すべてが崩壊した!
人で賑わう駅のホームで、マルクスの周囲はせわしない動きでぼやけていた。接近する電車の金属音が空気に響く中、彼の意識は別のところにあり、心は家族へと向かっていた。
おなじみのチャイムが彼の思考を断ち切り、現実に引き戻す。ポケットの中のスマホが振動し、彼はそれを取り出した。画面に表示されたのは母の名前だった。
マルクスは微笑みながら応答する。
「お兄ちゃん!」妹のコアリの声が明るく元気よく響いた。
マルクスはため息をつきつつも、どこか楽しげに言った。「コアリ、なんでママのスマホからかけてきてるんだ?」
答える前に、もう一つの声が割り込んできた。暖かく、少し呆れたような口調だった。
「コアリ!何度言ったらわかるの。勝手に私のスマホ使わないでって!」
「ちゃんと聞いたもん!」コアリが抗議する。「お母さんが忙しくて聞こえなかっただけ!」
マルクスは笑いながら首を振る。「それっぽいな。それで?何か急ぎの用でも?」
コアリの声は少し照れたように変わる。「まずは挨拶しようと思って!ダメ?」
母の声が遠くから笑いながら聞こえる。「ごめんね、マルクス。朝からずっと落ち着かなくて。あなたに電話しないと気が済まないみたい。」
「いいよ、ママ。」マルクスは近くの柱に寄りかかりながら言った。「イチゴは元気か?」
遠くから怒ったような声が飛ぶ。「その呼び方やめろってば!」
マルクスはニヤリと笑う。「なんで?似合ってるのに。俺に腕相撲で勝ったらやめてやるよ。」
弟のイチゴがうめく。「じゃあ、一生そのままだな……」
コアリがくすくす笑いながら繰り返す。「ちびイチゴ、ちびイチゴ!」
「ちび耳が何言ってんだよ!」とイチゴがやり返す。「この前お前の尻尾助けてやったの、忘れたのか?」
ガチャガチャとした音と一緒に、コアリの怒った声が重なる。「それ取り消して!」
「二人とも、いい加減にしなさい!」と母が叫ぶが、その声には笑いが混じっていた。
マルクスはその騒ぎを聞きながら、自然と笑みをこぼす。「そっちはいつも通りって感じだな。」
母の声が少し静かに、そしてどこか不安げに変わる。「マルクス、お父さんが……ちょっと大変なことに関わってるみたい。近いうちに、マーキュリーに引っ越すかもしれないって……」
マルクスの笑顔が消えた。「マーキュリー?どういうこと?」
母の躊躇が明らかだった。ようやく絞り出すように話す。
「帰ってきたら話すわ。ただ……気をつけてね。」
通話が切れ、マルクスは無言で画面を見つめた。次の瞬間、列車の汽笛が鳴り、彼は乗車する。胸には不安が石のように沈んでいた。
アルニクの家では、皆がちゃぶ台を囲んで座り、焼きたてのたこ焼きを楽しんでいた。湯気が黄金色の球体から立ち上り、部屋中に香ばしい香りが広がっている。
最初に飛びついたのはローズだった。ひとつを掴み、口に放り込む。
「アツッ!アツッ!アッツッッッ!!」
彼女は顔の前で手を必死に振り回して悶える。
カイは眉を上げ、微笑しながら箸を置いた。
「次は、やけどする前に数秒待つって学べるといいな。」
ローズはなんとか飲み込み、彼を睨んだ。
「なによ、ママ気取り?どうせ待ってたらあんたが全部食べちゃうでしょ!」
カイは眼鏡をキラリと光らせて言った。
「いや、それより太るんじゃないかと思って。」
一瞬、部屋が静まり返った。
アルニクはたこ焼きをひっくり返す手を止め、アイカは目を見開きながら、持っていたたこ焼きを皿に戻した。
ローズの尻尾はピンと硬直し、耳がピクリと動く。彼女はゆっくりとカイの方を向いた。
「今……なんて言った?」
彼女の声は冷たく低かった。
カイの余裕そうだった表情が一瞬で崩れる。両手を上げて必死に弁解する。
「ま、待って!そういう意味じゃない!冗談だったんだよ!」
「冗談……?」
ローズの声がさらに低くなる。
「じゃあ、こっちも冗談をひとつ。」
その瞬間、ローズはちゃぶ台を飛び越えて突進、カイにタックルをかまし、そのまま畳に押し倒した。
「もう一度言ってみなさいよ、四つ目ェ!!」
彼女はカイの肩を掴み、ガタガタと揺さぶる。カイの眼鏡は飛んでいった。
「や、やめてローズ!ごめんって!太ってない!むしろ怖い!お願い、放してぇ!」
カイは必死に叫びながらジタバタともがく。
アイカはたこ焼きを一口かじりながら、特に驚く様子もなく言った。
「かわいそうなカイ……自業自得だね。」
アルニクはため息をつきながら頭を振る。
「安らかに眠れ、カイ。早すぎる死だった。」
「オレの死を実況するな!助けろよ!」
カイは畳の上でうめき続けた。
しばらくして、ローズはようやく彼を解放し、何事もなかったように手を払いながら元の席に戻る。そして、たこ焼きをもう一つ手に取った。
「……そういうことよ。」
カイは畳に倒れ込んだまま、手を伸ばして皿を探る。
だが、動きが止まる。
「……俺のたこ焼きがない……まさか……食ったのか……?」
ローズは満面の笑みで答えた。そして、お腹から響くように、
「ゲフッ。」
「お前ってヤツは……」
カイは眼鏡を手探りで探しながら呟いた。
だが、そのふざけた空気は一瞬で変わる。
――家が揺れた。
低く鈍い地響きが壁を伝い、ちゃぶ台の上の皿がガタガタと音を立てる。
アルニクがカウンターに手をついて言った。
「今の……なんだ?」
「地震……かな?」
アイカが不安そうに天井を見上げ、尻尾がピクピクと震える。
皆が窓辺に駆け寄った。
そして、外の光景を目にした瞬間、心が凍りついた。
――都市上空に浮かぶ、巨大な戦艦。
その全長は500メートルを優に超えていた。
あまりの大きさに空が隠れ、街のすべてに冷たい影を落とす。
列車の窓からマルクスも、なぜか心を引き寄せられるように外を見た。
彼の目はガラス越しに、その戦艦をしっかりと捉える。
いつも見慣れた都市の風景が、突然現実味を失っていく。
まるで知っていた世界が崩れていくかのように。
背筋を冷たい何かが走る。周囲の音が消えたように静まり返る。
そこに浮かぶのは、空を裂くような存在――無言の凶兆だった。
「なんだよ、あれ……」
アルニクが呟く。声には困惑と恐怖がにじんでいた。
ローズの声も震えていた。
「……普通の戦艦じゃない……」
カイは眼鏡を押し上げながら言った。
「確かに戦艦だろう。でも、なんでこんな場所に? 彼らがそんな無茶をするとは思えない。合理的な理由があるはずだ。」
アイカは戦艦を見上げ、不安げに声を漏らす。
「テストかも……新しい兵器とか……?」
アルニクの表情が険しくなる。
「こんな場所でテストなんかするか? ありえねえ。」
カイも眉をひそめた。
「それでも……やっぱり、これは異常すぎる。」
誰も言葉を続けられなかった。
戦艦の巨大な存在が、彼らの心にじわじわと恐怖を染み込ませていく。
そして――
全員のスマホが同時に震え、画面に映像が表示された。
その声はあまりにも静かで、だからこそ不気味だった。
「地球の皆さん、こんにちは。元気にしてるかい?」
それは、地球の大統領――ライオネルの声だった。
あまりにも落ち着いていた。だが、その声の裏には、抑えきれない怒りがにじんでいた。
「急に驚かせて悪いね。ただ、みんなにちょっとしたお知らせがあるんだ。」
彼は髪を後ろに撫でつけながら言った。その動きは、どこか神経質だった。
「……はあ、もう我慢できない。」
鼻の付け根を押さえ、無理に落ち着こうとする仕草。だが、その表情は限界に近かった。
「……もういいや。」
そして声の調子が一変する。
毒がにじむような口調で、吐き捨てるように言った。
「お前ら全員が大嫌いだ。肉袋ども、クズども、ゴミども。お前らなんて、ただの腐った肉の塊だ。」
言葉はどんどん鋭くなり、憎しみがこもる。
「ずっと我慢してた。だがもう限界だ。俺は……人間なんて大っ嫌いなんだよ。」
両腕を広げ、怒りを爆発させる。
「この肉体から解放しろ……!」
彼の身体が震え始める。皮膚が裂け、筋肉が膨張し、内から何か異形の存在が姿を現そうとしていた。
そして――変異が始まった。
肉体がねじれ、目が赤黒く歪み、服が引き裂かれ、そこから翼と角が生える。
それは、もう人間ではなかった。
「俺は……待ち続けてきた!」
ライオネルの声は怒気に満ち、震えていた。
「腐ったこの世界で、どれだけ我慢してきたと思ってる! 歩くだけで価値があると勘違いしてる貴様らを、腐った肉の塊どもを、ずっと見下してきたんだ!」
拳を握る。その周囲の空気が震え、魔力が唸りを上げる。
「無知、愚か、自惚れ! 虫けらが王様気取りで地を這ってる……その姿を見るだけで吐き気がする!」
ライオネルは咆哮した。怒りと狂気の化身として――
「――第二次魔族降臨を、今ここに始めよう!!」
戦艦が高く唸りを上げる。エンジンが轟き、都市全体にその振動が広がっていく。
「破壊せよ、兄弟たちよ……全てを!」
その叫びは、地獄の合図だった。
マルクスは座席の端を握りしめ、息が荒くなるのを感じていた。
胸の奥で何かが軋む。
「……戻らなきゃ……」
かすれた声が唇から漏れた。瞳には、焦りの光が宿っていた。
母との会話が頭をよぎる。
――“お父さんが、大きなことに巻き込まれてるかもしれない。”
「まさか……これのことだったのか……」
胸が締めつけられる。
これは――ただの危機じゃない。
もっと……もっと深い、終わりの始まりだ。
思考を深める暇もなく、地面が激しく揺れた。
次の瞬間、都市が地獄と化す。
空から降下した無数のポッドが、高層ビルに激突し、爆発。
ガラスは砕け、鉄骨は折れ、構造物が崩れ落ちる。
人々の悲鳴が辺りに響き、逃げ惑う人々の群れが通りを埋め尽くす。
マルクスの心臓が沈み込む。
目の前に広がるのは、破壊の光景。
全高3メートルの人型兵器――恐ろしい魔力のオーラを纏った魔導機兵が、街を蹂躙していた。
車も建物も、人間も、すべては彼らの足元で無残に潰されていく。
悲鳴、爆発音、そして煙の臭いが世界を覆い尽くす。
逃げ惑う人々。顔には恐怖が張りついていた。
マルクスの目がひらく。
――母親が、2人の子どもを庇おうとして――
鋭い腕に貫かれる。
「っ……!」
胃がえぐられるような感覚。目を逸らしたくなるが、目を背けられない。
炎が広がり、街の一角が一瞬で火の海と化す。
瓦礫の中から現れたのは、人型ではあるが、もはや人ではない。
――魔族たち。
闇の魔力に包まれ、呪文の波動が都市を薙ぎ払っていく。
空から、地から、あらゆる方向から破壊が押し寄せてくる。
マルクスの手が震える。
「……家族を……」
拳を握る。目に炎のような光が宿る。
「守らなきゃ……!」
その時――
「伏せろっ!!」
叫び声が飛ぶ。
マルクスが顔を上げると、男が手を前に突き出し、魔法のガントレットを構えていた。
「バリア!!」
その瞬間、空から飛来したポッドが車両に激突する寸前で、まばゆい障壁が展開される。
轟音とともに、列車が線路から外れ、地面に激突する。
全身が吹き飛ばされる衝撃の中、マルクスの意識はどんどん遠のいていった。
頭の中には、ただひとつの想いが渦巻いていた――
「早く……戻らなきゃ……!」
そして、すべてが暗転した。