32.羊たちの楽園
「……え、嘘。これが……悪徳領主の街?」
ロザリアが窓に張り付き、眼下に広がる光景を凝視している。無理もない。彼女が教会で聞かされていたのは、重税に喘ぐ痩せこけた領民や、荒れ果てた土地だったはずだ。
だが、現実は違う。開拓村は街と言っても差支えがない様相へと変貌していた。整然と区画整理された石畳の街道。豊かに実る黄金色の小麦畑。活気に満ちた市場からは賑やかな声が響き、行き交う領民たちは皆、肌艶が良く、清潔な衣服を身に着けている。街全体が、微かな光に包まれていた。
「……ねぇ、ヴェルト君。どうやってこんなにしたの? ここ、数年前までは貧乏な田舎領地だったって聞いたけど」
あまりのギャップに、ロザリアは猫を被るのも忘れて素の疑問を口にした。
「簡単なことだ」
俺は足を組み直し、窓の外を指さした。
「領内にダンジョンがあるだろう? あそこから湧き出るスライムや魔物の死骸。あれを特殊な発酵槽で肥料に加工して、農地に撒いたんだ」
「えっ……ま、魔物を肥料に……?」
ロザリアが顔を引きつらせる。彼女の反応は正しい。普通なら、魔物の死骸を撒けば土壌が汚染され、作物が魔物化してしまう。
その「特殊な発酵槽」を作るために、屋敷の皆が寝静まった深夜、俺がこっそりとベッドを抜け出してダンジョンの深層に潜り、毒素を分解する希少な『浄化苔』を命がけで採取して回ったのだ。誰にも見られないよう、夜な夜な泥だらけになって土壌改良をしていたなど、悪徳領主の沽券に関わるからな。
「ああ。古い文献によれば、魔素を含んだ土壌は通常の三倍の収穫量を生む。さらに、下水道には『汚泥喰らい(マッド・イーター)』というスライムの亜種を住まわせている。これで街の衛生環境は劇的に改善され、疫病による労働力の損失はゼロになった」
俺は指を折りながら、淡々と説明を続けた。
だがしかし『汚泥喰らい』なんて便利なスライムは、野生には存在しない。あれは俺が丑三つ時に下水道へ潜り、主である『キング・スライム』を単独でボコボコにして服従させ、朝が来るまで配合と品種改良を繰り返して生み出した、人畜無害な新種だということを。領民たちがスヤスヤと眠っている足元で、俺がヘドロまみれになって生態系を管理したおかげで、この街は清潔なのだ。
つまり、この領地の豊かさはゲーム知識を持つ俺というチートによる深夜の秘密労働によって成立しているのだ。
(……もっとも、俺はこっそりやったつもりだったが、マリアやセバス、それに一部の古株のメイドたちは気づいていた節がある)
明け方、泥だらけでこっそり屋敷に戻ると、なぜか厨房には湯気の立つ夜食が用意されていたり、寝室には温かいお湯と着替えが置かれていたりした。そして翌朝には、泥まみれだったはずのブーツが、新品同様にピカピカに磨き上げられているのだ。
彼らは何も聞かなかった。「昨夜はどちらへ?」などと野暮なことは一切言わず、俺の「悪徳領主としての顔」を立てるために、あえて気づかないフリをして、陰ながら俺の無茶を支えてくれていたのだ。……まったく、主君泣かせの部下たちだ。
そんな種明かしをする必要はない。ロザリアがぽかんと口を開ける姿を見て、俺は内心でほくそ笑んだ。
「全ては、俺が効率よく税を徴収するための『投資』だ。家畜は、健康で太っていた方がいいだろう? 痩せた羊からじゃ、肉も毛も取れないからな」
俺はニヤリと笑った。
ロザリアは何か言おうとして、言葉を飲み込む。彼女には理解できないだろう。これが「悪政」なのか「善政」なのか。その矛盾に混乱したまま、馬車はアークライト領の正門をくぐる。
「さあ、着いたぞ。……ロザリア、お前もゆっくりしていくといい」
馬車は街を見下ろす丘の上に建つ領主館へと到着した。重厚な門が開く。
「お帰りなさいませ、ヴェルト様」
出迎えたのは、整列した使用人たちだ。派手な軍隊ではない。洗練されたメイドと執事たちが、静寂の中で深々と頭を下げている。だが、その一糸乱れぬ所作と、足音一つ立てない身のこなしは、プロの目から見れば逆に不気味さを醸し出していた。
「うわぁ……。教育が行き届いてるねぇ」
ロザリアが引きつった笑顔で馬車を降りる。俺も続いて降り、コートの裾を払うと、御者台から降りたセバスチャンが恭しく一礼した。
「ヴェルト様。長旅、お疲れ様でございました。……私が不在の間、屋敷の管理を一任しておりました者を呼んでおります」
セバスチャンの紹介を受け、整列していた使用人の中から一人の男がスッと音もなく進み出た。銀縁眼鏡をかけた、神経質そうな長身の男だ。
「お初にお目にかかります……とは言いませんが。このリュゼ、滞りなく留守を預からせていただきました」
リュゼと呼ばれた男は、感情の読めない冷徹な声で冗談なのか分からない挨拶をした。その目つきは鋭く、只者ではない気配を漂わせている。
(リュゼ。一見すれば、神経質なだけの文官に見えるだろう)
だが、こいつは俺が領地で見出し、その異常なまでの「潔癖性」と「事務処理能力」を評価して拾い上げた、俺の懐刀だ。セバスが「武」の要なら、リュゼは「知」の要。俺が夜な夜な行う無茶な改革指示を、翌朝には完璧な法令として整備し、領内に浸透させる最強の実務家である。本来なら国の中枢にいてもおかしくない「内政チート」持ちだが……その性格が冷酷すぎて、俺のような悪徳領主としか馬が合わなかったというわけだ。
正直、領の発展においてはリュゼが多大な功績をあげていると言わざるを得ない。
「ご苦労。……留守中、変わりはなかったか?」
俺が問いかけると、リュゼは眼鏡の位置を中指で押し上げ、淡々と答えた。
「はっ。害虫の処理が数件あった程度で、概ね順調でございます。……処理済みのゴミは、例の場所へ廃棄いたしました」
「そうか。よくやった」
その会話を聞き、後ろにいたロザリアの肩がピクリと跳ねる。「害虫」が何を指すのか、同業者である彼女には痛いほど伝わったはずだ。
(さて……ここらで軽く、釘を刺しておくか)
俺はロザリアに向き直り、館を案内するように腕を広げた。
「ロザリア。ここが俺の館だ。旅の疲れもあるだろう、今日はゆっくり休むといい」
「あ、ありがと~。……へへ、立派なお屋敷だねぇ」
ロザリアは愛想笑いを浮かべながら、その手元で小さく指を動かした。教会への「到着確認」のサインを送るための、微弱な魔力通信だ。暗殺者の手癖のようなものだろう。
――ブウン。
しかし、彼女の指先から放たれた魔力は、空に飛ぶこともなく、その場で黒い霧のように掻き消された。
「……え?」
ロザリアが目を見開く。
「おや、どうされました? お客様」
リュゼが眼鏡の奥から冷ややかな視線を向けた。
「当家の敷地内には、最近開発された特殊な『魔力阻害結界』を張り巡らせております。外部への無許可の魔力干渉は、全てノイズとして処理されますので」
「……!」
ロザリアが息を呑む。それはつまり、ここに入った瞬間、外部との連絡手段を絶たれたことを意味する。助けは来ない。情報も送れない。完全な「檻」の中だ。
「……き、聞いたことないよ、そんなの!」
ロザリアは愛想笑いも忘れて声を荒らげた。
「魔力阻害なんて、もっと大規模な儀式魔法が必要なはず……! それに、こんな自然に、特定の波長だけを消すなんて……王都の筆頭魔術師だって不可能だよ!?」
彼女の取り乱し方は、演技ではなく本心からの恐怖だった。暗殺者として「魔法の常識」を知り尽くしているからこそ、この結界の異常性が理解できてしまうのだ。現代の魔法技術では、理論上不可能な現象。
「……何をそんなに驚いている?」
俺はきょとんとして首を傾げた。
「ただの効率化だ。不審な電波……いや、魔力波をカットするくらい、防犯の基本だろう?」
だが、俺は言わなかった。この結界術式が、ゲーム後半に登場する特定のアイテムの組み合わせで実現出来ることを。俺が徹夜で組み上げた、あと数年は登場しないはずのまごうことなき「未来の技術」だ。
(アークライト領はゲームのチュートリアルで滅びちゃうから分からなかったけど、売っているアイテムが軒並みゲーム後半に入手出来るようなぶっ壊れだったんだよなぁ。たぶんこれも開発者がテストに使ってたんだろうけど。ただ普通は使い方が分からないから俺以外にとっては基本ゴミなんだが)
「き、基本って……」
ロザリアの顔から血の気が引いていく。目の前の少年が、単なる「強い領主」ではなく、世界の理すら逸脱した「未知の怪物」に見えた瞬間だった。
「……あ、あはは。そうなんだ。すごいセキュリティだねぇ」
ロザリアの額に、脂汗が滲む。
俺はニッコリと笑い、彼女の肩にポンと手を置いた。
「なに、悪いようにはしないさ。ただ、少し『魔力感度』が良いだけだ。……変な気を起こさなければ、ここは快適な楽園だよ」
「……は、はい。肝に銘じますぅ」
ロザリアは引きつった笑顔のまま、何度も頷いた。派手な攻撃を受けたわけではない。刃を突き付けられたわけでもない。だが、彼女は悟ったはずだ。この領地そのものが、巨大な「魔物の胃袋」のような場所であると。
「リュゼ。客人を客室へ案内しろ。……最高のもてなしでな」
「畏まりました。……こちらへどうぞ、お客様」
リュゼが慇懃無礼に頭を下げる。連れていかれるロザリアの背中は、馬車の中での余裕など消え失せ、どこか小さく見えた。
俺は小さく息を吐き、館を見上げる。ようやく戻ってきた。だが、安息はない。ロザリアという爆弾を抱えつつ、俺は執務室に積まれているであろう山のような書類と戦わねばならないのだから。
(俺も魔法が使えるようになると便利なんだが、この体の制約なのかどうにも覚えられないんだよな....魔力が無いわけでは無いしネロにでも相談してみるか)
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