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18.恋の火花散る馬車

 アークライト領から隣領の歓楽都市『ゾルダン』までは、馬車で半日ほどの距離だ。


 本来なら、窓外の流れる景色を楽しみながらの優雅な旅路となるはずだった。


 ――ガタゴト。


 馬車が小石を乗り越えて揺れる。だが、車内の空気はそれ以上に、激しく揺れ動いていた。


「ねえ、ヴェルト様。少し肩が凝ってしまって……揉んでいただけないかしら?」


 対面の座席に座るシャルロット王女が、上目遣いで俺に甘えるような視線を送ってくる。その距離感は妙に近い。膝と膝が触れそうなくらいだ。


「えっと、殿下。俺のような武骨者が、王族の御身に触れるわけには……」


「あら、武骨だから良いのですわ。その鍛え上げられた太い指……。オーガをも恐れさせぬその手で触れられたら、きっと力強くて、気持ちいいのでしょうね」


 シャルロットは扇子で口元を隠しているが、その目は明らかに楽しんでいる。俺の困惑する反応と、そして――俺の隣に座るメイドの反応を、肴にしているのだ。


 ギチチチチ……。


 隣から、何かがきしむ音が聞こえる。マリアが自身の膝の上で、ハンカチを雑巾のように――いや、親の仇の首のように絞り上げている音だ。


「……シャルロット殿下。マッサージでしたら、このマリアにお任せください。人体のツボ(急所)は熟知しておりますので、二度と肩凝りを感じない身体にして差し上げますわ♡」


 マリアが能面のような笑顔で提案する。語尾にハートマークがついているが、目が笑っていないどころか、瞳孔が開いている。


「ふふっ、怖いですわね。でも、わたくしはヴェルト様にお願いしたいのです。……ダメかしら?」


 シャルロットがさらに身を乗り出し、俺の手に自分の手を重ねてきた。柔らかくて温かい、極上の感触。ほんのりと香る高貴な香水の匂い。男なら理性が飛びそうなシチュエーションだ。


 だが、今の俺にとっては、処刑台の起動スイッチに触れられたような恐怖でしかない。


「……ッ!!」


 瞬間、車内の温度が氷点下まで下がった。


 マリアの笑顔が消え、瞳からハイライトが消失する。スキル<嫉妬 Lv.9>が発動し、視認できないほどのどす黒いオーラが、触れ合う手元に集中砲火を浴びせている。


(……その手。その白魚のような指。ヴェルト様に触れていいのは、お世話をする私だけ。……切り落としましょうか? いえ、王族の指を落とすのは事後処理が面倒……なら、骨だけ砕いて、二度と使い物にならなく……)


 心の声が漏れ出ている。いや、もはや念波として脳に直接響いてきている。


「ひぃぃっ……!く、空気が重いですぅ……!息ができませんんん!」


 隅っこに追いやられたニーナが、酸素不足の金魚のように口をパクパクさせている。可哀想に、聖女の感受性が強い彼女には、この邪悪な波動は猛毒だろう。

 

 一方、王女の向かいに座る老従僕グランは、我関せずといった様子で、すっと窓の外に視線を逸らしていた。


「……今日の天気は晴天ですな。平和なものです」


「じいさん、現実逃避するなよ!主を止めろ!」


 俺が目で訴えるが、グランは「若人の恋路は爆発力がありますからのぉ。巻き込まれるのは御免です」とばかりにスルーを決め込んだ。この古狸め、あとで覚えてろよ。


「……殿下。あー、ほら!そろそろ街が見えてきますよ!」


 俺は話題を逸らすために、強引に窓の外を指差した。


「あら、残念。……でも、楽しみですわね」


 シャルロットは悪戯っぽく微笑み、ようやく名残惜しそうに手を離してくれた。


 途端にマリアの殺気が霧散し、車内に酸素が戻ってくる。俺とニーナは同時に大きく息を吐いた。寿命が三年くらい縮んだ気がする。


       ◆


 やがて、砂漠の向こうに、蜃気楼のように巨大な影が姿を現した。


 歓楽都市ゾルダン。


 大陸中から金と欲望が集まり、一夜にして億万長者が生まれ、同時に何千人もの破産者が生まれる夢と絶望の街。


 高い城壁に囲まれたその都市は、昼間だというのに、街全体が魔導照明のネオンでギラギラと輝き、熱気が陽炎のように揺らめいている。


「まぁ!なんて煌びやかな街でしょう!王都よりも活気がありますわ!」


 窓から顔を出したシャルロットが、初めて見る不夜城の景色に目を輝かせている。


「姫様!窓からお顔を出しては危険です!下賤な輩に見られますぞ!」


 グランが慌ててカーテンを閉めようとするが、シャルロットは意に介さない。


「よいのです、グラン。せっかくの景色が見えませんわ。それに、護衛には頼もしい『英雄様』がいらっしゃるのですから」


 また俺に話を振る。マリアが「チッ」と舌打ちして、懐のナイフを撫でたのが見えた。もう勘弁してくれ。


 馬車は巨大な正門をくぐり、街の中心部にある広場へと到着した。俺たちはそこで馬車を降りることにした。


「さあ、着きましたよ。……空気が悪いな」


 俺たちが降り立つと、周囲の喧騒と、安っぽい香水、酒、そして鉄火場の熱気がごちゃ混ぜになった独特の匂いが押し寄せてきた。


 通りを行き交う人々は、高価な服を着た商人風の男から、ボロボロの服を着た浮浪者まで様々だ。だが共通しているのは、その瞳の奥にある『渇き』だ。


「ひぃぃ……!人がいっぱいですぅ……!みんな目が怖いですぅ!」


 ニーナが俺の背中に隠れる。確かに、すれ違う人々の目は血走っていたり、虚ろだったりと、堅気のそれではない。


「油断なさらぬよう!姫様、私の背中から離れてはなりませんぞ!」


 グランがシャルロットの前に立ちふさがり、ステッキを構えて鋭い視線で周囲を警戒する。ただの従僕かと思っていたが、その足運びには隙がない。重心が常に安定しており、いつでも攻撃に転じられる体勢だ。どうやら彼もまた、相応の修羅場を潜ってきた手練れのようだ。


「あら、グラン。そんなに硬くならなくても。……ニーナ様をご覧なさい」


 シャルロットが優雅に扇子を指し示す。


「この方はアークライト家が誇る『最強の庭師』ですのよ? オーガすら害虫のように駆除する腕前なのですから、襲い来る暴漢など、庭の雑草を引き抜くより簡単に処理してくださいますわ」


 シャルロットは「庭師設定」を完璧に踏襲(面白が)りながら、物騒な太鼓判を押した。


「ひぃぃ!? や、やめてくださいよぉ! 私はか弱い……聖…ぁ、そう、庭師見習いなんです! 雑草なんて抜けません! せいぜい水やりくらいしか……!」


 ニーナは必死に否定するが、殺気立った通行人が近くを通った瞬間、その両手は無意識にファイティングポーズをとっていた。鍛え上げられた肉体に染み付いた「迎撃本能」は嘘をつけないらしい。


「ふふ、頼もしい構えですこと。やはりアークライト家の教育は素晴らしいですわね」


 シャルロットは満足げに頷いた。この王女、順応性が高すぎる。


「さて、どこから探しますか?カジノといっても星の数ほどありますが」


 セバスチャンが周囲のカジノの看板を見渡しながら問う。


「手当たり次第だ。……と言いたいところだが、闇雲に探しても日が暮れる」


 俺は脳内のゲーム情報を整理する。


 ネロ・アリス。特徴は『灰色の髪』に『中性的な容姿』、そして『態度のデカいガキ』だ。


 そして何より、今の時期のネロは「カジノで大儲けする前」の「どん底」にいるはずだ。つまり、煌びやかな高級カジノのVIPルームにいる可能性は低い。


「狙うのは裏通りの安酒場や、レートの低い賭博場だ。金のないギャンブラーが最後に流れ着くような場所にな」


「なるほど。ゴミ捨て場を探せということですね」


 マリアが冷たく言い放つ。


「言い方は悪いが、そういうことだ。……よし、全員で聞き込みを開始するぞ。王女殿下を一人にするわけにはいかないから、団体行動だ」


「ええーっ。別行動にして、わたくしはあちらの宝石店が見たいですわ」


「ダメです」


 俺はシャルロットの抗議を即座に却下し、欲望渦巻く街の人混みへと足を踏み入れた。


(待ってろよ、ネロ。お前の借金ごと買い取って、こき使ってやるからな)


 俺たちの「人材探し」という名の、問題児捜索が幕を開けた。

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