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第三話 まだ生きたい

ぽちゃん。


そして、また水の中。


また、だ。


どれだけ繰り返したのだろう。

わからない。ただ、確かなのは――


このままでは、また死ぬ。

それだけだ。


私の足首には、何かが巻き付いている。

重く、硬い。

きっと、重り。

私を水に沈めるためのもの。


――どうして?

――なんのために?


記憶はまだぼんやりしている。

けれど、確信だけはあった。


これを外さなきゃ、私はこのまま、何度だって死ぬ。

死んで、また水の中に投げ込まれる。

それだけは、嫌だった。


私は足元に手を伸ばす。

冷たく、硬い何か。

皮の帯に、何か重い塊が括り付けられている。


爪が剥がれそうになる。

でも、構わなかった。

どうせ、死ぬんだ。だったら――。


「生きたい……」


水の中で、声にならない声を絞る。

もがき、掴み、引っ張る。

爪が割れ、血が滲む。

それでも、何度死んでも、同じ場所を、同じように攻めた。


ぽちゃん。


身体が水に包まれた瞬間、息を止める。

肺に水を入れてはいけない。

その方が、長く戦える。


でも、耐え切れずに空気を求めて口を開けば、いつも――

容赦なく水が喉に、肺に流れ込んでくる。


そしてまた――


ぽちゃん。


一度死ねば、体も重りも、元通り。

でも、何度だって。


指がちぎれそうになっても。

皮膚が裂けても。

爪が剥がれても。

歯を食いしばって、ただただ重りに挑み続けた。


何度目の死だったろう。

ついに、帯の留め具が緩んだ。


重たい塊が、足元から外れ、ゆっくりと沈んでいく。


――外れた。


私は水面を目指す。

胸が、痛い。

でも、苦しさを押しのけて、必死に手足を動かす。


あの光の方へ。

水面へ。


見上げる水面は、果てしなく遠い。


それでも、私は、生きたい。

生きたい。

ただ、それだけの想いで、必死にもがく。


やがて、水面が目の前に近づいてきた。


もうすぐだ。

もうすぐ、届く。


なのに、まだ。

まだ、水をかく手は水面に届かない。

まだなの?


届きさえすれば、きっと。

きっと、小舟の人たちが助けてくれる。


ぱしゃん、と音を立てて、水面を割った。

その瞬間、肺が勝手に空気を吸い込んだ。


冷たい空気が、焼けた喉を一気に通り抜け、

肺の奥に溜まっていた水が、ごぼっと音を立てて吐き出される。


むせて、咳が止まらない。


呼吸。

それが、こんなにも痛くて、苦しいなんて。


何時間ぶりなのか。

何十回ぶりなのか。

私は今、やっと、生まれ落ちたばかりの赤子のように、空気を吸った。


喉が裂けそうだ。

肺も焼ける。

でも、それでも。

空気は、甘美だった。


冷たいのに、熱い。

吸っても、吸っても、まだ足りない。


目の奥が痛い。

眩しい光が、空から降り注いでいる。


生きている。

ついに、やったんだ。

私は、確かに生きてる。


その実感が、焼け付く胸の奥から、じんわりと身体中に染み込んでいく。


焼け付く感覚の中――

霞んだ目に映る小舟に向けて、私は血だらけの手を、せいいっぱい差しのべた。


お願い、助けて。

私は――まだ、生きたい。


だって、彼に、お別れを言っていない。

まだ思い出せないけど、きっと――

彼が私の愛する人。


彼にさよならを言うまで、私は死ねない。

きっと、それだけは、絶対に。

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