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34.白衣の悪魔と眠れぬ夜

「……冗談じゃないわよ」


 あてがわれた客室は、無駄なほどに豪華だった。足首まで沈み込むような深紅の絨毯、天蓋付きのキングサイズベッド、そして窓の外には手入れの行き届いた庭園。だが彼女は部屋の中を動物のように歩き回りながら、親指の爪をギリギリと噛んでいた。滲んだ血の鉄錆の味が、かろうじて理性を繋ぎ止めている。


 脳裏にこびりついて離れないのは、先ほど部屋に案内された際、あの眼鏡の執事――リュゼが放った言葉だ。彼は完璧な御辞儀ボウ・アンド・スクレープと共に、柔和な笑みを浮かべてこう言ったのだ。


「どうぞ、ごゆるりと旅の疲れを癒やしてくださいませ。何か御用があれば、また部屋を出られる際は、近くのメイドにお申し付けください」


 そこまでは良かった。だが、彼は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、温度のない瞳でこう続けた。


「勝手に出歩いて、迷子になられたら大変ですので。……最悪、手足を落としてお連れせねばなりませんから」


 氷のような声だった。冗談や比喩の類ではない。業務連絡の一環として「お茶のおかわりはいかがですか」と聞くのと同じトーンで、五体の切断を示唆したのだ。


(なにアイツ……それが客に言うセリフ!?異端審問官わたしだって拷問はするけど、あそこまでナチュラルに猟奇的な発想はしないわよ……!)


 ロザリアは身震いし、自身の二の腕を抱いた。あの執事だけではない。この屋敷を取り囲む結界も異常だ。一介の地方領主が維持できるレベルの魔術密度ではない。国家機密クラスか、あるいはそれ以上の古代魔術ロストテクノロジーが使われている可能性がある。


(ただの田舎貴族じゃない。アークライト家……一体何を隠しているの?領地のこともあるし、一刻も早くここを抜け出して、本部に確認と報告をしないと……!)


 焦燥に駆られるロザリア。だが、彼女は知る由もなかった。


 あの時、リュゼはあくまで少し過激なジョークで場を和ませようとしただけだったということを。


 緊張している客人をリラックスさせるためのウィットに富んだ会話――のつもりだったのだが、彼の壊滅的なユーモアセンスと、普段の言動から滲み出るサイコパスな雰囲気が化学反応を起こし、単なる「逃走したら即座にダルマにする」という殺害予告として伝わってしまったのである。そう、リュゼは残念系イケメンだったのだ。


(ともかく、この通信の魔道具で.....)


 ロザリアはベッドに入ったフリをして、部屋の鍵をかけ、窓際に立った。懐から通信用の魔導具を取り出し、微弱な魔力を込める。魔道具なら術式よりも強度の高い通信が可能だ。昼間、到着時に術式で通信を試みた時は阻害されたが、流石に深夜なら結界の出力も落ちているはず、警備の目も、真夜中なら緩むに決まっている。ロザリアは自分の経験則を確信していた。


 ブウン。


 しかし、魔導具から放たれた光は瞬間にジュッという音を立てて霧散した。


「……嘘でしょ? 24時間フル稼働なの?」


 ロザリアは戦慄した。これほど広範囲の魔力阻害結界を、常時展開し続ける魔力コストは莫大だ。国家予算レベルの維持費がかかるはずだが、本当にこの領地はどうなっているのか。


(魔法がダメなら、直接外へ……!)


 彼女は窓を開けようとした。その時。


 ――ジャリ、ジャリ……。


 庭の暗がりから、何かを引きずるような音が聞こえた。


 目を凝らすと、白衣を着た人影が、大きな袋(中身は明らかに人型に見える)を引きずって森の方へ歩いていくのが見えた。


「……うーん、やっぱりオークの内臓じゃ適合しなかったかぁ。廃棄廃棄ぃ~♪」


 楽しげな鼻歌と共に、人影は森の闇へと消えていく。


(……え? 死体遺棄?)


 ロザリアは異端審問官だ。


 数多くの死に触れ、自らもそれを作ってきた。だが、それは明確な敵がいる場合に限る。


 ――実は、ロザリアはお化けやホラーといった、理屈の通じない恐怖が大の苦手だったのだ。


 あまりに堂々とした犯行現場を目撃し、ロザリアはそっと窓を閉め、鍵を二重にかけ、布団を頭からかぶって震えた。見なかったことにしよう。今日は疲れているんだ。これはきっと悪夢だ。そう言い聞かせて、彼女は眠れぬ夜を過ごした。


       ◆


 翌朝。


 ほとんど眠れなかったロザリアが食堂へ行くと、そこには爽やかな朝の光景が広がっていた。


「……へぇ。ヴェルト君のところの兵隊さん、すごく精鋭揃いだねぇ」


 ロザリアが、窓の外を眺めながら現実逃避気味に呟く。視線の先にある練兵場では、先日の野盗騒ぎから回復したシャルロット王女の護衛騎士たちが、掛け声に合わせて激しい走り込みを行っている。その動きは一糸乱れぬもので、筋肉の躍動が遠目にも分かるほどだ。


「イチ! ニ! イチ! ニ!」


「健康最高! 治療怖い! 健康最高! 治療怖い!」


 ……掛け声が少々悲痛なのが玉に瑕だが。


「ああ、彼らか。確かに動きはいいな」


 俺がコーヒーを飲みながら答えると、隣に座っていたシャルロット王女が、信じられないものを見る目で呟いた。


「……信じられませんわ。あんなに酷い状態でしたのに」


「え?」


 ロザリアがキョトンとして首を傾げる。


「酷い状態って? 喧嘩でもしたの?」


「いいえ。……彼らは1週間程前、わたくしがある場所へ向かう道中で何者かの襲撃を受け、激しい戦いによって瀕死の重傷を負っていたのです」


 シャルロットが説明する。


「骨が砕けた者、内臓を損傷した者……担ぎ込まれた時は、もう助からないかと覚悟しておりました。あのように走れるようになるなんて.....」


「……は?」


 ロザリアの手から、フォークがカチャンと滑り落ちた。彼女は目を丸くして、窓の外の騎士たちと、俺たちの顔を交互に見比べる。


「え、瀕死? 一週間? ……いやいや、嘘でしょ? だって、あんなにピンピンしてるよ? 骨折とか内臓破裂って、普通は数ヶ月寝たきりコースじゃん」


 回復魔法や高濃度のポーションでもあれば話は別だけど、どちらも損傷度合いによっては体力を前借して傷を修復するから即座に戦線復帰は難しいのが定説だし....いや、聖女がいるなら、もしかして私の知らない魔法があるのかも


 と、ロザリアが思案していると


「ああ。ウチの医療班が優秀でな。『ブラッド』の治療が上手くいったようだ」


「ブラッド?」


「医療棟の責任者チーフだ。少々……性格に難はあるが、腕は確かだぞ」


 俺が苦笑した瞬間、食堂の扉がバンッ! と勢いよく開いた。


「――患者が足りなァァァいッ!!」


 入ってきたのは、白衣をダルそうに着崩した一人の美女だった。ウェーブのかかった紫色の髪はボサボサ。目の下には、何日寝ていないのか分からないほど濃いクマ。そして片手には、ドス黒い液体が入ったフラスコが握られている。


「おや、ブラッド。朝から元気だな」


「あ、領主様ぁ……。おはようございますぅ……」


 女医――ブラッドは、俺を見た途端、ドロリとした甘い声を出してすり寄ってきた。


「騎士さんたち、もう完治しちゃいましたぁ。私の特製『超回復ポーション!激痛成分マシマシ!』と『強制細胞活性化手術!麻酔なしでもイケる!』のおかげで、骨も内臓も元通りですぅ。……ああん、もっと切り刻みたかったのにぃ。再生が早すぎてつまんないですぅ」


(……激痛成分? 麻酔なし?)


 ロザリアの顔色がサッと青ざめるのが見えた。


 彼女も察したようだ。窓の外の騎士たちが、健康そのものなのに目が死んでいる理由を。彼らは「健康になった」のではない。二度と彼女の実験台しゅじゅつに送られたくない一心で、恐怖駆動で動いているのだ。


「ロ、ロザリアさん? 震えておられますけれど……」


「い、いえ! なんでもないですぅ! ちょっと寒気がしただけでぇ~!」


 ロザリアは引きつった笑顔で誤魔化し、水を一気飲みした。昨夜見た「死体遺棄」の犯人が、目の前の女医であることに気づいてしまったのかもしれない。


「さて、全員揃ったところで今後の予定だが」


 俺はナイフとフォークを置き、宣言した。


「王都への出発は、準備を含めて明後日――二日後の朝とする」


「二日後ですか? 随分と早いのですね」


 シャルロットが驚く。


「ああ。騎士たちも回復したし、長居をしては王都の情勢も変わるだろうからな。ロザリア、お前もそれでいいか?」


「えっ、あ、うん! 私は全然大丈夫だよぉ~! 」


 ロザリアが慌てて手を振る。だが、その直後。彼女は首をコテンと傾げ、無邪気な瞳で俺を覗き込んできた。


「……でもでもぉ、そんなに急いで王都に行くなんて、何かあるのぉ?」


「何か、とは?」


「だってぇ、ヴェルト君さっき『情勢』とか難しいこと言ってたしぃ。もしかして……王様とお話とか? それとも、悪い人たちをやっつけにいくとか?」


 彼女の声は甘ったるいが、その奥にある光は鋭い。ただの商人なら、領主の政治的事情になど首を突っ込まない。これは明確な「探り」だ。俺が王都で何を企んでいるのか。反乱か、それとも教会への敵対行動か。それを確かめようとしている。


「ははは、買いかぶりすぎだ」


 俺は肩をすくめてみせた。


「ただの社交だよ。最近父上が隠居なされてね、俺に領主を譲ったのさ。だからと言ってはあれだけど田舎貴族が舐められないように、早めに顔を売っておきたいだけさ。……それに、王都には美味いものが多いと聞くからな」


「なぁんだ、そうなんだぁ~!抜け目がないんだねぇ、ヴェルト君は!」


 ロザリアはケラケラと笑う。


 その演技に、俺は心の中で冷ややかに笑った。


(まだここでロザリアの正体を暴いて排除するのは下策か?)


 今はまだ泳がせておくのがよさそうだ。俺たちの「戦力」と「異常性」をたっぷりと見せつけ、敵対するリスクが高いと思わせれば、教会も手出しはできなくなるかもしれない。


「そうか。なら、出発まで我が家の『おもてなし』を堪能していくといい」


 俺は何も知らないフリをして、極上の笑みを浮かべた。


       ◆


 その日の午後、ロザリアは屋敷内を歩き回り、執拗に脱出ルートを探っていた。


 そして、深夜2時。

 

 昨夜の失敗(悪夢)に懲りず、彼女は再び動いた。


(今夜こそ……この魔窟の情報を持ち帰る……!)


 ロザリアは黒いパーカーを羽織り、音もなく客室の窓から庭へと降り立つ。魔法がダメなら物理だ。直接、森を抜けて結界の外へ出るつもりなのだろう。


 だが、そこは運が悪かった。昨夜、彼女が目撃した「悪夢」は、まだ終わっていなかったのだから。


「――んあ? 誰だぁ?」


 森の入り口にある薬品倉庫から、気だるげな声が響いた。ロザリアがビクリと固まる。


 扉が開き、出てきたのは――血まみれの白衣を着て、スコップを持ったブラッドだった。


「ふふふ……。また失敗かぁ。素材が足りないなぁ……」


 ブラッドが独り言を呟きながら、土で汚れた手で顔を拭う。その顔には、月明かりに照らされた狂気的な笑顔が張り付いていた。


「ん~? ……匂うなぁ。新鮮な『素材』の匂いがするぅ」


 ブラッドが鼻をヒクつかせ、ロザリアの隠れている茂みの方へ顔を向けた。


「あ♡ みーつけたぁ。……ねぇ、君。どこか悪くない? 内臓とか、脳みそとか、弄ってあげよっかぁ?出来るだけ気持ち良くするよぉ...」


 ブラッドがゆらりと近づく。その手には、月光を反射して怪しく光るメスと注射器。


「ひ、ひぃっ……!?」


 ロザリアの口から、悲鳴にならない息が漏れる。昨夜見た光景がフラッシュバックする。袋詰めにされた何か。楽しげな鼻歌。そして、この笑顔。



 ここにいたら「素材」にされる。



「い、いやぁぁぁぁっ!!」


 異端審問官としての矜持も忘れた全力の悲鳴を上げて、屋敷の方へと脱兎のごとく逃げ出した。


「ああっ、待ってぇ! 手術室の予約空いてるのにぃ~!」


 追いかけるブラッド。逃げるロザリア。俺は窓からその鬼ごっこを眺め、そして....そっと窓を閉じた。


(……まあ、防犯対策としてはバッチリか)


 翌朝、目の下に濃いクマを作ったゲッソリ顔のロザリアが食堂に現れた時、俺は何も聞かずに温かいスープを勧めてあげたのだった。

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