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20. ネロ・アリス

 ヴェルトとシャルロットが運河沿いで密談を交わしていた頃。  歓楽都市ゾルダンの裏通り、通称『クズの吹き溜まり』と呼ばれるエリアに、場違いな二人組の姿があった。


「……臭いますね。腐った酒と、欲望と、そして生ゴミの臭い」


 鼻を純白のハンカチで押さえながら歩くのは、漆黒の燕尾服を着こなした老紳士――セバスチャン。その隣には、純白のエプロンが眩しい、絶世の美貌を持つメイド――マリアが歩いている。


「ええ。ですがセバスチャン様、この臭いは嫌いではありませんわ」


 マリアは能面のような無表情で、周囲の闇を見回した。


「なぜなら、ここにあるのはヴェルト様の敵になり得る『害虫』ばかり。……心置きなく駆除(お掃除)できる場所ですから」


 その言葉通り、路地裏にたむろするガラの悪い男たちが、美しいメイドを見るなり下卑た笑みを浮かべて近づいてきていた。


「ヒュウ♪ 上玉じゃねぇか。おいメイドちゃん、ご主人様とはぐれちまったのか?」


「俺たちが可愛がってやるよ。金がないなら体で……」


 男の一人がマリアの肩に手を伸ばす。その瞬間。


 ヒュッ。


 銀色の閃光が走り、男の手がピタリと止まった。


「あ……?」


 男が自分の手を見る。指の間のわずかな隙間に、一本のナイフが深々と壁に突き刺さっていた。あと数ミリずれていれば、指が床に落ちていただろう。


「おや、失礼。手が滑りました」


 セバスチャンが穏やかな笑みで言う。その目は、全く笑っていない。


「我々は忙しいのです。ヴェルト様より仰せつかった人物を探しておりましてね」


 セバスチャンは懐からメモを取り出し、読み上げるように問うた。


「名は『ネロ』。灰色の髪を持ち、男とも女ともつかぬ中性的な容姿をした魔法使いです。……心当たりは?」


「ひっ、ひぃっ!? ネ、ネロだぁ!? し、知らねぇよ、そんな名前!」


「そうですか。では、貴方に用はありません」


 マリアが一歩踏み出す。スカートの中から取り出したのは、フライパン……ではなく、護身用というにはあまりに鋭利な短剣。


「ゴミは分別しなければなりませんね。燃えるゴミか、燃えないゴミか。……貴方はどっちですか?」


「う、うわぁぁぁぁぁ!?」


 男たちは悲鳴を上げて逃げ出した。マリアは残念そうに短剣をしまう。


「……チッ。逃げ足の速いゴキブリですこと。これでは情報の吐かせようもありません」


「マリア、抑えなさい。無闇に死体を増やすとヴェルト様にご迷惑がかかります」


 セバスチャンが窘めるが、マリアは不満げだ。


「ですがセバスチャン様。……先ほどから奇妙な噂を耳にします」


「ふむ。『魔女』のことですね?」


 二人は歩きながら、先ほど酒場で小耳に挟んだ情報を整理する。ヴェルトからは『ネロ』という名前と『中性的な容姿』という特徴を聞いている。しかし、この街の住人はその特徴を聞くと、口を揃えてこう返すのだ。  


 ――それは『灰色の魔女』のことか、と。


「男とも女ともつかぬ容姿だから、魔女……。ヴェルト様なら『質の悪い冗談だ』と笑い飛ばしそうな設定ですけれど」


「どうやら、ただの渾名ではないようです。あの魔法使いに関わると『不幸になる』とか」


 セバスチャンが道端の浮浪者から買い取った情報によると、その『魔女』の周囲では確率的にありえない事故や不運が頻発するという。ルーレットの球が弾け飛ぶ、配られたカードが全て白紙になる、あるいは関わった人間が謎の病にかかる。その不気味さと、性別不詳の妖艶な容姿から、畏怖を込めて『魔女』と呼ばれているらしい。そしてとある闇金から借金をして逃げ回っているらしい。


「不運、不幸……。ヴェルト様の覇道に、そのような不確定要素を招き入れるのは賛成しかねます」


 マリアの瞳に暗い光が宿る。


「もしその『ネロ』という輩が、ヴェルト様に害をなす呪いを撒き散らすなら……採用面接の前に、私が『処分』いたします」


「……ほどほどになさい。ヴェルト様は、その呪いも含めて利用するおつもりなのでしょう」


「ええ、分かっております。……ですがセバスチャン様、私が本当に心配しているのは『呪い』などではありません」


 マリアが足を止め、表通りの方角――ヴェルトたちがいるであろう方向を睨みつけた。


「今頃、ヴェルト様はあの女狐(王女)とお二人きり……。まさかとは思いますが、吊り橋効果で恋が芽生えたり、雰囲気に流されて既成事実を作られたりしていないでしょうか? いえ、あの女狐のことです、ヴェルト様の優しさに付け込んで、あんなことやこんなことを……!」


 マリアの妄想が加速していく。その手の中で、護身用の短剣がギリギリと悲鳴を上げている。


「……もしヴェルト様の唇を奪うような真似をしたら、王女といえど許しません。物理的に『口』を塞いで差し上げます」


「マリア、殺気が漏れていますよ。仕事に集中しなさい」


 セバスチャンが呆れたように溜息をついた。このメイドの忠誠心(という名の愛)は、時としてどのような強力な魔物よりも恐ろしい。


「……チッ。急ぎましょう。早く仕事を終わらせて、ヴェルト様の貞操を守りに行かなければ」


 マリアが漆黒の革手袋をきゅっ、と締め直す。その背中からは、物理的な熱量すら伴うほどのドス黒い瘴気(嫉妬)がゆらりと立ち昇っていた。


「やれやれ……。今日の『清掃』は、随分と丹念なものになりそうですね」


 セバスチャンは小さく肩をすくめ、周囲の気配を探った。事前の情報では、ターゲットである『ネロ』は多額の借金を背負い、逃げ回っているとのこと。ならば、この界隈には必ず「追手」がいるはずだ。


「――おや。あそこに」


 セバスチャンの視線の先。路地裏で、柄の悪い男たちが通行人の胸ぐらを掴んで怒鳴り散らしていた。


「あぁん? 知らねぇとは言わせねぇぞ! 灰色の髪のガキだ! こっちに逃げてきたはずだろ!」


「ひ、ひぃぃ! 知りません、見逃してください!」


 借金取りだ。通行人を突き飛ばし、舌打ちをしている。


「……見つけましたわ。良い『案内人』が」


 マリアの口元が三日月形に歪む。彼女は音もなく男の背後に忍び寄ると、その肩を優しく――万力のような力で掴んだ。


「ごきげんよう、ゴミ虫様。……少々、『面接』にお付き合いいただけますか?」


「あぁ!? なんだテメェ……ぐぎゃああああ!?」


 男が振り返るより早く、マリアはその腕を関節ごとねじり上げ、路地の暗がりへと引きずり込んだ。


 数十秒後。  


 暗がりから、ボロ雑巾のようになった男が転がり出てきた。白目を剥いて痙攣しているが、まだ息はある。マリアの手際の良さが光る「尋問」の結果だ。


「……吐きましたわ」


 マリアがハンカチで指を拭きながら、涼しい顔で戻ってくる。


「彼らの仲間が、東の区画でネロを見つけ、『行き止まりの空き地』に追い込んだそうです。……今頃は、逃げ場をなくして包囲されている頃合いかと」


「追い込んだ、ですか。……急ぎましょう。ヴェルト様が興味をお持ちの人材が、ミンチにされてしまっては事ですからね」


「ええ。それに……これ以上の寄り道は、私の精神衛生上よろしくありません」


 二人は石畳を蹴り、教えられた空き地へと疾走した。


       ◆


 一方その頃。  


 少し治安のマシな商店街エリアでは、奇妙な祖父と孫(のような二人)が歩いていた。


「はぐれないように、私の袖をしっかり掴んでいてくださいね、ニーナ殿」


「は、はいぃ! お爺ちゃん、人がいっぱいで怖いですぅ……!」


 ジャージ姿のニーナが、老従僕グランの背中に隠れるようにして歩いている。すれ違う通行人が少しでも強面だと、ニーナはビクッと震えてグランの陰に隠れるのだ。そのたびに、グランはステッキを突き、王宮仕込みの鋭い眼光で相手を威圧して追い払っていた。


「あ、あの……お爺ちゃん。私も何かあっても戦えるんですけど……」


 ニーナが控えめに、両手に嵌めた国宝級のナックルを見せる。だが、グランは優しく首を振った。


「なりません。ニーナ殿のような可憐な花が、暴漢ごときに拳を汚すなどあってはならぬこと。……害虫駆除は、この老骨の役目です」


「か、可憐……? 私が……?」


 ニーナがポカンとする。ヴェルトには「筋肉ダルマ」「撲殺聖女」と呼ばれ、マリアには「泥棒猫」「メスゴリラ」扱いされている彼女にとって、グランの扱いは新鮮すぎた。


(うぅ……お爺ちゃん、優しい……。ヴェルト様のところの使用人さんたち、みんな怖い人ばっかりだけど、この人は普通だぁ……)


 ニーナの中に、グランへの信頼と甘えが芽生える。それはまさに、孫がお爺ちゃん子になる過程そのものだった。


「さあ、あそこの屋台で聞き込みをしましょう。……店主、少々尋ねたい」


 グランが果物屋の店主に声をかける。


「『ネロ』という名の魔法使いを知らぬか? 灰色の髪で、男とも女ともつかぬ美しい容姿をしておるそうだが」


「ああ? ネロだぁ? 名前までは知らねぇな。……だが、その灰色の髪で中性的ってのは、最近噂になってる『魔女』のことじゃねぇか?」


「魔女、とな?」


「ああ。賭博場で負け続けてるくせに、態度はデカいガキだよ。見た目は良いんだが、目がイッちまっててよぉ。……そんなことより、リンゴ買っていきな!」


「ふむ……。名前は通っておらぬが、特徴は一致しますな。……ニーナ殿、どうやらこの『魔女』と呼ばれる人物が当たりのようです」


「そうですかぁ……。あ、お爺ちゃん、あのリンゴ美味しそうです」


「おお、そうですか。では一ついただきましょうか。姫様へのお土産にもよさそうです」


 グランが財布を取り出す。完全に孫とお爺ちゃんの買い物風景だ。だが、リンゴを齧りながら歩き出したニーナが、ふと足を止めた。


「……? どうなされました?」


「あの、お爺ちゃん。……あっちの路地から、なんだか『嫌な感じ』がします」


 ニーナが指差したのは、大通りから一本入った薄暗い路地。聖女としての直感か、あるいは野生の勘か。彼女の肌が粟立っていた。


「嫌な感じ、とは?」


「魔力なんですけど……すごく乱れてて、ドロドロしてて……。まるで、誰かが悲鳴を上げているような……」


 ニーナの表現は抽象的だったが、グランの表情が引き締まった。王女シャルロットの護衛を務める彼は知っている。本物の強者や異質な存在は、気配だけで周囲の空気を変えることを。


「……行ってみましょう。私の背中から離れてはなりませんぞ」


「は、はい!」


 二人はリンゴを片手に、慎重に路地裏へと足を踏み入れた。


       ◆


 数分後。マリア・セバスチャン組と、ニーナ・グラン組は、示し合わせたように同じ場所――行き止まりの空き地へと辿り着いた。


「おや、グラン殿にニーナ様。そちらもここへ?」


 セバスチャンが声をかける。


「ええ。奇妙な気配を辿ってきました。……どうやら、当たりのようですな」


 グランがステッキで前方を示す。空き地の中央では、十数人のゴロツキが、一人の小柄な人物を取り囲んでいた。


「おいコラァ! 返せねぇとは言わせねぇぞ!」


「『魔女』だか『ネロ』だか知らねぇが、てめぇの眼球と腎臓でチャラにしてやるって言ってんだよ!まぁ体を売ってボロボロになってからだけどなぁ!」


 地面にうずくまっているのは、ボロボロの灰色のローブを纏った人物。フードが脱げ、灰色の髪が露わになっている。整っているが病的に痩せた、まさに中性的な顔立ち。そして何より、その瞳には常軌を逸した光が宿っていた。


「い、痛い! やめろ! 暴力反対! 俺の頭脳は国家予算レベルの価値があるんだぞ! 傷つけたら国際問題になるぞ!」


 探していたネロだ。だが、その姿は天才魔術師というより、追い詰められた小動物に近い。


「御託はいいんだよ。さあ、こい!」


 ゴロツキの一人がネロの腕を乱暴に掴む。


「――そこまでになさい」


 セバスチャンが声をかけ、マリアが短剣を構えて飛び出そうとした、その時だった。


「く、来るな……! 俺に触るな! 俺は天才だ!天才なんだぞ! お前ら凡人が気安く触れるなぁああああ!」


 ネロが絶叫と共に、懐から歪な形をした杖を取り出した。  先端には、安物の魔石が、ガムテープのようなもので無理やり固定されている。


「見たいのなら見せてやる! 俺が編み出した『確率変動魔法ジャックポット・マジック』の威力を! この一撃で形勢逆転だぁぁぁ!」


 ネロがデタラメな詠唱と共に魔力を暴走させた。ニーナが目を見開く。


「だ、ダメです! あの魔力、めちゃくちゃです! 暴発しますよぉぉ!?」


 ニーナの警告と同時。


 杖の先端が、赤黒い不吉な光を放った。


 カッッッッ!!


 世界の色が反転したかのような閃光。  そして――。


 ドォォォォォォォォンッ!!!!!


 裏路地の一角を吹き飛ばす、紅蓮の爆発が巻き起こった。


「残念ですが、あの男達はバラバラでしょうね。さて、急ぎましょう。ヴェルト様との合流時間も迫っています」


 マリアとセバスチャンは爆風をものともせず、ターゲットの確保へと動くのだった。

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