第5話 過ちリコンストラクション
ルカ君からの、あまりにも真っ直ぐな告白。
私はあの夜、結局何も答えることができなかった。「少し考えさせてほしい」というずるい言葉を……かろうじてそれだけを告げるのが精一杯だった。彼は少しだけ寂しそうな顔をしたが、「待ちます」と力強く頷いてくれた。
あの日以来、私は生きた心地がしなかった。
仕事中ずっと……ルカ君の真剣な眼差しと、アレクシス課長の探るような視線が常に背中に突き刺さっているように感じてしまうのだ。
2人から受ける重圧に、息が詰まりそうだった。
(どうして、こうなっちゃったの?)
何度も自問自答を繰り返す。いや、答えなど分かりきっているのだ。私が……どちらの関係も断ち切れないでいるのが原因なのだから。
アレクシス課長との、背徳的でスリリングな関係。それは、私の拗らせた心を刺激し、満たしてくれる。
一方でルカ君のくれる、太陽のような無償の愛。それは、私が前世からずっと渇望していた、温かくて優しい光そのものだった。
どちらか1つなんて、選べるはずがなかった。
そんなある夜、アレクシス課長との密会の後、私は一人、彼の部屋のベッドでぼんやりと天井を見つめていた。シャワーを浴びに行った彼の気配を遠くに感じながら、シーツに残る彼の匂いに、罪悪感と安堵が入り混じった複雑な感情を抱いていた 。
その時、ふと机に置かれた彼の上着が目に入った。ポケットから、何か小さなものが覗いていたのだ。私は好奇心に負けて、そっと手を伸ばした。それは、小さな木彫りの小鳥だった。手触りは滑らかで、長い間、人の手で慈しまれてきたことが分かる。
(……子どもからの、プレゼントかしら)
そう思った瞬間、心臓を氷の矢で射抜かれたような痛みが走った。そうだ、この人には帰る場所がある。私との時間は彼の人生における、ほんの束の間の「息抜き」でしかない。そんなことは分かっていたはずなのに、その事実を改めて突きつけられ、急に呼吸が苦しくなった。
私は咄嗟にその小鳥を放り投げて、まるで何かに取り憑かれたように、彼の部屋を飛び出した。
「ミリア!?」
背後で彼が叫ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。あてもなく、夜の街をひたすら走った。涙が溢れて、視界が滲んでいく。
(そうなのよ……結局、私は都合のいい女。それだけなんだわ)
惨めだった。自分が、たまらなく惨めだった。
どれだけ体を重ねても、彼の心の一番深い場所には、決して触れることができない。
気づけば、私はルカ君の下宿の前に立っていた。なぜここに来てしまったのか、自分でも分からない。ただ、あの太陽のような温かさに、無性に癒やされたくなったのかもしれない。
迷惑な時間なのにドンドン、と乱暴にドアを叩く。しばらくして、眠そうな顔をしたルカ君が顔を出した。でも私の姿を見るなり、彼は驚きに目を見開いた。
「ミリアさん!? どうしたんですか、こんな時間に……それに、その格好……」
私の涙と乱れた髪を見て、彼はすぐになにかを察したようだった。そのまま彼は何も言わず、私の腕を引いて部屋の中へと招き入れてくれた。そして、温かいミルクを用意してくれて、私が落ち着くまで、ただ黙って隣に座っていてくれたのだった。
そんな彼の優しさが、逆に私の心を抉った……。
「ルカ君……私ね、最低な女なの」
ぽつり、と口から言葉が漏れた。一度話し始めると、もう止まらなかった。アレクシス課長との関係も、前世での過ちも、全てを彼にぶちまけてしまいたい衝動に駆られた。けれど、そんなことをすれば、この純粋に輝く太陽を汚してしまう。それだけは、してはいけないと思った。
「ごめんね……私、あなたに甘えてる。ルカ君の優しさを、利用してるの」
「そんなこと……ないです!」
彼は、私の言葉を遮るように、力強く言った。
「俺は、ミリアさんが好きです。あなたがどんな過去を抱えていても、誰を想っていたとしても、その気持ちは変わりません!」
彼は、私の震える手を、その大きな両手で包み込んでくれた。
「だからっ! 俺のそばで……泣いてください。そして、笑ってください……。俺は、ただあなたのそばにいたいんです」
その言葉に……私の心のダムが、ついに決壊した。私は子供のように声を上げて泣いた。それでも彼はずっと、私の背中を優しくさすり続けてくれた。
どれくらい時間が経っただろうか。ようやく泣き止んだ私を、彼はそっと抱きしめてくれた。彼の胸の中は、温かくて、安心する匂いがした。
「……ルカ君」
見上げると、彼の真剣な瞳と私の視線がぶつかる。その瞳に吸い込まれるように、私は自ら唇を重ねていた。
こんなことはしちゃいけない。ただの甘えのだ。彼に対する、あまりにも残酷な裏切りのに……。
分かっている。分かっているのに、私は彼の体を求めてしまっていた。アレクシス課長につけられた傷を、彼の純粋な体温で上書きして、消し去ってしまいたかった。
(これで、アレクシス課長も後悔するに違いない)
そんな歪んだ自己完結が、頭の片隅をよぎる。
流されるままに、私たちは何度も体を重ねた。彼の純粋な愛情を受け止めながら、私の心は、暗く冷たいぬかるんだ沼の底へと、さらに深く沈んでいくのを感じていた。




