23. 闇金融組織『金喰い虫(ゴールド・イーター)』
路地裏での騒動を終え、俺たちはネロが借金をしているという闇金融の事務所へと向かっていた。道中、マリアがずっとネロの後頭部を凝視していることに気づく。
「……どうした、マリア。そんなに睨むと、ただでさえ怯えている小動物が死んでしまうぞ」
ネロは現在、完全にニーナの背中に張り付き、ジャージの裾を握りしめて歩いている。マリアの視線を感じるたびに「ヒィッ」と震える様は、捨てられた子猫のようだ。
「……いえ。睨んでいるのではありません。困惑しているのです」
マリアは眉間に皺を寄せ、珍しく真剣な表情で言った。
「私の嗅覚は、常人の数千倍の精度を誇ります。対象が男か女か、あるいはその日の体調まで匂いで判別できますわ。ですが……」
(なにそれ怖い)
マリアは鼻をスンッ、と鳴らす。
「この生き物からは、その『どちらの匂い』もするのです。男性特有の汗の臭いと、女性特有の甘い体臭が、混沌と混ざり合っているような……。セバスチャン様、私の鼻が馬鹿になってしまったのでしょうか?」
「ふむ。私の目にも、彼(彼女?)の骨格や筋肉のつき方は、どちらとも判別し難い奇妙なバランスに見えますな」
セバスチャンも顎に手を当てて首を傾げる。プロの暗殺者と執事を以てしても判別不能。それもそのはずだ。
「ああ、それなら正常だ。マリアの鼻は狂っちゃいない」
俺は助け舟を出した。
「こいつは、ただの中性的な男ってわけじゃない。『両方』なんだよ」
「両方……ですの?」
「そうだ。男性でもあり、女性でもある。見る者や時期、あるいは魔力のコンディションによって性別という定義そのものが揺らぐ。……観測するまで性別が確定しない存在だ」
(シュレディンガーの猫というのが一番しっくりくるんだが、言ってもわからないだろうしなぁ)
これが、ネロ・アリスというキャラクター最大の設定であり、プレイヤーたちの間で議論を呼んだ『性別不明』の正体だ。魔女の血を引く彼は、魔力を使うたびにその肉体が変質する、これが呪いだというのは物語終盤で判明し解消手段もあるんだが。
(解消してもしなくてもいいんだよな。まぁ時期が来たら本人に選ばせるか)
「男でもあり、女でもある……。ふふ、面白い素材ですわね」
それまで黙って聞いていたシャルロットが、パチンと扇子を開いて口元を隠した。その瞳は、楽しげに細められている。
「見る者を惑わす性別の揺らぎ……。使いようによっては、これ以上ないハニートラップ、あるいは潜入工作員になり得ますわ。……ヴェルト様、やはり貴方の目の付け所は素晴らしいですわ」
シャルロットの評価軸が完全に「使える駒かどうか」になっている。やはりこの王女、中身はマキャベリストだ。
「ふんっ! 勝手に人のことを分析するな!」
ネロがニーナの影から顔を出して噛み付いた。
「俺は俺だ! 性別なんて些細なことだろ! 肝心なのは俺が天才であるという一点のみ!」
「そうですね。男の子でも女の子でも、ご飯を食べれば元気になりますから!」
隣でニーナがズレた肯定をする。
「……まあ、いいでしょう。ですがヴェルト様、もしこの『揺らぎ』が、ヴェルト様を惑わせるような機能を有しているなら、やはり今のうちに去勢……いえ、処理すべきでは?」
「やめろ。そんな機能はないし、俺もそんな趣味はない」
マリアの思考回路はすぐに処分する方にいっちゃうのなんとかならんのか。そんな子に育てた覚えはありません!
◆
そんな話をしているうちに、目的の建物が見えてきた。歓楽街の光も届かない一角に佇む、薄汚れた雑居ビルだ。
「……あそこですね。ヴェルト様、ご用心を」
セバスチャンが足を止め、表情を引き締めた。
「相手は『金喰い虫』。このゾルダンでも悪名高い闇金融組織です」
「金喰い虫、か」
「ええ。一度噛みつかれたら、文字通り骨の髄まで啜り尽くす害虫どもです。法外な利息で縛り付け、返済が滞れば臓器売買は当たり前。時には被害者の家族まで攫って、他国の奴隷商に売り飛ばす……慈悲のかけらもない連中ですわ」
マリアが忌々しげに補足する。ネロが「ひぃっ」と震え上がった。自分の借金相手のヤバさを再認識したらしい。
(知ってるよ。ゲームでも、ネロのサブクエストで出てくる胸糞組織だ)
プレイヤーからは「全滅推奨」「ヘイト企業」と呼ばれていた。ただ金を貸すだけでなく、借りた人間を徹底的に破滅させることを楽しんでいるような連中だ。だが、今の俺にとっては好都合だ。相手が『完全な悪』であればあるほど、こちらも遠慮なく『悪徳領主ムーブ』ができるからな。
「……行くぞ。害虫駆除の時間だ」
俺たちは薄暗い階段を上がり、最奥にある鉄扉の前へと立った。
見張りの男たちが立ちはだかる。
「ああん? なんだテメェら。ここは会員制だぞ」
「……この子猫ちゃんの飼い主だ。借金を返しに来た」
俺がネロを前に突き出すと、見張りたちはニヤリと笑い、扉を開けた。
ネロは子猫と言われたのが気に食わなかったのか、シャー!と俺に対して威嚇している。そういうとこだぞ。
部屋の中には、鼻をつく紫煙と、安酒の匂いが充満していた。革張りのソファに深々と座っているのは、首に太い金のネックレスを巻いた、豚のように太った男。闇金融組織『金喰い虫』の支部長、ゴズだ。
「ケケケッ。誰かと思えば『魔女』ちゃんじゃねぇか。金は用意できたのかぁ?」
ゴズが葉巻を揺らしながら嗤う。
「あ、ああ……。こ、この人が払ってくれるって……」
ネロが震える指で俺を指差す。ゴズの視線が俺に移り、そして――その隣に立つシャルロットに止まった。
「ほう? 随分と上等な服を着たボンボンだな。……それに、そっちの姉ちゃんも上玉じゃねぇか」
いや、超上玉か?と、ゴズが下卑た笑みを浮かべ、シャルロットを舐めるように見回した。
「借金のカタにお前が体を売るってんなら、利子くらいはまけてやってもいいぜ? 俺様の愛人にしてやろうか、ええ?」
周囲の部下たちが下品な笑い声を上げる。俺がブチ切れそうになった、その時だった。
「――臭いますわね」
凛とした、鈴を転がすような声が響いた。シャルロットだ。彼女は一歩前に出ると、扇子で鼻先を仰ぎながら、ゴミを見るような目でゴズを見下ろした。
「腐った酒と、安いタバコ。それに……身の程を知らない豚の脂の臭い。吐き気がしますわ」
「……あぁん? なんだと、このアマ。言わせておけば……」
「黙りなさい、下郎」
ピシャリ、という言葉の鞭。シャルロットは怯えるどころか、王宮で培った圧倒的な『威圧感』で場を凍りつかせた。
「わたくしにその汚い視線を向けないでくださる? 眼球をくり抜いてドブに捨てますわよ? ……ヴェルト様、早く終わらせてくださいな。これ以上ここにいると、ドレスに豚の臭いが移りますわ」
「て、てめぇ……!」
ゴズが顔を真っ赤にして立ち上がる。俺は苦笑した。この王女様、敵陣のど真ん中でも全く揺るがない。やはり肝の据わり方が違う。
「……というわけだ。お姫様がお怒りだ」
俺は前に出て、革袋をテーブルに放り投げた。
「元金と、法定利息分だ。これで文句ないだろう」
中身を確認した手下が、ゴズに耳打ちする。ゴズの表情がさらに歪んだ。
「……おいおい、兄ちゃん。計算が合わねぇなぁ」
「なんだと?」
「遅延損害金に、迷惑料、それにこいつを探させるために動いた人件費……。全然足りねぇよ。この袋の十倍……いや、そこの女を置いていくならチャラにしてやってもいい」
ゴズがテーブルを蹴り飛ばし、周囲のゴロツキたちが武器を構えて威圧してくる。やはりな。最初からまともに返す気などないのだ。骨までしゃぶり尽くすのが『金喰い虫』のやり方。
ネロが真っ青になって俺の袖を掴む。
「お、おい! どうするんだよ! こいつら話が通じる相手じゃ……」
「……はぁ」
俺は大きくため息をついた。
「これだから、チンピラは嫌いなんだ。美学がない」
「あぁん!? やっちまえ!」
ゴズが俺の胸ぐらを掴もうとした瞬間。
ドンッ!!
俺はテーブルにあった鉄製の灰皿を掴み、ゴズの頭ではなく――その隣にある、鋼鉄製の金庫の扉に軽く叩きつけた。
グシャアッ!
灰皿は分厚い鋼鉄の扉に突き刺さり、扉は圧力によりまるで粘土細工のようにひしゃげて陥没した。
「……は?」
ゴズの手が止まる。周囲のゴロツキたちの時間が凍りつく。強化魔法も使っていない。ただの『素の腕力』だ。
「いいか、ド三流。俺は『アークライト家』のヴェルトだ」
俺はゴズの襟首を掴み、顔を近づけた。精一杯の『悪役スマイル』を浮かべる。
「俺が提示した金額は『交渉』じゃない。『慈悲』だ。これ以上、ふざけた利息を要求するなら……この金庫のようにお前を『圧縮』して、その豚みたいな腹に金貨を詰め込んで出荷してやってもいいんだぞ?」
「ひっ、ひぃっ……!?べべべヴェルトってあの悪徳の...」
ゴズの顔から血の気が引いていく。暴力の匂いには敏感なのだろう。目の前の男(俺)が、自分たちよりも遥かに上のステージにいる「怪物」だと悟った顔だ。
「マリア」
「はい、ヴェルト様」
マリアがスッと前に出る。その手には、いつの間にかゴズの愛用していたナイフが握られており、一瞬でゴズのベルトを切り裂いていた。ズボンがずり落ちる。
「……次はありませんよ? 豚肉の解体ショーをご所望でなければ、サインなさい」
「は、はいぃぃっ! りょ、領収いたしましたぁぁ!」
ゴズは涙目でサインをし、借用書を震える手で差し出した。俺はそれを受け取ると、バリバリと破り捨て、宙に撒き散らした。
「取引成立だ。二度と俺のツレに関わるなよ」
俺は踵を返した。部屋を出る際、シャルロットがゴズを一瞥し、優雅に微笑んだ。
「命拾いしましたわね。……感謝なさい、お豚さん?」
その笑顔は、どんな暴力よりも恐ろしかったらしく、ゴズたちは「ひぃっ」と縮み上がった。
部屋を出た直前、ネロが振り返って俺とシャルロットを見た。その瞳は、恐怖ではなく――キラキラとした憧れのような光を宿していた。
「……すげぇ。借金取りより、こいつらの方がよっぽど悪党じゃねぇか……!」
いや、褒め言葉として受け取っておくが、教育上どうなんだそれは。こうして、物理的かつ悪徳的交渉により、ネロの身柄は正式に俺のものとなったのだった。
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