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27. 紅の戦乙女の誓い

 目が覚めると、そこは天国のような場所だった。ふかふかのベッド。肌触りの良いシルクのシーツ。鼻をくすぐる上質なアロマの香り。


(……ここは、どこだ?)


 メルザはぼんやりと天井を見上げ、体を起こそうとして――自分の手が震えていないことに気づいた。記憶がはっきりとはしないが自分が自分でなくなってしまったことは覚えている。しかし、薬物でドス黒く変色していた皮膚は白く戻り、異様に肥大化していた筋肉も、かつてのしなやかで強靭なものに戻っている。


 ――戻った?一体どうして?死ぬ間際にこういった夢をみることがあると聞いたことがあるがー


(うっ.......)


 正気を取り戻した瞬間、脳裏に焼き付いていたおぞましい記憶が、濁流のように溢れ出した。実験室の冷たい感触。身体を駆け巡る激痛。そして、薄れゆく意識の中で聞いた、諸悪の根源――ゴズの嘲笑う声。


『ケケケッ。まだ頑張るのかぁ? ガキどもはとっくに奴隷商人に売り払ったよ。いい値がついたぜぇ....それと、あのババアだっけ? 喉を掻っ切ってドブ川に捨てたわ』


(これは....現実...か.....)


 守りたかったものは、もう一つも残っていなかった。自分は騙され、利用され、大切な家族を守るどころか、その仇の兵器として作り変えられていたのだ。


「……殺す。『金喰い虫』……全員、殺してやる……ッ!」


 メルザはベッドから飛び起きた。復讐だ。今すぐにあの組織のアジトへ乗り込み、ゴズを、構成員を、一人残らず肉塊に変えてやる。


「気がついたか」


 殺気立って部屋を出ようとしたメルザの足を、冷ややかな声が止めた。ハッとして視線を向けると、豪奢なソファに足を組んで座る、黒髪の少年がいた。


「……誰だ、お前は」


 メルザは警戒心を露わにし、身構えた。見覚えがない。怪物化していた時の記憶は、焼けるような熱と破壊衝動のもやに包まれていて、最後に誰かと戦ったような気はするが、顔までは思い出せない。だが、この少年からは、ただの子供とは思えない異様なプレッシャーを感じる。


「どけ……ッ! 私は行かなきゃならないんだ! ゴズを殺しに……!」


「ゴズなら、もう死んでるぞ」


 少年が退屈そうに告げた言葉に、メルザの動きが凍りついた。


「……は? 今、なんと……」


「お前が気絶している間に、俺も奴らに『借り』があったんでな。少し支部アジトの様子を見に行ったんだが……見事にくたばってたよ。首から上が綺麗に吹き飛んでて、死体を確認するのに苦労した」


 少年はまるで、散歩のついでに虫を観察してきたような口ぶりだった。


「死んで……る……? 首が、ない?」


「ああ。恐らくどこかの理性を失った『怪物』が真っ先に吹き飛ばしたんだろうな。……どっちにしろ、あれじゃもう生き返らない」


 自分がやったのか?我ながら大した復讐心だ。潜在意識レベルで恨んでいたということだろう。だが......復讐の対象が、もういない。メルザの体から力が抜け、その場に膝から崩れ落ちた。


「じゃあ……私は……何のために……」


 守るものもなく、満足に復讐も出来ずに生き残ってしまった。虚無と絶望が彼女を押しつぶそうとした時、少年が立ち上がった。


「勘違いするな。ゴズは死んだが、『金喰い虫』という組織はまだ残ってる。奴隷商人や裏帳簿もな」


 少年がメルザの前に立ち、その顎を指でくいと持ち上げた。至近距離で見るその瞳は、深い闇のように黒く、底知れない支配欲を湛えていた。


「そうだ、自己紹介がまだだったな?俺はヴェルト・フォン・アークライト」


「アークライト……? あの悪名高い、悪徳領主の……?」


「有名で何よりだ。いいか、よく聞け。お前の命は一度終わった。それを俺たちが拾い上げたんだ。だから、その命の所有権は俺にある。」


「……所有権?」


「ああ。俺のモノになれ、メルザ。俺のアークライト領に来て、その拳を俺のために振るえ。そうすれば衣食住は保証するし、『金喰い虫』の残党狩りも、孤児院の復興だろうが、売られたガキどもの捜索だろうが、全部俺が手伝ってやる」


「ッ……!?」


 メルザの瞳に光が戻るが、直後、鋭い剣呑な光が宿った。彼女はヴェルトの手を払い除け、数歩距離を取って睨みつけた。


「待て。……なぜ、孤児院の子供たちが売られたことを知っている?」


「……あ?」


「私はお前に一言も話していない。私の身に起きた事も、奪われた子供たちのことも……誰にも話していないはずだ。それなのに、なぜ『ガキどもの捜索』なんて言葉が出てくる?」


 鋭い。さすがは元Aランク冒険者だ。ヴェルトは内心で舌打ちをした。ゲームの知識が頭に入っているせいで、つい知っている前提で話してしまった。だが、ここで動揺しては「悪徳領主」の名折れだ。


「……フン。つまらんことを気にするな」


 ヴェルトは鼻で笑い、平然と言い放った。


「さっき言っただろ? ゴズの死体を確認しにアジトへ行ったと。そこには奴らの裏帳簿や顧客リストが山のようにあった。お前の経歴や、実験体の調達元もな。……吐き気がするようなリストだったよ」


「帳簿を……見たのか……」


 嘘ではない。まだ見つけられてはいないがゲーム知識から大体の中身は想像がつく。メルザの警戒がわずかに緩むのを見て、ヴェルトは畳み掛けた。


「俺は悪徳領主だぞ? 裏社会の情報網も、使える暴力も持っている。お前が一人で闇雲に探すより、よほど確率は高い」


「……本当に、あの子たちを探し出せるのか?」


「確約はできん。だが、少なくともお前が一人で泣き寝入りするよりはマシだ」


 その言葉に、メルザの迷いは消し飛んだ。彼女は深く頭を垂れ、ヴェルトの手を取って額に押し当てた。


「……契約だ。我が命、我が拳は、今この刻より主のもの」


 メルザは顔を上げ、獰猛な笑みを浮かべた。


「その代わり……あいつら金喰い虫を根絶やしにする許可をください、私の『主』よ」


「ふん。許可なんざ要らん」


 ヴェルトは鼻を鳴らし、獰猛に笑い返した。


「俺の所有物に手を出したんだ。その時点で、奴らは俺の敵だ。……自分の敵を排除するのに、いちいち飼い主の顔色を窺う必要はない」


「主……」


「だが、ケジメは必要だな。……命令だ、メルザ。『金喰い虫』を徹底的に噛み殺せ。一匹たりとも逃すな」


 その言葉は、メルザが最も欲していた成し遂げられなかった「復讐への肯定」だった。彼女が感極まったように震える中、ヴェルトは控えていた執事に合図を送った。


「セバス。例のブツを」


「はい。特注品でございます」


 セバスチャンが恭しく差し出したのは、美しいルビーが埋め込まれた、洒落た革製のチョーカーだった。ヴェルトはそれを受け取ると、メルザの首元へ手を伸ばす。


「……ッ」


 メルザがわずかに身を強張らせた。首には、実験体として拘束されていた時の、醜い鎖の擦過痕が赤黒く残っている。また「首輪」をつけられることへの本能的な忌避感。


 だが、カチャリと嵌められたその感触は、かつての冷たく重い鉄鎖とは違い、優しく肌に馴染むものだった。幅広のチョーカーは、見るも無惨だった首の傷跡を綺麗に覆い隠していた。


「あ……」


「魔道具屋に作らせた。『精神安定』と『皮膚再生』の付与魔法付きだ。……そんな傷跡を晒したままじゃ、俺の美学に反するからな」


 ヴェルトはぶっきらぼうに告げた。それは隷属の証(首輪)でありながら、彼女の心と体を癒やすための贈り物だった。


「これでお前は名実ともに俺のモノだ。勝手に壊れることも、勝手に死ぬことも許さん。……いいな?」


 首元から伝わる微かな魔力の温かみが、復讐心で張り詰めていたメルザの心を溶かしていく。彼女はチョーカーにそっと触れ、深く頭を下げた。


「……はい、この首輪に誓って」


「……キィィィィィッ!!」


 その時、部屋の隅から、空気を切り裂くような怨嗟の声(?)が聞こえた。メルザがビクリとして振り返ると、そこには完璧な笑顔を張り付けたまま、ハンカチをギリギリと噛み締めているマリアの姿があった。


「ヴェルト様……私ですら、まだそのような情熱的な拘束具プレゼントを頂いておりませんのに……。ポッと出の新人(泥棒猫)に、いきなりマーキングだなんて……! ああ、羨ましい……妬ましい……爆発しろ……」


「……おいマリア、心の声が漏れてるぞ」


「お、お気になさらず! ただ少々、ハンカチの強度が気になっただけですので!」


 マリアは引きつった笑顔で、ビリビリに破れたハンカチを背後に隠した。その背中からは、隠しきれない般若のオーラが立ち昇っている。ヴェルトは「やれやれ」と肩を竦め、気を取り直すように声を張り上げた。


「よし。なら仕事だ。ゾルダンの街に巣食う『金喰い虫』どもを掃除するぞ」


       ◆


それからの三日間は、一方的な蹂躙劇だった。ヴェルトの指揮の下、メルザは戦乙女の力を解放し、ゾルダンに点在していた『金喰い虫』の拠点を次々と襲撃。ネロの魔法による解析と、セバスチャンの情報網、そしてメルザの圧倒的な暴力により、ゾルダンの裏社会を牛耳っていた組織は、文字通り「更地」へと変貌した。


 翌朝、ゾルダンの街は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。


「おい聞いたか? あの悪名高い『金喰い虫』のアジトが、軒並み消滅したらしいぞ!」


「消滅って、建物ごとかよ!?」


「ああ。なんでも『赤い閃光』が走った直後、建物が粉々になったとか……」


「ざまぁみろだ! あいつらのせいで、どれだけの人が泣かされたか……。誰だか知らねぇが、やってくれた奴は、この街の英雄だぜ!」


 酒場で、市場で、路地裏で。人々は、忽然と現れ、悪を食い尽くして去っていった「正体不明の掃除屋」に感謝し、久しぶりに安堵の酒を酌み交わしていた。


 そして、全てが終わった夜。制圧した本部跡地で、セバスチャンが一枚の世界地図を広げた。


「……予想以上に根が深いですね。この組織、ゾルダンだけではありません。王都、帝國、自由都市群……世界中の裏社会に根を張っています」


 地図には無数の赤い印が記されていた。ゾルダン支部は氷山の一角。本体はまだ世界のどこかで肥え太り、今もどこかで誰かがメルザのように食い物にされているのだ。


「……ここには、いませんでした」


 メルザが悲痛な面持ちで呟いた。


「ゾルダンの拠点はすべて回りました。ですが、あの子たちの姿は……どこにも。残っていたのは、既に『出荷』されたという冷たい記録だけ」


 彼女の拳が、じわりと血が滲むほど強く握りしめられる。守りたかった子供たちは、既にこの街にはいない。この広大な地図のどこかへ、商品として散らばってしまったのだ。


「……主」


 地図を見つめていたメルザが、決意を秘めた瞳でヴェルトに向き直った。


「お願いがあります」


「なんだ?」


「私に……いとまをください」


 その言葉に、ニーナやネロが驚いて顔を上げる。だが、ヴェルトだけは動じず、その真意を見透かしたように目を細めた。


「世界中の『金喰い虫』を潰して回る気か?」


「はい。こいつらは……私の大切なものを奪った。そして、私と同じような被害者を今も生み出し続けている」


 メルザは地図上の赤い印を睨みつけた。


「ゾルダンだけじゃ足りない。世界の果てまで追いかけて、一匹残らず根絶やしにします。それに……世界中の支部アジトを回れば、売られた子供たちの手がかりが見つかるかもしれない」


 それは、果てしない修羅の道だ。本来なら、アークライト家に仕え、ヴェルトの側で生きる方が安楽だろう。だが、彼女の魂がそれを許さない。


「主とは別行動になります。……貴方の『所有物』でありながら、お側に仕えられない不忠をお許しください」


 メルザがその場に跪く。ヴェルトはしばらく沈黙した後、ニヤリと口の端を吊り上げた。


「許すも何も、俺にとっては好都合だ」


「え……?」


「俺はこれから勇者も救いに行かなきゃいかんし、おそらく学園にも行かなきゃならん。それに加えて領地の経営もある。世界中を飛び回って害虫駆除をするのはハッキリ言ってかなり厳しい」


 ヴェルトは跪くメルザの肩に手を置いた。


「メルザ。世界に散らばる『金喰い虫』を食い尽くし、俺に敵対する愚か者どもに恐怖を刻み込んでこい。それが俺への忠誠の証だ」


 それは、事実上の自由行動の許可。そして「アークライト家の名代」として、世界で暴れてこいという最高のエールだった。


「……ッ! ありがとうございます、主!!」


 メルザが震える声で感謝を述べる。そして、彼女は決意を固めたように懐へ手を伸ばし、一つの古びた指輪を取り出した。


「主よ。……これを、預かってはいただけませんか」


「これは?」


「私に拳の道を叩き込んでくれた『師匠』から受け継いだ……私の唯一の宝です」


 それは無骨な、傷だらけの鉄の指輪だった。


 だが、そこに込められた彼女の想いの重さは計り知れない。メルザはヴェルトの手を取り、その掌に指輪を強く押し付けた。


「これを預けるということは……私の『魂』をここに置いていくということです」


 彼女は真っ直ぐにヴェルトの瞳を見つめ、誓いの言葉を紡ぐ。


「必ず戻ります。世界の害虫を駆除し、子供たちを見つけ出し……そして、この指輪と私の居場所ここを取り戻しに」


 それは、単なる忠誠以上の、絶対的な「帰還」の約束だった。


 ヴェルトは指輪を握りしめ、ニヤリと笑った。


「いいだろう。……質草としては悪くない。しっかり働いて、利子をつけて買い戻しに来い」


「はい……! 必ず、必ずや!!」


 こうして、紅の戦乙女メルザは、一人の冒険者として旅立つことになった。目的は、世界規模の犯罪組織『金喰い虫』の完全殲滅と、子供たちの奪還。彼女が再びヴェルトの前に現れる時、その背後には壊滅した組織の山と、救われた多くの命があることだろう。


 別れ際、メルザは一度だけ振り返り、かつてないほど晴れやかな笑顔を見せた。


「行ってきます、主!」


 その背中を見送りながら、ヴェルトは肩を竦めた。


「やれやれ。拾ったペットをすぐに放し飼いにするとはな。……ま、俺らしくていいか」


 ゾルダンの夜風が、新たな物語の始まりを告げるように吹き抜けていった。

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