37.王都『ルミナ・ガルディア』
「……うっぷ」
アークライト家の紋章が入った漆黒の馬車の中。ロザリアが、口元を両手で押さえて呻いた。彼女の顔色は、青を通り越して土気色になっていた。
「ちょ、ちょっとヴェルト君……! 速すぎない……? これ、馬車だよね……? 空飛ぶワイバーンより速い気がするんだけど……」
「我慢しろ。高い絨毯なんだ、吐くなよ」
俺は眉間を揉みながら、対面のロザリアに冷淡に告げた。現在、俺たちを乗せた馬車は、石畳の街道を弾丸のような速度で爆走していた。窓の外の景色は認識できないほどの速度で後方へ吹っ飛んでいく。
だが、車内は奇妙なほど静かだった。車体の下に衝撃吸収用のスライム・クッションを敷き詰めているため、ガタゴトという振動は一切ない。テーブルの上に置かれた紅茶の水面すら、鏡のように静止している。
この「視覚情報」と「体感情報」の強烈なギャップが、一流の暗殺者であるロザリアの三半規管を破壊していたのだ。
「だ、だってぇ……! 景色が線に見えるのに……体が浮いてるみたいでぇ……! 脳みそがバグるぅ……!」
ロザリアが涙目で窓枠にしがみつく。
「あら、ロザリアさん。だらしないですわね」
隣でシャルロット王女が、涼しい顔で紅茶を啜っている。
「これくらい、淑女であればどうということはありませんわ」
「私は淑女じゃないかもしれないですぅ……」
隅っこでニーナも少し顔を青くしているが、彼女は「筋肉に力を入れて内臓の位置を固定する」という脳筋解決法でなんとか持ちこたえていた。
俺たち一行を乗せたこの「走る要塞」は、魔法馬たちの無尽蔵のスタミナに任せて、通常の三倍の速度で王都へと爆走していたのだ。
「……もうやだ……おうちかえる……」
ロザリアがシートの隅で膝を抱え、虚ろな目でガタガタと震えだした。彼女の心は、王都に着く前にすでに限界を迎えていた。
◆
「ほら、見えてきたぞ。吐くなら外で吐け」
俺が窓の外を指差すと、ネロが魔術書から顔を上げて身を乗り出した。
「おっ! やっとかよ。退屈でしょうがなかったんだ」
荒野の向こう、陽炎の彼方に、巨大な壁が姿を現した。
王都『ルミナ・ガルディア』
大陸の中央に位置し、白の城壁と尖塔が立ち並ぶその威容は、ゲーム『ドラグーン・ファンタジア』のオープニングムービーで何度も見た光景そのものだった。
「はぁ、はぁ……やっと地獄が終わる……」
ロザリアが窓を開け、新鮮な空気を求めてパクパクしている。だが、近づくにつれて見えてきた景色は、俺の記憶にある華やかな王都とは決定的に異なっていた。
「……空気が、重いな」
街を行き交う人々の表情は暗く、大通りには通常の衛兵ではなく、白い鎧を纏った『聖騎士』たちが我が物顔で闊歩している。本来なら活気ある市場も、どこか監視されているような閉塞感が漂っていた。
「ええ。陛下が倒れられてから、治安維持の名目で教会の聖騎士団が巡回を強化しているのです。……実質的な、戒厳令ですわ」
対面の席で、シャルロットが扇子をきつく握りしめている。
俺は溜息をついた。ゲーム序盤の王都は、まだ平和なチュートリアルの延長だったはずだ。だが現実は、既に教会の実効支配が進んでいる。シナリオは俺の知るものより数段、深刻なフェーズに入っていた。
(……参ったな。俺の知識にある『裏道の抜け穴』や『隠しショップ』が、この厳戒態勢で使えるかどうか怪しいぞ、密かに楽しみにしていたんだが)
俺は懐を探り、アークライト領で事前にセバスに急造させた『ある書類』の感触を確かめた。もしもの時のための保険だが、こんなに早く役立つ状況が来ないことを祈りたい。
馬車が正門の検問所に差し掛かる。通常なら貴族の馬車は顔パスだが、今日は様子が違った。
「ロザリア、窓を閉めろ」
「え? なんで?」
「いいから早くしろ」
酔いが覚めないのか、ロザリアはしぶしぶと新鮮な風を諦め、窓を閉めた。
「止まれ! 全車両、臨検を行う!」
立ちはだかったのは、王国の兵士ではなく、聖教会の紋章をつけた聖騎士だった。
「……面倒な奴らが出てきましたね」
御者台のセバスチャンが小さく舌打ちし、すぐに「執事の顔」に戻って対応する。
「ご苦労様です。こちらはアークライト子爵家の馬車でございます。領主ヴェルト様の公務による登城ですので、道をお空け願いたい」
「アークライト家だと? ……フン、あの田舎貴族か」
聖騎士の隊長らしき男が、アークライトの紋章を見るなり、あからさまに顔を歪めた。
「公務だと? 笑わせるな。どうせ王都の甘い汁を吸いに来た、薄汚い豚だろうが」
「……」
車内の空気が凍りつく。マリアが懐のナイフに手をかける気配がした。俺は目線でそれを制する。
「中を改めるぞ、全員降りろ。不審な魔導具や危険物を持ち込んでいるに違いないからな」
強硬な態度だ。もし中を見られれば、シャルロット王女が見つかる。それは彼女の失脚、あるいは「保護」という名目の軟禁に直結する。
「……恐れながら」
セバスチャンが馬車を降り、深く頭を下げた。本来なら『不逮捕特権』を盾に跳ね除ける場面だ。だが、強く反論しなかった。相手を刺激せず、穏便に済ませようと耐えているのだ。
「貴族には『家財の不可侵権』がございます。我々にも急ぐ事情がございまして……どうか、ご配慮願えませんでしょうか」
その屈辱的な姿に、聖騎士隊長は嗜虐心を煽られたのか、ニヤニヤと笑いながらセバスチャンの肩を小突いた。
「おいおい、聞こえなかったのか? 老いぼれ」
「っ……」
「配慮だぁ? 貴様のような薄汚いジジイが、神聖な王都の空気を吸っているだけで不快なんだよ。さっさとドブ川にでも帰ったらどうだ? 馬糞の臭いが移るだろうが!」
ドガッ。
隊長がセバスチャンを蹴り飛ばす、セバスチャンは受け身も取らず、無様に泥の上に転がった。
「申し訳……ございません」
泥まみれになりながら、すぐに立ち上がり、また頭を下げた。反撃すれば、主である俺に迷惑がかかる。その一心で、彼はプライドを殺して耐えているのだ。
ブチッ。
俺の中で、何かが焼き切れる音がした。
(俺を馬鹿にするのはいい。だが……俺のモノを、ここまでコケにされて黙っていられるかよ)
「……おい、三流」
俺はドアを蹴り開け、外に出ようとした。
「ヴェルト様!?」
マリアが止めようとするが、俺の怒りは収まらない。
右手に魔力を込め、あいつの顔面を粉砕してやろうと踏み出した――その時。
「――あら、随分と騒がしいですわね」
俺より早く、シャルロットが馬車の外へと姿を現した。広げた扇子で顔の下半分を隠し、氷のような視線を聖騎士たちに向けている。
「貴方たち、アークライト家の客人であるこのわたくしをいつまで炎天下で待たせるおつもり? 肌が焼けてしまいますわ」
「な、何だ貴様は! .....その銀髪……まさか!」
隊長がハッとして色めき立つ。王家の象徴である銀髪を見て警戒したのだ。だが、シャルロットは余裕の笑みを崩さず、扇子の陰から射抜くような瞳で隊長を見据えた。
「……大きな声を出すものではありませんわ。わたくし、ただの『貴族の娘』ですもの」
「貴族だと? ならば顔を見せろ!」
「無粋な男。……隊長さん? 少し近くへいらっしゃい」
シャルロットが手招きする。隊長が訝しげに顔を近づけると、彼女は彼にだけ見える角度で扇子を少し下げ、その素顔を晒した。
「っ……!? で、殿……ッ!?」
隊長が絶句し、膝が震えるのが見えた。シャルロットが人差し指を唇に当て、「シーッ」と合図を送る。
「……通りなさい」
隊長は蒼白な顔で、部下たちに道を開けるよう怒鳴った。
「隊長!? よろしいのですか!」
「いいから通せ! ……行け!」
馬車が再び動き出す。俺はまだ拳を握りしめたままだったが、泥だらけのセバスチャンが御者台に戻り、「ご安心を。ヴェルト様、誇りまでは汚れておりません」と小さく微笑んだのを見て、なんとか怒りを飲み込んだ。
車内でシャルロットはふぅ、と息を吐き、悪戯っぽく俺にウインクした。
「賭けでしたけれど、教会ではまだ『王女をどうにかしろ』というような命令は出されていない様ですわね」
「……はぁ。心臓に悪いですよ」
俺は深くため息をつき、恨めしげにシャルロットを見た。
「自分から顔を晒すなんて、危険すぎる。 もしあいつが斬りかかってきたらどうするつもりだったんだ」
「あら、心配性ですわね。……でも」
シャルロットは扇子を閉じ、身を乗り出して俺の顔を覗き込んだ。その碧眼には、絶対的な信頼と、悪戯な期待の色が揺らめいている。
「いざという時は、貴方が守ってくださるのでしょう? わたくしの『共犯者』様?」
「……ぅ」
俺は言葉に詰まり、視線を逸らした。この王女、俺が「守らざるを得ない」ことを見越して行動してやがる。
「……善処しますよ。あくまで、俺の平穏が脅かされない範囲で、ですがね」
「ふふっ、期待しておりますわ」
俺たちのやり取りを、酔いが冷めきらない顔色のまま、ロザリアは冷めた目で観察していた。
(……聖騎士が引いた。王女だったから顔パス? いや、違うよね?だって王女は教会では背信者とされているはずだし....末端なら未だしも聖騎士の隊長なら知らされてるはず)
ロザリアは窓の外、聖騎士隊長の動きを目で追った。彼は馬車を通した後、すぐに部下へ何かを耳打ちし、伝令の鳥を放ったのだ。
(あれは『泳がせろ』の合図だ。……やっぱり、網は張られてる。ヴェルト君が王都に来ることは、教会の上層部に筒抜けだったってわけね)
ロザリアは内心で舌打ちした。自分は報告していない。となれば、教会は別のルートでアークライト家の動向を監視していたことになる。
(私の仕事は『監視』と『隙を見ての排除』じゃなかったの?私以外に保険を掛けてたってこと?.......この状況、私まで『アークライト一味』として一網打尽にされるリスクがあるかも.....)
彼女は、隣で能天気にクッキーを食べているネロと、その背中で怯えているニーナを見て、小さく溜息をついた。
「ねぇ、ヴェルト君。なんか視線を感じるんだけどぉ~? ……あと、まだちょっと気持ち悪いかもぉ」
ロザリアが媚びるような声で俺の腕に絡みつく。だがその指先は、トントンと不規則なリズムで俺の腕を叩いていた。ドラファンで教会が使う暗号だ。『6時の方向、尾行3』。
「……正確な打鍵だな。ロザリア、お前もう正体を隠す気はないのか?」
俺は小声で、彼女の耳元に囁き返した。これでは教会関係者であることを明かしているようなもんだ。
「えぇ~? やだなぁヴェルト君」
ロザリアはケラケラと笑い、俺の肩をバシッと叩いた。
「これ、商人の『相場合図』だよぉ。裏取引とかオークションで使うの。ちょっと暗号に詳しい商人ですっ! たしなみ、たしなみ!」
「……便利な商売だな」
苦しい言い訳だが、あくまでシラを切り通すつもりらしい。俺は肩をすくめ、わざと密偵に聞こえるように声を張り上げた。
「やれやれ……王都の男たちは随分と情熱的だな。ウチの美女たちが魅力的すぎて、放っておけないらしい」
俺は軽口で返しながら、背筋が寒くなるのを感じた。
気づいていた。街に入った瞬間から、複数の視線が俺たちに張り付いていることを。それも、ただの密偵じゃない。気配と魔力を完全に断った、少なくとも高レベルの奴らだ。
(確か....王都にはそういうギルドもあったな。今こちらを見てるあいつらが教会の手先なのか分からないが、マリアとセバスも気づいているはずだ。だが、手は出せない。ここで騒ぎを起こせば、それこそ相手の思う壺だ)
俺たちは、高級ホテル『金獅子亭』へと到着した。煌びやかなロビー、洗練された調度品。だが、従業員の笑顔の奥にも、微かな緊張が見て取れる。
チェックインを済ませ、最上階のスイートルームに入った瞬間。
厳重な警備を抜け、俺たちはホテル『金獅子亭』の最上階にあるスイートルームへとたどり着いた。重厚な扉の鍵を開け、俺が最初の一歩を室内に踏み入れた、その瞬間だった。
「――お待ちしておりました、ヴェルト様」
誰もいないはずの室内から、朗々とした男の声が響き渡った。
「なっ……!?」
マリアが弾かれたように反応し、瞬時に懐から短剣を抜く。彼女は俺の前に躍り出て、殺気立った瞳で室内を睨め回した。セバスチャンも即座に背後をカバーし、シャルロットとニーナを守る体勢をとる。
だが――。
「……誰も、いません」
マリアが低く呻いた。
広いリビングルームには、誰もいない。カーテンの裏、ソファの影、天井裏。気配探知に長けた彼女が即座に索敵したが、生体反応はゼロだ。
では、今の声はどこから?
「……ここだ」
俺は警戒を解かずに歩み寄り、リビングの中央にあるテーブルを見下ろした。そこには、一通の封蝋された手紙が置かれていた。そして、手紙の上に置かれた小さな『魔石』が、役目を終えたように微かな光を失い、砕け散るところだった。
「録音魔法……か」
部屋に入った者を感知し、あらかじめ吹き込んでおいた音声を再生する罠。殺傷能力はないが、精神的なダメージは大きい。「いつでもお前の喉元に届くぞ」という、強烈な示威行為だ。
砕けた魔石の残骸の横で、深紅の封蝋が押された手紙だけが、不気味な存在感を放っていた。
俺は手紙を手に取った。封蝋には、天秤と剣を模した紋章――聖教会枢機卿の印が押されていた。
「……『歓迎する、若き領主殿。今宵、大聖堂にてささやかな晩餐会を用意した。友人たちと共に来られたし』だとさ」
俺は手紙を読み上げ、テーブルに放り投げた。
「晩餐会……? 罠に決まっていますわ!」
シャルロットが声を荒らげる。
「枢機卿……教会の実質的な支配者であり、父上を害した疑惑の人物です。ヴェルト様、行ってはなりません!」
「行かなければ、どうなる?」
俺は冷静に返した。
「『せっかくの招待を無視した無礼者』として、聖騎士団をホテルに送り込む口実にされるだけだ。それに……」
俺は、震えるニーナと、顔を強張らせているネロを見た。
「『友人たちと共に』とある。恐らくこれは『お前の連れている聖女を差し出せ』という暗喩だろう。断れば、このホテルごと魔法で吹き飛ばしかねない連中だぞ。王都にいる間、命を狙われることになるだろう」
空気が凍りつく。これが、王都の闇。物理的な力でどうにかなるダンジョンとは違う、政治と暴力が絡み合った蜘蛛の巣だ。
(……舐めやがって、俺だけならどうとでもなるが、教会の暗部の連中がさっきの密偵レベルの暗殺者を仲間に差し向けてきたら守り切れるか、正直自信はない....)
俺の中に、ふつふつと怒りが湧いてきた。同時に、ゲーマーとしての冷徹な計算が走り出す。
相手はこちらの手の内を知っているつもりだろう。田舎から出てきた強力な駒を持つ、世間知らずの領主だと。だから、いきなり大将首を取りに来た。
だが、奴らは知らない。俺の自力を、この王都に来るために、どれだけの『仕込み』をしてきたかを。
「……上等だ。行ってやるよ。どうせこれを片付けないと国王陛下を救っても、また妨害してくるだろうしな」
「セバス、お前は俺が教えた『あの男』を探せ。必ず王都にいるはずだ。金はいくら積んでもいい」
「……承知いたしました」
俺の指示に、仲間たちの空気が変わる。恐怖ではない。これから何が起こるか期待と不安だ。
俺はロザリアを振り返った。彼女は驚いたように目を丸くしている。
「ロザリア。お前も来い。……商人の『交渉術』とやら、見せてもらうぞ」
「へ? 私も!?」
「当たり前だ。俺の『友人』なんだろう?」
俺はニヤリと笑った。彼女が教会のスパイであることは百も承知だ。だからこそ、連れて行く。枢機卿の目の前で、スパイである彼女が俺の味方として振る舞わざるを得ない状況を作る。そうすれば、彼女も教会から「裏切り者」と見なされ、後戻りできなくなるからな。
「夜まで時間が無いぞ!さあ、みんな始めようか。悪徳領主流のパーティってやつを」
俺たちはドレスアップの準備を始めた。今宵、聖なる大聖堂が、欲望と策略の渦巻く伏魔殿へと変わる。
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