36.悪夢のドライブ
出発の朝。アークライト領主館の正面玄関には、異様な空気が漂っていた。
「……えっと、ヴェルト君? これが馬車?」
ロザリアが引きつった顔で指差したのは、玄関前に横付けされた巨大な「黒い物体」だった。漆黒の装甲に覆われたボディ。車輪は通常の倍以上の太さがあり、窓ガラスは外から中が見えないマジックミラー仕様。そして何より異様なのは、それを牽引する四頭の「馬」だ。一見すると漆黒の駿馬に見えるが、彼らは呼吸をしていない。その瞳は無機質な紫色の光を放ち、蹄からは蒸気のような魔力が揺らめいている。
「ああ。特注品だ。王都までの長旅だ、快適性と馬力を追求した」
俺は愛おしさを込めて馬の首を撫でた。馬はヒヒーンと嘶く代わりに、ヴォン……という重低音を響かせた。
「こいつらは『魔法馬』。ネロに作らせた、泥と魔力でできたゴーレムだ。疲れない、眠らない、餌もいらない。そして出力は通常の馬の十倍だ」
「……ま、魔法生物ぅ!?」
ロザリアが仰け反る。
「そんな高等魔術じゃない! それをこの短期間で四頭も……!?」
「まあ、ネロの奴が『ツマラナイ魔術書を読ませられてムシャクシャしたから、息抜きに最高にロックな馬を作った』とか言ってたからな。見たら意外と使えそうだったんで、複製させたんだ」
俺は数日前の、あの研究室でのやり取りを思い出す。
◆
『おい悪徳領主! 感謝しろよ?天才の俺様が音声記録なんていうツマラナイ魔術書を読ませられてムシャクシャしたから、息抜きに最高にロックな馬を作ってやったぞ!ありがたく使え!』
ネロがどうしても使いたいというから与えた研究室の机の上に胡坐をかき、スナック菓子を貪りながら偉そうに指差した先。そこには、漆黒の瘴気を纏い、眼球から紫色の炎を揺らめかせる、どう見てもヤバそうな馬のような何かが鎮座していた。
『……おいネロ。お前の目にはこれが「馬」に見えているのか?』
『あぁん? 見た目は凶悪だが、性能はピカイチだぞ! 飯もいらねぇ、眠らねぇ、おまけに邪魔な通行人を自動で撥ね飛ばすっておまけ付きだ! まさに、お前みたいな悪党にはピッタリの乗り物だろ?』
ネロはニシシ、と小憎たらしい笑みを浮かべる。
『……で、こいつ時速何キロ出る?』
『本気出せば百キロに近い数値が出るはずだ。ただ、乗ってる人間がどうなるかは知らねーけど』
『ふーむ、採用だ。あと三体作れ』
『はぁ!? ふざけんなよ! 俺様の頭脳は安くねぇんだぞ! 量産なんて単純作業、凡人にやらせろよ!』
『作れば、研究予算を倍にしてやろう』
『……チッ。しゃーねぇな! 悪徳領主の汚い金でも、金は金だ。やってやるよ。この天才にまかせておきな』
◆
……あの生意気な天才魔術師は、放っておくとろくな物を作らないが、金と利息で釣れば役に立つ。もともと勇者のライバルであり仲間でもあるからな。ハイスペックは折り紙付きだ。
「……はは、なるほどね」
ロザリアが乾いた笑いを浮かべる。
(……この二日で用意したのこれ? この家の労働環境どうなってるのよ……)
ロザリアの顔が引きつっている。
「さあ、乗ってくれ。シャルロット、君もだ」
「はい、ヴェルト様。……ふふ、お馬さんたちも可愛らしいですわ」
シャルロットが恐れもせずに魔法馬に微笑みかけると、馬たちは主人の女であることを本能的に察知したのか、恭しく頭を垂れた……ように見えたが、俺はすぐに思い直した。こいつを作ったのはあのネロだ。単に美女に反応する機能でも組み込まれているだけだろう。
続いて、おずおずとロザリアが乗り込んだ。
◆
「……な、なによこれぇ!?」
車内に足を踏み入れた瞬間、ロザリアは素っ頓狂な声を上げた。外見の無骨さとは裏腹に、内部は高級ホテルのスイートルームのように洗練されていたのだ。ふかふかのソファ。適度な温度に保たれた空気。そして何より――。
「ゆ、揺れない……? 走り出したのに、全然揺れないよ!?」
馬車特有のガタゴトという振動が一切ない。まるで雲の上を滑っているようだ。窓の外の景色は高速で流れているのに、テーブルの上の水面は鏡のように静止している。
(ど、どうなってるの!? まさか、車体全体に『浮遊魔法』でも常時展開してるの!? そんなの、宮廷魔術師団が総出で維持するレベルの魔力消費量よ!?)
ロザリアが戦慄する。だが、種明かしをすれば単純だ。車体の下に、衝撃吸収用のスライム・クッションを敷き詰めているだけである。俺の知る現代知識とファンタジー素材の融合だ。
「ロザリア様、お茶をどうぞ」
マリアが走行中とは思えない安定感で紅茶を淹れ、差し出す。
「あ、ありがと……」
ロザリアがカップを受け取る。やはり、波紋一つない。
「ヴェルト様、クッキーも焼いてきました。あーん、なさってください」
「いや、自分で食うよ」
「……では、口移しで」
「意味が分からん」
俺とマリアがいつものじゃれ合い(攻防)をしていると、対面に座っていたシャルロットが、ふと窓の外を見て言った。
「……ヴェルト様。なんだか、外が騒がしいようですけれど」
「ん?」
俺はマジックミラー越しに外を見た。街道の前方を、薄汚い男たちが塞いでいる。手に武器を持った三十人ほどの集団。どうやら、運悪く野盗のお出ましらしい。
「チッ。王都への主要街道だぞ? 治安はどうなってるんだ」
俺は不機嫌に眉を寄せた。だが、ロザリアは内心で少しホッとしていた。
(やった、野盗だわ! これでドサクサに紛れて逃げ出せるかも……あるいは、私が戦って恩を売れば、彼らの警戒も解けるはず! どうせもうヴェルト君にはバレてるだろうし、ここで味方アピールをしておけば……)
ロザリアが腰を浮かせ、名乗りを上げようとした。
「ヴェルト君! 私が――」
「セバスチャン」
俺はロザリアの言葉を遮り、車内の伝声管に向かって短く命じた。
「止まるな。挽き潰せ」
「――御意」
短い返答と共に、御者台のセバスチャンが手綱を振るった。瞬間、魔法馬たちの瞳がカッと赤く発光した。
「い、いやぁぁぁぁっ!? ぶつかるぅぅぅッ!?」
ロザリアが悲鳴を上げる。前方の野盗たちは、馬車が減速しないことに気づき、慌てて矢を放ったり、魔法を撃ったりしてきた。
だが。
カンッ、カンカンッ!
ドォォン!
矢は黒い装甲に弾かれ、火球魔法は車体に触れた瞬間に霧散した。そして――。
「ヒヒィィィィン!!」
魔法馬たちが、生物にはありえない加速を見せた。彼らは障害物を避ける素振りすら見せない。むしろ、自ら当たりに行っている。
「なっ!? ば、化け物かこの馬車はぁぁ!?」
野盗の頭目が絶叫する。次の瞬間、黒い暴走列車と化した馬車は、野盗のバリケードごと彼らを跳ね飛ばし、粉砕し、何事もなかったかのように突破した。いや、ただ突破しただけではない。魔法馬の一頭が、すれ違いざまに野盗の武器を噛み砕き、強靭な脚で蹴り飛ばすのが見えた。
ゴガギグゲゴッ!!
何かが潰れる音が響いた。
車内には、わずかな振動すら伝わってこない。ただ、窓の外を一瞬だけ「赤い霧」が通り過ぎただけだ。
「……ふぅ。少し道が汚れていましたね」
マリアがニコリともせずに言い、何事もなかったようにお茶をすする。
「そ、そうだな。……ロザリア、どうした? 顔が青いぞ」
俺が声をかけると、ロザリアは死んだ魚のような目で虚空を見つめ、ブツブツと何かを呟いていた。
「……これは夢。悪い夢よ。目が覚めたら、私はふかふかのベッドの上……優雅な朝食……小鳥のさえずり……」
彼女は現実逃避を選択したようだ。野盗の襲撃という「イベント」すら、この馬車の前ではただの「交通の妨げ」でしかなかったのだから、無理もない。
こうして、正気を手放したロザリアと、俺たち一行を乗せた「走る要塞」は、魔法馬たちの無尽蔵のスタミナに任せて、通常の三倍の速度で王都へと爆走していった。
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