24. 解き放たれた紅き厄災
ヴェルトたちが去った後の事務所には、重苦しい沈黙が漂っていた。床には粉砕された金庫の残骸と、切り裂かれたゴズのズボンが散乱している。
「……あ、あの、ボス……」
部下の一人が、恐る恐る声をかけた。
「あいつら、ただの貴族じゃありませんぜ。あの執事とメイド……それに、あの男。金庫をひしゃげさせるなんて、人間業じゃねぇ。ここは大人しく引いた方が……」
ドゴッ!!
鈍い音が響き、部下が吹き飛んだ。ゴズが蹴り飛ばしたのだ。
「引く? 引くだとぉ?」
ゴズはズリ落ちたズボンを気にも留めず、充血した目で部下たちを睨みつけた。その額には青筋が浮かび、屈辱と恐怖、そしてそれを上書きするほどの激しい怒りが渦巻いていた。
「テメェらは知らねぇのか。あの『アークライト』って名前をよぉ」
「え……?」
「俺も最初はただのボンボンだと思ってた。だが、思い出したぜ。……最近、裏社会の同業者の間で流れてる『イカれた噂』をな」
ゴズは忌々しげに床に唾を吐いた。
「アークライト領の『悪徳領主』。……表向きは領地を富ませてる名君だが、裏じゃ逆らう奴を素手でミンチにして畑の肥料にしてるって噂の『人食い鬼』だ。なんでも、ドラゴンの首を素手でへし折ったとか、魔族を奴隷にしてこき使ってるとか……」
部下たちがゴクリと生唾を飲み込む。裏社会の住人にとって、暴力と恐怖で支配する者は畏怖の対象だ。ヴェルトの悪名は、かなりの尾ひれがついて、このゾルダンにまで届いていたのだ。
「相手は俺たち以上の『本職』だ。……だからこそ、ここで引けねぇんだよ!」
ゴズの目に、狂気じみた野心が宿る。
「もし俺たちが、あの『悪徳領主』を殺ったとしたらどうなる? 俺たち『金喰い虫』の名声はうなぎのぼりだ!」
恐怖を野心で塗りつぶし、ゴズは事務所の奥にある、さらに厳重な鉄扉の方へと歩き出した。その扉には『立入禁止』の札と共に、いくつもの呪術的な封印が施されている。
「どうするかって?くはは、化け物には……化け物をぶつけりゃいいのさ!」
ゴズの言葉に、部下たちの顔色がサァーッと青ざめた。
「ボ、ボス……まさか、『彼女』を使う気ですか!?」
「やめてください! もうアレは制御できません! 前回もやばかったじゃないですか!もう一度解き放ったら終わりですよ!」
「うるせぇな! 責任は俺が取る!!」
ゴズは震える手で鍵束を取り出し、震える手で解錠した。重い扉が開くと同時に、獣のような異臭と、肌を刺すようなドス黒い殺気が漏れ出した。
そこは地下牢へ続いていた。その最奥の檻に、それはいた。
暗闇の中で、鎖の音がジャラリと響く。繋がれているのは、ボロボロの布切れを纏った一人の女だ。かつては美しかったであろう長い赤髪は乱れ、泥と血にまみれている。だが、その四肢の筋肉は異常なほど肥大化し、血管が不気味に脈動していた。
――メルザ。
かつて『紅の戦乙女』と呼ばれ、その高潔さと強さで知られた冒険者。彼女は決して負けなかった。正面からの戦いでは。だが、『金喰い虫』は卑劣だった。人質を取り、毒を盛り、罠に嵌めて彼女を捕縛したのだ。そして、屈辱的な人体実験を繰り返し、彼女の誇り高い精神を薬物でドロドロに溶かしてしまった。
もはや今の彼女に理性はない。あるのは、自分をこんな姿にした世界への呪詛と、破壊衝動のみ。
「……ヒヒッ。腹が減ってるか、メルザ。仕事だ。」
ゴズが安全圏から声をかける。
「お前をこんな目に遭わせたのは俺じゃねぇぜ。外にいる貴族のガキだ。……そうだろ? だから行け。あいつらを殺せば、お前を自由にしてやる」
ゴズは、メルザに残った僅かな理性に期待した。あるいは、薬物による条件付けを過信していた。彼は最後の錠前を外し、拘束具を解いた。
「さあ、行け! 俺の命令をき――」
ゴズの言葉は、最後まで続かなかった。
バチュンッ。
水風船が割れるような音がした。次の瞬間、ゴズの首から上が消失していた。メルザの腕が、霞むほどの速度で一閃されたのだ。
「え……?」 「ボ、ボス……?」
部下たちが凍りつく。首のないゴズの巨体が、噴水のように血を吹き上げながらゆっくりと、スローモーションの様に倒れる。その後ろに立つメルザは、返り血を浴びて紅く濡れていた。
その瞳に、敵味方の識別などない。ただ、目の前に動くもの全てを屠る、殺戮の光だけが灯っていた。
「ア……ガ……ァァァ……」
「ひ、ひぃぃぃぃ!? に、逃げろぉぉぉ!!」
部下たちが悲鳴を上げて出口へ殺到する。だが、遅い。
「グルルルルァァァァァァァァッ!!!」
狭い事務所の中で、紅い嵐が吹き荒れた。悲鳴は一瞬で途絶え、肉が裂け、骨が砕ける音だけが響く。『金喰い虫』たちは、自分たちが作り上げ都合のいい道具としていた怪物によって、文字通り「骨まで」喰らい尽くされたのだ。
数分後。静寂が戻った血の海の中で、メルザは鼻をひくつかせた。まだだ。まだ足りない。もっと強い、もっと質の高い「獲物」の匂いがする。
怪物は壁を突き破り、夜の街へと飛び出した。
◆
一方その頃。
そんな惨劇が起きているとは露知らず、ヴェルト達はゾルダンのメインストリートにある高級レストランにいた。
「うっひょー! なんだこの肉! 柔らかっ! 口の中で溶けるぞぉ!」
ネロが行儀悪くナイフとフォークを使い、最高級ステーキを頬張っている。
「こら、もう少し上品に食べなさい!シャルロット様やヴェルト様の前ですよ!」
「うるせぇ筋肉女! 俺は成長期なんだよ! 魔力を使うと腹が減るんだ!」
ニーナに注意されながらも、ネロの食欲は止まらない。俺はその様子をワイングラス(中身はブドウジュース)片手に眺めていた。
「……まあ、よく食うことはいいことだ。これからの労働分だと思っておけ」
「けっ! 恩着せがましい奴め。……だが、このソースの味だけは評価してやる」
憎まれ口を叩きながらも、ネロの表情は明るい。借金という重圧から解放され、久しぶりのまともな食事。小動物のような警戒心も少しは解けてきたようだ。
「平和ですわねぇ」
シャルロットが優雅に紅茶を啜る。
「ええ。……ですが、嵐の前の静けさかもしれませんよ」
セバスチャンが窓の外、夜の闇を見つめて呟く。その言葉に呼応するように、遠くから何かが崩れるような轟音と、女の悲鳴のような、あるいは獣の咆哮のような音が聞こえてきた。
「……ん?」
俺が顔を上げると同時に、マリアが音もなく立ち上がった。ナイフを持つ手が微かに震えている。武者震いか、あるいは警戒か。
「ヴェルト様。……どうやら、お出ましのようです」
「それも、とびきり質の悪いやつですね」
セバスチャンも目を細める。どうやら、夜のデザート(トラブル)はまだ終わっていなかったらしい。
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