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100.閑話 ある特級審判の涙の報告書「あれは魔法です。絶対に魔法なんです」

 大闘技場の熱狂と喧騒から遠く離れた、地下深く。


 分厚い防音魔術が施された大会運営本部の重厚な円卓会議室では、今まさに、世界中の魔法学会を牛耳る重鎮たちによる怒号が飛び交っていた。


「アステリア君!!君は特級審判としての誇りを忘れたのか!!」


 白髭を震わせ、机をバンッと叩いたのは、魔法学会の長老である。


「あんなただの『石投げ』を、どうして魔法だと認定した!?しかも、デコピンに至っては待機エリアからの干渉による勝利など、前代未聞の言語道断だ!君のあの大失態のせいで、我々運営委員会は各国の代表団から袋叩きに遭っているのだぞ!!」


「そ、それは……っ!」


 円卓の中央に立たされ、吊るし上げを食らっているのは、紅髪の特級審判アステリアだった。


 最年少で特級の資格を取得し、将来を嘱望された超絶エリート。


 どんな複雑な古代魔法であっても、その術式を瞬時に解析し、ミリ単位の魔力干渉すら正確に見極める「神の目」を持つ天才。それが彼女の評価だった。


 だが今、彼女の瞳には知性の光はなく、ただ深い疲労と絶望、そして消えない恐怖の隈が刻まれていた。


「だいたい、メルフィ殿の提案で『魔法攻撃以外は失格』という特別ルールを課したにもかかわらず、あの男はただの小石を指で弾いただけではないか!」


 別の国の魔導軍団長が、呆れたように鼻を鳴らす。


「それを『火属性魔法』だと!?魔法を愚弄するのも大概にしろ!あんなものはただの物理攻撃だ。即刻、王立学園チームを反則負けで失格にするべきだ!」「そうだ!あれを魔法と認めるなど、世界中の魔術師に対する侮辱だ!」「特級のバッジを返上したまえ、アステリア君!」


安全な地下室から、モニター越しに試合を見ていただけの老人たちが、口々にアステリアを非難する。


その言葉の数々が、アステリアの中でギリギリと張り詰めていた「何か」を、ついにブチッと切断した。


「…………じゃあ」


 うつむき、震えていたアステリアが、ゆっくりと顔を上げる。


「じゃあ……アンタたちがあのバケモノの前に立ってみなさいよぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


「「「なっ!?」」」


 アステリアは円卓をドンッ!と蹴り飛ばし、涙と鼻水でグシャグシャになった顔で、長老たちに向かって絶叫した。


「うるさいうるさいうるさい!安全な場所でふんぞり返ってるジジイどもが、現場の地獄も知らないで勝手なこと言わないでよ!」


「あ、アステリア君!?貴様、目上の者に向かってなんという暴言を……!」


「暴言!?事実でしょうが!あんたたち、あの第一回戦の映像、ちゃんと見たの!?聖都のエリートが展開した『絶対防御結界』よ!?何十層にも編み込まれた神聖術式を、魔力ゼロの男が、ただの『風圧』で紙っぺらみたいに引きちぎったのよ!?」


 アステリアは空中に魔法投影ホログラムを展開し、ヴェルトが結界を粉砕した瞬間の映像を大写しにした。


「物理干渉で結界を壊す?理論上不可能ですぅ!どんなに筋力があろうと、魔力の壁はすり抜けるか弾かれるかの二択!なのにあの男は、拳から放たれたただの風圧で、空間ごと術式を『へし折った』のよ!あんなの、物理法則のバグよ!理解の範疇を超えてるわ!」


「そ、それは……たまたま結界の出力が弱まっていたのでは……」


「馬鹿言わないで!私は腐っても特級審判よ!魔力の流れは完璧に視えていたわ!」


 アステリアはさらに映像を切り替え、第三回戦の『極炎流星プラズマメテオ』の投石シーンを再生した。


「極めつけはこれよ!いい!?音速を超えた小石が、大気摩擦でプラズマ化するほどの熱量を帯びていたのよ!?」


 スローモーションで再生される、小石が白く発光しながら帝國の大将の重装甲をドロドロに溶かす映像。


「あれを物理と言い切る方が、よっぽど物理学をバカにしてるわよ!指の弾き一つで、小石にどれだけの運動エネルギーを圧縮すればあんな現象が起きるっていうの!?熱力学の法則が死滅してるじゃない!小石よ!?真っ先に摩擦で消滅するに決まってるでしょーーー!!!うがーー!!」


「だ、だが、彼自身が『摩擦熱を利用した』と……」


「だーかーら!それを魔法と言わずして何と言うのよ!」


 アステリアはバンバンと机を叩きながら、半狂乱で捲し立てる。


「魔力を使わずに、結果的に数千度の火属性の事象プラズマを引き起こしたのよ!?つまりあれは、マナを介さない『未知の概念による火属性魔法』なの!魔法なの!絶対に魔法なんですぅぅっ!!」


 アステリアの悲痛な叫び(屁理屈)に、会議室は水を打ったように静まり返った。


「……そもそも」


 アステリアはぜぇぜぇと肩で息をしながら、怨みを込めた目で長老たちを睨みつけた。


「あんたたち、あの男を反則負けで失格にするって本気で言ってるの?私、あの時闘技場で、あのバケモノから微かな『威圧』を受けたわよ……」


 アステリアの脳裏に、小石を弾いた後、「逆らったらミンチにするぞ」という無言の圧力を放ちながら自分を見下ろしてきた、あの底冷えするような黒い瞳が蘇る。


「もし……もし私があの場で『失格』なんて宣言したら……。あのバケモノ、絶対にキレてたわ。昼寝の邪魔をされたってだけで殲滅魔法をデコピンで消し飛ばす男よ?失格なんて言った瞬間、あの理不尽な暴力が闘技場全体……いや、王都全体に向いていたかもしれないのよ!?」


「「「…………っ」」」


 その想像に、重鎮たちの顔色が一斉に青ざめた。


「私はね!エリートとしてのプライドを捨てて、王都数百万人の命を救ったのよ!あのデタラメを『立派な魔法です!』って泣きながら肯定することでね!」


 アステリアはついにその場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。


「うぅぅ……ひっぐ……。もう嫌だぁ……。エリート審判になって、華やかで美しい魔法戦を捌くのが夢だったのに……。なんで筋肉で法則をねじ伏せるゴリラを相手に、冷や汗かきながらご機嫌取りしなきゃいけないのよぉ……」


 床に突っ伏して号泣する特級審判の姿に、誰も言葉をかけられない。


 彼らもまた、映像を通してヴェルトのデタラメさを理解し始めていた。あんなものを敵に回せば、学会の権威など一瞬で物理的に粉砕されると。


「……あ、アステリア君の言う通りかもしれん。……あ、あれは、間違いなく高度な『火属性魔法』であった。我々運営委員会の公式見解として、王立学園チームの反則はないものとする」


 長老が震える声でそう宣言すると、他の重鎮たちも無言で深く頷いた。


 こうして、世界最高峰の頭脳を持つ魔法学会の重鎮たちですら、ヴェルトの圧倒的な暴力(理不尽)の前に論理を放棄し、屈服したのである。


「うぅ……ぐすっ……」


 会議が解散となり、アステリアは重い足取りでフラフラと廊下を歩いていた。手には、胃の痛みを散らすための強い魔法薬ポーションが握りしめられている。


 休憩時間が終われば、いよいよ第四回戦が始まる。


(あいつ...次は『氷属性魔法』と『風属性魔法』も見せてやるって言ってたわよね……)


 アステリアは胃の辺りを押さえながら、絶望的な未来を想像した。


 火属性であの惨状だ。氷や風となれば、ただの「水かけ」や「息の吹きかけ」で闘技場が氷河期になったり、竜巻が起きたりするのだろうか?


「……田舎に、帰りたい……」


 若き天才エリートの心は、完全にへし折られていた。


 特級審判アステリアは、涙を拭いながら、処刑台へ向かうような足取りで熱狂の闘技場へと戻っていくのだった。


 がんばれアステリア!ファイトだアステリア!この大会の未来は君の双肩にかかっているぞ!

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