10.聖教会
勇者アレクが拉致され、玄関ホールには静寂と、破壊された扉の残骸だけが残された。俺はへたり込む少女――ニーナに手を差し伸べ、彼女を抱き起こすことなく、まずは冷徹に状況を整理することにした。勇者は連れ去られた。だが「正しく育てる」という言葉から、即座に殺されることはないだろう。問題は、残されたこの少女だ。
「ひっ、ひぃ……!殺さないで、乱暴しないでぇ……!」
ニーナは俺の顔を見るなり、小動物のように縮こまって涙を流している。俺はため息をつき、セバスチャンに目配せをした。彼は心得たように頷き、瞬時に瓦礫を片付け、割れた花瓶の代わりを用意し始めている。俺はニーナを連れ、応接室へと移動した。
「座れ。茶くらいは出してやる」
「は、はいぃ……」
ソファーの端にちょこんと座るニーナ。そこへ、マリアが紅茶を運んでくる。
「どうぞ。毒は入っておりませんよ。……今は、まだ」
「ひっ!?」
マリアが最後にボソリと付け加えた一言に、ニーナがビクリと震える。俺はマリアを軽く睨みつけ、彼女を下がらせた。さて、ここからが本題だ。俺はこの世界における最大宗教組織『聖教会』について、記憶の引き出しを開ける必要がある。
この世界『ドラグーン・ファンタジア』において、勇者と聖女を認定し、支援するのは『アルディア聖教会』という巨大組織だ。ゲーム内では、セーブポイントや蘇生場所としてお世話になる「正義の味方」ポジション。だが、設定資料集や開発裏話を読み込んだ俺は知っている。この組織が、一枚岩の善人集団ではないことを。
(勇者を「回収」して「育てる」と言ったあの仮面の男たち……。あの服装、どこかで見覚えがあると思ったら、聖教会の暗部『異端審問官』の法衣に似ていたな)
もし仮にあれが聖教会の差し金だとしたら、話はややこしくなる。本来なら勇者は世界を旅して経験を積み、魔王を倒す。だが、教会の一部過激派は「勇者を管理下に置き、最強の兵器として洗脳教育する」という思想を持っているという裏設定があったはずだ。ゲーム本編では没になったプロットだが、この現実世界ではそれが採用されている可能性がある。そもそも異端審問官ってのも名ばかりで、教会の利権の邪魔な人間を排除したり、奴隷斡旋や殺人の請負なんてのもやっていたはずだ…うん、マジで教会ってのは碌でも無い集団だな。
「……おい、ニーナと言ったな」
「は、はいっ!ごめんなさい!命だけは!」
「謝るな。聞きたいことがある。お前たちに『アークライト領に行け』と指示したのは誰だ?」
ニーナは涙目で、おっかなびっくり答えた。
「えっと……王都の教会の、司教様です。旅立ちの日に、『西のアークライト領に悪徳領主がいる。彼を倒して領民を救い、最初の功績にしなさい』って……」
やはりか。俺は眉間を押さえた。レベル5の勇者に、レベル65の俺をけしかける。これは試練というより、自殺志願だ。教会は俺の実力を知らずに「手頃な悪役」として宛てがったのか?…いや、もし俺が返り討ちにして勇者が傷つけば、それを口実に教会が囲っている手練れの騎士団、聖騎士団を動かして悪政を強いている俺を正義の名のもとに弾圧する…勇者が死にさえしなければ、どちらに転んでも教会には損がない。こりゃ聖騎士団が乗り込んでくることも視野にしれなきゃならないな。
ただこの場合、俺は悪政は行っていないし、領民には好かれている。流石に一方的に聖騎士団にってことはならないと思うが。
(...しかし、きな臭いな。勇者パーティを使い捨ての駒のように扱ってやがる)
俺はニーナの首元に視線をやった。そこには、聖教会のシンボルが刻まれた銀のチョーカーが巻かれている。
これは…
「その首飾り、外せるか?」
「え?これは……聖女の証としていただいたもので、外れないんです。教会の方しか外せない鍵がかかっていて……」
俺は確信した。あれはただの装飾品じゃない。『隷属の首輪』の簡易版であり、GPS(発信機)だ。勇者と聖女がどこにいるか、常に教会が監視するためのものだ。アレクが連れ去られた時、転移魔法が使われた。あれも、アレクが持っていた同様のアイテムを目印にしたに違いない。
「……じっとしてろ」
「え?な、何を……ひゃっ!?」
俺はニーナの首元に手を伸ばし、チョーカーを指でつまんだ。そして、【筋力】1800の力で、少しだけ力を込める。
パキィッ!
硬質な音と共に、銀のチョーカーが飴細工のように砕け散った。
「ええええええっ!?こ、国宝級の硬度を持つミスリル銀が、指だけで!?」
ニーナが目を剥いて絶叫する。俺は砕けた破片をテーブルに置き、冷たく言い放った。
「これで、教会はお前の居場所を見失ったはずだ。アレクを攫った連中が戻ってくるリスクも減るだろう」
「あ……私のために、壊してくれたんですか?」
ニーナが呆然と俺を見つめる。その瞳に浮かんでいた恐怖の色が、少しずつ別のものへと変わっていくのが見て取れた。
(……悪徳領主って聞いてたけど、違う。乱暴だけど、この人は私を縛るものを壊してくれた。それに、あの迷いのない横顔……。怖いけど、すごく頼りになる。……ちょっとだけ、格好いいかも)
ニーナの頬がほんのりと朱に染まる。吊り橋効果も相まって、少女の胸に淡いときめきが芽生えかけた――その時だった。
ゾクリ。
室内の気温が、突如として氷点下まで下がったような悪寒が走った。ニーナは弾かれたように顔を上げる。視線の先――ヴェルトの背後には、能面のような無表情で、しかし瞳の奥にどす黒い漆黒の炎を宿したマリアが立っていた。彼女は音もなく親指で自身の首を掻っ切るジェスチャーをし、唇だけでこう告げた。
(……泥棒猫。その色目を使った瞬間、内臓をブチ撒けて豚の餌にしますよ?)
声には出していない。だが、明確な『殺意の波動』が、ニーナの生存本能に直接警鐘を鳴らした。
「ひっ、ひぃっ……!?」
ニーナは瞬時に恋心を引っ込め、ガタガタと震え上がって涙目になった。命が惜しい。このメイドは本気だ。
「……ん?どうした、急に怯えて。寒気がするのか?」
俺はニーナの反応に首を傾げたが、まあいい。今後の計画について話を戻そう。
「勘違いするな。俺は面倒ごとか嫌いなだけだ。……いいか、ニーナ。勇者は連れ去られたが、生きてはいる。あいつを取り戻すには、教会だろうが王室の暗部だろうが、敵に回して勝てる『力』が必要だ」
「ち、力……。でも、私はただの聖女で、回復魔法しか……」
「だからだ。普通の聖女じゃ、この先生き残れない。だからお前には『転職』してもらう」
「て、転職ですか?」
俺はニヤリと笑った。ゲーム知識をフル動員して導き出した、最強の育成論。
「お前が目指すのは『撲殺聖女』だ」
「ぼ、ぼくさつ……!?」
「そうだ。高いMPと回復魔法で自分をゾンビのように回復し続けながら、極限まで高めた【筋力】と【敏捷】で敵を殴り倒す。かつてゲームバランスを崩壊させたと言われる伝説のチートビルドだ」
ニーナがポカンと口を開けている。無理もない。この世界の常識では、僧侶は後衛で杖を振るものだ。僧侶の上位職に当たる聖女もまた然り。だが、俺の知る『ドラファン』の攻略法では、僧侶こそが最強の前衛タンクになり得る。
「幸い、お前の【筋力】の成長率は悪くない。まずは基礎ステータスを上げる。そして、必須スキル<格闘術>と<自己再生>を習得させる」
「か、格闘術!?私、女の子なんですけど!?」
「関係ない。さらに、装備も集める必要があるな。北のダンジョンに眠る『聖女の鉄甲』と、東の遺跡にある『竜皮の道着』……。これらを揃えれば、お前は魔王の攻撃すら顔面で受け止める無敵の要塞になれる」
「なりたくないです!私、可愛いローブ着て、後ろで応援してたいです!」
ニーナが涙目で抗議するが、却下だ。勇者がどうなっているか分からない今、彼女に強くなってもらわなければ世界が滅ぶ可能性もある。
「安心しろ。俺が鍛えてやる。アークライト流の『地獄の特訓』でな。……泣いて逃げ出そうとしても、マリアが逃さないからそのつもりでいろ」
背後でマリアが、先ほどとは違う、純粋に楽しそうな笑顔で包丁を研ぐジェスチャーをした。
「ひぃぃぃぃぃ!が、頑張りますぅぅぅ!」
ニーナの悲鳴が屋敷に響く。こうして、勇者不在のまま、泣き虫聖女の『脳筋化計画』が幕を開けた。聖教会の闇、謎の仮面集団。問題は山積みだが、まずはこの貧弱な聖女を、素手でドラゴンをシバキ倒せる『撲殺聖女』に育て上げるのが先決だ。
俺の平穏な生活を取り戻すために。
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