26. 幻の生存ルート
――ガシャンッ!!
唐突な破砕音が、優雅なディナータイムを切り裂いた。レストランの巨大な窓ガラスが粉々に砕け散り、悲鳴を上げて逃げ惑う客たちで店内は一瞬にしてパニック映画の撮影現場と化した。
「な、なんだぁ!? テロか!?」
フォークに肉を刺したまま、ネロが素っ頓狂な声を上げてテーブルの下に潜り込む。舞い上がる砂煙とガラスの破片。その向こうからゆらりと現れたのは――血のように赤い髪を振り乱し、全身からドス黒い殺気を噴出させる一人の女だった。
「グルルルルゥ……」
ボロボロの衣服から覗くのは、鋼鉄のように引き締まり、異様に肥大化した筋肉。理性を焼かれ、ただ破壊のみを求める悲しき獣。
俺はグラスを傾けたまま、その姿を凝視し――息を呑んだ。
(……待て。あの赤髪、あの異常な魔力による筋肉の膨張……見覚えがある)
間違いない。あいつは『紅の戦乙女』メルザだ。だが、おかしい。原作ゲーム『ドラグーン・ファンタジア』において、彼女が敵として立ちはだかるのは物語の『終盤』だ。腐敗した聖教会が、魔獣や邪魔になった王族を抹殺するために差し向けてくる、制御不能の『人間兵器』として登場するはずなのだ。
(今はまだ序盤もいいところだ。なぜそんな強敵がここにいる?)
俺の脳内で、バラバラだったピースが繋がる。先ほどの『金喰い虫』との因縁。薬漬けの実験体。
(……確か金喰い虫が人体を強化する薬に手を出すイベントがあったはず……そうか、そういうことなのか!? ならメルザは最初から教会の兵器だったわけじゃない。『金喰い虫』の連中が彼女を拉致して『兵器』に作り変え……完成したものを教会に売り払っていたってことか!?)
つまり、ここが全ての悲劇の『原点』ということになる。本来の歴史では、彼女はこのまま完全に心を壊され、教会に兵器として出荷される運命にあるということか。
(ふざけた話だ。……だが、裏を返せば)
俺はグラスを置き、口元を拭った。
(ここで俺が『出荷』を阻止し金喰い虫を全滅させておけば、終盤の厄介なイベントごとなかったことにできる……それに、何より胸糞が悪い)
俺はゆっくりと立ち上がった。
「ヒッ……! な、なんだあいつ! 魔力の波長がデタラメだぞ! 人間じゃない、魔獣だ!」
ネロの悲鳴を合図に、セバスチャンとマリアが動いた。
「ヴェルト様、シャルロット様。お下がりください。……マリア、行きますよ」
「ええ。せっかくのヴェルト様とのディナーを台無しにした罪、万死に値しますわ」
二人の影が疾走する。常人には目で追えない速度だ。セバスチャンのナイフが急所を狙い、マリアの短剣が脚を薙ぎ払う。必殺の連携。だが。
ガギィンッ!!
硬質な金属音が響き、ナイフと短剣が弾かれた。
「なっ……!?」
「硬い……! 皮膚の下に高密度の魔力障壁を展開しているようです!」
マリアが目を見開く。メルザは武器を持っていない。ただの筋肉だ。鋼鉄以上の硬度で刃物を受け止めたのだ。当然だ。あいつは『終盤スペック』の化け物。今の段階のセバスチャンたちでは少々荷が重い。
「シャアアアアアッ!!」
メルザが咆哮と共に腕を振るう。その暴風だけで近くのテーブルが吹き飛び、セバスチャンたちがバックステップで回避を余儀なくされる。
「あわわわ、押されてます!」
ニーナが立ち上がろうとするが、グランが制した。グランは分かっているのだ。この場で誰が『最強』なのかを。
「下がってろ、セバス、マリア」
俺は前に出た。
「ヴェルト様!? ですが……!」
「いいから。……こいつは、俺に用があるみたいだからな」
メルザの赤い瞳がギョロリと俺を捉えた。本能が理解したのだ。この場にいる誰よりも、強大で、危険で、喰らい甲斐のある「魂」がそこにあると。
「ガアアアアアアアッ!!」
メルザが床を蹴った。石畳が砕け、赤い砲弾となって俺に突っ込む。その拳は、人間なら即死確実の一撃。だが、俺は動じない。避けることもしない。
ドゴォォォォンッ!!
衝撃音が店内に響き渡る。しかし、俺は一歩も下がっていなかった。左手が、メルザの拳を真正面から受け止めていたのだ。
「……!」
「……悲惨なもんだな」
俺の手が、ギリギリと音を立ててメルザの拳を握り潰していく。本来なら、プレイヤーは彼女を殺すしかない。殺して、その死体から恩師への遺書を見つけるだけの後味の悪い「鬱イベント」だ。
だが――実は続きがある。ゲーム発売から一年後に出版された『完全版公式ファンブック』には、メルザを救う『幻の生存ルート』の条件が記載されていた。『暴走する魔力回路から“魔獣因子”のみを摘出し、同時に崩壊する肉体を最高位の魔法で再生させれば、理論上は生存可能である』と。ただし、メルザと遭遇する際には事実上そんな準備は出来ないことから当然救うことも出来ず、運営の質の悪いジョークということになっていたが。
だが、ここは現実だ。
(ゲーム内では不可能だったその条件、満たしてやるよ。)
「暴れたいなら付き合ってやる。だが、店を壊すな。……料理が冷める」
俺は握った拳を離さず、そのまま右手を振りかぶった。魔法もスキルも使わない。ただ、毎日ニーナに課しているような、純粋な筋力による一撃。
「少し大人しくしてろ!」
ドガッ!!
強烈な裏拳が、メルザの顔面を捉えた。巨体が宙を舞い、店の外――通りを挟んだ向こう側の建物の壁まで吹き飛んでめり込んだ。
「……ふぅ」
俺は手首を軽く回し、呆然としている仲間たちを振り返った。
「デザートの前に、少し運動してくる。……ニーナ、ネロ。お前らも来い」
「は、はい?」
「勉強の時間だ。金喰い虫の鼻を明かしてやる」
◆
瓦礫の中から、再びメルザが這い出してくる。その再生速度は異常だった。
「よく聞け。あいつは薬漬けにされて魔力が暴走してる人間だ。このままだと自壊して死ぬ。だが俺はあいつを諦めないことにした。救うぞ。」
「えっ……!?に、人間……?あの化け物が……ですか?」
ニーナが目を見開き、暴れ回る赤き獣を凝視した。その瞳から恐怖が消え、代わりに深い悲しみが浮かぶ。
「あんなに叫んで……苦しんでいるんですね……。もし助けられるなら……私、助けたいです!」
「はぁぁぁ!?正気かお前!?」
対照的に、ネロは素っ頓狂な声を上げてメルザを指差した。
「見ろよあのデタラメな魔力光! あいつはもう人間じゃねぇ、歩く爆弾だぞ! 触れた瞬間に俺たちごと消し飛ぶのがオチだ! 救うも何も、物理的に無理だろ!」
驚くネロをスルーし、俺は指示を飛ばす。
「俺が動きを止める。ネロ、お前はあいつの魔力回路を解析し、暴走している『呪い』だけを強制解除しろ。ニーナ、お前はその直後に回復魔法を叩き込んで、崩壊する肉体を繋ぎ止めろ!」
「はぁ!? 無茶言うな!」
ネロが杖を振り回して抗議する。
「暴走した原子炉の中に手ぇ突っ込んで、特定の部品だけ引っこ抜けって言ってるようなもんだぞ! 失敗したら俺の脳が焼き切れる!」
「お前は天才だ。それに確率が好きだろ? ……成功率1%の『鬱イベント』をひっくり返す、大博打だぞ?」
俺がニヤリと笑うと、ネロの眉がピクリと動いた。不可能と言われると燃える、それがこのひねくれ者の性分だ。
「……けっ! 鬱イベントがなんなのかわからねぇが、煽るねぇ、悪徳領主様よぉ!!」
ネロは不敵な笑みを浮かべ、歪な杖を構え直した。
「しょーがない! いいだろう、乗ってやる!この俺、ネロ・アリス様の才能に不可能はないってことを証明してやんよぉ!」
「私もやります! ……あんなに苦しそうな声、放っておけません!」
ニーナもナックルを構え、祈りの姿勢に入る。
「よし。……来るぞ!」
起き上がったメルザが、全身からどす黒い魔力を噴出させ、最後の特攻を仕掛けてきた。彼女の足元の石畳が、魔力の圧力だけで粉砕される。それはもはや格闘術の動きではない。自身の肉体すら砲弾に変えた、殺意の塊だ。
「ウオオオオオオッ!!」
メルザが地を蹴り、赤い閃光となって俺の喉元へと迫る。爪のように鋭利化した指先が、俺の動脈を食い破ろうと迫るが――俺は逃げない。回避もしない。重心を深く落とし、大地に根を張る大木のように、その突進を真正面から迎え撃つ。
「らぁぁぁっ!!」
ドォォォォンッ!!
俺は正面からぶつかり合い、その両手首をガシィッ!と掴んで勢いを殺した。凄まじい衝撃。俺の靴底が地面を削り、火花が散る。メルザが至近距離で獣のように吠え、噛みつこうと暴れる。口から漏れる暴走した魔力の熱が俺の頬を焼くが、そんなものは擦り傷にもならない。
「暴れるなと言っただろ……ッ!」
俺はその腕を強引にねじ伏せて引き寄せ、身体を反転させて背後に回り込む。暴れる背中を胸板で押し潰し、両脇から腕を差し入れ、後頭部でガッチリとロックした。完全なる拘束。全身の筋肉が軋むほどの剛力で締め上げ、怪物の動きを完全に封じる。
「今だ、ネロ!!」
「おうよ! 『解析』開始……構造把握、術式干渉……うわっ、なんだこの汚ねぇ回路は! 継ぎ接ぎだらけじゃねぇか!」
ネロの杖先から幾何学模様の魔法陣が展開され、メルザの体を包み込む。額に脂汗を浮かべながら、ネロは複雑怪奇な呪いのコードを瞬時に読み解いていく。
「……そこだッ! 『術式解体』!!」
パリンッ。硬質な何かが砕ける音が響き、メルザの体から黒い霧が霧散した。同時に、彼女の皮膚が裂け、血が吹き出す。無理やり稼働させていた魔力が消え、代償が一気に襲ってきたのだ。これが、ゲームでは救えなかった理由。
「ニーナ!!」
「はいっ!! ……癒やして、『ヒール』!!」
ニーナがナックルを打ち鳴らし、光を放つ。だが――光が弱い。
「が、あ……ッ!?」
メルザの傷は塞がらない。それどころか、暴走した魔力の反動で、治した端から皮膚が裂け、鮮血が噴き出していく。『ヒール』の回復量が、崩壊の速度に追いついていないのだ。
「嘘……どうして……! 治って、お願い治って! 『ヒール』! 『ヒール』!!」
ニーナが悲鳴を上げながら、何度も魔法を連射する。しかし、メルザの出血は止まらない。このままでは数秒で彼女は肉塊と化す。
(くそっ、間に合わないか……!? まだニーナのレベルじゃ、あの上位互換魔法は……!だが俺は回復魔法が使えない…ネロもだ)
誤算だった。聖女の性能をかいかぶりすぎたか?俺が舌打ちをした、その時。
「嫌だ……」
ニーナの目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「もう嫌……! アレクの時みたいに、誰かがいなくなるのは嫌だ……! 私はもう、ただ守られるだけの『硝子の聖女』じゃない……!」
ニーナは杖を強く握りしめ、血まみれのメルザに縋り付いた。それは魔法の詠唱ですらなかった。ただの、魂からの慟哭。
「お願い神様……いいえ、私の筋肉! 応えて! 私に、この人を助ける力をくださいッ!!」
その純粋な祈りが、世界の理に触れた瞬間。
カッッッ!!!!
ニーナの全身から、これまでとは桁違いの、目が眩むような黄金の光が奔流となって噴き出した。
「なっ、なんだこの光量は!?」
「これは...」
ネロが手で顔を覆う。ニーナの脳裏に、新たな力が刻み込まれる。彼女は涙を拭い、確信を持ってその「奇跡」の名を叫んだ。
「――『ハイ・ヒール』!!」
圧倒的な光量がメルザを包み込む。
それは中級回復魔法でありながら、覚醒した聖女の魔力によって最上級魔法に匹敵する輝きを放っていた。死の淵へ落ちようとする魂を、聖女の祈りが強引に現世へと繋ぎ止める。裂けた皮膚が瞬時に塞がり、変色していた血管が正常な色を取り戻していく。
やがて、光が収まると。そこには、穏やかな寝息を立てる、赤髪の美しい女性が横たわっていた。
「……やったのか?」
俺はその場に座り込み、額の汗を拭った。公式ファンブックに書かれていた『幻の生存ルート』。物理による拘束、天才による解析、そして――土壇場で覚醒した聖女による再生。どれが欠けても成立しなかった奇跡だ。
「す、すげぇ……。本当に治しちまった……」
ネロがへたり込みながら、信じられないものを見る目で俺たちを見た。
「お前ら、何者だよ……。こんなデタラメ、おとぎ話の勇者パーティだって無理だぞ」
「それを言うならネロ、お前もだ.......だがそうだな、俺たちは勇者じゃない。……ただの『悪徳領主』とその使用人だ」
「私は一応、聖女なんですけど…?」
俺はニーナをスルーして、倒れているメルザを軽々と抱き上げた。お姫様抱っこだ。
「さて、帰るぞ。拾いものが増えちまったからな」
「えぇーっ! また人が増えるんですか!? もうお部屋のお布団が足りないですよ!」
ニーナが涙でぐしゃぐしゃになった顔で悲鳴を上げるが、その表情は嬉しそうに綻んでいた。こうして、不可能と言われた救済は成された。教会が手にするはずだった『最強の兵器』は、今、俺の腕の中にある。ザマァ見ろ。
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