男たちが包囲網を縮める。
俺はため息をつき、セバスチャンに顎で合図を送った。
「目的の奴は?」
「一番奥のテーブルです。……泥のように突っ伏しておりますな」
視線の先。薄暗い照明の下、周囲の騒ぎなど我関せずとばかりに安酒を煽っている薄汚い男がいた。かつての天才『千里眼のガストン』だ。
「……あいつに用がある。道を開けろ」
俺が冷淡に言い放つと、男たちは顔を見合わせ、ドッと嘲笑した。
「はっ! 生意気なガキだ! 状況が分かってねぇのか?」
リーダー格の大男が、俺の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす――その手を寸前で止め、ヌメっとした視線を後ろの女性陣に向けた。
「ま、待てよ。……ガキはどうでもいい。そっちの姉ちゃんたち、いい体してんじゃねぇか」
男の視線が、ロザリアの胸元と、ローブを纏うニーナへと這う。
「へへっ、教会関係者か? 聖職者を泣かせるなんて背徳的で興奮するぜぇ。……おい、そっちの筋肉質な嬢ちゃん。俺たちの相手をすれば、ガキは見逃してやるぜ?」
「ひぃっ!? わ、私ですかぁ!?」
ニーナが涙目になって後ずさる。
俺はこめかみを押さえた。……よりによって、一番怒らせてはいけない(物理的に)奴に目をつけたか。
「……掃除の時間だ。セバス、ロザリア、ネロ。……ニーナもだ」
「へっ? 私もですか!?」
「当たり前だ。自分の身くらい自分で守れ。……手加減は無用だ、躾けてやれ」
俺の号令が、開戦の合図だった。
「ヒャハッ! ムシャクシャしてたんだよ! ちょうどいい実験台だ!」
最初に動いたのはネロだった。
パチン、と指を鳴らす。詠唱破棄。
「吹き飛べ! 『エクスプロージョン・ミニ』!」
ドォォン!!
男たちの足元の床板が局所的に爆発した。火薬の匂いはしない。――魔力そのものが叩きつけられた。
数人の男が悲鳴を上げて天井まで吹き飛び、照明器具を巻き込んで落下してくる。
「な、なんだ!? 魔術師か!?」
「チッ、もういい殺せ! 全員殺して奪え!」
男たちが色めき立ち、ナイフや棍棒を抜いて襲いかかってくる。
ロザリアの目の前に、ナイフを持った男が迫る。
「……はぁ。私に刃物を向けるなんて、命知らずね」
ロザリアは気だるげにスカートの裾を捲り上げた。その太腿には、冷ややかに光るナイフホルダー。
シュッ、シュシュッ!
彼女の手が霞んだ瞬間、襲いかかってきた男たちの悲鳴が重なった。
「ぎゃあああ! て、手が!?」
「足が動かねぇ!?」
男たちの手首、足首、そして武器を持つ手の指の隙間。
正確無比に投擲されたナイフが、服ごと彼らを柱や床に縫い付けていた。急所は外しているが、動けば肉が裂ける絶妙な位置だ。
「……解体されたくなければ、そこで震えてなさい」
氷のような殺気に、男たちが失禁して崩れ落ちる。
一方、リーダー格の大男は、震えるニーナに狙いを定めていた。
「オラァ! ビビってんじゃねぇ! こいつを人質にすれば……」
大男がニーナの腕を掴もうとした、その時。
「ひぃぃぃ! こ、来ないでくださいぃぃ! 触らないでぇぇ!」
パニックになったニーナが、反射的に右腕を突き出した。
それは洗練された武術ではない。単なる拒絶のポーズ。だが、その腕には国宝級の聖遺物『聖女の鉄甲』が装備されており、さらに彼女自身が【筋力】を極振りしたモンスターだった。
ドゴォォォォォォンッ!!!
酒場全体が揺れるほどの轟音。
大男の巨体が、まるで砲弾のように水平に吹き飛び、店のカウンターを粉砕し、さらに奥の壁を突き破って瓦礫の中に消えた。
「……あ」
ニーナが自分の拳を見つめる。静寂。
残った男たちが、ポカンと口を開けてその光景を見ていた。
「ば、バケモノだ……」 「兄貴が一撃で……壁ごと……」 「逃げろ! こいつら人間じゃねぇ!!」
戦意喪失。蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする男たち。だが、出口には優雅な執事が立っていた。
「おや、お会計がまだですよ?」
セバスチャンがにこやかに微笑む。
その手刀が閃くたびに、男たちが白目を剥いてその場に崩れ落ちていく。
わずか一分。酒場は、呻き声だけが響く地獄絵図と化した。
「……騒がしいな。俺の店で何をしてくれている」
その時、カウンターの奥から、低く、腹の底に響くような声が轟いた。瓦礫を押しのけて現れたのは、隻眼の男。左目に黒い眼帯をし、顔には幾つもの傷跡が走る、歴戦の古強者。この店のマスターにして、裏社会の顔役『片目のジャック』だ。
(……やはり店主はこいつ。ここまではゲーム通りだ。なら、俺の筋書きも通る)
「ひ、ヒィッ! マスター! こいつらが暴れて……!」
生き残りの男が縋り付くが、ジャックは太い腕で男を払いのけ、鋭い単眼で俺たちを睨みつけた。
「……いい度胸だ。ウチの店で暴れるってことは、俺に喧嘩を売るってことだと分かってんだろうな?」
ジャックから放たれるプレッシャーは、そこらのチンピラとは次元が違った。
それもそのはず、かつてAランク冒険者として名を馳せた人物なのだ。
だが、彼はすぐにその殺気を収め、興味深げにニーナを見た。
「……ほう。壁をぶち抜いたのは、そこの嬢ちゃんか?」
「は、はいぃ……。ごめんなさい、怖くてつい……」
ニーナが涙目で謝る。ジャックは壊れた壁と、ニーナの細腕(に見える腕)を見比べ、鼻で笑った。
「ハッ! 傑作だ。……その筋肉と馬鹿力。昔パーティを組んでた『紅の戦乙女』を思い出すぜ。あいつも気に入らねぇ奴はとりあえず壁に埋める女だったからな」
ジャックは懐かしむように笑ったが、ふと、その隻眼に陰りが差した。
「……ただ、ここ最近はめっきり噂を聞かなくなっちまった。どこかの組織に喧嘩を売って消されたとか、行方不明になったとか……。あの馬鹿、どこかで野垂れ死んでなきゃいいんだが……」
「えっ? メルザさんをご存知なんですか?」
「ああ?メルザを知ってるのか?.....そうさ、腐れ縁だよ。……しかし、まさかこんな場所で、あいつと同類にお目にかかるとはなぁ」
ジャックは呆れたように肩をすくめ、感傷を振り払うように視線を俺に移した。
「そこのボンボン。……お前が飼い主か?」
「飼い主とは人聞きが悪いな。保護者と言ってくれ。……だが」
俺は瓦礫の中から無事だった椅子を引き寄せ、悠然と座りながらニヤリと笑った。
「『紅の戦乙女』の飼い主という話なら、この俺だ」
「……あぁ?」
ジャックの動きが止まる。隻眼が鋭く俺を射抜いた。
「おい、坊主。冗談にしても笑えねぇぞ。あいつは誰かの下に付くようなタマじゃ……」
「ゾルダンの『金喰い虫』。奴らに薬漬けにされていたところを俺が拾って、再教育した。……今は俺の『所有物』として、世界中の害虫を駆除する旅に出している」
「まぁこれが証明になるかはわからんが」
コト
俺は懐から、ゾルダンでメルザが旅立つ際に渡たしてきた指輪をテーブルに置いた。それを見た瞬間、ジャックが息を呑む。
「こいつは……あいつが愛用してた……」
「安心しろ。あの馬鹿犬なら、前よりも遥かに頑丈になって、元気に暴れ回っているさ。……俺の名代としてな」
「……ハッ! ……ハハハハハ!」
ジャックは天を仰いで豪快に笑った。
「そうか、生きてたか! しかも、こんな生意気なガキの軍門に下るとはなぁ! ……傑作だ、長生きはしてみるもんだぜ」
ジャックは涙を拭うように目元を擦ると、憑き物が落ちたような顔で俺を見た。
「気に入ったぜ、ボンボン。……いや、『旦那』と呼ばせてもらおうか。メルザの主なら、俺にとっても他人じゃねぇ、だが」
「店を壊した修理費は払う。……ただし、そこの酔っ払いに用があってな。少し静かに話をさせてくれればいい」
俺は懐から金貨の袋を取り出し、放り投げた。
ジャックは片手でそれを受け取り、中身の重さを確認すると、ニヤリと笑った。
「……話が早くて助かる。いいだろう、好きにしな。どうせガストンの野郎はツケが溜まってたんだ。そいつも払ってくれるなら、VIP席を用意してやるよ」
ジャックは手を叩き、床に転がるチンピラどもを一喝した。
「おい、テメェら! いつまで寝てんだ! さっさと片付けろ! ……客人に失礼だろうが!」
「は、はいぃぃっ!」
男たちが悲鳴を上げて散っていく。
この一瞬で、場の空気は完全に俺たちのものになった。
「……さて。邪魔者は消えた」
俺は、騒動の間もピクリとも動かず、テーブルに突っ伏していた男――ガストンの前に座った。
「起きろ、ガストン。……酒の味は十分楽しんだだろ?」
俺が声をかけると、ガストンはゆっくりと顔を上げた。濁った瞳が、俺たちを見回す。
「……ククッ。とんだイカレ野郎どもだ。暴力聖女に、店を破壊するクソガキの魔術師。……それに、そこのお前」
ガストンの視線が、ロザリアを射抜く。
「教会の『処刑人』が、なんでこんなガキの使いっ走りをしてる? ……匂うな。裏切りの匂いだ」
ロザリアが息を呑む。
やはり、この男は腐っても『千里眼』。全てを見通している。
「単刀直入に言おう。ガストン、お前の『目』を買いたい」
俺はテーブルに身を乗り出した。
「今夜、大聖堂でパーティーがある。そこで枢機卿の化けの皮を剥ぐ。……そのために、奴が隠している『汚い金庫』の中身を見通してほしい」
「……枢機卿、だと?」
ガストンの表情が変わる。嫌悪と、微かな恐怖。
「よせ。あいつらは腐りきってる。……俺が見た王宮の闇なんて、あいつの闇に比べりゃ可愛いもんだ。関われば消されるぞ」
「だからこそだ。お前は見たんだろ? 教会が裏で何をしているか。子供たちを売り飛ばし、禁忌の実験に手を染め、私腹を肥やしているのを」
俺はガストンの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「見ているだけで、何もできなかった自分に絶望して、ここで腐ってたんだろ?」
「……ッ!」
ガストンが歯を食いしばる。図星だ。
「俺は、お前に『正義』なんて求めちゃいない。ただの『復讐』だ。お前のその目で見たくもない汚物を見せつけてきた連中を、社会的に抹殺して、泥の中に引きずり下ろす。今までお前に足りなかったのは力、暴力だ。それは俺が請け負う。……最高の見世物になると思わないか?」
俺は悪役の顔で笑いかけた。絶望した人間には、希望よりも、毒のある劇薬の方が効く。
「……ククッ、ハハハハハ!!」
ガストンが突然、腹を抱えて笑い出した。
「面白い! 最高だぜ、お前! 流石は『悪徳領主』ヴェルト・フォン・アークライト! ……噂以上のクソガキだ!」
「それでこそ、千里眼だ」
彼は残っていた安酒を一気に飲み干し、グラスをテーブルに叩きつけた。
「いいだろう! 乗った! どうせこのまま腐るだけの命だ。最後に特大の花火を見てやるのも悪くねぇ!」
ガストンの瞳から、濁りが消えていた。そこにあるのは、かつての賢者の知性と、狂気じみた好奇心。
「交渉成立だな。……セバス、こいつを風呂に入れろ。臭くてたまらん。あと、まともな服を着せてやれ」
「承知いたしました。……お久しぶりですな、ガストン殿」
「へっ、セバスチャンの旦那か。懐かしいな。あんたも随分と面白い主に拾われたもんだな」
ガストンが立ち上がる。
カウンターの奥で、ジャックがニヤリと笑ってグラスを掲げた。
「……生きて帰ってこいよ、ガストン。ツケはまだ残ってるからな」
「うるせぇ。倍にして返してやるよ」
これで、最後のピースが埋まった。
俺たちはスラムを後にした。
空には月が昇り始めている。
『今宵』。
決戦の時は、すぐそこまで迫っていた。
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